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読んでいただいてありがとうございます。
「先日は、ありがとうございました」
ベルナルドの馬車から助け出された日、アンジェラは精神的に疲れてしまっていたらしく、キリアムが寮に送ってくれた後はそのまま部屋に帰ってすぐに寝入ってしまった。
改めてお礼をしようと思ってキリアムのいる騎士団の詰め所に向かっていたら、初めて会った広場で子供たちと何か話をしているキリアムと出会った。
キリアムはアンジェラの姿を見ると、すぐに子供たちと別れてアンジェラの方に来てくれたので、二人は近くの公園までのんびり歩いて来て、木陰にあるイスに座った。
「何はともあれ、君が無事でよかったよ。あれから、元婚約者は来ていないかい?」
「はい。弟に聞いたら、説得してディウム王国に帰ってもらったそうです。妹も一緒に帰ったそうなので、キリアム様にご迷惑をかけることはもうないと思います」
サマンサが何度もキリアムの元を訪れて迷惑をかけていたという話を聞いた時は、申し訳なさで一杯になった。
別にアンジェラが悪いわけではないのだが、何となく兄弟姉妹のやらかしに恥じ入るばかりだ。
「案外、大人しく帰ったんだな」
「えぇ、まぁ」
サマンサは、兄が責任を持って何とかするだろうから問題はないとヴァージルは言っていた。
ベルナルドの方は、港まで送って行ったヴァージルに、必ず帰って来るようなことを言っていたそうだ。
アンジェラは本当に帰って来たらどうしようと思ったのだが、ヴァージルは帰って来ることはないと断言していた。
理由を聞いても言葉を濁すだけで何も教えてくれなかったけれど、恐らく、兄が何かしたのだろう。
兄に対する気持ちは複雑だけれど、最後の日に話をした兄なら、少しだけ信用してもいいと思っている。
「しかし、彼は君に執着していたようだったね」
「はい。婚約していた時は、放置されていたんですけどね」
「失って初めて気が付くもの、か。きっと彼は、君がいなくなって初めて君が大切だったんだと気が付いたのかな。元々、婚約していたのだから、取り戻したいっていう気持ちも強くなったんだろうね」
「私はもう、必要としていなかったんですが……」
「アンジェラ殿が自分を必要としていなかったから、余計にほしくなったのかもしれないね」
「嫌です」
「次に何か言われたら、そうやってはっきり断ればいい。それでまた誘拐されたら、その時も絶対に助けに行くから」
隣に座るキリアムに真剣な目で見つめられて、アンジェラはドキリとした。
アンジェラだってお年頃の女性だ。
婚約者や恋人と仲の良い友人たちの、いわゆる女性同士の内緒話を聞くと心がトキメクし、正直、羨ましいと思う時もある。
いつか自分にもそういう恋人が出来るのだろうかと、想像する時もあった。
以前は、そう思っても、どこかで諦めていた。
けれど最近、ようやくディウム王国で傷ついて閉ざしてしまった心が、フレストール王国で癒されて開き始めていた。
素直に自分の気持ちを言ってもいいのだと、そう思えるようになってきた。
「……キリアム様、ありがとうございます」
……この気持ちは、一時の気の迷いなのかもしれない。
助けてもらったから、ちょっと心が傾いただけなのかもしれない。
それでも、アンジェラは自分の中に芽生え始めたこの心を大切にしたいと思った。
たとえこれが苦い恋の経験になろうとも、今のアンジェラには必要な気持ちなのだと思える。
自覚したのは今だけれど、きっと初めて会った時から、ちょっとずつ心は傾いていっていたのだ。
「キリアム様」
「アンジェラ殿」
キリアムとアンジェラが同時にお互いの名前を呼んだので、驚いた二人の目が合ってちょっと笑えた。
「ふふ、すみません。被ってしまって」
「はは、こちらこそ、何かすごいタイミングで名前を呼んでしまったね」
一気に緊張感が緩んだ。
アンジェラは、キリアムに何を言おうとしていたのか、自分自身でも分からなかったけれど、するりと口からキリアムの名前が出たのだ。
「あの、私……」
戸惑っている様子のアンジェラに、キリアムはふっと笑った。
「聞きたいんだが、アンジェラ殿は、もう婚約者なんていらないって思ってる?」
「いいえ。ディウム王国にいた時は、そう思っていましたが、今は違います。その、何と言うか、どういう風に関わっていくかは、自分次第だと思えたんです。一言で婚約者同士だと言っても、友人たちはそれぞれ自分たちに合った関係を築いています。お互いしか見えていない人たちもいれば、友人のように穏やかな関係を築いている人たちもいます。共通の趣味を通じて仲良くなった人たち、割り切った関係の人たち、色々と思うところはありますが、それでも、皆、あの時の私みたいに全てを諦めていたりはしません。そういうのを見ていると、ベルナルド様を諦めて、関係を切ってしまった自分はどうなんだろうと思う時もありましたが、二度と婚約者なんていらない、という気持ちはなくなりました。まさか、再会して、もう一度縁を切ることになるとは、思っていませんでしたけど」
アンジェラは、自嘲気味に少しだけ笑って視線を下に落とした。
そんなアンジェラの姿が、キリアムには妙に痛々しく見えた。
「時には、その人との関わりを断ち切ることも大事だよ。そして、新しい縁を繋ぐことも」
「……はい。難しいですね、人との繋がりって。自然に切れる縁はともかく、ダラダラと繋がっていているのが良い場合もあれば、悪い場合もあって、決断するのが難しいです」
「悪縁に良縁だな。俺は、あの日、アンジェラ殿に会えたことは良縁だと思っているよ。あの時は、こうして話をするような仲になるとは思っていなかったけど、何だかんだとアンジェラ殿とはものすごく会っている気がする」
「ふふ、私もです。キリアム様とは、外でも偶然会うことが多くて、驚いています。……この縁を、とても大切にしたいって、私は……」
アンジェラが何かを決意したように顔を上げて、キリアムを真っ直ぐに見つめた。
そこにはもう、先ほどまであった痛々しさはなくなっていて、交わった視線にキリアムは熱さを感じた。
「アンジェラ殿」
「はい」
「俺はこれでも子爵位を持っているし、騎士でもあるから……あぁ、違うな。そうじゃなくて、俺も君との繋がりをなくしたくない。出来れば、ずっと繋がっていたい。……好きだよ」
「……はい……私もです」
「アンジェラ」
「はい」
キリアムはアンジェラの名前を呼ぶのと同時に、彼女の方に手を伸ばしてその頬に触れた。
アンジェラは、頬に触れたキリアムの手にそっと自分の手を添えて、その温もりを感じた。
繋がったのだと、そう思えた。




