タイミングの悪さ
雲が多くても青い空は隙間から見える外で。シートを敷いた上に座って冷たい風を浴びて髪が靡いてもふわふわとした笑みを崩さない少年が1人。視界に入る蜂蜜色の金糸を耳に掛け、両手に乗せた糸を見つめ眉尻を下げた。他人には見えない、クラウドだけに見える糸。クラウドの両手にある糸は2本。
「千切ろうとしたら、強い力に拒まれて触っていられなくなるな……」
1本はベルンハルドの。
もう1本はエルヴィラの運命の糸。
黒い糸に絡まれていたエルヴィラの運命の糸が少し前に消えた。クラウドが千切っても千切っても、千切れた箇所から新しい糸が伸びてエルヴィラの運命の糸に絡んでいた黒い糸がさっぱりと無くなった。その代わりとしてか、ベルンハルドの運命の糸にエルヴィラの運命の糸が絡みついた。千切ろうとしたら痛みを覚える力で手を離さざるを得なかった。
獲物を捕らえた蛇の締め付けのように、エルヴィラの運命の糸はベルンハルドの運命の糸から決して離れない。
「お祖父様に聞いてみようか」
自分と同じ力を持ち、自分以上の力を持つ祖父なら、この糸の理由を知っているかもしれない。
庭を出たクラウドは祖父のいる場所へと向かったのだった。
●〇●〇●〇
何百通りもの切り出し方法を考えていた前の自分の説明。いざ、ケインにしたら、頭の心配はされずホッとし、信用してくれた事に対しても安堵した。ファウスティーナの態度がいい加減だったらケインは信じなかっただろうが、真摯に語ったからこそ、頭が可笑しくなったと思われても仕方ない話を信じてくれた。話も終わり、アップルパイも全て食べ終えた。残った飲み物を飲み干したところでケインが椅子から降りた。
「ファナはこの後何をするの?」
「王妃宮に滞在している間は、許可された場所なら好きに使って良いと言われておりますので書庫室から借りた本でも読んでいようかと。ただ、体も動かしたいので庭園を歩きたいとも思います」
「そう。王宮でエルリカおば様に会ったら、くれぐれも注意するんだよ?」
「やっぱりまた来ますかね……?」
「さて。どうだろうね。エルリカおば様の事、詳しくは知らないからね」
ファウスティーナも同意。前の人生の時、積極的な関わりはなかった。仮にあったとしても、ベルンハルドやエルヴィラ絡みの記憶しか多く残っていない現状覚えていなくても仕方ない。
ケインが知っているエルリカを訊ねてみた。
考えるように瞼を閉じると言葉を探りながらも語ってくれた。
「多分、ファナが知っているのと同じだよ。淑女の鑑と呼ばれる貴婦人で、お祖父様の妹でリオニー様の母君。ってとこかな」
「アーヴァ様との関係が悪かった、というのは……?」
「少しだけなら知ってる。ただ、詳細まではね」
「そうですか……」
やはり調べるなら親世代。ただ、大人達の様子を見るからに詳細を語ってくれそうな人はいないだろう。ふと、ファウスティーナは母の姿を頭に浮かべた。
「お兄様、お母様は屋敷にいますか?」
「いるけど、どうしたの?」
「お母様にアーヴァ様について教えて頂こうかと」
「母上に?」
疑問がありありと浮かんだケインに訳を話した。自分が知っているとても些細なアーヴァの好みを教えてくれたのが母であると。一瞬、無表情に驚愕が滲むもファウスティーナには見えなかった。
「俺から母上に聞いてあげようか? エルリカおば様が領地に帰るまでは、屋敷に戻らない方が良い」
「私から聞きたいです。エルリカおば様とエルヴィラが屋敷に戻っているなら諦めますから、お兄様お願いです!」
自分自身の目と耳でしっかりと見て、聞いて、知りたい。
時間的に2人が屋敷にいる確率は高いだろうが一縷の望みに掛けたい。
言っても聞かないと踏んでくれたのか、小さく呆れの込められた息を吐かれるもケインは首を縦に振ってくれた。
個室を出て隣室で待機していたリンスーとリュンを呼び、次に向かう先をヴィトケンシュタイン公爵邸だと告げた。エルリカの件があって王宮に滞在となったと知らされているリンスーは不安にするも、屋敷に戻っているなら王宮に帰ると言った。
店を出る前に幾つかの焼き菓子を購入して外に出て、待機させていたヴィトケンシュタイン公爵家の家紋が刻まれた馬車に乗り込んだ。城からカフェへ送ってくれた馭者には事情を説明し、先に戻ってもらった。
ケインとリュン、向かいにファウスティーナとリンスーが座った。
3年振りに兄と馬車に乗った。懐かしくてつい笑ってしまうとケインから「何もないのに笑うと頭の心配をされるから程々にね」と注意されてしまう。もっと他に言い方はあるのに棘しかない。ジト目になりつつも、久しぶりの貴族街の光景は変わらなかった。
「お嬢様本当に宜しいのですか?」
「おば様がいるかいないかを聞いて、いるって言われたらすぐに帰るよ」
「その時は公爵家の馬車で帰ったら良いよ。そのつもりで馬車を帰らせたんでしょう?」
「はい」
移動中の話題はエルリカがエルヴィラを連れて先代司祭オルトリウスに会いに来た話となった。
「先代司祭様ってどんな人?」
「私も去年1度会っただけで詳しくは知らないんです。会ったと言えど、教会に戻ったらすぐにまた旅立って行ったので」
「エルヴィラが粗相をしてしないか心配だよ」
「大丈夫、……とは言い難いですがまあ……」
最初は良かっただろうが、途中から雲行きが怪しくなった。特にエルヴィラがベルンハルドを慕っていると発言をした辺りから。最後にはベルンハルドとネージュがお付きの人達を連れて散歩している時に来てしまった。エルヴィラのベルンハルドに対する態度が目に余るとしてエルリカが叱ったと言った際にはケインは驚いていた。
「おば様はエルヴィラには何も言わないと思ったよ」
「私もです」
ヴェレッドがいたら、ファウスティーナに言った台詞をケイン相手でも放っただろう。いなくて良かった。
カフェから出発した馬車はヴィトケンシュタイン公爵邸に近付いた。
「いい? ファナ。おば様がいたら屋敷に入らず、このまま帰るんだよ」
「分かってます」
門の前に着くと先にケインとリュンだけが降りた。
「でも、時間もそこそこ経ってるからおば様とエルヴィラがいる確率の方が高そうよね」
「ですね。お城に戻ったら何をされますか?」
「どうしよう……あ」
もしもを考えた時。ケインが顔を出し「2人はまだ戻ってないって。早くお入り」と放ち、言われた通りすぐに降りたファウスティーナはリンスーと共に久しぶりに正門から屋敷に入った。昨日は裏手に回って入ったので。
「お帰りなさいませ坊ちゃま、ファウスティーナお嬢様」
「ただいまクラッカーさん」
「ただいま」
玄関ホールに入ると迎えてくれた執事長のクラッカーに母の居場所を訊ねると今は部屋にいると返された。親族会に参加する家の確認をしている最中だとか。作業中なら邪魔をしてまで聞きたい話じゃない。クラッカーに言伝を頼んでおこうと顔を上げた。
「お母様に聞きたい事があるから、時間がある時にお話がしたいと伝えておいてほしいの」
「了解しました。どの様なお話ですか?」
彼はヴィトケンシュタイン公爵家に長く勤める古参の執事だ。アーヴァについて何か知っていると抱き、思い切ってアーヴァの名前を出した。微かに瞳が揺れた気がするもクラッカーは動揺を顔には出さず、言葉を探しているのか何度か瞬きをした後ゆっくりと語った。
「私が知っているアーヴァ様は大人しくて、内気で、常に姉のリオニー様の背に隠れていました」
「司祭様が教えてくれたよ」
「王弟殿下と親しかったと一部で噂になりましたから、知っていてもおかしくありません」
「そうなの?」
初耳だ。だが、考えれば分かること。シエルのあの優しさが臆病なアーヴァの心を開かせたのだ。
「旦那様とは親戚関係にありましたし、奥様とはあまり接点はありませんでしたがお祝い等では何度か贈り物を贈り合っていた筈です」
「お父様とアーヴァ様は仲が良かったの?」
「アーヴァ様は旦那様とは目も合わせられて会話も出来ていましたよ。親しかったと言えど、あくまでも親戚としての距離を守られていました。旦那様には当時婚約者だった奥様がいらっしゃいましたし、アーヴァ様は自分のせいで多くの婚約関係を破綻させた事をかなり気にしておられたので」
アーヴァ自身が何もしていなくても、アーヴァの魔性の魅力のせいで不幸になった人間は数多くいた。
その度に皺寄せがフリューリング家に行くも、元々侯爵家の力は強く、その頃は既にリオニーが次期侯爵としてではなく、優秀な騎士としての頭角を現し始めていた時期であった為表立っての非難はなかった。但しエルリカだけずっとアーヴァを責め続け、嫌い続けた。魔性の魅力を持つ娘に嫉妬した母親だと嗤われたらしいが、彼女に同情する声も多くあったとか。
「エルリカ様が淑女の鑑と呼ばれていた事と女性の殆どがアーヴァ様を敵視していたからだと思われます」
「だ、男性の中にアーヴァ様を恨んでいた人はいないの?」
「いましたよ。どれもアーヴァ様に振り向いてもらえなかった哀れな者達でした」
哀れ、というより、自業自得な面々が多そうである。
更に知りたいとクラッカーに次の質問をと決めたら、隣から咎める声が刺さった。
「ファナ。玄関ホールじゃなくてサロンでしよう。おば様達が戻って鉢合わせしたら厄介だ」
「あ……そうですね……」
クラッカーから聞かされる話がどれも興味深くてすっかりと頭から抜け落ちてしまった。
「クラッカーさん、まだ付き合ってくれますか?」
「こんな老いぼれの話等で良ければ是非」
「ありがとう。リンスー、サロンに行こう」
「はい、お嬢様」
もしも会話中に2人が戻っても、部屋にいるのを確認してから帰ればいい。サロンへ向かうべく階段を上がっている最中、大きな扉が開いた。全員の視線が扉に注がれた。
「絶対ですよおばさ…………お姉様? それにお兄様も」
入ったのはエルリカに何かを話していたのをファウスティーナとケインに気付いたエルヴィラと。エルヴィラに向けていた優しい瞳はファウスティーナの名を聞いた瞬間、一気に冷たい嫌悪に変わったエルリカだった。
後ろから聞こえたケインの溜め息が耳に痛い。こうもタイミング良くエルリカとエルヴィラが戻るとは予想していなかった。考えれば何時2人が戻っても可笑しくないのに呑気に構えていたのは自分の不覚。
エルリカの異変に気付かないエルヴィラは固まったまま微動だにしない兄姉を訝し気に見つめ、首を傾げるだけだった。
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