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破顔の術式  作者: 慎之介
二章:罪人で、変態で、商人で、希望
23/29

9.吹っ飛ぶもの

 草の絨毯が敷き詰められている平原に、爆発音が轟いた。それから間髪いれずに、風を震わせる重低音が広がる。少し離れた位置から全体を見渡していた妖魔のボスが、低く大きな声で仲間に警戒の指示を出したのだ。

 指示を受けた妖魔達は、移動式住居に向けて狭めていた円を広げ、隠れていた敵との距離を調整して身構える。その動きは、もはや草食動物のそれではない。狼のような群れで狩りをする肉食動物に近い動きだ。その妖魔達が長い間狩られる側ではなく、狩る側だったという事を示しているのだろう。


(はぁぁ……。俺の馬鹿……)

 匍匐の状態から腕だけを伸ばしていたハルは、敵から目を逸らさずにゆっくりと立ち上がる。立ち上がりきったところで、ハルの脳内にぶちりと何かが切れる音が響き、震えが止まった。どうやら、彼の感情が臨界点を超えてしまったようだ。

(へ……へへへ……。もう分かった。やってやるよ! だって、逃げられると思えないからね!)

 ハルが心の中で叫んだ言葉は、正確ではない。限界を超えた強化の術が使える彼一人だけなら、逃げられるだろう。

 だが、彼はそれをどうしても選びたくなかったらしい。ハルが逃がしたい相手は、己自身ではないからだ。もうすでに思考が狂い始めている彼は、自分自身を騙し、前に進むための嘘をつく。本人がその一連の流れを自分で認識出来ているかは、定かではない。


 妖魔達は、立ち上がって埃を払う隙だらけになったハルの様子を、身構えたまま伺っていた。知能がかなり高いらしい妖魔達は、仲間を一撃で戦闘不能にした相手を見くびっていないようだ。相手の能力も分かっていないのに、いきなり飛び掛かかるのが愚かだと考えているのだろう。

 長老に角を突き立てようとしていた個体は、爆発の力が左側面に直撃しており、首から胸部にかけて深い傷を負った。致命傷を受けて虫の息で横たわったその個体の命が尽きるのは、もはや時間の問題だろう。

 妖魔達は、仲間意識がかなり強いらしい。強い精を持っていたせいで楽に逝けなかった仲間の足や背中に噛みつき、長老達から離していく。そして、深すぎると言える傷を癒そうとして懸命に舐める。瀕死の仲間を見て、ハルに角を向けて前足で地面をかき、怒りを表現している固体もいた。


 現場にいる人間達は、その妖魔達に同情などしない。相手は強い力を持った捕食者であり、そのような悠長な考えに囚われれば、自分が死んでしまうからだ。何よりも同じ人間の命を奪ってきた相手を、好意的に見られる者などそうはいないだろう。

(なるほどねぇ……。あのでっかいのがボスか? 不用意に動くなとでも言ったのか? 頭がいいんだろうなぁ……)

 敵の全体を見渡しながら、ハルはゆっくりと長老達に向かって歩き出した。歩いている最中に、ハルは肩を回して手を左右にぷらぷらとふり、体の準備を進める。

(やっぱりか……。なら……連携攻撃もあるな。厄介とかってレベルじゃねぇな)

 考えなしとしか思えないハルの行動に、妖魔達は一定の距離を維持し続けた。敢えて隙を見せた獲物に跳びつかないのは、妖魔達が本能ではなく知性で動いているからだろう。

(はいはい、ちょっと通りますよっと……)

 ハルは場違いなほど呑気に歩き、ついに長老達の前にまでたどり着く。妖魔達は長老の秘術への警戒も怠っておらず、円を内と外から崩されないかと危惧していた。それがハルの行動で不要になるのだから、邪魔などしない。

 妖魔達は何も理解していない。今から相手にしようとしている敵は、思考が狂っている。その者が選ぶのはローリスク、ローリターンでも、ローリスク、ハイリターンでもない。ハイリスク、ハイリターンのみなのだ。

 妖魔達の作っている円は、内側へ集中攻撃が出来き、隣の仲間をフォローし合える為、中からは崩し難い。ただ、円に厚みがない為、一ケ所でも切り崩されてしまえば状況ががらりと変わる。出来た穴に入り込まれれば陣形の意味がほぼなくなり、最大の攻撃力を発揮する円の中心へ敵を戻し辛い。

 また、被害を少なくする為に広がってしまっている点も、弱点になり得る。別陣形への組み直しが難しく、纏まっての逃走が容易ではない。敵が強かった場合にそれぞれで別に逃げてしまえば、確固撃破の対象になるだろう。

(普通の鹿なら仲間を犠牲に逃げるけど、こいつ等逃げてくれそうにないな。まあ、ならとことんやるだけだ。こっちの覚悟はもう出来てる。さぁぁって……)


「なんだい……。来ちまったのかい」

 突き飛ばされた際に痛めたらしい腰をさする長老の前に、ハルは片膝をつく。言葉を封じている彼は、右手のグローブから光の文字を空中に浮き上がらせる。

『仕事を中断したから、仕入れた干物……全部買え。いつもの一割増しで』

「おまっ! お前!」

 文字を読み、アミールは顔をゆでだこのように真っ赤にした。そのアミールを、無言の長老が片手で制する。そして、息を吐きながら首を左右に振った。

「まったく……お前は、金の事しか考えないんだねぇ。分かったよ。だが、五パーセントだ。いいね!」

(こっ! この状況で値切りやがった! まあ……いっか)

 アミールと違い、ハルの文字が意図している事を全て理解した長老は、商談成立の文字も見ずに顔を伏せる。その伏せられた顔には、泣き出しそうな笑みが浮かぶ。

(さてさて、次は……)

「はっ? え? な……なん……」

 妖魔達の警戒を怠らずに、ハルはマムの前へと移動して再び片膝をつく。彼はマムに向かっても、交渉を行う。

『私を雇ってみませんか? 直接のお支払じゃなくても、物でのお支払いや、納税の率を下げてくれるという方法も受け付けてますよ。どうでしょうか?』

 口をぽかんと開けたマムは、すぐに返事が出来ない。マムのその反応は当然だろう。ハルのそのタイミングでの交渉は、不適切もいい所だ。

『駄目ですか? じゃあ、私の商品を買っていただけませんか? 実は山の集落から、絹や刺繍布を大量に仕入れていましてね。通常の一割増しで、全部引き取ってもらえませんか? 売り捌く手間が面倒なんですよ』

 瞬きを増やし、光の文字から妖魔達へと視線を移したマムは、変態と噂される人物の頭が本当におかしいのではないかと考える。

『ああ、勿論成功報酬で結構です。如何でしょう?』

 ハルが小首を傾げた所で、マムは聖都の噂を思い出す。相応の料金は必要だが、困難な依頼を受けてくれる人物の事だ。

「なるほど……そういう事かい。ブロウの爺さんは、金額を曖昧にしか提示しなかったねぇ。いいだろう。その生地はあたしが責任を持って引き取ろう」

 指名手配されている者は大ぴらに動けないのだろうと、状況をやっと理解できたらしいマムは、笑顔を作って大きく頷いた。

(おお? 何か分からんが、譲歩しなくてよくなった? うん。まあ、いいや。儲かるなら……戦える!)

「あんた……いったい何者だい?」

 頷き返すハルを見て、マムはほぼ反射的に問いかける。

『ただの商人ですよ。取り扱う商品は色々ですけどね。絹に雑貨に食料に……たまに人の命なんてのもありますが』


 妖魔達がにじり寄り始めたのを察知し、ハルは立ち上がってマムや長老達に背を向けた。それと同時に、あからさまだった隙が消える。

「なんだ……こいつ……雰囲気が」

 その場の人間の中で、ハルの変化に婚約者を助け起こそうとしていたアミールが、逸早く気が付く。ハルが先に交渉を行ったのは、敵を舐めているからではない。相手の隙を無理矢理作る為に、敢えて行っていたのだ。

(さあ、もう十分焦らした。いくらお前達でも、これだけ構え続ければ……ほら隙だらけだ!)

 ハルの観察に徹し、構えが緩んでいた妖魔達は、相手が立ち上がったのを見て気持ちを引き締め直そうとした。

 だが、緊張状態を続けていたせいで、その動きには精彩がない。妖魔達が角を自分へ向けきるのよりも早く、ハルは地面を蹴った。それと連動して、事前に仕込んであった体の魔方陣が発動する。

「なっ! あいつ……」

 一匹の妖魔目掛けて、ハルは最短距離を駆け抜けた。それに驚いたのはアミール達人間だけではない。ハルが真っ向から奇襲を仕掛けてくるなどと考えもしていなかった妖魔達は、反応が遅れる。

(そこだ!)

 角の射程に入る手前で、ハルはナイフと真っ赤な球体を敵へと向かわせた。二匹の妖魔は、それを回避する事が出来ない。ハルが予想以上の速度で迫った事もあるが、彼等の目は草食獣と同じで広範囲が見える代わりに、肉食獣のような立体視が出来ない。その為、距離をつかみ損ねたのだ。

 顔面に爆発を受けた固体は後方へと吹き飛び、ナイフが喉に刺さった個体はよろけて前のめりに倒れ込む。

(おっらあああああぁぁぁぁ!)

 足を止めないハルは、円の外へ向かって走り続け、二匹が抜けた穴へと飛び込んだ。そこに到着してしまえば少し体を傾けるだけで、妖魔達の側面が丸見えになっている。余裕など微塵もないハルは、勢いに任せて爆発する球体を乱射した。

(甘いんだよ!)

 側面から迫ってくる球体に、妖魔達は反応する。視界がほぼ三百六十度あるある彼等にとって、側面は死角ではないのだ。

 だが、引き付けてから避ける癖が仇となる。ハルは球体に誘導の術式を組み込んでおり、多少体をずらした程度では避けきれない様にしてあるのだ。半分ほどの球体が、妖魔の腹部に直撃する。

 妖魔達は、最初に仲間がやられた場面を、もっとよく分析するべきだったのだろう。かなり離れた位置から、アミールの婚約者に怪我をさせないように術を着弾させるには、誘導でもしていなければ不可能だ。

(うおっ? くそ! 判断が早い!)

 一度に五匹もの仲間が致命傷を負わされたところで、再び低い重点音が地面を揺さぶった。ボスからの指示を受けて、妖魔達は大きな円を崩し、ハルを取り囲む小さな円を作る。

 追撃に走り出そうとしていたハルは、足を止めた。妖魔達の足が想像よりも速く、円の中心へと追い込まれてしまったからだ。その足を止めたハルに、妖魔達は鈍く光る角を向ける。

(この反応速度は……。くそ……陣形変更に慣れてやがったか。足の速さも予想外だ。ボスは陣形の弱点も十分承知してるってことね……)

 ハルは生き残る為に、策を巡らせた。敵の情報が不足しており、その点を補う為に有無もいわせない奇襲を選んだ。先制攻撃に点をつけるとすれば、百点といっていいだろう。

 だからと言って、全てが上手くいくはずもない。敵の情報が完璧ではないのだから、策に穴があるのは当然だ。敵の運動能力とボスの統率力は、ハルが予想していた以上だったらしい。それにより、ハルの勝率が落ちていく。

(ひ……ひへへへっ……)

 仮面の下で、ハルは歪んだ笑みを浮かべていた。元々低い勝率が多少下がったぐらいで、今のハルは心が乱れないのだろう。体勢を低く構え、全方位へと意識を広げる。

(どっからでも来いよ……)

 グローブから出現させた複数の魔方陣が、地球の周りを回る月のように、ハルの周囲を回転し始めた。それを見た妖魔達は体勢を高くし、重心を後ろに下げる。纏っている精で術をかき消す力を持っていないその妖魔達は、ハルからの攻撃に反応する為、何時でも避けられるようにと考えたようだ。

(なんだよ……。お前らの方が強いのに、びびんなよ……。来いよ)

 その手下達をよしとしないボスは、再び低い声で指示を出す。その内容は、敵の攻撃を恐れずに波状攻撃をかけろだった。

 群の中で、ボスの命令は絶対だ。ハルを囲んでいた七匹の中で、一番体格の大きな個体が地面を蹴る。その個体は角を地面と水平にし、真っ直ぐハルを貫こうとした。風を切り裂くほど速い妖魔とハルの距離は短く、普通の者であれば全く反応できないだろう。

 しかし、感覚と筋力を限界以上に引き上げているハルならば、寸前でではあるが回避行動に移れる。

(くっそ! はえええぇぇ!)

 ハルは敵の攻撃範囲内から、体を右方向へずらす。それは本当に、ぎりぎりだった。敵の背にある長い体毛が、ハルの体を掠めていく。他の妖魔と距離を縮めればそちらから攻撃が来る為、最少の動きで躱せたのは運がいいと言えるかもしれない。

 だが、敵は人間とは別次元の反射神経と広い視界を持つ、妖魔だ。ハルの左腕が、自分の頭上に残っている事を妖魔は見逃さない。角をハルの腕に向かわせる為に、妖魔は顎を大きく上げる。それは角を突き刺した獲物に止めを刺す為、妖魔達が日頃から使う技であり、動きに慣れているらしく全く淀みがない。

(ぐがあぁっ!)

 ハルが右手から赤い球体を出すよりも早く、妖魔の角が左腕に深い傷をつけた。突き刺しではなく振り上げだった為、深くは切られたが骨にまで達していない。ただ、しばらく左腕は使えないだろう。

(こっのぉぉ!)

 腕を引っ掛けられ、体を浮かされたハルだが、自分の体が回転を始める前に妖魔の首目掛けて球体を放つ。その球体は見事に着弾し、敵の命を奪う。走りながら絶命した敵は、そのまましばらく走り、やがて崩れ落ちる。


「ああっ!」

 汗ばんだ手を握りしめていたアミールは、ハルの置かれた状況に声を出してしまった。敵を倒す為の爆発は、ハルにも影響を与えている。空中にいたハルは、障壁と服のおかげでダメージはないようだが、円の端まで飛ばされてしまった。そこは、まだ倒していない妖魔の目の前だ。

(この距離。避けられない。なら! 避けねぇ!)

 目の前に転がったハルに角を突き出そうとした妖魔が、粉塵と共に空中へと舞い上がった。

(よっし! 結果オーライ!)

 ハルが新しく開発していた術は、一つではない。今使ったのは、その新開発していた地雷と呼べる術だ。地面や壁の中で魔方陣を眠られ、任意のタイミングで起爆する様に作っている。長老の使った精の流れがある術と違い、眠らせている間は敵に感知されない。

 その感知されない部分は、精が無駄に消費されないようにと考えただけで、ハルも意図して作った訳ではない。それでも、予想以上に使える術になったと、ハルは口角を上げる。

 空中に吹き飛ばされた妖魔が、どさりと大きな音を立てて地面に落下した。死んではいないようだが、戦闘続行は不可能だろう。


(行け! 巻き込んじまえ!)

 自分の周りで回転させていた地雷の魔方陣を、ハルは全て地面の中に潜らせ、敵の居る方向へと進ませた。物理的な本当の地雷とは違い、その地雷と似た効果のある術は、移動も可能なのだ。

「え? え? どうなったんだい?」

 五発地雷が爆発し、ハルの周囲は粉塵で視界がふさがれた。ハルの勝利を必死に祈っていたマムや傭兵達は、状況が分からずお互いの顔を見合わせている。

「なるほどねぇ……。馬鹿も馬鹿なりに、色々やるもんだ」

 精の流れによってある程度までは状況が読み解ける長老は、大きく息を吐き出す。

(おら! これで! どうだ!)

 三匹目の仲間が空中へと弾き飛ばされたところで、妖魔達は粉塵内を危険と判断した。粉塵内から出た無傷の妖魔達は仲間に合図を送り、七匹で円を作り直している。

 粉塵がおさまるのを待っていた妖魔達は、粉塵内からハルが目の前に跳び出してきた為、急いで角を突き出す。

 しかし、その角は空を切る。ハルの作った分身体は、精による攻撃でなければ消す事が出来ないのだ。

 妖魔達は訳が分かっていないようで、首を激しく左右に振っている。爆音で妖魔の優れた聴覚を潰していた事が、功を奏したようだ。まだ粉塵内にいるハル本体を、敵は察知できていない。

(さあ! 行くぞ!)

 左腕の回復を待つ為に、立ち止まっていたハルは、血が止まった所で右腕から複数の魔方陣を出現させた。その魔方陣は分身体となり、それぞれが別の方向へ向けて走り出す。

 粉塵内から走り出てきた分身達を、恐れる必要はないと考えた妖魔達は、角を向かわせた。それすらも、ハルの計算内だと気が付けない。


「何が起きているんだ? 敵が……あの怪物達が……吹き飛んでいく……」

 ハルが何を行っているかは、よほど精の流れを読むのに長けた者でなければ、分からないだろう。術士でもない傭兵が、察する事など出来ない。

 ハル本体はまだ粉塵内で回復を待っており、分身体だけが跳び出してきている。

 妖魔達は次々に吹き飛ぶ仲間を見て、粉塵から徐々に距離を置いていった。跳び出しくる分身体達を見極めようと躍起になっており、陣形を乱してしまっていると言った方が、正しいかも知れない。

 その戦法も、ハルだけの特別な力によって支えられている。ハルは、戦闘中でも術を組み換える事が出来るのだ。誘導の術式を爆発の術に組み込んだのも、実は戦闘に入る直前だった。今現在妖魔達が翻弄されているのは、分身体の中にハルが爆発の術を仕込んでいるからだ。

 全てではなく、三体に一体程の割合でハルは爆発の術を仕込んでいる。外れと大外れだけのくじを前に、妖魔達は下手に長けてしまった知能が掻き乱されていく。妖魔達がもう少し本能だけで動いていれば、次こそは当たりるはずなどと考えもしなかっただろう。


(くけけけけけけっ!)

 ハルが地雷の術を粉塵発生にだけ使い始めた頃、大混乱に陥った妖魔達の陣形は完全に崩れていた。円が見る影もない。ボスの指示は幾度も出ているが、それに従える状況ではないのだ。ただの偽物と、爆発する偽物すら識別できない妖魔達。その妖魔達の前に、分身体のふりをしたハル本体が姿を見せている。

 本体だけは分身体と違い、ナイフや爆発の術を放ってから、粉塵内に逃げ込んでしまう。粉塵内に飛び込んだ個体もいるが、地雷だらけになったそこへ足を踏み入れてただで済むはずがない。

「なんてこった……。あの偏屈なブロウ爺さんが信じるはずだ」

 妖魔の数が半分を切り、マムが瞳に希望を灯す頃、戦局が次の局面へと移る。ボスが動き出したのだ。

(うおっ! 角に目で見えるレベルの精が……。やべぇ。やっぱりあのボスだけは別格だ。正面からは無理だ)

 ナイフを投げ終えたハルは、自分に向かってくるボスを確認し、急いで煙幕代わりの粉塵内へと戻っていく。ボスを聖都内にいた化け物と同格だろうと推測し、ハルは待ち構える戦法を選ぶ。前回と違い、今回のハルは一撃必殺の術をすでに持っているからだ。

(来るなら来い! 粉々にしてやる! う……おおぉぉ! マジかよ! くそったれ!)

 分子結合を破壊する魔方陣を出して待ち構えていたハルだが、顔を引きつらせて立っていた場所から飛び退いた。ボスは巨大な体躯にもかかわらず、他の者より足が速かったのだ。

(助走距離があったせいか? 化け猫の比じゃねぇ! くそ!)

 前回の敵と違い、突進する為に特化した体を持つ妖魔の直進加速能力を、ハルは見誤った。ボスは粉塵を風圧で全て吹き飛ばし、地雷が起爆前にその場所を駆け抜けてしまうのだ。爆発の術も通じないだろう。

 全力でヘッドダイブしたおかげでダメージを負わなかったハルだが、体勢を崩しておりすぐにはその場を動けない。それに対してボスは、急停止を成功させており、すでにハルへ向き直っている。

(やられて……たまるかああああぁぁぁ!)

 なんとか右手で維持し続けていた魔方陣をボスに向け、ハルはありったけの精を込めた術を放つ。

(化け……物めぇぇぇぇ!)

 もしハルが言い訳をしたならば、敵の情報が不足し過ぎていたと言うだろう。ボスは他の仲間が使えないであろう、奥の手を隠し持っていた。

 ハルの術を危険と判断したボスは、即座に角から口内へ膨大な量の精を移し、声と共に解き放った。ボスの使った技は、大声と表現するよりも空気砲と言った方がいいだろう。風の術と言えなくもないが、少なくとも人間が扱える類の物ではない。

 時間が無かったせいで結晶から精を補充していなかったハルの術は、ボスの空気砲に押し負け、消し飛ばされた。それだけでなく、残った余波でハルの体は枯れ葉のように吹き飛ばされていく。

(くそっ! くそっ! くそっ! くそおおぉぉ!)

 服のおかげで直接のダメージを受けなかったハルだが、空気砲は余波だけでも体を軋ませる。外部から取り込んだ精を使い切ってしまっている今のハルは、地表五十センチの高さに出来たその強い気流に抗えない。

 苦痛に顔を歪ませたハルが見たのは、体躯がボスよりも小さく他よりも一回り大きな固体だ。それは、群のボス次席に当たる個体らしい。その次席は、ハルが吹き飛ぶ事を見越していた。その為、着地予定地点で角をハルへ向けている。

(くくっ……)

 笑ったのは、勝利を確信した妖魔達ではない。気流の中でもみくちゃにされているハルだ。ハルは空気砲を放ったボスが、一時的に動きを止め、精をかなり減らしたのを見逃さない。

 多くの研究者に、狂っていると認定されたハルの脳は、一時的にではあるが苦痛や恐怖を無視できてしまう。そして、彼はいつものようにもっとも危ない策を選び出す。

(やってやらああああぁぁぁぁ!)

 次席の角が迫る中で、ハルは術を発動した。外部からの精はなくなったが、仮面によって増幅させた体内の精は、まだ十分に残っている。

 そんな彼が使ったのは、咄嗟に発動できるように仕込んである障壁の術だ。障壁を足の裏に一点集中させたハルは、気流の勢いに乗せて次席の角を蹴りつける。

(よっ…………しゃあああああぁぁぁ!)

 角に強い衝撃を受けた次席は、ほぼ反射的に顎を振り上げた。角にぶつけた片足に全体重を乗せていたハルは、太ももを深く切り裂かれながらも、高く空へと舞いあがる。ハルは、妖魔達が敵に止めをさす時、角を振り上げる習性がある事を忘れておらず、利用しようと考えたのだ。


「馬鹿な!」

 動体視力も優れているアミールだけが、空に浮き上がったハルを目で追えていた。長老達も遅れて、上へと視線を向ける。

「あれでは逃げ場が!」

 アミールの発言は正しいが、見当違いだ。足掻く事に特出しているハルが、その場を切り抜ける為だけに跳び上がるはずがない。空中で精結晶を取り出したハルは、逃げようなどと微塵も考えていないのだ。

(行くぞ! 化け物野郎!)

 取り出した精結晶ぼろぼろとこぼしながらも砕いたハルは、自分の真下で角を向けてきたボスに、分子結合を破壊する術の魔方陣を向ける。それを感じ取ったボスは、再び角から口内へと精を移し、開いた口を頭上へと向けた。

(おっらあああぁぁぁ!)


 大量の精がぶつかった凄まじい轟音に、人間達が耳をふさぐ。

「駄目だ……」

 急いで目蓋を開いたアミールが見たのは、さらに上空へと飛ばされたハルだった。先程よりも少ない精量で術を使ったのだから、ボスの空気砲に勝てるはずがない。

 空中を舞うハルの体は強い圧迫を受け、まだ回復していない太ももだけでなく古い傷が裂けて、血が噴き出している。

 死神が鎌を首にかけたその状態でも、仮面の下にあるハルの口角は下がらない。全ては予定通りだからだ。

(もう……ちょっと……よし!)

 自分と一緒に巻き上げられた精結晶を二つほど掴んだハルは、グローブへとチャージし、空中で両手足を広げて体勢を整える。空気砲で吹き飛ばされても相手から照準がずれず、他の妖魔に邪魔されないだろうと予測して、ハルは空へ跳んだのだ。

(いっけえええぇぇぇぇ!)

 空中に居るハルは、地表への落下が始まると同時に、連射が出来る爆発の術を可能な限り放つ。空気砲の余韻から抜け出せていないボスは、なんとか角に精を移したがそれだけでハルが放った術の全ては防げない。


(げふっ! くそ……息が……)

 弱い術でボスが倒せるかという点に不安があったハルは、地面に落ちる寸前まで術を放ち続けた。そのせいで体を丸めるのが遅れ、落下のダメージをかなり受けてしまい、呼吸が止まってすぐには立ち上がれない。

(くそ……やっぱ化け物だ……)

 ハルよりも先に立ち上がったのは、体のいたる所を損傷しているボスだ。そのボスは息も絶え絶えだが、ハルを道連れにしようと考えたのか、ゆっくりと角を振り上げた。ボスの援護をしようと考えてか、手下達もハルの倒れている方へと駆け寄ってくる。

(まあ……これしかないよな。くそ……)

 妖魔の動きに焦りもしないハルは、地面につけていた右掌から出した魔方陣を、土の中へと染み込ませる。他の方法もあるはずだが、今のハルは危険な事しか考えつけないらしい。


(ぎゃああああああぁぁぁっす!)

 ボスへの止めとなった地雷の術は、粉塵を巻き上げて障壁を張ったハルを弾き飛ばす。粉塵のおかげでハルは、敵の射程外へと転がる事に成功する。ただ、自分で自分にダメージを与えてしまい、無事とは言い難い。

「やりやがった……。あいつ……」

 ごくりと喉を鳴らしたアミールの肩に、長老が手を置いた。

「あんた達が仮面の事で、あの馬鹿をどう思っているかは知ってるよ。実際に変態と噂もされとる。でもねぇ……」

 アミールは長老の話を聞きつつも、ハルから目を離さない。転がっている最中に回復を済ませたハルはすぐさま立ち上がり、再度妖魔達に挑みかかっているからだ。

「同時にこんな噂も届いたんだよ。どうしようもなく困っている者達を、わずかばかりの金で助けている……奇特な男がいるってねぇ」

(死んでたまるか! こんにゃろおおおぉぉ!)

 補充していた精が尽きたハルは、鹿型妖魔の角を回避し、相手の首へと両手足で抱き着く。そして、振り落とされれば殺されると、必死にしがみつき続けた。


 彼は狂った鼠。幾度でも敵へ噛みついていく。敵が戦闘不能になるか、彼が死ぬまでその攻撃はやまないのだろう。

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