30.衝撃!
「お願いだ。頼むから一緒に来てくれ!」
大きな声で言われて体が竦んだ。
(どうしよう!)
「うがっ!」
腕からスコットの手が引き離された。その瞬間、私の目の前には大きな背中が庇うように現れた。
「私の愛する婚約者に触れるな!」
ヴァンスらしくない感情的な声は怒りを隠していない。
「ヴァンス様……」
ヴァンスが来てくれた。助けてくれた。ヴァンスが後ろ手で私の手を握ってくれた。その大きな手は私を安心させてくれる。
「ベイリー侯爵子息。これはどういうことだ? 貴殿はセシルへの接近を禁止されている。それを破る意味を理解しているのだろうな」
「オ、オルブライト公爵子息。これは、その、これは違うんだ。どうしても、仕方なくて、あの、エイダの説得を頼んだだけで――」
スコットは顔に冷や汗を滲ませながら言い訳を口にする。いかに後先考えずに行動していたのかがわかる。
「言い訳を聞くつもりはない。いますぐ私の前から消えろ」
ヴァンスは怒鳴るよりもはるかに恐怖を感じさせるような低い声で告げた。スコットは青ざめたまま言い返せない。じりりと後ずさるとそのまま逃げて行った。ヴァンスは振り向くと私の顔を覗き込んだ。
「セシル。怖かっただろう? 一人にしてすまなかった」
私はふるふると首を横に振る。ヴァンスは悪くない。むしろ助けてくれた。
「ヴァンス様が守ってくださったので大丈夫です」
動揺しているせいか声が震えてしまった。ヴァンスは眉をぎゅっと寄せると、私を抱き上げた。
「帰ろう」
私はヴァンスの胸に顔をあずけながら小さく頷いた。そのまま馬車に乗り込んだところまではいいのだけれど、なぜかヴァンスに腰を抱かれ寄り添っている。そう、ものすごく密着している。
(ど、どうして~!?)
さっきの動揺を遥かに上回る衝撃に頭が混乱する。スコットのことは思考から飛んで行った。
「あ、あの、ヴァンス様? もう少し離れた方がいいですよね。私が寄りかかったら重いですよね?」
「重くない。離れない」
一刀両断で断られたと同時に私を抱きしめる腕が強くなった。ヴァンスは後悔を滲ませた苦しそうな表情をしている。
「……せっかくの初デートだからと護衛を遠ざけたのが仇になった。私の判断ミスだ。あの男に何かされたか?」
ヴァンスはスコットに対しての怒りが収まらないのか、声には怒りが露わだ。
「何もないです。ただ彼のご両親やエイダと話をして欲しいと頼まれただけです」
「本当に?」
「腕を掴まれただけです」
「……やはり許せない。これは我が家から厳重に抗議をする」
抗議だけでは終わらなさそうで、大したことないですからと止めようとしたが、抗い難い空気がヴァンスから溢れていて口を閉じてしまった。
それに抗議をしなかったらまた同じことが起こるかもしれない。前回もっと厳しく伝えていればこんなことは起こらなかったかもしれないと思うと、抗議しないでほしいとは言えなかった。これはもう、ヴァンスの判断に委ねよう。
馬車が屋敷に到着するとヴァンスは私を抱き上げて屋敷に運んだ。「自分で歩けます」と小さい声で訴えたが黙殺されてしまった。
(重いと思われちゃう。恥ずかしい)
私は図形の方程式を思い出すことで羞恥心を封じ込んだ!
「姉上! どうしたのですか?」
出迎えたレックスが心配そうに私を見ている。私は顔を上げると安心させるために微笑んだ。
「大丈夫。ちょっと疲れただけよ」
そうは言ってもこの体勢では説得力がない。説明は後でしよう。ヴァンスは侍女に声をかけると私を部屋まで運んでソファーに座らせた。そしていったん部屋から出ると籠を手に持って戻ってきた。
「今日の記念にと思ったのだが、嫌な記憶が残って不快だったら処分してくれ」
籠の中には薔薇の形をした美しい飴細工の花束が入っていた。
「まあ、素敵!」
一本一本の薔薇に葉もあり丁寧に作られていてまるで本物のようだ。花弁には艶やかな光沢があり美しい。
「あの店で土産に売られているのだが、選ぶために席を外したばかりに……」
(ヴァンス様は私にこれをプレゼントするために席を立ったのね)
「嬉しいです。嬉しすぎて、もう嫌なことなど忘れちゃいました」
これは強がりじゃなくて本当。ヴァンスは表情を緩めると少しだけ口角を上げた。
「それならいいが。伯爵と夫人には今日のことを伝えておく。今後絶対にベイリー侯爵子息がセシルに近づかないようにするから心配はいらない。父を通して今日中に抗議の手紙を出しておく。セシルが望むなら廃嫡にしよう」
廃嫡―! スコットの貴族としての人生が終わる。重大すぎて恐ろしい。
「そ、そこまではしなくていいと思います」
「……もしかしてあの男を庇っているのか?」
思ってもみないことを言われて目が丸くなる。スコットを庇ったのではなく、彼のせいで余計な罪悪感を持ちたくなかっただけだ。それにヴァンスに汚れ役をさせたくない。どことなくヴァンスが少しむくれて見えるのは気のせいだろうか。
「へ? まさか! そうではなくて、ヴァンス様の手を煩わせるのが申し訳なくて……だから庇っていません」
「それならいいが……とにかく今日はゆっくり休んでくれ。いいね?」
「はい」
ヴァンスは私のおでこにちゅっと口づけると、ふわりと微笑んで部屋を出て行った。
「えっ? ええーー!!」
私は手をおでこに当てて呆然としたまましばらく固まっていた。
私は家族にさっきのことを説明するために、今の出来事をいったん忘れることにした。そして心を落ちつけるとお父様とお母様とレックスに事情を話した。もっとも三人ともヴァンスから聞いていたので説明する前から憤慨していた。特にレックスは「今度会ったら足を二十回踏んでやります!」と怒っていた。可愛いぞ。
「私は大丈夫なのでみんなもう怒らないで」
「嫌がる女性の腕を掴んで連れて行こうとするなど、紳士の行動ではない。まるで破落戸じゃないか。ヴァンス様がベイリー侯爵家に抗議をすると言っていたが、私もすぐに抗議の手紙を送っておいた」
お父様の仕事が早い。隣でお母様が大きく頷いていて……。我が家はベイリー侯爵家より格下なのに、抗議文を出して大丈夫かしら? でも黙っていては侮られてしまう。私は丸投げ……ではなくお任せすることにした。
だってそれ以上に重大なことが発生したのだから!! 私は自分の部屋に戻るとおでこに手を当てた。顔がじわじわ熱くなる。一瞬だったけれど間違いなくヴァンスは私のおでこに口づけた。これって……。
「!?」
ヴァンスの行動の意味を考えようとしたら、ふいにスコットと対峙した時のヴァンスの言葉を思い出し、思わず私は意味のない悲鳴を上げた。悲鳴を上げたのはその言葉がおでこに「ちゅっ」と同じくらい、もしくはそれを凌ぐ衝撃的な言葉だったからだ。
「ああああああああああああ!!」
(お・も・い・だ・し・た! スコットから助けてくれた時、ヴァンス様が『私の愛する婚約者に触れるな!』って言った!)
聞き違いじゃない。妄想でもない。あの言葉はヴァンスの本心と思っていいのかしら?
(きゃあ~~~!)
私はベッドの上でクッションを抱きしめながらゴロゴロと転がった。次に会う時、どんな顔で会えばいいのかわからない。机に飾った飴細工の薔薇の花束を見ると、つい顔がニヨニヨして緩んで治らない。
その夜、私はなかなか寝付けなかった――。




