178.三代目のためにできること
執務室の外から一人の女が駆け込んできた。
急いではいるが、慌ててはいない。
十三親王時代から俺に仕えていた元メイドのジジ。
ジジは俺とオスカーの前に跪いた。
「お呼びですか、陛下」
「うむ。8の7の――いや、その先は若い順で10個くらい持ってこい」
「8の7ですね、わかりました」
ジジはそう言い、一度頭を下げてから執務室の外に出て行った。
「あの者は確か、陛下専属の文書管理官でしたか」
「ああ。記憶力が目を瞠るものがあるからやらせている」
「噂では読み書きもできないとか」
「ああ」
俺ははっきりと頷いた。
「自分の名前も『ジジ』と固まっていれば見覚えはあるが、『ジ』のように単独だとどうにも怪しい、と本人は言っていたな」
「そのような者で大丈夫なのですか?」
「一桁目は種別、8は天災関連だ。二桁目は重要度、7だと上から二番目くらい。そういう感じに振り分けたら全くミス無しに覚えてくれる」
「なるほど。やはり陛下はすごいですな、文字も読めない宦官を文書の運搬に使うことは今までもありましたが、管理を任せるなど普通の人には出来ません」
「それで余が助かっている、宝が手つかずのままいてくれるからな」
そういって、オスカーと笑い合う。
しばらくして、ジジが大量の書類を抱えて、よたよた歩きながら戻ってきた。
危なっかしい足取りだが、どうにかテーブルの所までたどりついて、抱えていた書類をテーブルの上に置いた。
「お待たせしました」
「うむ。それよりもジジ、これからは書類が多い時は宦官を使え」
「は、はい。でも……その……」
「うむ?」
「誰に頼んでいいのか……分からなくて……」
ジジはもじもじしながら、申し訳なさそうに言った。
ちょっとだけ予想外な言葉だった。
俺はオスカーと顔を見合わせて、どちらからともなく笑いだした。
「へ、陛下?」
「気にするな。それよりも誰に頼むとかではない」
「え?」
「命令をすればいい。お前は余の直属だ、力仕事は全部その辺の宦官を捕まえてやらせればいい」
「そ、そうなんですか……?」
「陛下」
俺に言われてもおどおどしているジジ。
そこにオスカーが話に入ってきた。
「もう少しわかりやすく言ってやった方がいいタイプかもしれません」
「確かにな――ルーク」
俺は声を上げて、宦官のルークを呼んだ。
ルークはジジの時と同じように直ぐに執務室に入ってきた。
ジジと同じく、ルークも呼ばれたら直ぐにやってきた。
「お呼びでしょうか」
「力持ちの者を一人――いや二人選んで、ジジにつけておけ」
「御意」
「へ、陛下?」
驚くジジ。なにか言いたげだったが、俺は手をかざして止めた。
「向いていない力仕事でケガをされでもしたら困る」
「は、はい……」
ジジは申し訳なさそうな、それでいて嬉しそうな顔をした。
そのジジとルークが退出したあと、俺はオスカーと一緒に、ジジが持って来た書類に目を通した。
二人で半分くらいまで読んだところで、どちらからともなく顔を上げて、目があった。
「そっちはどうだ」
「やはり火災の割合が突出しているように思えます」
「そうだな」
「人災の可能性が非常に高い様に思えます」
「……」
俺は少し考えてから、オスカーに命じた。
「信頼できる人間をやって調査をさせろ。やり方はお前に一任する」
「御意」
もう少し注文をつけておこうか、と思ったその時。
「陛下、よろしいですか?」
「ん?」
入り口からルークの声がして、俺とオスカーは同時に振り向いた。
「どうした」
「エヴリン様から書類が届きました」
「見せろ……ああ」
ルークから書類を受け取って、目を通す。
「何かありましたか?」
俺の反応を不思議がって、オスカーが聞いてきた。
「実際に見た方が早い」
俺はそういって、書類をオスカーに渡した。
オスカーは受け取って目を通す。
その間に、書類を届けに来ただけのルークは静かに退出した。
「新素材で色のくり返し変化に成功……これはなんでしょう?」
「フンババ糸の代わりを研究させていた、その途中報告だ」
「フンババ糸……有線逓信のですか?」
「ああ」
「なぜそのようなものを?」
オスカーは不思議がった。
目が見開くほどの反応で、今日一番に不思議に思ったくらいの反応だ。
「そのままの意味だ。フンババ糸の代わりになるものを作らせているのだ」
「いえそれはわかりますが……なぜそのようなものを? フンババの糸ではなにか不都合があるのでしょうか?」
「……オードリーの兄の事を知っているか?」
「え?」
いきなり何の話だ? と言わんばかりに、オスカーは今日一の不思議から今日一の戸惑いに表情が切り替わった。
「皇后陛下の兄上……ですか?」
「ああ」
「確か……その……」
オスカーは思案顔になって、答えあぐねた。
その表情の意味は分かる。オードリーの兄、皇后の兄を知らないからじゃなく、知っているがどう答えていいのか分かりかねている、という顔だ。
「答えにくいのならそれでいい」
「は……」
「長者三代続かずという言葉がある。雷親王インドラは傑物だが、その孫がどうやらどうしようもない人間のようだ」
「……」
オスカーは相づちさえも打たなかった。
俺を見つめて、話に耳を傾けてはいるが、一切返事はしなかった。
それもそのはず、親王大臣とはいえいわば臣下だ。
「皇后の兄が無能だ」なんて話にオスカーの立場で簡単に相づちをうてるはずもない。
だからこその黙殺。
それを理解している俺も、返事までは求めずに続けた。
「先帝はインドラ以上の傑物、数百年に一人の名君だ」
「まさしく」
ここぞとばかりにオスカーは相づちを打った。
「さて、長者三代続かずという言葉通りなら、余の子らはどうであろうな――ああ、どうなるかは今はわからん。問題はそこではない」
口を開きかけて、おそらくは「すごい陛下の子なら大丈夫」とでも言おうとしたであろうオスカーを止めた。
「問題は、フンババの糸は余のものだ。フンババは明言している、それは余のために出しているものだ、と」
「精霊を完全に臣従させるとは、やはり陛下はすごいです」
「さて、問題は余が死んだ後だ。その話どおりならフンババの糸は使えなくなる」
「……はっ」
オスカーは自分が漏らした言葉に、教科書どおりの「はっ」という顔をした。
「そうだ、フンババの糸だけに頼っていると、余が死んだ後の連絡は一気に数十年後退する。三十年だとしよう。三十年間フンババの糸でしてた後に一気に使えなくなったらどうなる?」
「帝国が混乱――はっ!」
またまた、オスカーが「はっ」とした。
「気づいたか。そう、余の子が有能であろうが無能であろうが、次の皇帝は早馬頼りの不便な連絡手段に逆戻りだ。そうなれば停滞、混乱、そして衰退は免れない」
「……」
「だから余が生きている間に――30年くらいかけて、人間の手でフンババの糸に代わるものを作り出さなければならない」
「すごい……陛下。そこまで考えていたとは」
オスカーは心底、感動した顔をした。
「先帝が余を選んだのはセムがいたから――優れた三代目になりそうだからだ。だから余はその三代目を優れているようにしなければならない」
「はっ……」
「まあ、今日明日の話ではないよ」
俺はオスカーの手から報告書を取り返して、小さな一歩前進になった研究の内容にもう一度目を通した。
☆
オスカーが帰ったあと、入れ替わりにジジがやってきた。
今度は力持ちの宦官を引き連れて、書類を引き取りに来たのだ。
「……」
そのジジが俺を見つめ、何か言いたげな顔をしている。
「どうした」
「あの……話をちょっと聞いてたんですけど、火事がたくさん起きたんですか?」
「ああ。何か気づいた事でもあるのか?」
「その……陛下――ご主人様がアルメリアにいたとき、火事はほとんど起きなかったって、思い出して」
「ああ、水道に力を入れていたからな」
「水道が地震で壊れちゃったのかな、って」
「そうであれば何も問題はない。建造物が倒壊するほどの天災ならまだあきらめがつく」
「それって……?」
「土地の役人が私腹を肥やし、水道の整備を怠ったから火災の延焼が酷かったのかもしれない、という事だ」
ジジは「あっ」と言う顔をした。
それは俺とオスカーが同時に思いついたことで、オスカーに秘密の調査を頼んだ事だ。
「それって酷いです!」
「そのとおりだ――だから」
「だから?」
「余が自ら出向こうと思っている」
オスカーに頼んだのは陽動。
その陽動を隠れ蓑に、俺が現地入りして見て来ようと思っていた。





