理想的レッドへリングIII
大食堂にあった和やかな雰囲気は一瞬にして悲痛なものに変わってしまった。
あんずは、みさっきーの死体と二枚の紙切れを確認した後すぐに警察へ連絡しようとしたが、立地、あるいは天候のせいなのか、スマートフォンは圏外という頼りない文字を映し出しており、連絡が出来なかった。
あんずは嫌な汗をかきながら、冷め始めている料理の前で黒騎士が残したのであろう紙切れを見つめている。
黒騎士の裁きは、執行された。
そして、もう一枚には二階の見取り図。その下の方にまだ文章があった。
「各自、荷物を自分の部屋に置きに行け……か。皆、どうする?」
「どうするも何も……まだ食事を済ませてないだろ」
シュダが机にあるフォークを触る。金属の音がして、皆が視線をシュダに移す。それを見て、るねっとは手で口元を覆った。
「えっ、信じられない。とてもじゃないけど、あれを見てしまったあとでは食べられないわ……。あの、たくみんさん、鍵と紙切れを取りに中に入りましたよね。あれは本当にみさっきーさんの、その、死体だったの?」
「そうだよ。女性はるねっとがまだいなかったから彼女だけだったし、談話室に行ったのも彼女だけだ。俺はそれを見た」
「でも、じゃあ一体誰が……こ、殺したの?」
広い大食堂は静寂に包まれる。
最初に館にいたのは、あんず、イーグル、たくみん、シュダ、あつボン、みさっきーの六人。六人が入ってからるねっとが来るまで、玄関の鍵は施錠されていた。
あんずは現状を確認しながらたくみんに手招きする。
「ちょっと、たくみん。るねっとが来た時、確かに玄関の鍵は閉まってたんだよな?」
「そうだよ。それを解錠して、るねっとを入れたんだ」
「それでそのあと、施錠したと」
「うん、忘れかけてたところをシュダが鍵閉めろって言ったから思い出してね。そこはるねっとも見てたはずだ」
「外の玄関の鍵は誰が持っていたんだ?」
「そりゃ、ずっとみさっきーが持ってたよ。荷物は玄関に置いてあったけれど、ポケットに入れてたように見えた。だから死体の所に落ちてたんだと思う」
「ということは、誰もこの館に入れないわけだ」
「いや、まだ窓がある。どこか開いているのかも」
「しかし、ぱっとみた限り談話室には本棚ばかりで窓はなかったぞ?」
「うーん、西通路側の何処かが開いているのかも……。いやでも、外は雪が強まってるようだったし、こんな所に人がいるとは思えないな。そもそも外から来たら床が雪のせいで濡れるだろうな」
「全く、おかしな話だ……」
「あの、黒騎士が……殺害したんじゃ?」
たくみんが恐る恐る口にした。あんずは目を閉じて腕を組む。
「分からない……。それより、この黒騎士の書き置きだ。従ったほうがいいかもしれん」
たくみんも考え込んで、まるで深夜の学校にいるような沈黙が続いた。
突然、シュダが声を出す。
「ぼ、僕は料理を食べるぞ。ずっと腹が減っていたんだ」
「やめとけよ、シュダ。オイラだって我慢してんねんから。もしかしたら、黒騎士が料理に毒を盛っているかも知れへんやろ」
黒騎士が毒を盛る、という言葉からして、あつボンは少なからずみさっきーを殺害したのは黒騎士かもしれないと心のどこかで思っているのだろう。
あつボンの毒という言葉に全員が押し黙る。突然、たくみんが「あっ」と声を出して喉に手を当てた。
「俺、飲み物飲んじゃったぞ」
「ほらみろ。飲み物にないならきっと大丈夫だ。僕は食べる、皆も食べようよ」
るねっとが両手を口に添えたままシュダを見つめている。普段のまとめ役であるイーグルも困り果ててどうしたらいいのか分からない様子だった。
シュダは皆の心配をよそに、ローストチキンをナイフで大雑把に切り、躊躇なく口へ運んだ。
「だ、大丈夫ですか?」
イーグルが怪訝な表情で質問すると、シュダは首を小刻みに頷かせながら咀嚼し始めた。
考えすぎだったかと一同がほっとしたとき、突然シュダが低い唸り声を発する。
「んっ……んぐぐっ!」
「ど、どうしたんや。大丈夫か?」
あつボンが立ち上がってシュダの元に駆け寄る。
皆が息を飲むのが聞こえる。
そんな中、シュダはむせながらも飲み物を口に運び、片手を前に突き出して手をパーにするとゆっくりと嚥下した。
「ご、ごめんごめん。ちょっと喉に詰まっただけ」
「なんやねん……脅かしやがって。ああ、オイラの寿命が縮まったわ」
「ああ、私の寿命も縮まったかも」るねっとが安堵の溜め息を吐く。「心臓に悪いよ……でも、何事もなくて良かった。食事は大丈夫なのね」
大食堂では、シュダだけが豪華な食事を堪能している。
あんずは、自然と悠長に食事をするシュダを見ていた。ふと、あつボンと視線が交差する。
「オイラも食べようかな……ここに来るまでに疲れたし、こんな美味そうなもん、滅多に食えへんやろ」
「そ、そうだな。少し冷めてしまっているが、食べないともったいない」
一人だけ黙々と食べるシュダのせいか、皆の食欲が再び訪れたようだ。各々が自分に言い訳をつきながら、食事を口に運びだす。
最終的には、一番非難していたるねっとも食事を始め出した。
隣の談話室には死体があるというのに、この奇妙な状況は何だろう、とあんずは不気味に思った。
結局、料理に毒が盛られていることはなく、皆無事に食事を終えることが出来た。
「食事も終えたところだし、とりあえず各自荷物を運ぼう」
あんずは二階の見取り図を確認する。
二階の西側。つまり、大浴場などがある上に位置するのが、客室A、B、C、Dであり、調理室の上にある二階の東側に、客室E、F、スタッフルーム、倉庫、があると記載されている。
全員が賛同し、各々が自分の客室の鍵を手に持つと、荷物が置いてある玄関ホールへ向かう。そして置かれたままの荷物を手にした。
あんずが鍵のキーホルダーを確認していると、真っ先にたくみんが行動した。
「えっと……じゃあ、俺は”客室D”だから西側だ」
「僕は”客室C”だ。隣だな、たくみん」
シュダが大きな体を揺すりながら西側に移動する。イーグルが眼鏡を持ち上げながら同じ方向に動いた。
「あ、僕もこっち側です。部屋は”客室B”です」
「俺もそうだな。”客室A”だ」
あんずが西側に寄ると、必然的にあつボン、るねっとが残る。
「ということは、オイラとるねっとは東側か。オイラが”客室F”だから、るねっとは”客室E”やな」
「はい、そうです。あの、あつボンさん、私……何だか怖いから何かあったら助けてくださいね」
「お、おう。まぁ、オイラに任せろ」
こうして西側の階段をあんず、イーグル、シュダ、たくみんが上り、東側の階段をあつボン、るねっとが上った。
しかし、玄関ホールの上は広いフロアになっており、別れて上ったものの結局二階でまた合流してしまった。シンメトリーにするために左右に階段を設置したのだろうか。
そして二階のフロア、南側にあるものを見て、一同が恐怖の混ざった驚きの声を上げた。
「えっ……!」
そこには、巨大な銅像。
細部まで精緻に造型された黒い騎士の像があった。
それはレッドアトランティスの舞台で頂点に君臨していた黒騎士を模したものだ、とここに集まった全員が一瞬で理解出来るほどに作り込まれていた。
黒騎士の像は大きな剣を二階の床に突き刺す形で直立しており、異質で不気味な雰囲気を纏っている。今にも動き出して、戦闘が始まりそうだった。
西側の四人。東側の二人はお互いに顔を見合わせたものの、何も言葉を交わさず、不気味な像から逃げるようにしてそれぞれの通路へ通じる扉を抜けた。
東側の通路へ消えていくあつボンとるねっとを見送ってから、あんずは西側の扉を抜ける。後ろからイーグル、シュダ、たくみんがパーティーメンバーのようについてきた。
通路に入ると、真っ直ぐ先に進んだ場所に下へ降りる階段が見えた。きっとこの一階にある大浴場や娯楽室のほうへ通じているのだろう。だとすれば、女性用トイレ、死体のあった談話室にも行くことができる。
右側に道があるのでそちらへ行くと、奥まで通路があり、左手の扉に”客室D”と書かれたプレートが貼られていた。その奥に”客室C”が見える。順当に行けばあんずの”客室A”は一番奥ということになる。
たくみんが”客室D”で立ち止まり鍵を出した。
「俺はここだな、お先に失礼」
その後、”客室C”にシュダが入っていき、”客室B”にイーグルが入っていった。
最後になったあんずも通路の奥まで辿り着く。通路に窓はなかった。ポケットから”客室A”の鍵を取り出して鍵を開けると、中へ入る。
客室は思っていたよりも広々としており、古めかしい内装ではあったが、安いビジネスホテルなんかよりもずっと良い印象を与えた。
部屋の奥、西側には窓があったが、内側から鍵が掛かっており、更に鉄格子が嵌められていた。隙間は五センチほどしかない。客室にはトイレも常備されていたので、わざわざ一階東の男性用トイレまで行く必要はなかった。
大きなベッドはしっかり整頓されており、シワの一つもなかった。一体誰が準備をしたのだろう、とあんずは首を傾げる。
「ん……?」
あんずはベッドの脇にあるサイドテーブルに何か紙切れが置いてあることに気付いた。
「まさか……!」
あんずはすぐにその紙を広げる。それは紛うことなき黒騎士の書き置きだった。
「黒騎士から逃れたければ、一階南西にある娯楽室へ向かえ……?」
あんずは書いてある文字をそのまま読み上げ、再び首を傾げる。
「娯楽室……逃れたければ?」
頭をフル回転させ、娯楽室の場所を思い出す。一階西側。階段を降りてすぐだ。
もし娯楽室に行かなかったら、逃れられない。一体何から、逃れられないのだろう。
脳裏に、みさっきーの無残な死体がフラッシュバックする。
次の瞬間には恐怖に駆られ、あんずは紙切れを握りしめたまま通路へ飛び出していた。
念のために震える手で”客室A”の鍵を閉め、そのまますぐに猛ダッシュで娯楽室に向かって走る。
あんずは突き当たりを右へ曲がり、一階西通路へ降りた。その突き当たりには、玄関ホールへ続く扉があるが、こちら側からも板で打ち付けられている。左に繋がる道へ視線を向けると、左手に脱衣所へ向かう扉。右手前には電気室と書かれた部屋に通じる扉があり、その奥に女性用トイレがある。更に奥には、談話室、みさっきーの死体がある部屋へ繋がる扉があった。ぱっと見た様子では、どれも扉は閉まっていた。
その通路から視線を戻し、右側にある娯楽室の扉を開けると、すでにそこには、シュダとたくみんの姿があった。
「なんだ、もう来ていたのか」
あんずが安堵の溜息を吐くと、たくみんが後頭部を掻きながら頭を下げた。
娯楽室にはビリヤード台と卓球台がある。その奥には立派な暖炉があり、炎が勢いよく燃えていた。そしてここにある窓にも、鉄格子が嵌められている。恐らく、全ての窓に施されているのだろう。
「あれ、イーグルと東側の二人が来てないな」
「あつボンとるねっとは仕方ないだろう。俺は”客室D”だから一番近かったけれど、東側”客室E”と”客室F”はこの娯楽室と一番離れている東側だろ」
「確かにたくみんの言う通りだな。それに、像があったところから一階に降りても、扉が板で塞がれているから、像を通り越して俺たちがいた二階西通路から階段で降りないといけないわけか」
「まぁ、それにあつボンとるねっと、二人いるわけだし大丈夫じゃないか? それよりあんず、イーグルは見てないのか?」
「さぁ、知らないな。それより、二人の部屋にも黒騎士の書き置きがあったのか?」
たくみんとシュダはそれぞれ顔を見合わせてポケットから紙切れを取り出した。
「同じか……一体、黒騎士は何を考えているんだか。それに、あの像も不気味だった」
シュダが卓球台の所へ近付いてラケットを取った。
「さぁ……僕にはあんな廃人プレイヤーの考えることなんてわからないよ。さて、僕は卓球部だったんだけど、誰か勝負する?」
「シュダ……お前呑気だな」
「だってクリスマスパーティーだろ?」
「そうだが……まぁいい。イーグルと、東側の二人と合流して、何事もなければやろう」
「おっ、そうこなくちゃ」
「それにしても、この部屋に黒騎士の書き置きはないみたいだな」
「確かにそうだな」シュダが卓球台の辺りを確認する。「うーん、ラケットにも貼られてない。そろそろ黒騎士の登場か?」
それを見たたくみんがビリヤード台に近付いて書き置きがないか探したが、何も見つからなかったようで首を横に振った。
「ビリヤード台にもなし。もう指示は終わりか。どっちにしろ、黒騎士が何処かに隠れているのは確かだな。そう考えれば、黒騎士がみさっきーを殺したに違いない」
場が途端に鎮まり返り、暖炉の火が燃える音が囂しく感じる。
その音に混ざって、廊下から誰かが走る足音がした。扉が勢いよく開かれ、慌ただしく現れたのは、るねっとだった。
「遅かったね」
「あれ、あんずさん……皆さん来てたんですね」
「ああ。あれ、一人なの? あつボンは?」
「え? もう来てるんじゃ?」
「いや、来ていない」
「え……でも私、扉をノックしました。返事がなかったから、先に行ってしまったのかと思って」
「それは本当か? なにやってるんだあつボンは……」
あんずは娯楽室を出ようとしたが、るねっとが静止した。
「あ、あのもしかして玄関ホールの方から行こうとしてしまったのでは? だとしたら、少し待ったら来るかも」
「それでも、心配だ。イーグルもまだ来てないのはおかしい、見に行こう」
あんずがそう言って一同を見渡す。皆硬い表情で頷き、揃って談話室を出た。
すると、脱衣所の扉からイーグルがひょっこりと顔を出した。
「あれ、イーグルなんでそこに?」
「え? 何で皆さん……、僕は黒騎士の書き置きがあって、脱衣所に行けと……」
「脱衣所だって? 俺たちと指定された場所が違ったのか」
首を傾げているイーグルに、あんずは簡単に説明をする。イーグルは足音が聞こえたから顔を出したと説明してくれた。そしてイーグルの持っていた紙切れには確かに脱衣所に行けと書いてあり、るねっとのものは談話室だった。
あつボンがどこに指定されたかわからないので、全員はあつボンを探しに行くことになった。
一階西側の部屋にいたらこの騒動で顔を出すと思われたので、全員は他の場所だろうと考え二階へ上がる。そのまま真っ直ぐ進み、像のある部屋へ出た。そこに存在するのは黒騎士の像だけであり、あつボンの姿は見えない。
イーグルとシュダが、途中二人で階段を降り、玄関ホールと大食堂を見に行ったが、あつボンは見つからなかった。
合流して、仕方なく二階東通路に全員で向かう。
入って奥には一階東通路に繋がる階段がある、どうやら玄関ホールの階段と同じ左右対称になっているようで、西側と造りは同じようだ。左に伸びている通路の右手前は、倉庫と記された扉。その奥にスタッフルーム。更に奥に”客室F”と”客室E”があった。通路には相変わらず窓はない。
「あつボンは、”客室F”だったよな」
たくみんが確認しながら客室の扉をノックした。
しかし、返事はない。たくみんがそのままドアノブを触る。
「鍵が掛かっているな。あいつ、どこ行ったんだ?」
イーグルがスタッフルームのドアノブを捻ったが開かないようで、南側にあるバルコニーに続く扉はるねっとが確認していたが、同様に施錠されているようだった。
「もしかしたら、一階の男性用トイレかもしれん」あんずは自分で発言してすぐに部屋の間取りを思い出した。「あ、いやでも、部屋にもトイレがあったか」
「一応行ってみましょう」
イーグルが賛同したので、また並んで通路を戻って今度は左に行き、階段を降りた。一階東通路に出ることになる。
降りて右手には、倉庫、と書かれた扉と調理室へ行く扉。左手には三つの扉があったが、手前はゴミ捨て場で、間にあるのが男性用トイレ、奥が管理室だった。施錠はされていなかったのでしっかり確認したが、どこにもあつボンはいなかった。
右手側の倉庫と、調理室にも見当たらず、あんずは調理室の更に奥にあるワインセラーの扉を開けて呼びかけたが反応がなく、また人影も見えなかった。仕方なく、一同は玄関ホールへと戻った。
シュダは卓球が出来なくなりそうで不満なのか、溜息を吐く。
「はぁ、なんてこった。もしかしたら遅効性の毒が盛られていたとかで部屋で死んでるんじゃないか?」
「やめてよそんな、ゲームじゃないんだから簡単に死ぬなんて……」
るねっとが頭を抱えた時、玄関の扉がノックされた。
あんずは思わず肩を震わせ、皆の表情を窺う。
「もしかしたら、あつボンさんかも知れない」
イーグルが意を決して玄関の鍵を開ける。
現れたのは、二人の男女だった。




