39.次の皇太子
「王宮の外だ、余計な作法はいらぬ。叔父上、余のそばに座るがいい」
「わかった」
陛下の命令が下ったのもあって、インドラは直前までの、豪快な振る舞いに戻って、陛下のそばに座った。
一方で、俺は周りをちらっと見てから、ルティーヤーを鎧の指輪とリンクさせて人の姿にした。
ただし前にやった人形のような小ささではない。
1分の1――つまり人間と同じサイズの姿にした。
炎を纏った戦士を、陛下を護るようにその後ろに仁王立ちさせる。
「大げさな」
「ここは王宮ではありません」
俺はきっぱりと言い放った。
「万全を期さねばなりません。それに陛下――皇帝の不慮は万民の不幸。陛下のような名君は、天寿以外の万が一があってはならない」
「そうか、ならばノア、全て任せる」
「はっ」
陛下に一礼して、更に周りをぐるっと見回してから、ルティーヤーに炎を吹かせた。
作り物の全身から炎が立ち上る。
まさしく炎の魔人、といった出で立ちだ。
それとともに、レヴィアタンで周りを弱めに押さえつける。
倒す程じゃない、ここにいる民達に畏怖と尊敬を植え付ける程度。
その程度の弱い威嚇だ。
そうして、一通り周りを確認する。
目に見えるのはルティーヤー、心に感じるのはレヴィアタン。
民達からは純粋な尊敬の念が伝わってきて、異心はまったく感じられなかった。
「さすがだ、ノア」
「その歳でそこまで冷静なのは驚きだわな。皇帝の子供の中でも一番じゃねえのかい?」
「うむ、余の自慢の子だ。だからこそ『賢』の字を授けた。叔父上の『雷』と同じ、ふさわしい一字だと思っている」
「カカカ、オイラのは雷は雷でも、もうそろそろ雷親父でしかないわな」
陛下とインドラは笑い合った。
「ノアの『賢』はこれからだ。何せ初陣を一人ですることが決定したのだから」
一瞬、周りがシーンと静まりかえった。
それで反動がついたかのように、今日一番の歓声があがった。
「初陣って、皇族の皆がするあれか?」
「あれを一人でやるのか? 普通兵士にカッチカチに守られて行くもんだろ」
「でも納得だわ……この親王様なら納得だわ……」
ざわつきの中、次々と俺を称える声が聞こえてきた。
ちょっと考えたが、自然な形で民の視線と注意力がこっちに集中してきた。
陛下を守るには都合がいい、ならばこのままで行こう。
いや……もしや……?
陛下をちらっと見た、目と目があった。
それを見て、俺は確信する。
これは陛下のフォローだ。
俺が周りを睥睨して陛下を守ろうとする行動に、陛下は一人初陣を公表すると言う形でフォローした。
そうでもなければ、とうの昔に決まっていて、市井にもそろそろある程度の噂が流れたことをここで公表する必要はない。
ならば、ますますそれに乗っかるまでだ。
「それがノアのすごい所だ」
むっ。
「どういう事だ皇帝よ」
訝しむインドラ。
民達のざわつきの中、陛下は横にいるインドラだけが聞こえる程度の小声で答えた。
「余が今のを公表したのはノアを助ける為だ。それをノアはちらっと目があっただけで理解して、それに乗った」
「ほう、さすがだな。オイラでも分からなかったぞ今の」
「叔父上は豪快だが繊細さにかける。仕方のないことだ」
「おう、んなちまちましたのやってられっかい」
「だから細君との細かい諍いが絶えないのだ」
「全くだ。カカカ、孫をますます安心して預けられるってこったな」
更に笑い合う陛下とインドラ。
「さて、叔父上よ。少し話がある、馬車に同乗してくれ」
「おう」
――本題。
陛下がわざわざ出てきたのはこのためだなと理解した。
俺は手招きして、少し離れた所で待機している陛下の馬車を呼び寄せた。
民達が綺麗に道を譲って、馬車がゆっくりと近づいてくる。
馬車がやってくると、付き添っている下っ端の宦官がその場で四つん這いの犬の格好をして、陛下とインドラは次々とその背中を踏み台にして、馬車に乗った。
二人がちゃんと乗り込むと、御者が鞭を振るって、馬車はゆっくりと動き出す。
俺は横につき、ルティーヤーを先頭に立たせた。
「で、話ってなんだい皇帝」
「うむ」
陛下の顔が少し翳った、口が開かれる。
密かに「ドキン」とした俺は、ルティーヤーに命じて、更に火を吹かせた。
全身から炎がまるでオーラのように立ちこめると、民から歓声が上がった。
「皇太子を廃しようと思う」
陛下の言葉は、民の歓声の中にかき消された。
インドラはきょとんとした。その顔だとちゃんと聞こえたようだ。
陛下は俺に目を向けて「やるな」という目線を送ってきた後、更に続けた。
「なんとかなるとは思っていたが、もはやふさわしくないと思わざるを得なくなった」
「何故」
「ギルバートの一件だ」
「……そうかい」
インドラは重々しく頷いた。
ギルバートの一件。
それだけ聞けば、ギルバートが陛下と皇太子の毒殺を企んだ一件に聞こえるのだろうが、間違いなく違う。
俺が帝国法の穴を縫って縫って、どうにかギルバートを事実上の終身刑に留めて――陛下に子殺しをさせまいとしたのに、皇太子アルバートは即執行を強行した。
間違いなく、そっちの件だ。
「あれはあれで間違いではない、だが、もっとやりようはあるはずだ」
「あれはオイラも肝を冷やしたさ。あいつが皇帝になったら間違いなく粛清が起きるってな。オイラなんて、皇帝に無礼なことを散々してるから、その気になれば摘まれる側だわな」
「ああ。あの狭量さ、もし即位したらヘンリー、オスカー、それにノアだな。この三人は真っ先に粛清されよう」
だろうな。
ヘンリー兄上、オスカー兄上、それに俺。
今、親王大臣を拝命している面子だ。
おそらく、アルバートからすればかなり邪魔だと思われてるだろう。
「そのような狭量な男に、余の後を託すわけにはいかない」
「……それはいいが、次は?」
「決めておらん」
「それはだめだ」
インドラは即座に言い放った。
陛下がインドラに相談を持ちかけたのはおそらく、こうして率直な物言いが出来る相手だからなんだろう。
「皇帝はもういい歳だ、その歳になると明日の朝ぽっくり逝ってもおかしかない。そいつを廃して、決まる前に逝っちまったら帝国が分裂する」
「……」
陛下は黙り込んだ。
そうなんだよ、皇太子ってのはそういうことなんだよ。
普通の家庭でも、親が亡くなれば遺産でもめにもめるものだ。
皇族でその遺産に相当するものが皇帝の座だ。
皇太子というのは、例え皇帝が急死しても揉めないように決めておく、という意味合いが大きい。
事前に遺言を公表するのと同じことだ。
「決まってたらオイラは何も言わねえ、だが決まってねえんならだめだ」
「……決まってないわけじゃない」
陛下の口調がものすごく平坦なものになった。
あらゆる感情を感じさせない、何も読み取れない口調だ。
「だが、今それを公表すると余計に揉めるだけだ」
「それでも皇太子をたてないよりはましだ」
「そうだな……」
俺は少し考えて、あるアイデアを思いついた。
そのアイデアをいくつかの現実を摺り合わせて、実現可能な方法を練り込む。
そうしてある程度固まってから。
「恐れながら申し上げます、陛下」
「うむ? なんだ、申してみろノア」
「陛下の御遺言があることだけを公表するのはどうでしょうか。後継者――つまり事実上の皇太子は其処に書かれていると公表するのです」
「だめだな」
インドラは即否定した。
「それの内容を公表するのは皇帝が死んだ後だろうが。なら、それはどうとでもねつ造出来る」
「はい、だから、遺言は陛下の『体の中』に隠しておくのです」
「余の?」
驚く陛下。
「何らかの形でそうするのです。手術など――簡単な所で文字を刻んだ差し歯か。あるいはなんらかの魔法か。そしてそのことを公表すれば――」
「いいぞ!」
さっきは否定したインドラが、一転して喝采した。
「それはいいアイデアだ。皇帝が常に自分で持ってるなら、すり替えられる恐れもねえ」
「ほう……」
陛下は眼を輝かせた。
「すごいぞノア、そのアイデアいいぞ!」
俺の提案を、ものすごく気に入ってくれたようだ。





