それでもやるべきこと
お久しぶりの更新です。
出張作業を主体とする鍵屋にとって、決して数は多くはないが入ってくる厄介な依頼の一つが金庫の鍵開けだ。かつての泥棒には金庫を専門に開ける『金庫破り』という専門分野に特化した者もいるくらい、特殊な依頼だ。何が特殊かというと、通常の鍵開けの道具類では対処できないものがほとんどであるということだ。
最近のメーカーメイドの製品は、メーカーがライセンス料を払った鍵屋に対して開け方をレクチャーしたり、そのメーカーの金庫を開けることができるツールを販売したりしている。そしてそのメーカーに入った金庫開けの依頼をライセンス持ちの鍵屋に回すという流れが主流になっている。
だが問題は古いタイプの金庫だ。既にメーカーが製造中止したものや、メーカー自体がもう存在していないものになると開けるための手掛かりとなる資料も失われていることが多く、なかなか厄介な仕事の部類に入る。さらに面倒なのは完全オーダーメイドの一点ものの金庫で、これに至っては作った本人しか対処の仕方がわからないということすらある。
こうした場合、俺が師匠から教わったのは、意外に思われるかもしれないが正攻法でいくというものだ。ダイヤルを一目盛ずつ回して内部機構の動きを探り、一つずつ解除していくという地道な作業の繰り返し。こう言われれば誰でも出来るものだと思われがちだが、誰でも出来ることなら鍵屋に依頼などしてこない。
考えてみてほしい。ダイヤルを回した時の内部機構の動きを一般人が理解しているだろうか。そもそも何がどうなると内部機構が動いたと判断できるのかすらわからないだろう。そのくらい微細な音と振動から内部機構の構造を理解し、さらに解除まで発展させなければならない。時間さえかければ出来ると考える者もいそうだが、実はそんな簡単でもない。それだけの間緊張感を保ちつつ、金庫が発する情報を正確に把握しなければならない。およそ一般人には難しい領域だろう。
そして目の前にあるのはどこから見ても俺の知るダイヤル式の金庫。昔のテレビアニメや刑事ドラマなどで『右に○○、左に××』といったやり方で金庫を開ける描写が出てくるタイプのものだ。日本でいつもの俺が相対したのなら、決して難しい部類には入らないものではある。かといって簡単とは言い切ることができないが。
一番の問題は、俺が金庫解錠の道具を持ってきていないことだ。色々あって俺自身も混乱していたせいか、道具入れの中にいつも保険的に忍ばせてある『聴診器』を忘れてきてしまった。聴診器は内部機構の発する微かな音を拾うために使うもので、これがあるとないとでは難易度が格段に跳ね上がる。
となれば後頼りになるのは自分の耳と指先の感覚のみ、ということになる。そのうえ俺の周囲では仲間たちが戦闘中だ。剣戟と魔法の音が入り乱れる中で微かな音と振動を拾うことがどれほど難易度が高い作業かなど言うまでもないだろう。でもやらなければならない。この程度のことで躓くような者はここから先に進むべきではない、と言われているのと同義だからだ。
いつもはめている手袋を外し、手に息を吐きかけて十分に湿らせる。毒を持つ生き物も棲息しているダンジョンにおいて素手での作業などありえないことだが、薄い手袋一枚を介しただけで得られる情報は圧倒的に少なくなるの。当然俺の行動を見かねたミューリィから指摘の声が入る。
「ロック! 素手なんて駄目よ!」
しかしいくらこいつの言葉でも、ここで引き下がるわけにはいかない。完全に方法が断たれたのであれば諦めもつくが、まだ俺にはこの耳と指先、そして全身の感覚が丸々残っている。これだけのものがあれば、出来ないことではない。いや、この状態でも開けて見せることこそが先に進むための鍵になる。
「……ミューリィ、任せていいか?」
「え? 何を?」
「しばらく作業に集中する。だから……背中を任せていいか?」
自分がどれだけ無謀で酷いことを言っているかは理解している。しかしここは俺の戦場、俺だけしか上がることの許されない舞台の上だ。邪念、雑念が入れば即座に退場させられる極限の舞台の上だ。周囲のことにかまけている余裕など微塵もない。俺の命の危険に晒されている状況において、それでも集中力を切らすことができない以上、他の誰かに任せるしかない。
そう考えた時、一番最初に浮かんだのはこいつの顔だった。俺のために命がけで世界を渡り、俺に光を与えてくれた大事な女。こんな良い女に任せて、それでも駄目なら俺も諦めがつく。こいつの持つ技量と判断能力でも防ぎきることができないのであれば、それは俺たちの力が完全に劣っていたと受け入れられる。
女に背中を任せるなんてと言う輩もいるだろうが、俺は直感的にこいつがいいと思ったから声をかけただけだ。他の仲間たちが駄目なんじゃない、こいつが俺にとってずば抜けて信頼するに値する相手だっただけだ。
「わかった、任せて。私の命にかけても絶対にここは抜かせない」
「抜かれたら一緒に死ぬだろうが」
「私はそれでもいいわよ、ロックと一緒ならね」
「……こっちは絶対に開ける。だからそれまで……絶対に凌げよ?」
「私を誰だと思ってるの? ミューレルの氏族の族長ミュールの娘、ミューリィ=ミューレルの本気を見せてあげるから」
固く握った右拳を俺に向かって突き出すミューリィ。これは日本にいるときにテレビで見た深夜映画のワンシーンだったか、二人でベッドを温めながら、身体を寄せ合って観ていたな。あれは死地に向かう親友同士の若い兵士がお互いの無事を誓っていたシーンだな。
「おう、任せた」
「おう、任されたわ」
お互いの拳が当たる鈍い音。しかしこれほど心地よく聞こえた音は俺の今までの記憶のどこを探しても思い当たるものはない。そもそも独りで仕事をすることがほとんどだった俺にとって、相棒と呼べる存在はこいつくらいのものだ。仕事面だけでなく、俺の精神的な部分も支えてくれるかけがえのない相棒が任せろと言ってくれているんだ、それを信じなくてどうする。
一瞬だけ目を合わせると、軽く微笑むミューリィ。こんな状況なのにその笑顔が俺の心を鷲掴みにする。今まで見たこともないくらいに透き通った屈託のない笑顔をこの場で見せるのは反則だろう。そんなのを見せられたら、もう絶対に離れられないじゃないか……
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ロックが私に背中を任せてくれた。鍵開けに専念する無防備な背中を私に預けると言ってくれた。これまで長い時を生きてきて、誰かと共闘したことなんて数えきれないほどあるけど、今ほど嬉しく思ったことなんてなかった。ロックの場合は共闘といっても戦うのはモンスターじゃない。私たちでは誰も太刀打ちできない特殊なギミックを持つ鍵を相手にたった一人で戦いを挑むその背中を任される喜びに、気を抜けば涙が込み上げてきそうになる。
私の全部を捧げてもいいと思って、そして全部を捧げた男が自分の戦いに向かおうとしている。誰も到達できない極小の世界で戦う鍵師という存在は理解されないことが多いけど、一度でもダンジョンで鍵開けを経験した者ならその凄さがわかるはず。大木をも一刀のもとに斬り倒す膂力も、周囲を煉獄の如き炎で焼き尽くす魔力も全く意味を為さない世界に介入できる者はごく僅か、そしてさらにその世界を相手取るに相応しい力を持つ者なんてゲン亡き後は彼しか知らない。
今の私がするべきことは、決して無事を祈り続けることなんかじゃない。ロックとは別の戦いをするのが私のするべきこと。ロックの戦いの邪魔をさせないように、周囲のモンスターを一歩も近づけさせないこと。私より後ろには絶対に行かせない、行かせてなるものか。そのために今私はここでロックに背を向けて立っているのだから。
「上位精霊魔法の封印を解除、中位精霊契約を一時的に破棄、我は大精霊との契約を望む……」
身体中から一気に魔力が抜ける。それだけ大精霊との契約は危険を伴う。精霊との相性の良いエルフでさえ、魔力の少ない者が契約しようとすれば確実に命を落とすほどの強大な力を持つ大精霊との契約。このままいけば私の魔力を根こそぎ持っていかれて、契約できたとしても制御が出来なくなってしまう。でもそれはかつての私だったらの話。
「ロックから分けてもらった魔力があれば……」
ロックの魔力の源は堕ちた女神から受け継いだ魔力、そして堕ちた女神はかつてこの世界を支配していた存在。この世界を救うために自ら大迷宮を司る存在となった女神。この世界の根幹を担う大精霊がこの世界を護ろうとした女神の力を忘れるはずがない。
「私の中に残った魔力は女神の残滓、なら今の私は大精霊とだって契約できるはず……」
魔力が抜けたはずの身体に新たな魔力が補充される。今まで契約してきた精霊たちが与えてくれる魔力とは明らかに一線を画す濃密な魔力、けれど決して澱んだものではなく、滾々と湧き出る清廉な泉のような清々しい魔力が体の隅々まで行き渡る。これはきっと大精霊との契約の証だと思うけど、今はそれを確認している場合じゃない。私にはこの力でやらなければならないことがあるんだから。大事な男との命がけの約束が。
「ロック、あなたの背中、しっかりと任されたわよ」
読んでいただいてありがとうございます。




