第85話 郊祀に行きました(1)
この世界では天・地が万物を生ずると信じられています。時代は下りますが、春秋時代~前漢の時代にいろんな人が書いた原稿をまとめて作られたといわれる『礼記』という本に「故天秉陽垂日星、地秉陰竅於山川」と書かれているように、天は太陽や月・星の光を地面にもたらし、地は山と川の気を上に通わします。どちらも地球に生命が生まれる上で必要不可欠な存在であり、人間はその上に立って生きているとされています。ここから五行思想へと結びついていったりもしますが、とかく天と地がこの世界の人達にとってはとりわけ重要なものです。
それをまつる行事が、やはりこの世界には存在します。郊祀または郊祭といって、冬至には斟鄩の南のはずれに行って天をまつり、夏至には北のはずれに行って地をまつります。都市の郊外でおこなう祭りなので、郊祀と呼ばれています。そのまんまですね。これを行うことができるのは、天から生まれでた子、すなわち天子(※王となるために生まれた者。王朝は世襲制であるためこう呼ばれる。なお天子思想が広まったのは周に入ってからである)のみです。(※なお春秋時代には周のほか、魯も郊祀をおこなっていた)
さて、そんな郊祀の日にあたしたちはどうするかというと、仕事は特にないです。そりゃ郊祀は夏の国のイベントですからね。あたしたち商や薛、曹、虞、莘などの国にとっては関係ないことです。一応夏に従属しているものの体裁としてはまったく別の国です。例えば、夏やその周辺のこの中華全体に住む人をまとめてさすときに国民と呼ぶことはできず、代わりに人民と呼んでいるくらいです(※現代では共産主義国家が好んで使うことから、共産色の強い言葉になっている)。
代わりに、北の方でおこなわれるであろう厳粛な儀式とは裏腹に、斟鄩の街はお祭り騒ぎになっています。実はこの世界、前世からは考えられないことですが、休みの日がほとんどないのです。ほぼ毎日働かされる人たちにとって、たとえ自分と直接関係ない祭祀であっても、こうした節目の日は騒ぐための日なのです。
市場では普段と違う商品が並べられ、斟鄩の人たちはそれを買いつつ食べ歩きしています。あたしは当然のように子履に後ろからぴったりくっつかれながら、伊水(※川の名前)へ歩いて向かっています。郊祀は北で行われますから、南にある伊水は反対側になります。
「履様、馬車で向かわれないのですか?」
あたしは子履に聞いてみます。伊水まで、歩けないことはないものの結構な距離があります。普通の貴族であれば、先日の務光先生の授業のときは例外として、伊水まで行くときにほぼ必ず馬車を選ぶものです。
「摯が勝手に出かけていくからではありませんか。馬車の手配をするよりも直接歩いたほうが早いのです」
「確かにそれは‥」
確かにあたしは早朝に寮を抜け出して1人で行こうとしてたんですが、なぜか道端で子履と任仲虺と妘皀目が3人でいるところにぶつかってしまったのです。妘皀目、あたしとはほとんど面識がありませんが、寮では任仲虺と同室で六の国から来た人です。
子履は今朝あたしを誘うつもりだったのに、そのころにあたしはすでに寮を抜け出してしまい不在だったものですから、怒ってしまった様子です。「抜けかけでもするつもりですか」と頬をふくらませる子履を放置することも出来ず、こうして2人で行っているわけです。要するにあたしが悪いです。
「ところで、なぜ伊水へ行くのですか?あのご親戚‥いえ、私の外戚とはあまり関われないのでは?」
「伊纓様に個人的に呼ばれているのです」
「そんな大切なことをなぜ私に報告しないのですか。私も外戚と交流を深めなければいけないというのに」
この世界では、皇后の一族のことを外戚と呼びます。仮に、万が一、本当に万が一、あたしと子履が結婚するようなことがあったら、王様の子履に対してあたしは正室、皇后という立場になります。そのあたしの親戚が、子履から見れば外戚になるのです。あたしの親戚を外戚呼ばわりするなんて、もうあたしと結婚する気でいますねこの子は。
「それはもう少し後でもよろしいのでは?」
「関係を築くのは早いほうがいいですよ。それに、親から承諾を取り付けてしまえば摯は完全に私のものですから」
この世界では、親の言うことは絶対に聞かなければいけません。そのあたりは前世の日本より非常に厳しいのです。子履、相変わらずくいくい攻めてきますね。でもそんな子履にも弱点があります。
「履様、ここ路地裏ですよ」
「路地裏‥‥あっ」
あたしと子履以外誰もいないことに気づくと、子履は一瞬ではねるようにあたしから離れて、壁にはりつけになります。顔はすっかり真っ赤です。2人きりのときはこうして照れてしまってあたしに強く迫れないのは分かってましたが、ここまでわかりやすいと面白いのです。
あたしは笑いをこらえますが、しきに子履が骸骨をふみつけているのに気づきます。この世界では、人げのない道路では道端に人の死体や骸骨が転がっているのが半ば常識なのです。
「‥‥あ。履様、伊水はあちらです」
「ここに入ったの、わざとですよね?」
「伊水はあちらです」
あたしも子履の扱いには少し慣れたようです。歩くあたしの後ろを、子履はしぶしぶついてきます。100メートルくらい離れて、物陰に隠れながら。ストーカーかなにかかよ。
◆ ◆ ◆
なんだかんだあって、伊水に着きました。ここから川にそって歩いて、目当ての場所を見つけます。おっと、あれは親戚の家ですね。終宏はあたしのことが血縁者には見えないらしく、うとましく思っている様子でした。そりゃ、平民がいきなり貴族の家に来てあなたの子ですと言われると、誰だって不快に思うでしょう。
でも一方で、あの家で終宏と一緒に暮らしていた盤費という人が、赤ちゃんのあたしが発見された空桑で亡くなったわけですし、状況で言えば可能性は非常に高いです。終宏もあたしの親戚かもしれなくて、そんな人に避けられるのはしんどいです。
「あれが家でございますね」
「いいえ、あちらの丘ですよ」
人通りが戻ってきたのですっかりあたしの横におさまってしまった子履が家を指さします。が、そこは目的地ではないです。この家の斜向かいに、小さく盛り上がった空き地があります。
そして、その盛り上がった中央には、一人の男・伊纓が大きな手鏡を持ちながら、髪を梳いていました。
「ああ、何で僕は美しいんだ。どんなに着飾った牛よりも美しいではないか。牛よりも僕が祀られるべきではないだろうか」(※郊祀は牛を使った祭祀である)
はい、いつも通りです。あたしが声にもならない笑いを浮かべながら呆れてそこらへんに突っ立っていると、伊纓は10分くらいたってようやくあたしたちに気づいたようです。
「おや、君も美しい僕に見とれていたのかい?」
「いえ、人違いだったようです」
やっぱり伊纓があたしを誘うなんてこと、あるはずないですよね。あたしがそのまま帰ろうとすると、伊纓は後ろから呼び止めます。
「待ってくれ、冗談だよ。さあ行こう。そしてそちらのお方は‥‥ああっ!?」
伊纓は子履の存在に気づくと、素早く稽首(※九拝の1つ)の体勢にうつります。あのですね、子履は天子ではないし夏の関係者ですらないですから、稽首なんてしたらむしろ夏后履癸に失礼ですよ。なんて言っても、このお調子者には聞こえないでしょうね。




