㊴
読んでいただいてありがとうございます。
「ベルナルド様、そろそろ私を帰してくれませんか?」
馬車はそんなに速く走っていない。外が見えないので今どの辺りにいるのか分からないが、門は超えていない。王都内であることは確かだ。
そうなると、向かっているのは港の方だろうか。
「この場で降ろしてくだされば、適当に学園に帰りますよ」
王都内なら、学園にはどうとでも帰れる。
来たことのない場所でも警備の騎士団の詰め所は一定間隔であるので、そこで道を聞けばいい。
上手くいけばキリアムを捕まえることが出来るかもしれない。
それが一番良いが、王都内を巡回している馬車に乗るという手もある。
巡回馬車は、王都の主要な場所を通っているから学園前にも止まるはずだ。
「君が帰るのは」
「ベルナルド様がどう思っているのかは知りませんが、今の私が帰る場所はこの国の学園です。寮にある部屋が、私の帰る家です」
ベルナルドの言葉を遮って、アンジェラははっきりと言い切った。
「……狭いだろう?」
「あの家で寝起きしていた部屋より広くて清潔ですよ。ベルナルド様は入ったことはないと思いますが、あの家での私の部屋は北側に面した小さな部屋でした。元はいらない家具などを保管していた部屋だったそうです。伯爵夫妻の部屋から一番遠く、その気がなければ会うこともない隅の方の小さな部屋でした」
それでも嫌みを言う時だけはわざわざアンジェラの部屋まで来ていたのだから、ベルナルドの言う通り、ある意味アンジェラの存在感というものは大きかったのかもしれない。
アンジェラは、もうそんなことに付き合う気にもなれないけれど。
「ふふ」
「アンジェラ?」
「私、今の部屋が好きですよ。統一感こそないかもしれませんが、自分の好きな小物や友人からの贈り物を飾ってあるんです。誰かに取り上げられることもありませんし、うっかり落とされて壊れることもありません。食事だって、食堂に行けばちゃんとした物を食べられます。わざと私のだけ変な味付けにされることも、言いがかりを付けられて食事を抜かれることもありません。むしろ、細すぎるから食べろと言われていたくらいですから」
寮に入った頃のアンジェラはほっそりとし過ぎていて、同じ寮に住んでいる人たちや食堂の料理人たち、それに寮を管理している女性たちから心配されていた。
外出した人たちが、わざわざお土産としてクッキーなどを買ってきてくれたこともある。
たまに近況報告のために会っていた宰相からも、心配されてそっと女王陛下のお気に入りだというお菓子をもらったことだってある。
正直に言うと、こちらに来てからの健康的な生活と食事によって、アンジェラの身体付きは女性らしいものに変わった。おかげでそれまでの服が少々きつくなってしまったことが悩みになってしまったくらいだ。毎回、そんなちょうどいいタイミングで宰相から服が届くので、近くにスパイでもいるのではないかと疑ってもいる。
「居心地がものすごくいいんです」
「だが、卒業したら、もうそこには居られないんだろう?」
「はい。卒業後はどこかで部屋を借りることになるでしょうね。寮のベッドや机などは元から置いてあった物ですので、自分の部屋を借りたらそういう物を購入する楽しみがあります」
寮のベッドや机などは、誰でも使えるシンプルな物だ。女子寮だからと言って、ものすごく可愛い物を揃えられていても困るのだが、フレストール王国は女王国であるせいか、服も家具も華やかな物が多い。
可愛い系から大人の女性系の物まで、見ているだけでもとても楽しい。
アンジェラが街に行く理由の一つに、フレストール王国の華やかな物を見るという目的もあった。
「購入すると言っても、アンジェラ、君はお金をあまり持っていないだろう?」
逃げてきたアンジェラには、家の援助も当然ない。
学費は奨学金でどうにかなるといっても、他の生活に関してはお金がかかる。
寮で生活している今だって、どうやって生活をしているのかベルナルドは全く知らなかった。
「休日に、私のこの国での保護者的な方のところで仕事の手伝いをしているので、その分の賃金はきちんといただいていますよ」
忙しい宰相閣下は、国の仕事もあれば自分の領地の仕事もあり、いつも家の仕事部屋には書類が山積みになっている。
アンジェラは、休みの日に宰相の屋敷に行ってそれらの書類の仕分けをしたり、終わった書類を片付けたりしてするという仕事をしていた。
宰相から、このままうちに就職しない?という誘いまで受けている。
第一志望は王宮勤務だと伝えたら、待っているよという言葉と共に、官僚試験用の問題集が届けられた。
ミュリエルには、家か王宮かの違いで、宰相閣下の部下になることに違いはないわよね、思いっきり目を付けられてるし、と言われてしまった。
アンジェラにしても、家での宰相の仕事を見たことがあり、こういう方の下で働きたいという願いが叶うことになるので、嬉しい反面、自分が付いていけるのかちょっと不安なところもある。
何事もやってみなければ分からないので、挑戦をしようと思っていた。
ベルナルドがこんな風に接触して来なければ、今日だって図書館で勉強をしようと思っていたのだ。
「保護者?どうやって知り合ったんだ?そもそもアンジェラはこの国に知り合いなんていなかっただろう?そんな得体の知れない人間を信用するなんて!」
「それを言うなら、私がどうやってこの国まで来たと思っているんですか?ディウム王国にいた時に少々縁があって知り合った方から紹介されたんです。信頼出来る方ですよ」
知り合いがディウム王国に来ていたフレストール王国の外交官で、保護者は宰相閣下だ。
その二人を信用出来なければ、この国で他の誰を信用しろと言うのだろう?
敵対しているのならばともかく、二人とも、アンジェラには保護者として接してくれている。
「だが……」
ベルナルドはアンジェラの後見人が誰か説明を受けていたのだが、アンジェラの居場所が分かったことに気を取られすぎて他の話は全く覚えていなかった。
覚えていたら、アンジェラの言う保護者が誰か分かっただろう。
「ベルナルド様の知らない方々ですが、私にとってはベルナルド様より信頼出来る方々です」
きっぱりとそう言い切ったアンジェラの言葉に、一瞬で頭に血が上った。
信頼出来る?
こんなにアンジェラのことを思っている自分より、そんな得体の知れない誰かが?
そんなこと、許せるはずがない。
アンジェラは、自分のモノなのに!
「アンジェラ……!」
「ベルナルド様、私はこの国にいると決めています。私が、自分自身で決めたことです。ベルナルド様と私の縁は、もうとっくの昔に切れているんです。これ以上、私に関わるのはお止めください」
アンジェラの言葉に、ベルナルドは唇を強くかみ締めたのだった。




