第58話 饂飩の練習をしました
推移、ついで子辨と教室で会って、事務的な話なら妺喜と直接話すという約束を取り付けました。さすがに仲良くしようとか、人の好き嫌いを制御するのは難しいです。でもそれ以上の問題が、あたしと子履の間にはありました。
平たく言うと、推移と大犠が、人気のないところであればどこでもキスしていることを知ってしまったのです。今まで気づかなかったのが不思議な話ではありますが、ひとたび意識してしまうとなんとなく目で探して追ってしまうものです。あの様子では間違いなく下のキスもやっているでしょう‥‥いやいやあたし何を想像しているんですか。
「2人とも別々のテーブルに座るなんて珍しいですね」
食堂で、任仲虺が子履のほうのテーブルに食事を置いて、食べ始めます。一方のあたしのところには、妺喜が来ました。
「珍しいな、いつも同じテーブルなのに。喧嘩でもしたのか?」
「ま、まあ‥‥」
あたしは答えを濁して、妺喜から視線を外します。
「おやおや、図星かのう」
「違います」
妺喜はふふっと笑って、食べる傍ら、再度尋ねてきます。
「お主は子履と愛し合っておるな?」
ちょうどあたしはシャムを乗っけた食パンを持っていたのですが、それを思わずぽろりと落としてしまいます。コーンポタージュスープの中に落ちてしまってせっかくのシャムが台無しになってしまいますが、あたしの頭はそれどころではありませんでした。
「‥‥そ、そんなことはございません‥」
「子履がお主に嫉妬しているところを何度も見たぞ。少なくとも子履のほうは、お主を恋人として見ているようだな。お主は違うのか?婚約しているだろう?」
待って、あたしはあくまで子履とは距離を置かなければいけないんです。婚約しているからって愛し合っているというのは飛躍しているのではないでしょうか。不当な決めつけです。思い込みです。厳重に抗議します。
「‥履様が一方的に迫っているだけでございます。婚約も履様が一方的に決めました」
「そうは見えぬが?」
妺喜がいたずらっぽく、あたしの顔を下から覗き込んできます。ううっ、ずるいです。それは困ります。
「‥とまあ、わらわもいじりすぎたかのう。気に障ったならすまない」
「そんな‥」
追及はわりとあっさり終わりましたが、あたしは一息もつけませんでした。むしろ、なぜかわからないのですが、急に子履のことが気になって仕方がないのです。
◆ ◆ ◆
饂飩を夏王さまに献上する日も、あと数日後に迫っていました。あたしは務光先生に無理を言って授業を休ませてもらい、いつも働いている肆で饂飩の練習に励んでいました。といっても、肆のお金で購入した食材や原料を使っているわけです。肆からは気にしないでいいと言われていましたが、やっぱりそれではあたしの気が済まないので、給料を1ヶ月分返上して『人数限定 饂飩割引キャンペーン』と銘打って客を集めて、とにかく及隶と一緒に饂飩を作りまくっていました。客たちも物珍しそうに、次々と饂飩を注文してくるので、練習が捗ります。
ふと、客で混雑している肆の中に、和弇の姿を認めました。さすがに貴人は店員から別室に通されますが、従者が前回より少ないところ、武装している様子がないところ、店員に素直に従っているところ、そもそも土人形に反応されず店内に入れているところから、今日は純粋な客として来ている様子です。あんなののためにも饂飩を作らなければいけないんですね、とあたしは少しむっときましたが、今はまだお金を払う方ともらう方の関係ですよね。今はまだ。おそらく案内している店員も、営業スマイルを見せてはいますが、内心はあたしと同じ気持ちでしょう。接客ってそういうものです。
「饂飩って難しいっすね」
及隶が麺をこねながら、そんなことを言っていました。一応は布で髪や口を覆わせていますが、この世界にそこまでの衛生概念はもともとなかったようで及隶もはじめは抵抗していましたし、肆の人からも「キッチンを出る時は外してもらえますか」などと言われています。まあ、表情が分からない人は不気味にうつりますからね、そんなもんです。
「隶も夏王さまのことで緊張してきたかな?」
「そ、そんなことないっすよ」
あたしは野菜をフライパンで炒めながら笑いました。麺ははじめはあたしがこねていましたが、さすがに手が痛いんですよ。指が折れそうになります。なので少しの間だけ及隶に代わってもらってます。今がその少しの間です。
「ところでお嬢様との関係は進んでるっすか?」
「進んでるわけないじゃん」
「でも最近はお嬢様と仲良さそうに話してるところをよく見るっすよ」
「あれは事務的な話をしてるだけだから」
姫媺の一件で子履と情報交換する機会が増えたのですが、その過程で誤解されたのではないでしょうか。
「2人で寝たそうじゃないっすか。喜珠様から聞いたっすよ」
妺喜も余計なことを話さないで欲しいです。
「でも最近はお互いに避けあっているじゃないっすか。なんか喧嘩でもしたっすか?」
「あ‥‥うーん、そのようなものかな」
あたしは言葉を濁します。
「怪しいっすね」
「怪しくないよ、はい野菜できたから。次から交代ね」
「はいはいっす。恋煩いなら隶に相談するっすよ」
「だから恋煩いじゃないって」
あたしはフライパンの中身を大皿に盛り付けると、その大皿をキッチン出口近くのテーブルに置きます。すぐに店員がそれを持って出ていきました。
及隶と交代して麺をこねているところで、急にキッチンの入り口近くが騒がしくなります。
「キッチンへの出入りはご遠慮ください」
「俺とあいつの仲じゃねえか、大丈夫だちょっとくらい」
公孫猇の声です。来ていたんですね。饂飩を作れるのはあたしと及隶しかいないのに、これ以上忙しいのは困ります。身分を考えると対応しなければいけないんですが、料理を中断する時間も惜しいです。あたしはため息をつきます。
「入れてください、ただしあちこち触らないでください」
「ほれ、いいって言ってるじゃねえか」
「‥‥お入りください‥‥」
店員は困った様子で公孫猇をキッチンに入れます。公孫猇は、それでもあたしと少し距離を取って声をかけてきます。
「おう、盛況じゃねえか」
「はい、おかげで盛り上がってますよ」
多少失礼だとは思いつつ、あたしは饂飩を切りながら返事しています。まあ公孫猇もああいう性格ですし、細かいことは気にしてこないでしょう。
「饂飩ってそうやって作るのか」
「はい。小麦粉をこねて作ります」
「ほう、おもしれえな」
公孫猇は興味津々にあたしの手元を見ます。
「ところで、どうして頭と口に布を巻いてるんだ?」
「料理に髪の毛や唾液が混入しないようにするためです」
「ううん、俺はそんな細かいこと気にしないんだがな」
それはあなただけです、いや前世と違ってこの世界では衛生という概念があまり浸透していないので、他にも気にしない人は本当にいるでしょう。子履はむしろ入れてくださいと頼んでくるかもしれません。‥‥いやいや、それはさすがに考えすぎでしょう。だとしたら子履は立派なヤンデレになっちゃいますよ。頭のネジが1本足りないってやつです。
なんとなく気になったので尋ねてみます。
「今日はどなたかとご一緒に来られましたか?」
「ああ、実はなお前の友達と一緒に来てるんだ」
うわ、子履が来てるやつではないでしょうか。
「へ、へえ‥ちなみにどなたと?」
「曹の国の奴だ。いや、曹伯と言ったほうがいいかな」
「はいはい、履様ですか。‥‥‥‥あれ?」
多忙、病気に加えて商業原稿を書くことになったので、しばらく更新が滞ります。申し訳ありませんが、よろしくお願いします。
第61話から夏王さまへ饂飩を献上しに行きます。第59〜60話はその準備です。




