過去―彼女がいない後⑦ 捨てる、捨てられる―
今回はベルンハルドと司祭様です。
※ケインの年齢を20→21に修正しました。
王国が崇拝する姉妹神を祀るラ・ルオータ・デッラ教会の上層礼拝堂にて、今日19歳の誕生日を迎え祝福を受けるエルヴィラ。“祝福された花嫁”と、銀の髪に蒼の瞳をした司祭が王太子と王太子妃の結婚式の際告げた。
貴族王族問わず、結婚式の際、祝儀の間と呼ばれる場で運命の女神フォルトゥナと魅力と愛の女神リンナモラートの石像の前で愛を誓う。その時、姉妹神の瞳が光れば愛を誓い合った夫婦は姉妹神に祝福された夫婦として、永遠の幸福を約束される。
ベルンハルドとエルヴィラの時がそうであった。
フォルトゥナとリンナモラートの瞳の色が愛を象徴する美しいルビーレッドを発光した。
“運命の恋人たち”が女神に祝福されたと歓喜する周囲と祝福された花嫁となり嬉しさのあまり涙を流したエルヴィラは知らない。
……茫然と姉妹神を見上げ、表情から一切の色を失ったベルンハルドに。
毎年恒例の誕生日の祝福を終えたエルヴィラは立って姿勢を正すと司祭に一礼した。司祭が決められた言葉を授けると、後ろで見守っていたベルンハルドが2人の元へ来た。
エルヴィラは少女のような微笑みを携えベルンハルドに抱きついた。
『ベルンハルド様』
『お疲れ、エルヴィラ』
『はい。ふふ、今日の誕生日パーティー楽しみですわ。お兄様やお父様、お母様と久し振りに会えるんですもの』
エルヴィラが両親に会うのは結婚式以来となる。1ヶ月前は兄ケインの誕生日があったが、公爵の地位を引き継いだ年だったのでエルヴィラと言葉を交わしたのは挨拶程度。後は周囲への挨拶周りやシトリンから引き継いだ自分よりも何十歳も上の貴族とのやり取り等。多岐に渡って忙しく動いていた。21歳のケインの誕生日パーティーの場に両親はいなかった。エルヴィラは何故両親がいないのかをケインに尋ねたかったが忙しそうに動き回るケインとは挨拶以外終わっても何も話せなかった。
今日の王太子妃の19歳を祝う場にはちゃんとケインだけではなく両親も呼んでいる。何故2人がケインが公爵の地位を引き継いだと同時に領地に隠居したか。エルヴィラは確り者のケインに全てを任せ、のんびりとした生活を送っているのだろうと考えている。
会ったら聞いてほしい事が沢山ある。夜が楽しみだと無邪気に笑うエルヴィラの黒髪をそっと撫で、にこやかに2人を見守る司祭にベルンハルドは瑠璃色を向けた。
『叔父上。この後、少しだけお時間を頂けませんか?』
『ベルンハルド様?』
『すまない。先に城に戻っていてくれ。叔父上と大事な話がある』
『でしたら、わたしも残ります。わたしはベルンハルド様の妻ですから』
『ふふ……』
エルヴィラをこの場から遠ざけたいベルンハルドと、妻なのだから一緒に話を聞くと譲らないエルヴィラに、表情を崩さないまま司祭は小さく笑いを零した。微笑ましいと言わんばかりの相貌にエルヴィラは恥ずかしげに頬を赤らめるもどこか嬉しそうで。ベルンハルドは司祭の微笑に苦しげに眉を寄せた。
『仲がよろしく大変結構。貴方達はこの国を代表する夫婦です。これからも仲睦まじくありなさい』
『はい! 勿論ですわ!』
『王太子殿下。今日はこのまま戻りなさい。今夜は王太子妃殿下の誕生日パーティーがあって自由に出来る時間は限られている。私は此処にいるから、好きな時に訪ねて来なさい』
『……ほんの数分でいいのです叔父上』
頑なに話をしたいベルンハルドに司祭は苦笑する。不安げなエルヴィラの髪を撫で、護衛にエルヴィラを守らせ上層礼拝堂から退室させた。
司祭ーーシエルは『座ろうか』とチャーチチェアを指指した。1席空けてベルンハルドの隣にシエルが座ると、下層礼拝堂と繋がっている階段からタイミング良くティーポットとティーカップ2つを乗せたトレイを持った身形の良い青年が上がって来た。
『シエル様』
『おや、タイミングが良いね』
『さっき王太子妃様と騎士様が出て行ったのに、王太子様がいなかったので多分シエル様に話でもあるのかなって』
『ふふ。そうみたいだね』
見事な薔薇色の、左襟足だけ肩まで届く程長い髪と同じ色の瞳をした美貌の青年。彼の姿を目にしたベルンハルドは目を丸くした。彼はチャーチチェアにトレイを置き、慣れた手付きで紅茶をティーカップに注いでいく。ソーサーを両手でそれぞれ持ち、シエルとベルンハルドに渡した。
『ん?』と彼から舞った香りにシエルは首を傾げた。
『ヴェレッド。君、気のせいか焦げ臭くない?』
『ああ、うん。パイを焼くのを失敗したんだ。で、後片付けをしてた』
『パイを?』
『食べたかったんだ。ただ、火力が弱いと思って薪を入れ過ぎて焦がしたんだ』
『あはは。可愛いね』
ベルンハルドが息のし辛い窮屈な思いをしている傍ら、シエルは彼ーーヴェレッドと軽口を叩き合う。
ヴェレッドとの会話からベルンハルドとの会話に切り替えたシエルは話をするよう促した。ベルンハルドはチラリと彼を気にするも、シエルから空気だと思えば良いと言われた。流石に、今から話すことを第三者に聞かれたくない。
況してや彼は……、と思い出したくもない記憶が蘇りそうになり頭を小さく振った。彼を気にしつつ、シエルに話を切り出した。
『……叔父上はご存知ありませんか?』
『何を?』
『……ファウスティーナが、何処にいるかを』
『……』
シエルはううん? と紅茶を飲みながら眉を八の字に変えた。ヴェレッドは壁に背を預けて天井のステンドグラスを眺めている。
『可笑しなことを聞くね王太子殿下。何故彼女を? それより、何故私が知っていると思うの?』
『叔父上はファウスティーナを大事にしていた。それに……ファウスティーナも叔父上に懐いていた』
『私は(一応)教会の責任者だからね。彼女は大事な女神の生まれ変わりだ。大事にするのは当然だよ』
『……』
ベルンハルドが何を聞きたいのか大体察したシエルは紅茶を一気に飲み干した。熱いのに。自分でティーポットを取り紅茶を注ぐ。再びベルンハルドに意識を向けた。
『ただ、知らないよ。ファウスティーナ様が何処にいるかなんて』
『……』
『第一、彼女は罪を……直接は犯してないにしろ、直前までいった。君はそれを暴き、彼女を罰しようとした。王妃殿下と公爵の力でお家勘当になった彼女を知ってどうする?』
『連れ戻したいのです……』
『何故?』
微笑を張り付けたままベルンハルドの返事を待つ。
『……ファウスティーナが、私を、捨てたから』
『?』
予想外な言葉にシエルは瞬きを繰り返す。ステンドグラスを眺めていたヴェレッドも視線をベルンハルドへ向けた。
『……捨てた? はて、何処が?』
『……ずっと教会にいる叔父上は知らないでしょう。いいや……周りも、誰1人気付いていない。皆私がエルヴィラを選んだと思っている。実際は違うのに』
シエルはティーカップの縁に口を付けたまま、言葉の意味を理解しようと脳内で反芻した。
ファウスティーナがベルンハルドを捨てた? ベルンハルドがファウスティーナを捨てたのではなく?
エルヴィラを選んでない? なら何故王太子妃に彼女はなって、王太子の隣にいる?
ーーやれやれ……
考えていながらも、答えを知っているシエルは肩を竦めた。
同じことをヴェレッドも思ったのだろう。『シエル様』と声を発した。
『そろそろ時間です』
『もうそんな時間?』
『はい』
『悪いね王太子殿下。少し時間が足りないみたいだ』
『いえ……お時間を取らせてしまい、申し訳ありません』
暗い表情のまま、一口もつけていない紅茶を残しベルンハルドは上層礼拝堂を降りようとした。
『王太子殿下』
『!』
階段を降りようとしているベルンハルドにこう言葉を放った。
『君がどうしてファウスティーナ様を探すのかは敢えて聞かないでいよう。ただ、もう忘れなさい。彼女は罪を犯そうとし、君はそれを暴き、罪もない少女を救った。そして少女と結ばれ、国民だけではなく女神にも祝福された。
……君は王国で最も幸福な男だ。忘れて、幸せになり、民を導きなさい』
『っ……失礼します』
最後、ベルンハルドが唇を噛み締め、血が出そうな程掌を握ったのを見届けるとシエルは紅茶を飲んだ。
『悪趣味』
ヴェレッドはベルンハルドが座っていた席に腰を下ろした。
『明らかに苛ついていたよね、シエル様』
『何のことだか』
『捨てたくせに今更になって拾い直そうとしてる所王様にそっくりだった』
ピクリ、とティーカップを持つシエルの指が反応した。
『突き放して、突き放されて、何が一番大事か気付く所も全部。親子だから、見た目も中身も似て当然か』
『……何が言いたいのかな?』
先程までの微笑は消え失せ、苛立ちが混ざった面でヴェレッドへ怜悧な蒼をぶつけた。
『教えない』
『はあ……だと思ったよ』
2杯目の紅茶も飲み終え、シエルは立ち上がった。自分とベルンハルドのティーカップをトレイに乗せ両手で持ち上げた。
上層礼拝堂を降りるべく階段へ向かう。ヴェレッドは並んで歩く。
『さて、焦げたパイでも食べに行こうか』
『ああ、あれ。泣きながら処理した』
『じゃあ、一緒に作ろう。皆で作ったらきっと美味しいパイが出来上がるよ。人数が多い分、種類も多く作れる』
『はーいはい。仰せのままにシエル様』
下層礼拝堂に降り、教会から出て裏手に回り、木々に囲まれた道を進んで行った。
ヴェレッドは正門から走り去った王家の家紋が刻まれた馬車を一瞥した。
シエルは甥であるベルンハルドをベルと愛称で呼んでいるのに、今日は一度もベルと呼んでいなかった。
『……ホント、親子揃って同じ目に遭うんだね』
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