92.一石三鳥
「姉上! 病に伏せていると聞いたのだが!?」
応接間に通されたレインを見て、俺はここしばらくで一番驚いた。
母上とほぼ同年代である第一皇女レイン。
女だてらに武芸を嗜み、豪快な性格として知られていた王女。
ここ最近は重い病を患っていると報告を受けただけに、その姿に驚いた。
何せ、訪ねてきたレインは元気いっぱいで、とても病人には見えないからだ。
「寝てなんかいられないわ、こんな時に」
「え?」
「ありがとうノア。お礼を言いに来たのよ」
「お礼?」
何の事だろう、と小首を傾げる俺。
「アーリーンにしてあげた事を聞いたわよ」
「ああ」
「それで、ついさっき、あの宿六が囲ってる女を全員叩き出したわ」
「宿六……ああ」
ここでようやく話が見えてきた。
レインの夫、アラン。
皇女の夫として、ある意味一番まともな事をしている男だ。
皇女の夫はよほどの事が無い限りは臣下扱い。
そして、皇女であるため、さほど跡継ぎを求められない。
なければないでしょうがない、程度の温度感だ。
故に、その夫達は皇女ではなく、妾を囲うものが非常に多い。
その事は半公認で認められている。
皇女にふしだらな思いを向けるよりは、他の女で解消した方がいい。
皇女の夫という準皇族ともなればそれなりの地位、妾の一人や二人はむしろあって当たり前だ。
男の方も、どうやっても自分より上の立場の皇女を相手にするよりは、支配できる妾を相手にした方がプライドを保てる。
アンガスのようにアーリーンと添い遂げたいと言ってくる方が稀なのだ。
「礼を言うわノア、あなたのおかげで、堂々と泥棒猫たちと戦えるようになったのよ」
「そっか」
俺はふっ、と笑った。
当たり前だからといって、皇女側に嫉妬心がないわけではない。
臣下に嫉妬するのがみっともないから、表立って――いや、こそこそやるほうがよりみっともないから、何も出来ないでいるだけだ。
その「嫉妬」の許しが出たから、レインは早速動いたというわけだ。
俺がアーリーン達の為にしたことが、意味こそ違えど、レインの助けになったようだ。
「それはいいけど姉上、あまり無理はするなよ。医官の報告は読んでいる、病は――」
「それなら治った」
「え?」
「泥棒猫達を叩き出したら、信じられないくらい体が軽くなったわ」
「……なるほど」
病は気からという。
そして心の病というのもある。
レインのはどっちなのかは知らないけど、どうやら、本気であれで治ったようだ。
「本当にありがとう、ノア」
「どういたしまして。それで姉上、これからどうするんです?」
「これから?」
「妾達を叩き出した後ですよ」
「それは……」
ん?
なんだこの反応は。
かなりいい歳いってるレインが顔を赤らめてもじもじしだしたぞ。
「姉上?」
「あの人、結婚した夜に言ってくれた言葉を覚えてたのよ」
「はあ」
何の言葉なのかは気になった。
二人の思い出、しかもおそらくは初夜の時の話。
深くは聞かない方がいいと思った。
「だから……泥棒猫たちもいなくなったし、赦してやってもいいかな、って」
「なるほど。それなら頑張って姉上、余に出来る事があったら何でも言って」
「ええ。ありがとうね、ノア」
☆
図らずも、という言葉がある。
ノアの一連の動きがまさにそうだ。
帝国の皇女はこれまで、親王に比べて大幅に寿命が短かった。
数百年の歴史の中で、60歳を超えたのはわずか二人というレベルだ。
しかしノアのこの施策を境に、帝国の皇女の寿命が大幅に伸びることになった。
当時ではすぐにわからなかったのだが、皇女を縛り付けていた因習から解放されたことで、寿命が大きく伸びたのは後世になって明らかにされた。
ノア一世を語る上で、ささやかな、しかし確かに歴史に残る功績になった。
☆
翌日、書斎の中。
俺はヘンリーとオスカーの二人を呼び出した。
俺が座り、ヘンリーとオスカーが机を挟んで立っているという、いつもの形で政務を執り行う。
「というわけでオスカー。嫁いだ皇女関係の予算の見直しをさせろ。年間予算からすれば大した額ではないが、余が本気でこうしたと示す為だ」
「陛下、その事なのですが、もう少し慎重に行うべきではないのでしょうか」
「ん?」
反論をするオスカーを真っ正面から見つめる。
「帝国数百年にわたって続けられてきたしきたり。いきなり廃止するのはいかがなものかと。アーリーンの件は特例ということでもよろしいのではないでしょうか」
「なるほど」
オスカーの言うことは正論だ。
こういう古いしきたりは、いきなりぶっ壊すようなやり方をすると強い反発を受ける。
皇帝とて、やりたいことを何でもかんでもやれる訳ではない。
特にしきたりなんかはそうだ。
しきたりをイジるということは、ある意味過去の皇帝たちに対する挑戦なのだ。
その抵抗や反発は時には予想以上に強いものだ。
だが。
「もう決めたことだ、変更はない」
「どうしても考え直しては頂けないのでしょうか」
「……」
「オスカー」
それまで黙って成り行きを見守っていた、次の話をするために呼んでいたヘンリーが口を開いた。
「何でしょうか、兄上」
「トゥルバイフに動きがあった」
「今は皇女達の――」
「皇女達の特権を下げてまで、嫁がせてくれる帝国皇帝の本気さが伺える。その類の声がトゥルバイフの内部から聞こえてきた」
「――っ! 陛下……まさかこのために」
「ああ」
俺は深く頷いた。
アンガスの直訴を耳にした瞬間、この図を頭の中で描いていた。
嫁いだ皇女の特権は、何も帝国内だけではない。
むしろ他国に出した時にこそきいてくる。
当然だ、嫁いだ皇女は人質であり、ゲストだ。
ないがしろにしてしまったら、帝国に敵対宣言をするのとほぼ同じ意味なのだ。
故に、皇女は嫁いだ先でも、同じレベルで扱われる。
それを俺が取っ払った。
「最初からこれが狙いだったのですか?」
「……」
俺はにこりと微笑んだ。
直接には応えずに、立ち上がって、背後の窓から外を眺めた。
「大人しくしてくれるといいんだがな」
それは、三人の皇女を政略結婚に出すと決めた時の続きの言葉だった。
「さすが陛下でございます。ここまでやれば、トゥルバイフもきっと感涙し従ってくれるはずでしょう」
「とはいえ油断はできん。警戒だけは欠かさずにしておけ」
「はい」
ヘンリーは深く頭を下げた。
俺はオスカーをじっと見つめた。
目と目があった、しばらくの間見つめ合った。
オスカーは「わかりました」と、予算の見直しに応じた。
ヘンリーとオスカー、二人は揃って退室した。
「はあ……」
「上手くはいきませんね」
入れ替わりに入ってきたドンがそう言った。
「ん?」
「殿下が、陛下のお気持ちを受け取りませんでしたね」
「……よく気づいたな」
「陛下さすがでございます」
ドンの褒詞にも、俺は再びため息をついた。
予算の見直しなど、事務的レベルの話で、第四宰相を通して関連部署に文書を一枚だすだけのはなしなのに、俺はわざわざ内務親王大臣であるオスカーを呼び出して、直接話した。
それは彼に
「治世のためならばなんにでも手をかける」
というメッセージを送るためだ。
父上に倣って、俺は諜報網を構築している。
フワワの箱だけではない、もっと闇に紛れているような連中も使っている。
そして、あっちこっちからオスカーに不穏な動き――とまではいかないが異心ありという報告が上がってきた。
邪魔をすればたとえ親王でも――
そんなメッセージを送ったのだが、オスカーは受け取らなかった。
気づいていて、あえて受け取らなかった。
いつかは手をつけなければならんのか、いや、そんな日が来なければと願うしかないか。





