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サマンサの全身は微かに震えていた。
それは、サマンサの怒りからくるものだった。
ディウム王国では、サマンサの言うことに誰もが笑顔で頷いてくれたのに、キリアムは冷たい目でサマンサを見ていた。
「……何でよ!」
父も母も兄も、アンジェラよりサマンサの方が可愛いといつも言ってくれていた。
アンジェラは陰険でクズで可愛くもない。
母からこっそり姉がこの国にいることを教えられ、知り合いに調べて貰ったら、割と簡単に姉のことは分かった。
それなりに学生生活を送っているようだが、以前と違って孤立している様子はなかった。
むしろ充実している姿が気に入らなくて、先日はサマンサが一目惚れしたキリアムと、兄のヴァージルと一緒にいる姿を見てしまった。
だから、キリアムにアンジェラの本当の姿をわざわざ教えてあげたというのに、キリアムはアンジェラのことを嫌悪するどころか、むしろ好ましく思っているようだった。
サマンサはそういうことに敏感な質だ。
だからこそ、甘えられる人物にはとことん甘えてきたし、自分のことを嫌っていると感じた人物とは距離を置いてきた。
自分が中心にいられるように調整してきたサマンサだったが、一目惚れしたキリアムが自分ではなくアンジェラを選んだことに憤りを感じていた。
ベルナルドは、アンジェラの婚約者だったから、ほしくなって手に入れた。
キリアムは、サマンサの一目惚れ相手なのに、手に入れることが出来ない。
「アンジェラお姉様なんて、いらないのに。どうしてまだいるのよ」
やっと目障りだった姉が家からいなくなって喜んでいたら、上の兄がよそよそしくなり、ベルナルドともあまり話すことがなくなって、母に頼んで留学させてもらった。
あのままちやほやされていたかったサマンサだったが、さすがにちょっと空気が違ってきているのは感じたので、新しい国で一からやり直すつもりだった。
もう一度、自分が中心になれる居場所を作って、フレストール王国の貴族か、もっと上手くいったら王族に嫁ぎたい。
自分なら上手く出来る。
そう思っていたのに、目障りな姉がサマンサの邪魔をする。
ギリッと唇をかみしめると、サマンサは次の作戦を考え始めたのだった。
留学という名目である以上、学園に妹がいるのは当然のことだった。
今は、中等科三年のクラスに一時的に在籍しているらしい。
今はいわゆるお試し期間の短期留学で、三ヶ月を過ぎた頃に本格的に留学するか、それとも自国に戻るのかを決めるのだそうだ。
覚悟を持って留学してきた者でも、馴染めずに自国に戻る人間もいる。
短期留学だけして自分の経歴に多少の箔を付けに来ただけの人間もいるので、双方の落としどころが三ヶ月なのだ。
ヴァージルはすでに三ヶ月が経過して本格的な長期留学に変更されている。
長期留学の良いところは、このままフレストール王国で文官や武官の試験を受けることが出来ることだ。
他国の間諜の可能性もあるので身元などはしっかりと調べられるが、だいたいが属国の長男以外の人間ばかりなので、試験さえ突破出来れば、フレストール王国出身の人間と変わらない条件で働ける。
「僕は、文官の試験を受けようと思っています」
気が付いたら子犬のように尻尾を振りながらアンジェラにしっかりと懐いたヴァージルとカフェで紅茶を飲みながら将来のことを聞いたら、ヴァージルはディウム王国には戻らず、こちらに残って文官の道に進むつもりであることを教えてくれた。
「家には兄上がいますし、ディウム王国にも未練はありませんから。それに、フレストール王国にいた方が自分自身のためにもなると思っているので」
「そう。なら、私のライバルになるのかもしれないわね」
「ライバルよりも、姉上と一緒に仕事をする方が楽しそうです」
アンジェラも当然、文官の試験を受けるつもりだ。
フレストール王国は女王国でもあるので、官僚でも女性が活躍している。
さすがに女騎士となると人数が少ないが、文官の方にはけっこういる。
「……サマンサは、どうするのかしら?」
「姉上は、アレには関わらない方がいいですよ。それに本人がいくら長期留学に切り替えたいと言っても、成績次第では許可が出ません。短期なら成績が悪くても受け入れられますが、そこから先は実力がなければ無理です」
その辺り短期留学と長期留学の線引きは厳しい。
ヴァージルは元々自国でも成績は良い方だったし、元々が長期留学希望だったので真面目に勉強に励んですんなりと認められたが、サマンサでは無理だろうと考えていた。
あの母のことだから、あまり短期と長期の差が分かっていなくて、とにかくサマンサを他国にやりたかっただけかもしれないが、最長でも三ヶ月で戻ってくるのに、何の意味があるのだろうかとヴァージルは思っていた。
だが、いくら三ヶ月で戻るといっても、その間にどんなトラブルを引き起こすか分かったものではないので、ベルナルドには早めに迎えに来てほしい。
「三ヶ月、ねぇ。あの子、保つのかしら?」
「無理でしょう。こちらに来て実感しましたが、授業の内容が難しいです。ディウム王国の学園は生ぬるいなと思いました。姉上はどうでしたか?」
「私?……実は、ディウム王国にいる時にフレストール王国の方と仲良くなっていて、その方が教科書などを貸してくれて、それでずっと勉強していたから、それほど難しいと思わなかったわ」
「……やはり、もっと早くに姉上と仲良くなっておくべきでした」
今なら、あの頃の自分を殴り飛ばしてアンジェラに土下座させる。
そうしたら、もっと早くから勉強も出来たし、こうして姉と二人で穏やかな時間を過ごせていたのに。
「そう?……でもね、あの家にいたらダメになっていたと思うわ。私もあなたも、こうして他国まで逃げて来てようやく向き合えたのだと思うわよ。生まれた国は選べないけれど、これから生きていく国は自分で選んだの。そうでしょう?」
「えぇ、そうですね」
穏やか過ぎる時間を満喫していた二人は、自分たちをじっと見ている視線に気が付かなかった。
先に留学しているヴァージルと話をしようと思っていたベルナルドは、端から見るとまるで恋人同士のような雰囲気のアンジェラとヴァージルを見て、嫉妬に駆られていた。
「……アンジェラ!」
小さく、けれど鋭く元婚約者の名前を呟いた。
近付くなと釘を刺された。
お前の婚約者はあのサマンサだと言われた。
けれど、こうして見てしまうと、ベルナルドが求めているのはアンジェラだけだという強烈な想いに駆られる。
かつて一緒にアンジェラのことを悪く言っていたヴァージルが、あんな風に嬉しそうにアンジェラと話す姿を見て、それがどうして自分ではいけないのか、そんな想いが頭の中を支配する。
何かを話している二人に、巡回中と思われる騎士が近付いて話しかけた。
知り合いだったのか、アンジェラが嬉しそうに騎士に微笑む姿を見て、さらに暗い想いが頭をもたげるのをベルナルドは感じていたのだった。




