181.遵法
「到着致しました」
馬車が止まって、御者とささやきで言葉を交わしたシンディーが報告してきた。
「うむ」
俺は小さく頷き、馬車から降りた。
お忍びで出てきたから、身分がバレないように踏み台がくるのを待たずに馬車から飛び降りた。
馬車は宿場町の中に入っていて、俺とシンディーが降りると御者はそのまま目の前の宿の裏――停める場所に馬車を向かわせた。
それなりの人々が行き交う宿場町は夕暮れに染まっている。
その夕日と遠ざかっていく馬車を眺めつつ、シンディーに聞いた。
「あの御者はお前の部下か?」
「はい」
「いい腕だ。ここに100リィーンある、後でくれてやれ」
俺はそういい、金がはいった革の巾着袋を取り出して、シンディーに手渡した。
シンディーはそれを両手で受け取りつつ、不思議そうに聞いてきた。
「ありがとうございます。……あの」
「うん?」
「なぜ、このタイミングでそれを? 御者の腕の善し悪しはその、乗ってすぐにおわかりになるのではありませんか?」
不思議そうに思う表情で、慎重にたずねてくるシンディー。
「たしかに乗り心地という意味ではそこもいい腕だった」
「では……?」
「物事には理由がある。この宿場町がここにある理由はなんだと思う?」
「え?」
きょとん、と目を丸くして答えに窮してしまうシンディー。
「えっと……すみません、わかりません」
「意地悪だったな。理由は一つではない、人の足、荷馬車の足、早馬の足――諸々の足、それが重なる所に宿場町が出来る。当然、揃う『足』が多ければ多いほど使う人間が増えるから宿場町の規模が大きくなる」
「なるほど……」
「その『足』というのはどういうことか? 一般的には昼間無理なく進める距離と言い換えることができる。夜無理に先に進むのは危険がつきまとうからな」
「……あっ!」
ハッとした顔で夕焼けの空を見上げるシンディー。
「そういうことだ。無理のないペースで、しっかり夕暮れ時に丁度着けるようにする。それだけでいい腕だと分かる」
「なるほど! そんな事も知っているなんてすごいです!」
「余はどうやら一人だと無理をしすぎるらしいからな。それで覚えさせられた」
俺は肩をすくめて、おどけるように言った。
何回か早馬の超特急を自分でやっていたらヘンリーとオスカーに怒られて、いまいったことをもっと判れ――と丁寧にかつ遠回しにしかし有無を言わさない口調で言われたもんだ。
話が終わり、シンディーはハッとした表情で宿の中に飛び込んでいった。
外観からして、酒場が併設されていそうな宿だから、夜は少しそこで情報収集でもしようか――なんて思っていたその時だった。
「どういうことなの!」
宿の中からシンディーの怒号が聞こえてきた。
彼女との付き合いも数十年と長いが、これほどの剣幕で怒鳴っているのは初めて聞くかもしれない。
外で待っていたが中に入った。
カウンター越しにひげを生やした中年男――おそらくは宿の店主に詰め寄っているシンディーの姿が見えた。
「どうした?」
「あっ! す、すみません。あらかじめ部屋を押さえていたのですが――」
「すみません! 先ほど別のお客さまがお見えになって」
俺が聞いたからシンディーは申し訳なさそうに言った。
そこに店主が言うと、シンディーの怒りが再着火して店主を怒鳴った。
「話が違う! 前もって部屋を空けておいてと言ったでしょ!? お金も渡したはず!」
「も、もちろんお代はお返しします! ですから――」
「そういう問題じゃない!」
「まあ待て」
更に店主に食ってかかろうとするシンディーだが、それでも俺が止めに入ると彼女はピタッと怒鳴るのをやめた。
あまりにも「ピタッ」と止まったもんだから、それで店主に俺達の上下関係が一発で伝わったようで、店主はシンディーよりも俺にへこへこしてきた。
「本当に、本当にすみません!」
「それよりも詳しく聞かせてくれ。何があった」
「は、はい! それが……都の方からのお偉いさんで、なんでもエンリル州に公務で行くって話だそうで。最初は断ったんですが、疲れが取れなく任務が失敗したらそれを妨げた罪で死罪だぞ、と言われまして……」
「そうか。大変だったな」
「……?」
俺が物わかりの良いそぶりを見せると、それに驚いたのがシンディーだった。
彼女は中々ないレベルでの、驚愕顔をしていた。
シンディーがそんな表情をする理由がすぐに分かった。
「その程度の事で死罪になる根拠は帝国法のどこにもない。が、世の中は正しくないこともまかり通ることがよくある」
「はい……」
「難しい事に、その程度の恫喝では大した罪にはならない――手を出されたか?」
「い、いいえ。それは……」
「なら精々が減俸、あるいは多少の降格だ」
そう話す俺に、シンディーは言い返すことが出来なかった。
お互い幼い頃からの付き合いだ、俺が「法に厳格」な事をシンディーもよく知っている。
民を恫喝するのはもちろん罪だが大した罪じゃない。
皇帝の俺を邪魔したのも俺がお忍びなのだからむしろ無罪。
シンディーはめちゃくちゃに悔しそうな顔をした。
そんなシンディーにふっと笑い、店主の方を向いて労りの言葉をかけてやった。
「大変だったな」
「ほ、本当にすみません!」
店主は慌てて、何度も何度も頭を下げた。
「状況を改めて聞かせてもらおう。おそらく一番いい部屋が横取りされたという話だろうが、部屋自体はもうないのか?」
「い、いえ。個室はあと二部屋は、ただ、一番ランクの低いものでして――」
「ふざけるな――」
「それでいい」
「え?」
怒鳴りかけたシンディーは、俺がそれを受け入れた事に驚いた。
「物見遊山ではない、屋根があって体を休められればそれでいい」
「はい……」
「ありがとうございます! あっ、もちろん前金はお返しします! 今夜の分も結構でございます」
「そこまでしなくてもいい。払ってやれ」
「はい……」
シンディーは不承不承ながら、俺に言われたとおり店主に宿代の精算をした。
いい部屋を押さえるために前払いした額を返してもらい、代わりに安い部屋の分の代金を支払った。
その間、俺はまわりを見回した。
カウンターの横に扉があり、その向こうからうっすらと賑わいが聞こえてくる。
あそこが酒場なんだろう、と、予定通り情報収集にそこに向かおうと思った――その時だった。
「きゃああああ! だ、誰か!!!」
「「「――っっ!!」」」
俺とシンディー、そして店主、三人は同時に悲鳴の方をパッと見あげた。
悲鳴は上の方から聞こえてきた。
「リリィ!?」
店主が女のものらしき名前を叫び、カウンターから飛び出して階段を駆け上がっていった。
俺は後について階段を駆け上り、シンディーも俺の後ろについてきた。
三人で階段を最上階まで駆け上った。
下の階はいずれも数個のドアがあったが、最上階はドアが一つだけだった。
ワンフロアをまるまる使った一番いい部屋、よくあるパターンだ。
「や、やめてええええ!」
「リリィ!」
店主がドアを蹴破って中に入った。
中はそれなりの広さを持つ部屋だった。
その部屋の中、より正しく言えば部屋の奥のベッドの上。
中年の男が一人、年端もいかない少女を組み敷いていた。
少女の着衣に乱れがあるが、致命的な何かにまでは至っていないようだ。
「お父さん!」
「リリィ!」
「おいおい、なんだぁ? 宿の親父かよ。まったく空気読めよな」
男は体を起こして、こっちを向いた。
少女は同じようにぱっと飛び上がって、逃げるようにベッドから降りて、父親である店主の背中に隠れた。
「邪魔するんじゃあない。分かっているのか? 俺はな――」
「帝国法、127条」
俺はそうつぶやき、前に進み出た。
俺の横顔を見た店主親子がぎょっとし、シンディーが目を輝かせて興奮気味な表情になっていた。





