出発⑥
領地出発の前日の夜。子豚のピギーちゃんランタンを片手に、書庫室を訪れたファウスティーナは脇に挟んでいた一冊の本を空いている手で持ち直した。今日の昼、リンスーに頼んで戻してもらうのを就寝前になって思い出した。本を戻すだけで呼ぶのは忍びなく、また、明日以降暫く王都を離れる為、慣れ親しんだ場所に最後来てみたかった。
「確か此処だったよね」
ファウスティーナが読んだのは自立を目指した女性の手記。裕福な家庭に生まれた筆者は自分一人の力で生き抜く術を見つけるまでどのような経験をしたかを赤裸々に綴っていた。憧れを持ってもファウスティーナには別世界の話のようで自分もなりたいという強い気持ちまでは抱かなかった。ただ、参考にはなると要所要所で紙にメモをした。
アエリアが送ったファウスティーナへの返事には時折領地へ遊びに行く旨と王都に残り定期的に状況を伝える旨が書かれていた。既に当主候補に名乗りを挙げたアエリアは、ラリス侯爵令嬢としてより、次期女侯爵としての注目度が高い。ラリス家の双子は、片方がラリス侯爵、もう片方が母方の実家アリストロシュ辺境伯になる予定だった。アエリアが次期ラリス家の当主になると宣言した時、反対するどころか妹の応援に回った。
「侯爵は反対されているけど、侯爵夫人や兄君達が応援しているせいで一人孤立しているとも書いていたわね……」
家族仲が悪い訳じゃない。ただ、妹命な双子とアエリアにその覚悟があるならと侯爵夫人が認めている為、侯爵しか反対する者がいないのだ。
手紙の返事と言えばクラウドが最も気になる。出発前日になってもケインはクラウドが送った返事の内容について一切教えてくれなかった。今朝、再度訊いたら明日になったら分かると遠い目をしていた。幾つか予想が浮かぶものの、きっとファウスティーナの予想はどれも外れている。明日が楽しみでもあり、ケインのこの反応のせいで些か不安でもある。
そろそろ部屋に戻ろうと書庫室を出て行き、部屋へ戻ったファウスティーナはランタンをサイドテーブルに置いて火を消した。
部屋に戻ったら誰かいそうな気がしたが今夜はいなかった。三日目と昨日はいた。
いなくて良かった。いたら、落ち着かない気持ちを理由に長話をしてしまいそうだったから。
——翌朝。気持ちいつもより早い時間に起こしに来たリンスーが無遠慮にカーテンを開けた。太陽の眩しさから逃れるべく枕で顔をガードするも抵抗虚しく起こされてしまった。
「うう……まだちょっとだけ眠い」
「お嬢様。今日から暫く王都を離れるのですよ? シャキッとしましょう、シャキッと」
「はい……」
心の声はまだ寝ていたい気持ちでいっぱいであるがリンスー言う通り、領地へ行って最初に王都へ戻るのは半年以上も後になる。眠気を吹き飛ばそうと自身の手で頬を叩いた。
朝の支度を済ませ、鏡台の前で髪を梳いてもらう。
「リンスーも来てくれるのは嬉しいな」
「当然です! お嬢様のお世話は私の仕事です」
「リュンも行くんだよね」
「ケイン様は屋敷に残って、時折状況報告をするようリュンに言い付けたようですが……」
『嫌ですよ!! おれは絶対ケイン様に付いて行きますからね!!』と泣いて拒否をされた以上、無理に屋敷に留めておけなくなったのをファウスティーナも知っている。実際に現場を見ている為。
「お嬢様」
「なあに」
「今更こんな事を言うのはなんですが本当によろしかったのですか? その、王太子殿下との……」
「……」
既に王国中、何なら他国にも現王太子の運命の相手がエルヴィラだと知れ渡ってしまっている。女神の生まれ変わりは必ず王族に嫁ぐ。だが、それは決して王太子を限定している誓約ではない。王国が運命を大事にしていると他国も知っている。こっそりとクラッカーが教えてくれた。ファウスティーナ宛に多数の釣書が届いていると。国内の貴族は勿論、他国の王族・皇族もいる。王太子以外にも嫁げる王族がいるのに、だ。皆が女神の生まれ変わりと婚姻する絶好の機会だと狙っている。シトリンが全て断っている最中だ。
「リンスー。女神様が殿下とエルヴィラを“運命の恋人たち”にしたなら、それがきっと正しいのだと思う」
「お嬢様……」
「でも」
くるりと体をリンスーに向けたファウスティーナは櫛を持つ手を両手で包んだ。
「私も殿下も諦めてないよ。運命を覆す方法を見つけて、もう一度婚約者になれるように頑張る」
この場に女神の崇拝者がいたら怒り狂うだろう。女神の定めた運命に抗うのかと。
リンスーは代々ヴィトケンシュタイン家に仕えるシャーレット家の長女。女神についても地味に詳しい。
ファウスティーナに手を包まれたまま、リンスーは膝を折り目線を合わせた。
「私に出来る事があればなんなりと。私はどんな事があってもお嬢様の味方です」
「うん!」
思い出した繰り返しの人生で一度もファウスティーナを見捨てなかったリンスーには全幅の信頼を寄せている。いつか、恩返しをしたい。リンスーだけじゃない、父にも、ケインにも、シエルにもヴェレッドにも。
自分を信じてくれる人に。
「さあ、食堂へ参りましょうか」
「はーい!」
今日の朝食以降五人で食事を摂る機会は無くなる。昨夜の夕食時、明日の朝食はそれぞれの好きなメニューを出すと言われた。ファウスティーナが好きなのは多々あるが、今最も好きなのは甘さ控え目のパンケーキに沢山のトッピングをすることだ。ウキウキで食堂へ足を運んだファウスティーナは既に着席していた四人に朝の挨拶を交わし、自身の席に着いたのだった。
シトリンは少し寂し気で、リュドミーラは複雑な表情、ケインは普段と変わらない、エルヴィラはどうしてか不貞腐れている。敢えて突っ込まず、前に並べられる朝食のメニューに胸を躍らせた。甘さ控えめのパンケーキに数種類のフルーツ、ジャム、領地で採取した蜂蜜、生クリームというトッピングが小皿に載って置かれていて、先ずはパンケーキだけで頂いた。
甘さ控え目でも卵の甘さがありトッピング無しでも食べ切ってしまいそうで四分の一で止め、最初のトッピングで選んだのは蜂蜜。ファウスティーナの好物の一つだ。
「ファナ、ケイン。二人とも準備は済ませているね?」とシトリン。
「勿論です」
「朝食を食べ終えたら、すぐにでも出発出来ます」
二人が決めたのならと賛成したシトリンだがやはり寂し気な感情は消えない。隣に座るエルヴィラの食指があまり動いていないのを見つつ、声を掛けるべきかどうか悩むファウスティーナだったが先にリュドミーラがエルヴィラに声を掛けた為結局しなかった。体調は悪くないが食欲がなく、朝食はもう要らないと言ってエルヴィラは出て行き、心配したリュドミーラも後を追う。
「大丈夫でしょうか……」
「憎まれ口を叩くけど、本心ではファナやケインと会えなくなるのが寂しいと思っているんだ」
それはない、とファウスティーナとケインの心の声が一致するも実際に口にはしなかった。
三人となっても朝食は無事終わり、食後のジュースや紅茶を飲み終えたタイミングで来訪者の存在をクラッカーに報せられ、互いに顔を見合わせた二人は玄関ホールへ足を運んだ。
「ふわあ……眠いんだけど」
「君がヘマをしたらすぐに私が迎えに行ってあげるよ」
「絶対嫌だしやらないし」
どんな時でも変わらないやり取りをするヴェレッドとシエルがいた。シエルは見送り、ヴェレッドはファウスティーナの護衛役をシエルやオルトリウス等に命じられた為共に領地へ行く。シトリンも同じく玄関ホールに来ており、三人がシエルへ挨拶をするとヴェレッドが振り向いた。
「お嬢様、坊ちゃん。何時でも出発出来るよ」
「私とお兄様も準備を済ませておりますので何時でも良いですよ」
荷物は馬車に積み込み、先に領地へ出発済。後は人が向かうだけ。
「朝食も先程終わりましたので、着替えを済ませたらすぐにでも行けます」とケイン。
「みたいだよ、ヴェレッド」
「はーいはい。なら、やっておいで」
チラリとシトリンを見たファウスティーナは「行っておいで、ファナ、ケイン」と送られ、ケインと共に邸内へ戻り、各々の私室へ入る。
テーブルに載せている小さな旅行鞄を床に置き、リンスーに渡されたショールを羽織る。
「お嬢様寒くないですか?」
「平気だよ。行こうリンスー」
鞄はリンスーが持ち、再び玄関ホールへと戻った。ケインとリュンはまだでファウスティーナに気付いたシエルがシトリンとの会話を切り上げた。
「気を付けて行っておいで、ファウスティーナ様。道中問題が起きてもヴェレッドを扱き使って解決させてやればいいよ」
「優しい声でエグいこと言わないでよ」
「あはは……」
指摘を受けた通りシエルの声色は優しく、教会の司祭らしく慈愛に満ちている。内心どう思っていようが、だ。
「お待たせしました」
さっきとは上着を着ている点を除けば変わっていないケインがリュンを連れて戻った。
「そういえば公爵。奥方とエルヴィラ様はどうしたの」
「それが……」
朝食の場での状況をシトリンに聞かされ、想像の気持ちを述べられる。実際は本人に聞かないと不明なものの、シトリンの想像するような気持ちは多分エルヴィラにはない。
深入りする気のないシエルは待っているファウスティーナとケインを促し、彼等を連れて外へ出た。此処に誰が出て来ようと然程興味もなく、面子もどうでもいい。
シエルの後に続いて外へ出たファウスティーナはこっそりと「本当にエルヴィラはどうしたのですかね」とケインに耳打ちした。
「さあ……俺にはなんとも」
考える気がないのか、ケインの方は興味を示していない。
エルヴィラの事、きっと一日経てば復活するだろうとファウスティーナは考えを止めたのだった。
――シトリンや屋敷の人達に見送られ、ファウスティーナ達を乗せた馬車はヴィトケンシュタイン公爵邸を出発した。無論シエルともお別れだ。馭者席に座って手綱を握るのはヴェレッド。
ファウスティーナとリンスー、ケインとリュンで座り、長時間座っていても疲れず、野宿にも対応している。
「お嬢様は殆ど領地へは行ったことがなかったですね」
「うん。とても楽しみ」
領地へ行くのはいつもシトリンやリュドミーラ、時にケインやエルヴィラ。ファウスティーナだけ連れて行ってもらえなかった。王都を出てはいけない規則はないものの、念には念をといったところ。
王都の出入口に差し掛かった。外へ出るには検問所を通り、騎士の許可を得ないとならない。
列に並び、順番が回って来ると規則通り許可証を提示した。本物の許可証と認められれば後は領地へ向けて只管走るのみ。
これからどんな生活を……とファウスティーナが思考に浸り掛けた直後、馬車の動きが段々大人しくなる。怪訝に感じ窓を見ると速度はゆっくりから完全に停車した。
「ヴェレッド様? 何かあったのですか?」
「あったというか、いるというか」
「え」
ヴェレッドの声色は警戒という感情はなく、ひたすら不思議そうに首を傾げているようなもの。まだ検問所を抜けて然程走っていない先に、一台の馬車が停車していた。ファウスティーナ達を乗せた馬車が来ると一人の少年が外へ出て来た。
「はあ……ホントなんだ」
「お兄様?」
溜め息を吐いた後、独り言ちたケインは馬車を降りた。驚いたファウスティーナも降りた。
「……え?」
ヴェレッドが凝視している視線の先にいたのは――フワーリン家の家紋が刻まれた馬車の側で手を振っているクラウドであった。
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