10.失敗だらけの男
群れで行動する動物の中には、身分階級を作っている種が少なくない。緑の体毛を持つ偶蹄類らしき妖魔達もそうだった。あらゆる面で特出したボスを頂点に、ピラミッド型の社会を作っていたのだ。
その社会は独裁的だったと言える。理由はボスとなった個体が、あまりにも特出し過ぎていたせいだ。戦闘能力はもとより、そのボスは知能でも下手な人間より勝っていた。実際にボスが人間だったとすれば、アミール以上の統率力や判断力を発揮しただろう。
他の固体よりも体が大きな、ボス次席だった妖魔が狼狽えている。ボスが倒れてしまった今、ボスはその個体なのだが、仲間を上手く統率できていない。
それは仕方がないのだろう。今回のボス交代は、力をつけた個体がボスを追い落としたわけではないからだ。現在のボスは、ハルに倒された固体よりもあらゆる面で劣っており、心構えも出来ていなかった。何よりも、その個体は最頂点に立つ器を持っていない。
その程度でしかない個体が、自分も混乱する中で、パニックとなった仲間を統率する事など不可能だろう。それでも自分が仲間を守らねばと考えた現在のボスは、仲間達に幾度も陣形を立てなおせと、低く大きな声で指示を発している。
(精が尽きる前に! なんとか! なんとかあぁぁ……なれって! この野郎!)
先代のボスより小さな現ボスの声が、爆音にかき消されていく。地雷を地中で走らせ、爆発する球体を飛ばすハルは、一切の手加減をしていない。外部から取り込んだ精が尽きかけており、手加減などする余裕が全くないのだ。
(うおわあああぁぁ! あっぶねぇ……らああぁぁ!)
粉塵から出た瞬間に自分へ向かってきた角を回避したハルは、地面を転がりながら右手から球体を射出する。更に、起き上がる勢いを利用して、誘導の術を付加したナイフを全力で投げた。
(ちくしょう! こっちくんなっ!)
今ハルの周囲を走り回っている妖魔達は、結界内にいる妖魔達よりも確実に強い。ボスを倒したからといって気を抜けば、ハルは瞬く間に命を失うだろう。怪我の影響や体力を低下させつつも、ハルが全く休まずに戦っているからこそ、敵が混乱から脱していないだけだ。少しでも妖魔達に回復の余地を与えれば、戦況は逆転するかもしれない。
その事を本能的に理解しているらしい現ボスは、粉塵に視界がふさがれようとも、仲間達へ指示を出し続けた。それがどういった結果をもたらすかを、考えられなかったのかもしれない。
(そこだあああぁぁぁ!)
視界がふさがれている中で、大きな声を出せば相手に位置を教えているような物だ。その上、仲間に聞き取ってもらう為、大きく顎を上げた体勢で空に向かって吠えており、弱点である喉ががら空きだ。粉塵に紛れて駆け寄ったハルに反応も出来ず、群の最後のボスとなった個体が崩れ落ちる。
(次ぃぃぃ!)
喉を裂かれて舌を口外へだらりとたらした個体が、薄れゆく意識の中で再び粉塵内へと消えていくハルの背中を見つめていた。その徐々に呼吸を弱めていく個体は、致命的な判断ミスをした為に生き延びる機会を失ったのだ。
日頃は知恵と理性で行動していたにも関わらず、混乱していたその個体は、ハルが弱っているという本能の知らせに従った。先代ボスの仇を討ちたいとも、思っていたのかもしれない。それこそが、判断ミスだ。
その個体は、出来るだけ多くの仲間を連れて逃げるべきだったのだろう。そうすれば復讐の機会が出来たかもしれないし、最低限群れは全滅しなかった。本能に従って策も勝算もなく、特出していたボスを倒した人間に戦いを挑むのは、間違いだったとしか言いようがない。
視界をふさいでいた粉塵が少なくなり、爆発の術で吹き飛ぶ仲間の姿が、その個体の最後に見た物となる。
(死んでたまるか!)
妖魔の数が残り三匹になった所で、ハルの外部から取り込んでいた精が尽きた。それでも彼は、諦めない。まだ効力が残っている強化の術で妖魔の頭上に跳び上がり、その首に抱き着く。
(こんにゃろおおおぉぉ!)
前足を手としては使えない偶蹄類型の敵は、抱き着いてきたハルを振り落とそうと跳ねるように暴れまわった。周囲にまだ二匹の敵が残っていると認識できていたハルは、無我夢中でしがみ付く。そこは彼に残された唯一の安全地帯であり、下手に振り落とされれば殺されるかもしれないからだ。
(やめっ! この! 暴れんなぁ……あ……)
回復の術が切れており、強化の術で肉体が弱っていたハルの限界は、彼が想像していた数倍の早さで訪れた。しがみ付いていた妖魔が勢いをつけて上半身ごと顎を跳ね上げ、その勢いに負けたハルの体が宙へと浮く。
(こなくそっ!)
手が離れた瞬間に、ハルは左手から自在に動くワイヤーを飛ばす。そのワイヤーは、ハルを振りほどいた妖魔の首に絡みつく。妖魔がハルを跳ね除けた勢いは、力が一点に集中する。
(へぶっ! くっ……そ……)
口から泡を吹いた個体が倒れるのと同時に、ワイヤーで繋がっているハルも地面に叩きつけられた。それを見た他二匹の妖魔は、ハルに角を向けて突進する。
(ぎゃああああ! こっちくんなあああぁぁぁぁ! うおっ……といやっ!)
強化の術はすでに切れているが、感覚増強の術は持続時間が長く、それがハルを救う。地面を転がったハルは、角を回避して再び妖魔の首にしがみ付く。まだ頭の線がつながっていないハルは、スリルなど楽しみたいとは考えていないようだが、ほぼ無意識に危ない策を選んでしまうらしい。
ハルのあり得ないとしかいえない戦闘方法を見ていたアミールは、訳を聞きたげに長老へと顔を向ける。敵の首に再度抱き着いたハルには、自分が思いつかない何かが分かっているのではないかと、深読みしてしまったのだ。
目を細めて息を吐いた長老は、孫であるアミールに自分の思った事をそのまま伝える。
「あの馬鹿が……残念なのはねぇ……。致命的に馬鹿なところなんだよ……」
(ふぎゃああああああ!)
眉間に深いしわを作り、唇を噛んだアミールが、再び戦いの場へと視線を戻す。そこには、弾き飛ばされて地面を転がっていくハルの情けない姿があった。
「あれを……軽んじるのはよくないけどねぇ、過大評価もしない方がいいとあたしゃ思ってるよ。はぁ……」
(諦めろよ! こんにゃろうがああぁぁぁ!)
今までとは違う方向から、平原に風が吹く。その風は少しだけ湿り気を帯びており、戦いで熱された地面を冷やしていた。
(はぁ……はぁ……はぁ……)
仮面をつけたまま地面に直接座っているハルの姿は、かなり痛々しい。切られても再生するチュニックや、術の膜に守られた仮面と違い、それ以外の服等はずたずたに引き裂けているからだ。
引き裂けた箇所にはもれなく血の跡があり、怪我はすでに回復しているが、血が苦手な者は見るのも不快な姿になっている。臀部の傷は下着まで引き裂いており、別の意味で今のハルから目を逸らす者もいるだろう。
(はぁぁぁぁ……いや……もう……勘弁してください)
戦闘が終了して十五分ほど、ハルは座ったまま動かない。回復を待っているのではなく、戦闘中の恐怖を思い出し、動けないでいるのだ。ボスの事を思い出したハルは、膝どころか全身が震えている。
(ふぅぅ……ああ、そうだ。金が手に入るんだ。そうだ……。帰ろう……安全な場所へ……)
利益の事を思い出す事でなんとか立ち上がったハルは、ふらふらと長老達の居る方向へと歩き出す。泣き止めない婚約者を抱きしめているアミールは、そのハルを複雑な表情で見つめている。
アミールはかなりプライドが高く、若さのせいもあってか多少傲慢な部分も持ち合わせていた。
だが、山の集落で育った為、根は素直だ。その為、ハルへの感謝や謝罪をどうするべきかと悩んでいる。彼を悩ませている原因は、勿論ハルのふざけていると思える行動だ。ハルはハルなりに真面目なのだが、それはアミールが理解できる類の物ではない。
「アミール?」
「すまないな……。恩人に礼を……。大事なお前の分もあるからな」
かなり悩んだアミールだが、婚約者から腕をほどき、頭を撫でる。彼は長老の孫娘に性格が近いのかもしれない。礼儀をどうしても欠きたくないようだ。
そのアミールの性格を分かっている婚約者は、まだ止まらない涙を何度も袖で拭いながら、頷いて見せる。婚約者もハルには感謝しているのだろう。
(お金ぇぇ……。お金だけが俺を癒してくれるぅ……。ババァ……。ちがっ! お前じゃねぇ!)
傭兵や遊牧民の治療をしている長老に、ハルはふらふらと近づいた。ハルが伸ばした手は、進路をふさいだアミールの胸にぶつかる。
「今回の事……本当に言葉では言い表せないほど感謝している。本当にありがとう。助かった。それから……昨日の俺の態度だが……その……」
(うっさい! 邪魔すんな!)
勝利したにもかかわらず、微塵も心にゆとりのないハルは、顔をしかめてグローブから光の文字を出現させた。
『そういうのいらないんで、商売の邪魔しないで下さい』
文字を読んだアミールは固まる。文字を幾度か読み直したようだが、脳がそれを理解しようとしない。その為、怒れてすらいないのだ。礼を尽くせば相応の礼が返ってくると、ハルに対して考えるのが間違いなのだろう。
(もう! どけよ! 綺麗なねえちゃんと抱き合ってるし……こいつ嫌い)
立ち尽くしたアミールを避けたハルは、長老の隣にしゃがんで、光の文字を出す。
『取引は……里に帰ってからでいいのか?』
鼻から息を吐いた長老は、傭兵の腕に包帯を巻き終えると、脇に置いていた布袋をハルに差し出した。
「お前はまったく……。口を開けば金、金、金と……。ほれ、持って行きな」
ハルが精神力を回復させている間に、長老は遊牧民達との交渉を終えていたようだ。布袋の中には、アミールの結納金として渡してあった絹や貴金属が入っている。
(うおおお! ラッキー! これでもう山登りしなくていいじゃん! さっすがくそババァ! 話が分かるねぇ!)
仮面の下でだらしのない笑顔になったハルは、魔方陣内から背嚢を取り出し、集落で売るつもりだった干物等を長老に渡す。
「ああ……。なるほど」
金に目がくらんだハルは、自分を見つめていた人物に気が付けない。
(えっ? ああ?)
片足を引き摺ったマムが、長老から距離を置いて絹等を背嚢につめ直し始めたハルに近付く。
(うおっ! ちけぇよ! なんだよ! あ……柔らかい……)
ハルの隣に座り、体を密着させたマムは、囁きかける。その彼女の言葉で、ハルの緩んだ顔が一気に青ざめた。
「ふふっ……ハル坊。ご苦労だったねぇ」
両手をぷるぷると震わせながら、ハルは光の文字を出そうとしたが、言葉が上手く出てこない。空中には、ミミズがのたくったような、訳の分からない線が幾本も走る。
ハルは知らない事だが、マムに向かって税率の交渉を行った人間は、異邦人を含めても数えるほどしかいない。その事を忘れていなかったマムに、いつも使っている背嚢を見せたのは失敗だったのだろう。
「心配しなさんなっ。誰にも言いやしないよ。ただ……今度からうちの依頼も受けておくれな。ね? ああ、生地は明後日にでも酒場に持ってきな。金を用意しておくよ」
完全に固まってしまったハルの背中を、マムは勢いよく叩く。背中に真っ赤なもみじが出来たハルは、もだえ苦しみながら涙目でマムを見上げた。
「はい。交渉成立」
(強制だこれ! え? せめて返事とか聞こうと思わないの?)
にこやかに笑ったマムは、自分を見つめるハルの前から離れていく。馴れ馴れしくし過ぎては、ハルの正体が他の者にばれると気を遣っての事らしい。
(なんで? なんで危険が増えていくの? 俺が何かした? マジでやってらんねぇ……)
背中の痛みが引いたハルは、背嚢を魔方陣の中へと収納し、力なく立ち上がる。その肩は、分かり易く下がっていた。
(帰りの馬とかの手配まで手伝おうかと思ってたけど……。もう知らん……帰ろう。安全な自分の部屋で眠ろう。もう……お外怖い……)
『では、皆々様。毎度ありがとうございました。またのご利用を、お待ちしております』
最悪は回避できたとなんとか自分を納得させたハルは、別れとなる光の文字を残して走り出した。
「あ……しまった。ケツ丸出しなのを、教えてやるのを忘れちまったよ……。まあ、いいか。ふふっ」
マムやアミール達よりも先にルーベへ帰還したハルを見た女性が、大きな声で叫ぶ。勿論、その悲鳴は怪我を心配した物ではない。
(ちくしょう! 仮面かぶったままでよかっ……よくない! くそっ!)
三日後、聖都の新聞にはでかでかと変態再びの文字が載った。
「へ……へへ……。燃え尽きちまえ……」
聖都の通りを一人で歩いているハルは、新聞を破ってから燃やす。その歪んだ笑顔のハルに、人々は道を譲った。不審者にしか見えないからだ。
「はぁぁぁぁ……。何がいけなかったんだろう……」
背嚢に食料や雑貨品を積め、メル達の施設へと向かうハルの顔色は晴れない。嬉しくない仕事の窓口が、二つも増えてしまったからだ。
前日、生地を持って酒場へ行ったハルは、マムの寝室に軟禁されて色々な事を質問された。それをハルは精一杯はぐらかしたが、今後危ない仕事は受けないという点の了承はもらえなかったのだ。
更にその帰り道で、ハルの前に鳥の形をした術が降り立つ。その術で長老がハルに伝えた事は、山の民の仕事も受けろという事だ。
(くっそ! 皆して……ばらす、ばらすって……。虐めか! くそ!)
「お兄ちゃん? どうしたの?」
休憩所の個室で子供達が持ってきた精結晶を鑑定し終えたハルは、顔をしかめたままだった。それを心配した子供達は、ハルの顔を覗き込む。
(近い! 近い! 近い! お前らの距離感は、どうなってんだよ!)
子供達に相談をしようと考えないハルは、背嚢から商品を取り出して並べていく。
「なんでもない。並べるから、そこ退け」
ほとんどの子供達は首を傾げるが、年長の少年だけはにやにやと笑いながら、ハルの隣に座った。
「へへっ、兄ちゃん。俺は分かってるぜ。メインの仕事がなくなったんだろ? いい話があるんだ」
「はぁ? メインもくそも、俺は商人だって言ってるだろうが」
ハルは分かり易く不快な表情を浮かべたが、少年は笑顔を崩そうとしない。
「だから、もういいってそれは……。で、実は、農場で変な事があってな。困っている人がいるんだよ。兄ちゃんの出番だろ?」
(違うわ! 馬鹿か! このくそガキ! てか、人の話聞けよ!)
「危ない仕事は嫌だっていてるだろうが! 後、料金を払ってくれない奴は、客じゃないの!」
反射的に少年の頭を叩いたハルだが、適切な加減をしている為か、少年は話を止めようとしなかった。
「ってぇなぁ。たまには素直になれって。な? で、だ。体がだるくて動けなくなる人が増えてんだけどさぁ……」
(助けて下さい……。誰も拒否権をくれません……。もう嫌だ……)
休憩所で背嚢の中身を軽くしたハルは、町の広場で偉人の像を見上げる。元気があると言える顔はしていないが、動いていないと落ち着かないらしい。
(やっぱこれが、結界の要だよなぁ。術式は像の中? いや、あの柱か? てか、この微弱な流れでよく維持できんなぁ……)
「ハルさん!」
像をぺたぺたと触りまわしていたハルに、通り掛かったアルバートが声をかける。そのアルバートは、満面の笑みを浮かべていた。
「んあ? ああ、こりゃどうも」
「いやぁ、よかったです。これから貴方の部屋に伺おうと思っていたんですよ」
首を傾げたハルに、アルバートは昼を済ませたかと問いかける。そして、済んでいないのならおごるのでと、行きつけらしい店へと案内を始めた。
(え? 何? いきなり?)
「こっちですよ。私もお昼まだなんですよ。早く行きましょう」
アルバートの笑みを不審に思いながらも、ただという言葉に負けたハルは、彼の後付いて行く。ハルの危険回避能力は、働く時と働かない時があるのだろう。
赤く塗装された柱と緑の瓦で周囲から浮いている、中華風の大きな建物の前で、アルバートは振り返った。どうやら、その飲食店がアルバートの行きつけらしい。
「ここです。ここ。さあ、入りましょう」
「え? あ……はぁ……どうも……」
女性用のチャイナドレスを着た店員に案内され、ハルとアルバートは二階にあるビップ席に通された。
「では、後ほどご注文を伺いに来ますね」
(スリット! 頑張れスリット! もうちょっとで……もうちょっとで見え……。あ……行っちゃった……ん?)
そこがビップ席なのだと、ハルは女性店員が居なくなってから気が付いたらしい。豪華で派手な装飾がされた室内や真っ赤な丸いテーブルを、ハルは落ち着かない様子で見回した。育った環境のせいで、ハルはあまり高級感の漂う場所に慣れていない。
(あれは……ドラゴンじゃなくて、龍って奴か? 窓枠もやったら細かく装飾されてんなぁ。なんか……赤や金色の物体が多い……目が痛い)
「なんにしますか? あ、遠慮はしないでくださいね。ここなら、私はつけもききますから」
「はぁ……いつも、来てるんですか……」
アルバートからメニューを受け取ったハルは、目を細める。メニューの文字自体は、漢字等ではなく読めるようだが、金額の部分に視線が行っているようだ。
(たっかっ! ここの常連? 馬鹿じゃないのか? これなんて一つで、俺なら三日は食いつなげるぞ?)
「あ、これなんておいしいですよ。多少香りに癖はありますが、肉がとろけるように柔らかいんですよ……」
上機嫌なアルバートは、何処か得意げにハルへメニューの説明をしていく。それをハルは、当然のように聞き流す。
(どうしよう……帰りたい……。こんないい物食べたら、ほぼ間違いなく腹壊す……。いや! 待て待て待て! 俺の金じゃないんだ! 食えるだけ食おう! うん! そうだ! 出来るだけ高い物を……はうあ!)
ハルは目を見開いた。注文を取りに来た女性店員の胸元に、かなり下まで切れ込みが入っていたからだ。
(ここ……最高の店じゃないか! あ、なんかいいにほい……。もうちょっとで見え……ぬう! 黒……)
「ハルさん? ハルさん? 注文……待ってますけど?」
どす黒い欲求に飲み込まれて目を充血させたハルに、アルバートが声をかける。
「え? あ……はい? あ! すみません。えと……これと、これと、これと、これを!」
「はい」
ハルは気付いていないようだが、注文を受けて返事をした女性店員は、笑顔が引きつっていた。アルバートの顔からも、笑顔が消えている。ハルが女性といい仲になるには、まだ課題が多いようだ。
女性店員が足早に立ち去って数分後、今度は男性店員が料理を運んでくる。その理由をハルが理解できたかは、言うまでもないだろう。
(うおっ! なんかすげぇ……)
「では……いただきます」
回転するテーブルに並べられた料理に圧倒されていたハルよりも先に、アルバートが箸を伸ばす。それを見たハルも、木製のフォークをスープに浮いた餃子へと進ませた。
(やっべ……。味がよくわかんねぇ……。これは、美味いのか? まあ、あの値段で美味くないなら詐欺だよな……)
ハルがいくつかの料理を飲み込んだのを見て、アルバートが薄く笑う。悪意はないようだが、アルバートも交渉の円滑な進め方は理解しているのだろう。
「ハルさん? 食べながらでいいので、聞いて下さいね。実はお願いしたい事がありまして……」
(なんですと?)
煩悩で緩んでいたハルの頭が、そこでやっと正常に回り始めた。食事に手を付けた後では、アルバートの依頼を無碍には断れないと理解したのだ。
「ハルさんも今度この町に、大きな病院が出来るのは知っていますよね? 噂になってますし。で、そこの運営に手を貸していただけませんか?」
(やべぇ! はめられた……。てか、忘れてた……)
元気をなくしながらももったいないと食事を続けたハルは、アルバートからの要求に首を縦にしか振れなかった。ハルの持つ偏った不運は、彼の意思と関係なく、事件の渦中へと主人を誘って行く。




