第65話 子履の怒り(1)
3年の喪に服す人は、学園寮のようなあたたかく立派な部屋ではなく、ぼろい小屋の中で親をしのびながら粗末な生活をするものです。姫媺もそれに倣って学園から土地を借りてそこに小屋を建てようとしたところ、姜莭と趙旻が先回りして花を植えて花壇にしてしまったのです。今、斟鄩学園の一角にあるそのあまりにきれいな花壇のもとには、蝶々や虫たちとともに、何人もの学生たちが集まっています。
姫媺がすねて部屋から出てこないことをのぞいては、ほっこりする笑い話です。しかし一方のあたしは、その花壇のそばで誰かが勝手に作った木のベンチの端に座らされて、子履から問い詰められています。
「なぜお見合いの話を受けたのですか?」
「いや、その‥‥な、成り行きです」
まさか子履と結婚したくないと面と向かって言うわけにもいかず、あたしはそう答えるのが精一杯でした。いつそやの推移と大犠のキスのせいでできてしまった妙な距離感は、もうありませんでした。子履はあたしの隣りに座って、とにかく詰めてきます。5月のあたたかい日光にあてられて、子履のにおいや体温がより伝わってきます。この世界に入浴の習慣はありませんが、濡れたタオルで体を洗っているのでにおいはそこまでひどくありません。それでも前世と比べると、女の子独特の匂いが色濃く伝わってくるように思えました。
「‥‥はぁ。お相手の親は個人的な付き合いがあるとはいえ、夏の国の家臣ですよね。私よりも立場は上です。ずるくないですか」
子履はそうため息をついて、背もたれに背中を預けます。立場が上じゃなかったら妨害する気満々だったんじゃないでしょうか。と思っていたら、子履がくいっと顔を近づけてきます。
「命令です。お見合い相手に会うことは許可しますが、何でもいいので理由をつけて断ってください」
「え、ええっ、そんな理不尽な‥」
「そ、その‥私と婚約しているでしょう?」
「うっ、それは‥‥」
あたしは目をそらします。命令自体はこの時代に聞いても違和感のあるものではないですが、前世の記憶のある子履が言ってくるとは思わなかったのです。あたしは気まずそうに視線を泳がせます。
「えっと‥あたしも子供が欲しいなって‥」
「それならなおのこと、私に相談すべきではありませんか。私と摯で共通の夫を持つことになったでしょう?」
「ええ、それ決定事項だったんですか‥‥」
あたし、同じ男と交わろうという話はあの場を逃れる方便として言ったつもりだったんですが、子履は本気にしてしまっているようです。子履はあたしから離れて、ため息をつきます。
「‥‥考えてみれば、母上から言われた私と摯が結婚する条件は、私が側室の男を見繕うことでしたね。私も男を探さなければいけません」
「姚不憺様とお付き合いされていたと思ってましたが‥‥」
最近、姚不憺が子履と話しているところをよく見るのです。子履はやや退屈そうでしたが、それでも話自体は弾んているように見えました。ていうか姚不憺もイケメンですから、普通の女の子ならすぐ食いつきそうなものですが、子履はレズっていうところがちょっと難点なんですよね。
「‥‥姚不憺はあまりどきめきません」
子履は唇を尖らせます。
「‥じゃあ、この世界の寒冷通り、許嫁を探されますか?」
「私には前世の記憶があります。許嫁は前世ではほとんどなじみがありません」
そりゃそうですよね。田舎や大金持ちであれば前世でもやってそうですが、子履は大学教授の娘で普通の家で育っていたはずです。あれ、そうだっけ?
「許嫁は最後の手段にしておいて、今は恋愛結婚を目指します。‥ですが私はバイではなくレズですから、友達としてお付き合いできる程度でも大丈夫です。‥‥じゃあ、今のうちに法芘に連絡してください。話がまとまった暁にはお相手は摯・私の2人と結婚してもらいますから、お見合いには私も参加しますと」
「そんな無茶な‥ある程度関係が進んでから伝えても遅くないでしょう」
「摯と法芘の仲でしょう?私と摯の婚約のこと、子供が必要なこともしっかり伝えてくださいね」
「それは‥‥」
まいりました、子履はあくまであたしと結婚するつもりのようです。
こんなこと法芘に話したら‥‥‥‥普通に笑われて快諾されそうな気もします。とほほ。
法芘は多忙でしたので、門の兵士に手紙だけ渡して帰りました。
◆ ◆ ◆
次の休日、バイト先の肆に任仲虺が来ました。お店は空いていましたので、あたしはみずから料理を持っていきました。饂飩ではなく、牛乳を発酵させて作った酥というお菓子に柑橘類の果物を添えて彩ったものです。
「先日は雨を降らしていただき、ありがとうございました」
「みんな嫌だったでしょう?お力になれて嬉しいです」
「仲虺様があんな大かかりな魔法をお使いになると聞いて驚きました」
「ふふ、よく言われますよ」
そのあとも任仲虺といくらか話しました。あのような小さい雲ではわずかな時間だけ降らすのが精一杯で、天候そのものを変えるには至らないということです。いやいやそれでも十分すごいですから。
「ところで」
任仲虺は酥を一口食べた後、突然切り出しました。
「摯さんがお見合いに行くと聞きましたが」
「あっ‥仲虺様にも話が行ってたのですね」
「はい。履さんに黙って単独で話を受けたとお聞きしましたが、なぜ履さんに言わなかったのでしょうか?」
「‥私は履様と結婚したくないので、先に男を作っておけば言い寄られないと思いました」
任仲虺は数少ない、あたしの境遇を分かってくれている相手ですので、そこは正直に答えます。こころなしか、任仲虺はあたしを責めているような口調で話しているように聞こえましたが、そこまで強い口調ではありませんでしたし多分気のせいでしょう。
しかし任仲虺は首を振ります。
「悪手ですね」
「えっ」
「摯さんもそう思いませんか?心当たりはありませんか?」
「‥確かに履様もあたしと一緒にお見合いすることになって、話が変な方向に行きました」
「そうですね」
そう言うと、任仲虺は窓から肆の中庭を見ます。この世界ではグレゴリオ暦でいう5月相当の建辰の月、つまり今月から夏です。すでに梅の花は散り、立派な緑が生い茂っていました。
「正直に言うと、履さんは今回の件を怒っています」
「まあ‥‥そうでしょうね」
「軽いですね。摯さんは、自分が平民だということを忘れましたか?」
「えっ」
「履さんも立派な貴族なのですよ。今までの関係もありますからさすがに死罪はないでしょうが‥‥、摯さん。摯さんが履さんに従わないということは、それだけの返しをされるということですよ。その覚悟はできてますか?」
「あっ‥‥」
あたし、子履はしつこいだとか、どうやって子履から離れようとか考えていました。子履が好意的に接してくるので、あたしのほうからも子履に馴れ馴れしく接してしまったかもしれませんが、立派に貴族と平民の関係です。今まで自分は、知らず識らずのうちに子履の好意に甘えてしまっていたのでしょう。
‥ですが、その代償が放逐で済むのであれば、それはむしろあたしの望むところです。
「あたしは商を追放され、莘に戻ることができるということですか?そうであれば、もともとあたしの望むことですが‥‥」
「その前に肉刑(※五刑のうち黥、劓、剕、宮の4つをさす)はありえるでしょうね」
その一言に、あたしはぞぞっと背筋を凍らせます。




