メインイベント開始前
見覚えがないのに、既視感のある赤い花。赤い花なんて種類は沢山あるのに、あの花に限って強烈な既視感と共に途轍もない恐怖と嫌悪を抱いた。見たくもないのに自分を見ろとばかりに増殖していき、逃げても逃げても追いかけてくる気色の悪い花。
そう抱く時点で自分が可笑しい。花が増殖する、追いかけてくるとはどういうことなのだろう。
幻覚だろうと誰が聞いても笑い話にされるそれは、自分にとっては地獄に等しい光景。
「殿下? お体の具合は」
「ああ、もう大丈夫だよ。心配かけてごめん」
孤児院の子供達が丹精込めて縫ったハンカチを大事にしたい気持ちはある。けれど、あの赤い花が刺繍されたハンカチだけは可能ならもう2度と視界に入れたくない。
初めて飲んだホットオンレジジュースのお陰か、大分気分も良くなり顔色も戻った。
ベルンハルドの顔色から嘘ではないと悟ったファウスティーナは安堵の笑みを浮かべた。一時はどうなるかと危惧したが具合が戻って良かった。赤い花に怯えた理由探しは後回し。今から教会に戻ってメインイベントに貴賓として参加するのだ。
席から立った2人は紙袋に入った本を2袋持ってくれているメルディアスを連れてシエルの屋敷へ戻って行く。街から離れると人の多さも変わっていく。左右を木々が導く道を歩いていき、シエルの屋敷に近付くと門の前で執事と会話をしている女性がいた。
「あれって」
女性の後ろ姿をファウスティーナはよく知っている。薄い紫色の髪を高く結い上げた後ろ姿は、間違ってなければリンスーだ。
「リンスー!」
「! お嬢様」
ファウスティーナの呼び声にリンスーは応えてくれた。背後へ振り向いたリンスーに駆け寄り、手に持っている大きな紙袋を見下ろした。
「リンスーこれは?」
「旦那様がグレゴリー書店で見つけた本です。お嬢様にお届けするようにと」
紙袋を地面に下ろし、中身を覗いて「あ!」と声を上げた。“元気一杯・コールダックのダックちゃん”全巻セットがあった。
「お父様が買ってたんだ……」
「お嬢様もグレゴリー書店に?」
「うん。1箇所だけ、本棚から本がゴッソリ抜けていたのがあって。そこにあったのダックちゃんって知って」
「そうだったのですか。お嬢様が喜ぶと旦那様が見つけて下さったのですよ」
「そうだったんだ」
父の気遣いに照れ臭そうに笑いながら、温かい気持ちが包んで擽ったい。リンスーは「それと」と言いながら違う1冊の本を見せた。
「ケイン様がおやつを食べ過ぎるお嬢様にと」
ケインの選んだらしい本のタイトルは“お菓子をたくさん食べて太ってしまった・令嬢アドラーちゃん”である。擽ったく、温かい気持ちへ遠い彼方へと消え失せた。半眼で本のタイトルを見下ろし受け取る。ケインらしいがあんまりな本にファウスティーナはガクリと項垂れた。
「お兄様はひよこ豆程度でもいいから私を信用してくれないかしらね……」
「ケイン様、お嬢様のおやつに関してだけは一切信用しておりませんから」
「毎回人を子豚になるって脅しといて……!」
「お嬢様。太るのは簡単ですが、痩せるのはとても苦労が必要なのですよ? 毎日の食事制限だけではなく運動も大事になります」
「わ、分かってる」
教会にお世話になってから、歩く回数とおやつを食べる頻度はほぼ同じ。シエルは子供は大きくなるものだと言うが、体型を気にするのは子供だって同じ。分かっていても美味しいおやつを抜かれるのは我慢ならない。
そこへベルンハルドとメルディアスも来た。
「ファウスティーナ?」落ち込んだ様子のファウスティーナを心配して声を掛けたベルンハルドへ、理由が理由だけに知られたくないファウスティーナは誤魔化しの笑いを零す。瑠璃色の瞳が頭を下げるリンスーへ向けられ、此処にいる理由を訊ねられた。
話し終えるとベルンハルドは納得した面持ちをした。
「そうか。公爵の使いで」
「そうです。リンスー、私からもお兄様に渡してほしい本があるの」
ダイエット本のお返しではないが是非笑顔の秘訣となる本を読んでケインも表情筋を動かしてほしい。メルディアスの持つ紙袋から自分の選んだ本をリンスーへ差し出した。
「こ、これをですか?」
「そうだよ!」
自信満々に頷くファウスティーナとは裏腹にリンスーは微妙な表情だった。渡されたケインがどんな反応を示すかある程度の予想がついているからだ。温かい色である紅玉を氷のように冷たいと抱かせるのはケインだけだ。
「お、お嬢様が望まれるなら渡します」
「渡したらお兄様がどんな反応だったか絶対に教えてね!」
「……あまり、期待はしないようにしてくださいね」
「?」
やっぱり微妙な顔を崩さないリンスーに首を傾げると「……ファウスティーナ」と同じ感情を混ぜた声でベルンハルドが呼ぶ。
「今の……本当に渡すの?」
「? はい。お兄様だって、これを読めば少しは表情豊かになるかと!」
「そ、そっか」
そうであると信じて疑わない婚約者へベルンハルドは思っている気持ちを言えなかった。
(多分……ファウスティーナの期待する反応はしないだろうな)
そんな気がしてならない。
●○●○●○
リンスーと別れると屋敷に入り、各々準備に取り掛かった。
街に紛れて行動する平民服から、王族・貴族として参加するべく相応しい服に着替えた。貴賓として参加するのなら、普段着として着るドレスでは駄目。女神の瞳の色と同色のドレスを着た。スカートのラインに沿って装飾されたアクアマリンは空色の髪を連想とさせる。今回はファウスティーナの好みと合わせリモニウムの刺繍がされたデザインとなっている。優勝者にはリモニウムに模したピンクダイヤモンドの指輪が贈られるから、それに合わせたのだろう。
侍女に何度も櫛を通された髪はサラサラと流れ、薔薇の香油をつけられファウスティーナの準備は終わった。姿見の前で確認をし、最後に侍女に感想を聞いた。
「どうかな?」
「とてもお似合いですよお嬢様」
客観的意見を頂くと自分で見るよりも自信がつく。侍女と部屋を出た同じタイミングでベルンハルドが此方へ歩いてくる。準備を済ませた彼も王子としての装いに着替えていた。普段とは違う、女神を意識した色合いだった。更に王族にしか受け継がれない瑠璃色も加わっている。リンナモラートと結ばれた初代国王ルイス=セラ=ガルシアを意識してのもの。
「殿下の服とてもお似合いです」
「ありがとう。ファウスティーナもだよ」
「ありがとうございます」
「殿下、公女」
2人を待っていたメルディアスが呼ぶ。玄関ホールへ着くと騎士としての装いに着替えたメルディアスの印象はガラリと変わっていた。黒の衣装に金の緻密で複雑な刺繍がされた騎士の服をファウスティーナは他でも見ている。父の従姉であるリオニーが着ていた。
リオニーの名を出すとメルディアスは「見覚えがあって当然でしょう」と頷いた。
「まあ、リオニー様の話題は今度にしましょう。あの人話題に出すとすぐに姿を現すので」
「そうですか? リオニー様はとても多忙な方なので滅多にお会い出来ないイメージのが強いのですが」
「公女はそうでしょうがおれにとってはそういうイメージなのです。さあ、シエル様が外で待っていますので行きましょう」
美しい微笑を携えたままリオニーの話題を逸らされるが、言われた通り今から年に1度の大きな祭りの1つ『リ・アマンティ祭』メインイベントが始まる。先に歩いたメルディアスに続いて2人も歩き出した。開けられた大きな扉の先には、司祭服に身を包んだシエルと助祭のオズウェル。
そしてネージュがいた。
「あ、兄上!」
嬉しげに手を振るネージュへベルンハルドも軽く手を振った。お忍びで露店巡りをネージュもすると聞いていた上、貴賓としてメインイベントに参加するのも不思議じゃない。ネージュの顔色はよく、このまま参加させても大丈夫だろうと周囲が判断したのだとか。
彼等の元へ行き、ネージュへ礼をしてみせ、彼も返した。
「久しぶりファウスティーナ嬢。教会での生活ぶりは兄上から聞いてるよ。今日はよろしくね」
「こちらこそ、ネージュ殿下。殿下もメインイベントを見るのは初めてですよね?」
「うん! 折角見るんだから、出来るならリンナモラート神に選ばれる恋人達を見てみたいと思ってるよ」
「ふふ、私もです」
運命の女神と魅力と愛の女神の姉妹によって選ばれる“運命の恋人たち”ではなくとも、滅多にない恋人達の誕生は誰もが見たい。ネージュの気持ちが分かってしまうファウスティーナも釣られて微笑んでしまう。
本屋で見つけた1冊の本を思い出すとベルンハルドへ向いた。
「殿下。グレゴリー書店で買った本で“運命の恋人たち”に関する本があったのですが殿下も読んでみませんか?」
将来エルヴィラと“運命の恋人たち”になり、王国で最も幸福となるベルンハルドにも今の内からその存在がどれだけ恵まれているかを知ってもらいたい。自分と婚約破棄しても罪悪感を抱かず、幸福になってほしい。本心から彼の幸福を願って怪しまれないよう流れを読んで本を勧めた。
しかし……ベルンハルドの反応は良くなかった。些か顔が青い。困惑の声色で呼ぶと首を振られた。
「何でもないよ……ごめん、ファウスティーナの読んだ感想を今度聞かせて」
「分かりました……ですが殿下、本当に大丈夫ですか? やはり医者を」
「ううん。平気だよ。ただ、その、何でだろう……気分が悪くなってしまうんだ」
これ以上の無理強いは嫌だ。今後、ベルンハルドに“運命の恋人たち”の話題を出す時は慎重になろう。ネージュが心配した声色で話し掛けても気丈に振る舞って見せる。嘗て、兄弟の仲を険悪にしてしまった自分が今度は絶対に良好なままを築けさせるぞと両手を高く掲げる。
「殿下方、ファウスティーナ様、そろそろ開始の時間になります。会場へ参りましょう」
「はい」
懐中時計を袖から出し、時間を見て告げたオズウェルに従い会場へ足を向けた。
――ベルンハルドと会話をしつつ、時偶ファウスティーナにも話題を振るのを忘れないネージュは先程の顔色を青褪めたベルンハルドを思い出し内心苦笑した。
(兄上にとったら悪夢であり、地獄だったからね。“運命の恋人たち”は)
読んでくださりありがとう御座います!




