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第64話 夏后淳維の占い

子履しりと別れたあの広場ですが、兵隊や各国のはくを集めることもある場所ということで、とても広大でした。前世の高校のグラウンドを2つか3つ入れて、なお隙間が残りそうです。

そんな広場の真ん中に祭壇が置かれています。祭壇といってもそんなに仰々しいものではなく、小さく細長いベンチのようなものでした。その両端に2つのへき(※祭祀に使う円盤状のもの)を置き、それに挟まれるように立派で大きく輝く璧が置かれていました。


「それでは、今の父上に新たな女は必要か、占わせていただきます」

「おう、さっさとしろ」


夏后淳維かこうじゅんいは、夏后履癸かこうりきの野次を受けると丁寧にお辞儀して、それから体の向きを変えます。中央の立派な金色の璧に両手をかざして、何かを唱え始めます。あたしはなんとなく気になって、空を見ます。雲1つないまったくの快晴でした。本当に大丈夫でしょうか、いいえこの世界には魔法もありますし多少は可能性があるのではないでしょうか。

先程夏后淳維が抗議する直前に、夏后履癸が最後に食いついていたのは妺喜ばっきでした。子履の説明を思い出します。妺喜は史実では夏后履癸に嫁ぎ、悪事の限りを尽くしたすえにを滅亡に導いた稀代の悪女らしいです。今ここにいる妺喜がそのようなことをするとは到底思えません。むしろ蒙山もうざんの国にいる父を愛し、虐げられる痛みを誰よりも理解していて、あたしと心の底から笑い合える、語弊はありますが普通の少女に見えました。そんな妺喜が史書通り本当に悪女になるのでしょうか。

ですが‥‥夏を滅ぼしたくない以前に、あんな男に妺喜を渡したくないという強い念があたしの中にはありました。あの男のどこが悪いかわざわざ説明する時間も惜しいくらいに、だめな男と表現するのすら生ぬるく、この世界で最低の男であるかのように見えました。むしろ今まで夏が滅ばなかったのが不思議ですが、夏后淳維や和晖かき羊玄ようげんがなんとか支えてきていたのでしょう。

雨が降ってほしい。あたしは空を見てそう念じました。ふと見ると、いつの間にか隣に立っていた子履が、目を閉じて真剣な顔でうつむいていました。


「雨が降らないじゃねえか、結果は吉だな」


まだ夏后淳維が長い呪文を唱え終わらないうちに、夏后履癸がそうまくし立てて、それからそばにいた妺喜を一瞥します。妺喜はさほど怖くないのか、動じている様子はありませんでした。妺喜、自分の立場分かっているのでしょうか。断れるとでも思っているのでしょうか。


「陛下、占卜せんぼくはまだ終わっていませんぞ」


その妺喜の前を遮るように羊玄が割り込んで、釘を差します。夏后履癸は大きなため息1つをもらすと、みずからの息子の背中を睨んでいました。

今は建巳けんしの月(※グレゴリオ暦5月相当)なのですが、まだまだ寒さは残ります。ですがそんな建巳の月ですらありえないような、真冬のような冷たい風が吹き出します。あたしたちは思わず寒さに身を震わせます。空を見ると、それまではなかった灰色の雲が急に発生して、真上に集まってきています。

やがてぽたぽたと水滴が落ちます。少しずつ強くなってきます。冷たい雨でしたが、あたしはほっと体を緩ませました。周りの女の子たちも、推移すいいですらも、安堵しているように見えました。

一方の夏后履癸はちっと舌打ちをして、夏后淳維に怒鳴ります。


「おい、魔法で雨を降らしただろ?こんなのはいかさまだ!」

「陛下、申し上げます。天候を変える魔法は存在しませんぞ」


羊玄が隣から注意しますが、夏后履癸はさらに声を荒げます。


「いいや、できる!雲のかかる高山に登れば、雲は霧になるという。つまり水だ。水を空に集めることくらい、すいの魔法でできる!」

「お言葉ですが、淳維殿下の属性はもくきんの3つでございますぞ。水は取り扱えませぬ」

「わしに隠れて使っていたのだ」


夏后履癸がたたをこねると、羊玄はほうっとため息をついたあと、子供を叱るように大声で叫びます。


「陛下、見苦しいですぞ!本日の謁見は饂飩うんどんの献上のためだったはずですぞ。それが、饂飩を作り上げた女には目もくれず、名前さえ名乗らせず、後ろの女にばかり注意を向けるとは何事ですか。孔甲こうこうですら、客人にはまず名乗らせ、最低限の会話はしておりましたぞ!」


孔甲は前に子履も言っていた、過去にいた夏の暴君のことですね。あたしたち客人の前で陛下を叱咤し辱めるのみならず、暴君を引き合いに出して今の王様と比べるなど、本来であればはなはだ無礼この上なくその場で首を打たれても不思議ではないのですが、羊玄の説教に夏后履癸は一歩引いているように見えました。これは、2人がそういう力関係にあるとしか見えません。


「むう‥‥」


夏后履癸はなおも、ちらちらと妺喜を見てすねているように見えましたが、羊玄が「何か!」と叫ぶとしおらしくうなずいて、そのまま主殿しゅでんの建物の中に消えます。

結局、あたしたちはその場で解散になりました。雨は、夏后淳維が占いをやめるとすぐやみました。それを見ると羊玄は、あたしのところに来て両手を胸のところであわせて頭を下げてきます。土揖どゆうの礼といい、長揖ちょうゆうとは逆に、目上の人が目下の人にする礼です。


「陛下が無礼を働き申し訳ない。ひとえにわしの教育不足である」

「いいえ、過ぎたことですのでお気になさらないでください。あたしは陛下に謁見できただけで光栄でございます」

「そう言ってくれるとありがたい。だが、後日埋め合わせをさせてくれ」

「ありがたきお言葉でございます」


羊玄が主殿のほうへ歩きだすと、代わりにあたしに話しかけてきたのは和晖でした。


「久しぶりですね」

「お久しぶりです、和晖様」

「本日は不愉快な思いをさせ、申し訳ありません。二度と謁見することのないよう私が取り計らいます」

「はい、ありが‥‥」


あたしがそこまで言いかけたところで、子履が横から割り込んできます。


「いいえ、結構です。ただしを呼ぶ時は、私も一緒に呼んでください」


和晖は目を少し丸くしてしばらく間を置いたあと、一礼します。


「わかりました。あなたのお名前も教えて下さい」

「申し遅れました。姓を、名をといい、しょうの公子で、摯の主人にあたります」


そういえばこの2人は初対面でしたね。紹介と一言二言の世間話を終わらせると、和晖は早々に去っていきます。

さてやっとおしまいですか‥と思ったところで、今度は夏后淳維がやってきました。


「危ないところだったね」


夏后淳維がやれやれと言った様子で言ってきたので、あたしは長揖の礼をとって「ありがとうございました」とお礼を言います。


「ふふ、気をつけてね。それから僕は学園の卒業生なんだ。これから何かと顔を合わせることもあると思うから、そのときはよろしく」

「は、はい、もったいなきお言葉でございます。それにしても、あの占卜はすごいですね」


あたしが憧れの目つきで言うと、夏后淳維はふふっと笑って首を振ります。


「いや、あれは魔法なんだ。それも、とびきりすごい人のね」

任仲虺じんちゅうきでございますね」


あたしの隣の子履が言うと、夏后淳維は笑ってうなずきます。


「彼女にもお礼を言ってくれ、それじゃあ」


夏后淳維はそう言って、主殿のほうへ歩き始めました。任仲虺、周りより比較的強いという理解をしていましたが、雨量はほとんどないとはいえ空に雲を集めて雨を降らせることができるなんて驚きです。夏后淳維にもとびきりすごい人と言われているのですから、あたしが思っていたよりはるかにすごいにちがいありません。きっと今もどこかに隠れているのでしょうか。後でしっかりお礼を言わなければいけません。

出口に向かって子履が歩き始めたので、あたしも他の子達と一緒にそれについていきかけたタイミングで、後ろから聞き慣れた男の声がしました。法芘ほうひです。


「伊摯、今度のお見合いはよろしくな!」

「はい、よろしくお願いします」


そうやって返事するあたしの腕を、子履が骨折しそうなくらい強く掴んでいました。法芘が立ち去ると、子履は小さな声であたしに命令します。


「お見合いのこと、後で詳しく教えて下さいね」


あたしの平穏はしばらく訪れそうにありません。

中国の歴史書では、故事(昔にあったこと)を例にあげて相手をいさめたり説得したりする場面が頻繁に登場します。こういう場面を知らない人は絶対歴史書読んだことないだろっていうくらい、ほとんど必ず登場します。

本作でも故事を取り上げて会話するシーンをやってみたかったのですが、夏の前の時代といえば三皇五帝の時代しかなく、しかも春秋時代より前の時代の資料(三皇五帝・夏・商)はとても少ないのです。始皇帝の焚書坑儒や、三国時代・五胡十六国時代などの戦乱によって大量の資料が散逸してしまったと思います。また三皇五帝の時代は中国神話と深く結びついているのですが、神話の存在そのものが、確か戦国時代?かなり古い時代に否定されてしまったため中国神話が体系化されていないことも、三皇五帝時代の資料の少なさに関わっていると思います。(※神話が早期に否定され、儒教のような偶像崇拝ではなく人間関係・国のあり方などを取り扱った実用的な考え方が深く浸透しているあたり、戦国時代は当時としてはかなり高度な文明が発達していたと想像がつきます)

というわけで本作では、史実も参考にした上で架空の故事を創作して物語の中に挿入することが今後増えていくと思います。今回の話で言うと、羊玄が取り上げた孔甲も客人には最低限の礼儀を、という話が架空です。


タイムマシンがあれば竹書紀年の完全版、焚書坑儒前の書経、夏商革命・商周革命で散逸したであろう歴史資料、それから三皇五帝時代の資料がもしあれば(三皇五帝時代に文字や竹簡などがあればですが)持って帰りたいものです。あ、ついでに十六国春秋の完全版も欲しい。

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