第37話 出会って5分でバトル(1)
全学生数60の斟鄩学園の校舎は2階建てです。各学年には3つのクラス、一、二、三組があります。クラスの数字が小さいほど成績上位者で、学期末テストの成績に応じてクラス替えがあります。一組には、入学前から魔法がうまかったという子履はもちろん、木の魔法を巧みに操って用心棒を縛り上げた姚不憺、任仲虺、妺喜、そして‥なぜかあたしも一組でした。えっと入学試験では結局服を濡らしてしまったじゃないですか‥‥。
ちなみに姒臾は補欠だっただけあって三組です。とりあえず子履と同じクラスにはならなくて安心です。あたしは子履とはできるだけ近づきたくないんですが、それでも任仲虺に誘われて、子履が姒臾に呼び出されたらまず任仲虺やあたしに相談するという約束を取り付けました。共通の敵っていうやつです。
及隶は子履の使用人として学園に来ています。他にも使用人を侍らせている貴族はいくらかいます。及隶は子履の荷物、書物などの入ったかばんを背負っています。
「あたしがちょっと持とうか?」
「センパイも自分の荷物持ってるじゃないっすか」
「ああ‥」
平民は平民でもあたしは学生なこと忘れてました。でも及隶のことは心配なので、あたしは及隶につきっきりになります。結果的に、及隶が付き人をやっている子履のそばにずっといることになります。計算外ですよこんなの。
でも少しはいいことがあります。平民はなにかと貴族にいじめられるものです。使用人は常に貴族につきっきりだからいいのですが、学生であるあたしはそうもいきません。及隶のおかげであたしの味方になってくれる貴族のそばにずっといる口実ができただけでもよしとしましょうか。
「摯」
廊下を歩いている子履が突然立ち止まって、振り返ってきます。不意打ちすぎます。いきなり立ち止まるものですから、あたし子履にぶつかりそうになります。なんとか至近距離で止まりましたが、間近から見る子履の顔が特に‥黒目がくりっとしていてとてもきれいで‥唇のすぐ内側の唾液で濡れている部分が窓から差し込む日光を反射して白く輝いているのを見て、あたしは自分の表情を隠すように大きくうつむいて、何歩か下がります。
「‥‥摯、どうしたのですか?」
「あ、あ、あの‥いきなり立ち止まらないでください」
「‥分かりました、すみません」
あたしは一回目立たないように深呼吸をすると、理由を尋ねます。
「それで、どうされましたか、履様?」
「今夜、一組の人で集まって食事をしませんか?」
なんだそんなことですか、そのためだけにわざわざ立ち止まって呼ばないでください‥‥。びっくりしました。
「はい‥」
あたしは呆れ顔で返事をします。子履はふふっと笑って、それからまた歩きはじめます。
「摯」
「はい」
今度は歩きながら話しかけてきました。
「摯は学園と言えば何を思い浮かべますか?」
「はい‥?」
なんか突然変なことを聞いてきました。‥しかしあたしと子履は共通の前世を持つ関係、子履もそのような回答を期待しているのでしょうか。
恋愛、と言いかけましたがそれだと子履の思うつぼになりそうな気がしたので、あたしは別の言葉を選びます。
「友情とか、部活、修学旅行、とかですかね‥?」
「またあるじゃないですか、もっと大切なものが」
ああ、子履はあたしに恋愛と言わせたいのですね‥‥なんて思っていたら、子履のほうが足を止めて言ってきました。
「恋愛ですよね」
「‥はい」
やっぱり言ってきましたよこれ。とか思っていると、子履はまた言葉を続けてきます。
「摯が私を避けたがっていることは知っています。ですが私は、この学園にいるうちに絶対にあなたを振り向かせますね」
気付いてたんですね‥‥っていやいやそうじゃなくて。
「どうしてそんなこと言うんですか?その‥その。あたしと付き合うのが無理だと分かったら、他の人にアプローチするのが普通では?」
あたしは後半部分、子履が視界に入らないよう視線をそらします。それからちらちらと子履を見ます。あたしを見てにこにこ笑っているその笑顔が眩しくて、あたしの心臓が高鳴りしてしまいます。
これまでにも子履とこれだけ近い距離にいたことはありますが、今は恋の話をしていることもあって、余計子履の匂いを意識してしまいます。どこかなつかしいような、甘くてずっとかいていたくて、落ち着くような匂いです。
子履はその人形のように小さくかわいらしい口を開きます。
「それは、私があなたのことを‥」
「センパイ、なに立ち止まってるっすか!」
いいところで及隶の大きな声が聞こえてきます。見ると及隶は、あたしたちから20メートルくらい離れた、教室2つ分またいだ、かなり遠い位置にいました。子履がいきなり立ち止まったのに気付かず、先に行ってしまったようです。
子履は、及隶の声が入った瞬間は不機嫌そうな顔をしていましたが、及隶の位置に気づくとあたりを見回します。廊下には他に誰も歩いていません。本当に誰もいません。廊下が無人だったことに気づくと手で口を覆い隠し、頬を真っ赤にしてあたしから距離を取ります。
「‥‥り、履様‥」
なんだろう、あたしは急激に寂しくなります。なにか大きなものを失ったような気がして子履に手を伸ばしますが、子履が小刻みに首を振っていたので引っ込めました。
◆ ◆ ◆
及隶がずっとそばにいたら、子履もあたしと2人きりでいるのを恥ずかしがることなく、最後まで話せたんじゃないでしょうか‥‥子履は何を話そうとしていたんでしょうか。ずっともやもやが取れません。
10人の学生の入る教室は、2人用の長い机が、前列は2つ、後列は3つ並べられています。後列の右、左の机は若干斜めに配置されています。あたしは前列の右端の席に座りましたが、子履はそこから1人隔てた席に座っています。子履はさっきの反動で、またあたしを避けてしまったのです。なんだかあたしは複雑な気持ちです。
あたしと同じ机に座っている、あたしと子履に挟まれた学生は、黄色に近い茶色のツインデールを生やしている女の子でした。
「初めまして、どこの出身でしてよ?」
少し偉そうに、顔に薄ら笑いを浮かべながら尋ねてきます。まあ貴族ってこれくらい偉そうにするのが普通ですよね子履と任仲虺が異常なだけで、と思いつつあたしは答えます。
「姓を伊、名を摯といいます。商の国から参りました」
「わたしの姓は姫、名は媺よ。曹の国から来たわ。ねえ、摯の父は商の大臣かしら?」
うわ、出ましたよ相手をいきなり名前で呼ぶ人。この世界では家族以外の人が親友でもないのに下の名前だけを呼ぶのは失礼とされ、姓とあわせて呼ぶのが普通です。たまに姚不憺のように徹底して貴人の名前を呼ばない人も存在します。
「いいえ、平民です」
嘘をついても後でばれるでしょうと思い、正直に答えることにしました。姫媺はしばらく目を丸くしていた後、立ち上がって大声で喧伝します。
「みなさん!この方、平民でしてよ!平民の分際で畏れ多くもこの学園に入ってるんですわ!」
教室はしばらくしんと静まり返りますが、姚不憺がすぐに机を叩いて反応します。
「やめないか!伊摯はちゃんと入学試験を通過したんだ。ここで学ぶ権利はある」
「この学園は代々、貴族だけを受け入れてきたのですわ。設備も貴族向けのものばかりです。この平民に果たしてふさわしいのかしら?」
そのまま2人は口論を始めてしまいます。子履が困った顔をして何か言いたそうにあわあわしていましたが、距離も遠いしあたしはもうどうしようもありません。
と、そのタイミングで引き戸が開いて、務光先生が入ってきました。入学試験の時とその姿はほとんど変わらず、子履のそれよりもよく光を反射してつやつやに輝く黒髪を、背中まで伸ばしていました。




