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ベルナルドが目の前に現れた時、アンジェラは当然ながら身構えた。
今更、何をしにここに来たのかという思いしか出て来ない。
薄情かもしれないが、アンジェラにとってベルナルドはそれくらい遠くにいる人だった。
身近にいて、アンジェラと深く結びついた人物ではない。
と言っても、さすがに婚約者だったので、ベルナルドがどことなく今までと違う雰囲気を醸し出しているのは分かった。
「……ベルナルド様?」
「あぁ、久しぶりだね、アンジェラ」
顔は笑っているのに、目がちっとも笑っていない。
「アンジェラ、いや、アン、だよね?図書館でずっと会っていたのは、君だったんだよね」
「……そうです」
アンジェラなのだからアンと名乗っても全然おかしくないので、別にだましていたとかそういうのではない。
というより、当時、全然偽名でも何でもない名前を名乗った自分に怒りたい。どうして、もっと違う名前にしなかったのか。
「どうして教えてくれなかったんだ?」
「それは……」
ベルナルドの問いに答えようとしたら、ベルナルドがアンジェラの後ろの方を見て舌打ちする音が聞こえた。
振り返ると、ちょうど学園の門から出てきたヴァージルの姿が見えた。
「アン、ここで騒ぐのはお互い嫌だろう?場所を変えよう」
「それは……」
確かにこんな学園の近くで騒ぐのは不本意だ。
それにヴァージルは以前にも騒ぎを起こしているから、さすがにまた騒ぎを起こすと成績にも影響しかねない。
「こっちだ」
アンジェラが考え事をしている間に、ベルナルドはアンジェラの腕を強引に引っ張って近くに止めてあった馬車に乗り込んだ。
やろうと思えば、アンジェラはベルナルドの手から逃れることが出来た。
近くにヴァージルもいるし、姉弟二人が揃えばベルナルドがアンジェラを強引に連れて行くことは出来ないだろう。
けれど、アンジェラは大人しく馬車に乗った。
理由の一つ目は、どうしてベルナルドがアンジェラに会いに来たのかが気になったから。
二つ目は、ベルナルドから切羽詰まったような感じを受けたから。
ここで下手に彼の手から逃れたら、次にどんな手を使ってくるのか分からない。なら、まだ大人しい今のうちに誘拐もどきをされた方がましだ。
そして、三つ目は、今のベルナルドとなら、話が出来ると思ったから。
何も言わずに逃げたことを、後悔なんてしていない。
あのままだったら、いつかアンジェラ自身が壊れてしまいそうだったから。
自分の身と心を守るためにも、あの国を出る決断をしたことは今でも正解だったと思っている。
あの頃のベルナルドには、きっと何を言っても通じなかったと思う。
けれど、今なら、ベルナルドはアンジェラの全てを否定しないと思ったから。
だから、大人しく馬車に乗った。
それに、ヴァージルがキリアムに伝えてくれると信じたから。
咄嗟にそう思えるくらいには、弟のことを知ったから。
馬車がどの方向に向かっているかは、全く外が見えないのでアンジェラには分からなかった。
ベルナルドがどれくらい王都に詳しいのか知らないけれど、キリアムの方が詳しいからきっと助けてくれるだろう。
……ディウム王国にいた時は、こんな風に誰かの助けを待つことなんてなかったのに。
自分一人で何とかしなくてはいけないことが多くて、アンジェラを助けてくれる誰かを待つ意味も時間もなくて、全て自分だけで、自分で出来る範囲のことをやってきた。
こんな状況だというのに、アンジェラは少しだけ微笑んだ。
ヴァージルを、キリアムを、当てにしている自分がいる。
もしミュリエルがアンジェラの誘拐もどきを知ったら、公爵家と侯爵家がアンジェラのことを探し始めるだろう。
ジェラールだって、友人を誘拐されて黙っているような人物ではないし。
その辺りはヴァージル次第だが、ヴァージルがまずはキリアムに伝えると信じている。
治安維持を司る騎士団の副団長の方が、まだ穏便に済ませられる気がする。
そんなことを思いながらうっすらと微笑むアンジェラに、ベルナルドが急に苛立ったように声を荒げた。
「嬉しいか?アンジェラ?」
「どのことでしょうか?」
「あれだけお前のことを嫌っていたヴァージルを手なずけて、アイツに心配されて。いつの間にそんな仲良しこよしになって、姉弟愛を他人に見せつけられるようになったんだ?」
ベルナルドが面白くなさそうにそう言った。
「姉弟愛、ですか。確かにそうですね。自分でも不思議です。私、いつの間にこんなにヴァージルのことを弟として愛しているようになったのかしら?」
首を傾げたアンジェラを、ベルナルドが面白くなさそうな表情で見ていたのだった。




