第76話 お見合いをしました(1)
その夜、子履の部屋で床に正座して歯磨きをしている間、あたしも子履もあまり大きい音は立てませんでした。
歯ブラシはあたしのぶんも子履が専用ケースに入れて管理しているので、あたしはいちいち子履の部屋に行かなければいけないです。正直、子履に会う機会は減らしたいので会いたくないんですが、歯の健康にはかえられません。まだ乳歯ばかりなので大丈夫といえば大丈夫なんですが、前世の記憶があるとどうにも落ち着かないものです。それにしても、毎日子履のもとに訪問するようになると、あたしは子履にいいようにされている感じがして、あまりいい気分ではありません。
歯磨きを終えた子履が、ぽつりと一言漏らします。
「‥私、金の属性ではないんでしょうか‥」
子履は今日の昼、索冥からそう言われたのです。これまで自分は金属性だと信じていたぶん、道端を歩く素人などではなく索冥という本物の神様に姿を現されてまで言われると、衝撃が大きいものです。そもそも神様が人間の前に姿を表すなんて全然想像できなかったので、驚くのも無理はありません。後で務光先生に聞いておくべきでしょうか。
「大丈夫ですよ。あれは偽物の神だったり悪魔だったりする可能性もありますから。神様が人前に姿をあらわすわけないじゃないですか」
「‥そうですね。私も母上からそのような話を聞いたことはございません。きっと何かの間違いですね」
子履は頼りげなさそうな笑顔を浮かべ、歯ブラシを水洗いして片付けます。一通り終わった後、子履は部屋の中央のテーブルにあたしを案内します。子履と同室の姒泌は机に向かって何か集中しているようでした。
あたしは子履が椅子に座ったのを確認して、自分も座ります。
「遠慮せずに座れるようになりましたね」
「あっ‥」
くすくす笑う子履に指摘されて気づきます。これまであたしは、子履の隣に座るのを嫌がって椅子を移動させたりしていましたが、いつしかやらないようになっていました。あたしは思い出したように椅子をずらして子履から離します。
「‥そうですね」
「素直ではありませんね」
子履が少し残念そうに言います。本当にこの子、その場に他の人がいると強気です。普通逆じゃないんでしょうか。
「‥それでは、摯が今日見たという夢を聞きたいです。泰皇に見せられたという夢です」
「あ‥はい。あの時、あたしは暗闇にいて‥」
子履の手足がなかったことは伝えていいんでしょうかとは思いましたが、子履の顔色をうかがいながら慎重に言葉を選んで伝えました。泰皇のセリフはほとんど覚えていませんでしたが、あたしが掴み取った意図を伝えました。
「‥なるほど。確かに国同士でトラブルが起きたときに戦争したほうが楽だという場面は残念ながら多いです。戦争しないことはそれよりも遥かに難しく、当事者のたゆまぬ努力が必要です。しかしながら、戦争の火種をそもそも作らないようにするのがまず重要です。しかし、1年以内‥1年以内ですが‥‥」
そう言って子履はしばらく考え込みます。
「母上がお隠れになった後であれば、私も商王として様々な対策を打ち出せましたが、公子にすぎない今、とれる手段は多くありません。今はその火種の特定のために尽くすべきでしょう。摯は法芘と仲がよいのでしたね」
「はい」
「その法芘にお願いして、夏の宮中事情を教えてもらうことはできますか?」
さすがに法芘とはいえ国の内情を漏らしてくれることは‥‥‥‥厨房で自分の王様のことをデブと堂々と言っていたからありえるかもしれませんね。ははは‥‥。
「わかりました」
「法芘といえば、まもなくお見合いでしたね。ついでですから、私からもお願いしてみましょう」
そういえばそうでした。あたしと子履、法芘の子とお見合いすることになっていたのでした。もともとはあたしが子履から逃げようとしてOKしてしまったのですが、後から子履にばれて、あたしと子履がまとめて会うことになってしまったんですよね。
そういえばあたしと子履が同じ男の人と結婚するって、男にとってはどうなんでしょう?前世では一夫多妻はダメというのが常識でしたが、この世界ではどうにもそうではなさそうです。だとしたら男にとっては、あたしと子履2人を抱くこともある意味では当たり前というわけで‥‥うーっ、前世の常識があると想像するだけでむかつきます。子履は大丈夫なんでしょうか。
まあ、いい男であることに越したことはないですよね。
◆ ◆ ◆
そのころ、あたしと子履のいたその部屋の外のドアに耳をくっつける人影がありました。
この人は、中の人の泰皇に関しての話が止んだ頃、くすっと笑います。
「‥やはり姒摯を通して伝えるには、無理があったようだな」
これから1年もたたないうちに、乱世が必ず来る。それを防ぐことはできない。この夏の国は荒廃し、多くの人が血を流し、そして革命が始まる。(※現代日本では民主化の文脈で革命という言葉が使われることが多いが、古代中国では単純に王朝の交代をさす)
少しため息をついて、身長1メートルもない人影は、人知れずその場を立ち去っていきます。
◆ ◆ ◆
あたしと子履は一緒に馬車に乗って、法芘の家に向かいます。あたしと子履は4人乗りの馬車に2人きり‥‥の予定でしたが、なぜか及隶がいます。
「隶、何度も言うけど履様とあたしのお見合いだから、隶は別室で待ってもらうけど大丈夫?」
「大丈夫っすよ」
普通の貴族であれば平民は馬車周辺や粗末な部屋で待たせるところですが、今回はあたしに職を斡旋してくれたりお世話になった法芘のことですから、貴族も利用する控室に通されてお菓子でも出してもらえるでしょう。まあそのお菓子が目的かもしれませんけど。任仲虺の出したお菓子も遠慮なく食べてましたよね、確か。
と思ったら、子履が尋ねてきます。
「気になったのですが、摯と及隶は1歳違いですよね」
「はい」
「なぜ及隶は摯よりも幼く見えるのでしょうか?」
確かに、子履はあたしより背が低いのですが、及隶はそれよりもひとまわり低いです。顔も仕草もとてもあとけなく、礼儀もしっかりしていない様子でした。とても1歳差とは思えません。まあ虚歳ですから、実際は1歳半や2歳近く差があったりしますけどね。
「ほら、教育の違いだったりしないですか?あたしは平民の家に拾われたとはいえ、貴族との接し方を丁寧に教えてもらう機会がありましたし」
「なるほど、そうだったのですね」
その会話で、あたしはふと泰皇に言われたことを思い出します。伊水のほとりに、あたしの本当の家族がいると。それを思い出すだけで妙になつかしくも怖くも感じるのですが‥ここで話すことではないでしょう。
「センパイって、空桑の孤児だったんすよね?本当の親は分からないっすか?」
あっ、及隶が話を掘り返してきました。
「ま、まあそうだけどね。うーん‥‥」
あたしがちょっと慌てていると、子履が声をかけてくれます。
「どうしたのですか?」
「実は今の話で泰皇に言われたことをもう一つ思い出しました。あたしの本当の家族が伊水のほとりにおられると」
「そうだったのですね。ではお見合いが終わった後、探してみませんか?」
「えっ、いいのですか」
あたしが思わず身を乗り出したあとで、子履はくすっと笑います。
「私と摯の結婚の挨拶もしなければいけませんからね」
「あ、やっぱり探したくないかも」
あたしは笑ってごまかします。




