エピローグ
これにて完結です!
ここまで読んで下さった読者様、ありがとうございました(*´ω`*)ノシ
『もう九月も十四日目ですね。
昨日少し困ったことがありました。先日注文しておいた写楽の本が、どういう手違いがあったのか春画の総集編が届いて……』
「“困ってしまいました”――か」
職場である大学での昼休み、彼女には悪いが僕は日記のその内容に思わず吹き出してしまう。きっとオロオロして箱から出したり仕舞ったりを繰り返したに違いない。
そんな彼女の姿を思い描いてふと、その現場を見てみたかったというほんの少し意地の悪い気持ちが芽生えた。
早速また練習し始めたカメラを引き寄せて、バッテリーの充電量を確認する。――まだ充分余力があるようだ。
あの後、僕と彼女はまたこうして交換日記の真似事を続けている。
日々の小さな出来事や、その日あった面白いことなどが僕の仕事の都合で数日おきに記されていた。なかなか引き取りに行けない日が続くと、必然的に彼女の頁が増える。
五行の縛りがなくなった頁を彼女の文字が埋めていくことに小さな幸福を感じた。
是非今日の仕事帰りに立ち寄ってこの事を詳しく聞いてみようと思いながら、購買で買ったパンを頬張っていると「お、いたいた!」と大きな声を上げた大野がこちらにやってくるところだった。
せっかく静かに昼食をとっていたのに……。そう思いつつも広げていた荷物を寄せて大柄な大野が座る場所を確保する。
「ようやく見つけたぞ、この野郎。こんな人目に付かねー場所で昼食とんなよな」
案の定まだこちらが勧めてもいないのに、大野はどっかりといま空けたばかりのスペースに腰を下ろした。
「……元からいつもここで食事をしている。前回お前が探しに来たときもこのすぐそばで昼食をとっていたぞ」
呆れ混じりにそう答えた僕の言葉を聞いているのか、いないのか。大野はごそごそと手にしたバインダーの中身を漁っている。
それを横目に眺めながら再びパンを頬張っていたら、ようやく目当ての物を発見したらしい大野がそれを僕に向かって突き出す。
手にしているのはよれてはいるものの、割と高級感のある白い封筒だ。模様を捺してあるのか陽の光に当たるとうっすらとレースのような模様が浮かび上がる。
僕が怪訝な表情のまま受け取ると、大野は満足そうにあの人好きする笑顔を浮かべた。
「――これは……」
“何なんだ?”と続けようとした僕の言葉を遮るように大野は寝耳に水な発言をした。
「俺、今年の十二月に結婚すんだわ。それで大学時代の友人代表としてお前にスピーチ頼みたいんだよ」
唖然としている僕に「良いよな?」とカラリと笑う大野。
そもそも“いつ友人代表になったのか”だとか“勝手に決めるな”だとか言いたいことは山ほどあるにも関わらず、思ったような言葉が出ない。
「ま、そういうことだから、頼むな! それと――お前もその日記帳が埋まるまでとか思ってないで、さっさと勇気出せよ?」
「――余計な世話だ。しかしまさかお前……生徒に手を出したんじゃないだろうな?」
「馬鹿か、人聞きの悪いこというな! 相手はずっと付き合ってた一般女性だっつーの」
「……ずっと付き合ってたって、前に彼女みたいな女性が好みになったと」
ずっと付き合ってたということは彼女と正反対の女が好みのままだということか?
そう困惑した表情を浮かべる僕の頭を肘で小突いた大野が、あの豪快な笑みを浮かべる。
「あんなもん、お前を焚き付ける嘘に決まってんだろ? 俺は明るくて喧しいくらい元気なのが症にあってんだよ。っつーことで、その招待状、もう一通は彼女に渡しといてくれ。じゃ、昼休みの邪魔して悪かったな!」
来たとき同様、騒がしく立ち去る大野の大柄な背中を見送りながら、手にした二通の招待状と臙脂色の日記帳を見比べた。
―――腕時計を確認すれば、昼休みはまだ二十分ほど残っている。
スマートフォンを手にしばらく悩んでみたが、意を決してその番号を入力した。きちんと登録しているものの何となく入力してみたい番号が画面に表示されて、呼び出しのコール音が聞こえる。
スマートフォンを耳に当てながら息を飲んで待っていると、呼び出し音が途切れて『はい、こちら古書店【復刻堂】でございます』と穏やかな彼女の声が聞こえてきた。
痛いくらいに脈打つ胸を押さえながら、その声に答える。
「もしもし……あの、高尾ですが」
あの店内で、受話器を持つ彼女の姿が脳裏に過ぎった。
「今日そちらで――お話ししたいことがあるんですが。よろしければお時間を頂けますか?」
電話の向こうで『えぇ勿論、お待ちしていますね』といつもと変わらない彼女の優しい声が僕の胸を騒がせる。
大野に唆されたせいではないと信じたいが――出来れば、どうか。
――――今度こそはこの物語が。
――――どうか、良い方向へと導かれますように。
***
「えぇ勿論、お待ちしていますね」
受話器を戻してからもまだ彼のどこか熱っぽい声が耳に残って、フワフワとした心地が抜けない。
「こんな時間に電話があるなんて初めてだし……何かしら?」
そのまましばらく考え込んでみたところで思い当たる節なんて……。
「まさか――あの日記の内容を気にして……?」
だとしたら何て馬鹿なことを書き込んでしまったのだろう。けれどそれでも今日彼が店に顔を出すきっかけになったのなら――少し嬉しい。
仕事帰りに店に寄ってくれるにしてもまだ随分時間がある。ちょうど今は客足もないので、私はコーヒーを淹れに二階に上がることにした。
お湯を沸かす間に何となく仏壇に置いてある父と、それよりも随分と若い時間で止まっている母の遺影を覗き込んだ。
二人の遺影はどちらもほんの少しぎこちない微笑みを浮かべて私を見ている。だからそんな二人に向かう私も、良く似た微笑みを返してそっとある告白を呟いてみた。
「――今日、私の好きな人が会いに来るのよ」
二人の視線に合わせるように仏壇の前に屈み込むと、遺影の中の両親はお互いに幸せそうに見えた。
「何の用事なのかはまだ分からないんだけど……どうかそれが彼にとっての良いことであるように祈っておいてね」
背後で一人分のお湯が沸いた音がする。私はその音にゆっくりと二人の前から立ち上がって台所に向かおうと背を向けたけれど、再度振り返って「お願いよ」と念を押す。
それから少し、考えて「出来れば、私も喜べるようなことが良いわ」と付け足した。
―――これで、きっと大丈夫だから。
「……早く、会いにこないかしら」
両親の前で自然とそうワガママな呟きが零れた口許を押さえて、私は一人台所へと向かうのだった。




