7.印象が変わる者
リンカの里にある長老宅の炊事場で、孫娘が虚ろな目をしていた。土を盛って作られたかまどの火を見つめる彼女の顔からは、日頃の朗らかさが消えている。彼女は、鍋の水が温まるまでの時間で、考え事をしているようだ。
彼女はハルの事を思い出している。信頼し、本当の兄だと思っている男性がハルに下した評価が、その彼女に大きくのしかかっているらしい。
奇行を晒し、敵意の目線を前にしてもへらへらと笑っていたハルを、その男性は認めないと言い切った。里の宝である仮面を手にした者は、世の為人の為にあれと教えられてきたのだから、仕方のない事なのだろう。孫娘もその言葉には、同意しか出来なかったようだ。
「はぁぁ……」
食料を追いかけていただけで悪気がなかったとはいえ、ハルの軽率な行動で大事な家畜を失いそうになった。家畜が一匹減るだけで、餓死者が出る可能性もある。今回は大事にならなかったが、本来笑って済ませられる事ではない。怪我をしているようだからと、ハルを罵倒するだけで許した若者達は、寛大だったと言っていいだろう。
孫娘も、事の重大さは理解できていた。
だが、ハルに悪い印象を持っていなかった彼女は、無理に笑顔を作ったらしい。そして、その場では許せないという本心を見せずに取り繕う。事故だった事が、彼女の中で大きかったのだろう。無理な我慢など、いい結果に繋がらないと彼女は分かっていなかったようだ。
孫娘には、それ以降ハルの悪い点ばかりが目に留まってしまう。下着だけでの奇行以外にも、長老への不遜な物言い、明らかな作り笑顔、その全てが彼女にとって不快に思えた。
従兄弟達からの悪い評価を聞き、長老に本気で怒られる姿を見て、彼女の中でハルは距離を置きたい存在に思え始めたようだ。それまでよく思えていた分、ハルの印象が悪くなるのは早かったらしい。
「うわ……気持ち悪い……」
ハルに胸を凝視された事を思い出し、孫娘の頬に鳥肌がたった。不快感を表情に出した彼女は、顔を洗うように両手で自分の頬を擦る。
「もう……考えたくないなぁ」
沸かし終えたお湯を、陶器製の湯たんぽに入れる頃、孫娘の中で答えが出た。ハルとは一定の距離を置き、可能な限り会話を避けようと彼女は考えている。
「うん。そうだよね。客人としてはちゃんとすればいいだけ。それ以上はなし。うん」
少し晴れやかな顔になった孫娘は、布を巻いた湯たんぽを各部屋にいる家族へと渡していく。それは彼女に与えられている仕事だからだ。
「あの人には……。いいか。私が寒いのは嫌だし……。あれ?」
家族の人数分しかなく、残り一つとなった湯たんぽを持った孫娘は、そのまま自室へ戻ろうとした。
しかし、ハルの泊まっている部屋にまだ明かりがついている事に気付き、湯たんぽを自室に置いてからその部屋へと向かう。
「そうよね。うん、そう。ちゃんとすればいいだけ」
根が真面目で几帳面な彼女は、昼間の件についてハルへ謝罪しようとしていた。もうすでに彼女はハルを嫌っており、喋りたくはないはずだが、敢えてその行動に出る。
彼女にとって、それは二つの意味があるようだ。一つは相手との関係を白紙に戻す儀式的な意味。そして、もう一つは最低限の礼儀を守れば隙がなくなり、相手から距離を近づけられないと考えての事らしい。
「ふぅぅ……。落ち着いて。これさえ終われば、後は喋らなくていいんだから」
ハルがいる部屋の前で深呼吸をした孫娘は、悪い意味で心音を高鳴らせながら、扉をノックした。
「夜分にすみません。失礼します」
孫娘の訪問に驚いたハルは、布団の中から跳ねる様に起き上がり、正座をする。その挙動不審な行動と、胸へと向けられた視線を孫娘がよく思えるはずもない。
「え? あ、その……。どうかしましたか? その……こんな遅くに……」
体を斜めにして胸元を隠した孫娘は、引きつった笑顔を作り、ハルから出来るだけ距離を置いて座った。
「昼間の件で、謝罪をさせて頂きに来ました」
(は……はは……。まあ、俺に相手側から近づいてなんて来ないよねぇ。分かってた。分かってたっ! 泣くな! 俺は強い子だ! やべ……萎えた……)
興奮が冷めた所で、ハルに強烈な睡魔が襲いかかってくる。昼間全力で活動して体力を使い切っており、楽しいと思える金銭の計算を止めてしまった為だろう。
「兄達が失礼な態度を取って、申し訳ありませんでした」
何かあればすぐに部屋を出られるようにと、横目で扉を幾度も確認しながら、孫娘は頭を下げる。その口調は淡々としており、かなり冷たい。ハルが眠気で朦朧としていなければ、気が付けただろう。
「あ、いえぇ。別になんでもな……」
「ただ! それには理由があります。まず、家畜についてですが……」
いつものように笑いながら頭を掻いたハルの言葉を、孫娘が遮る。謝罪をするだけで済ませようと彼女は考えていたようだが、ハルの気を抜いた顔を見て文句が込み上げてきたらしい。
(あれぇ? 謝罪? 怒ってない? え? なんで?)
「何よりも! 私共にとって、貴方が手にした仮面は宝なんです。それを……」
孫娘は、どんどん口調をきつくする。ハルから謝罪がない事で、溜めていた怒りが抑えられなくなってしまったようだ。怒りにとらわれた者は、時として他人に理不尽な要求をしてしまう物なのだろう。
(あ……やべぇ……眠い……)
目蓋の重みに耐えられなくなっていくハルは、孫娘の言葉をほぼ聞いていない。頭を上下に揺らしながら、ぼんやりと女性の胸だけを見続ける。今のハルには、相手からどう思われるかを気にする余裕すらないようだ。
「ちょっと! 聞いているんですか? え? 寝てる……の? この状況で? 最っ低……」
座ったまま寝息を立て始めたハルへ、孫娘があり得ないと言いたげに冷たい視線を送る。起こして文句を言いたい気持ちもあるようだが、それ以上ハルと喋りたくないと思ったらしく、大きく息を吐いた。
「あ……。ふん、風邪でもひけばいい……」
怒りに顔を歪ませたままの孫娘は、立ち上がり扉へ手を伸ばす。そこで、ハルに布団を掛けようかと考えたようだが、そのまま部屋を出る。もう喋るどころか、近づくのすら嫌だと思っているのだろう。
(ああ……おっきいなぁ……。へへ……へ……)
ピンク色に彩られた夢の世界へ旅立ったハルは、一人の女性に信じられないほど嫌われた事と、聖都で商人達の元締めが顔を歪ませている事を知らない。
ハルベリアの中心部にある大きな酒場は、ハルが長老の孫娘に嫌われた日、本来よりも遅くまで閉店しなかった。それは、店の店主である女性が、会合を開いていたからだ。
その顎が二重になっている、ふくよかな体形をした中年女性の通り名は、マム。落ち着いた色のドレスに似合わない大量の貴金属を身に着けた彼女は、聖都内で一番大きな酒場を営み、商人達の元締めをしている。字名の通り、彼女は度胸があり、お節介が過ぎる、肝っ玉母ちゃんといえる性格だ。
「なんてこった……。じゃあ……」
板間の広いホールには、オイルランプの置かれた丸いテーブルが三十脚ほどあり、全ての席に商人やその関係者達が座っている。
「ああ……。向こうの都合で、後何日かは動けないそうだ……」
マムの正面に座っていた男性は、妹の泣き腫らした目を思い出して、悔しそうにテーブルを叩く。
「やっぱり……噂は噂でしかなかったって事か……」
その男性と同様に、噂の人物に期待していた若い男性が、カップに入っている酒を一気に飲み干す。他の者達も、顔色はあまりよくない。
聖都では、少し前からある地区へ行商に出た者達が、連絡を絶つという事件が多発していた。行方不明になった者の数は、もうすでに十組、二十人を超えている。
動きの遅い兵士達に業を煮やした行方不明者の親族や友人は、金を持ち寄り、困難な依頼を受けてくれる噂の人物に依頼しようとはした。
しかし、その行方不明者達よりも先にハルが行商に出ているせいで、依頼は届いてさえいない。
「兵士達もあてにできない。マム。やっぱり、俺達が出よう。他の仕事を調整してくれないか?」
暗い雰囲気を見かねた、鎧を身に着けている男性が、席から立ち上がる。その口髭をはやした男性の周囲には、同じように武装した者達が座っていた。彼等は正規兵ではなく、商人達お抱えの傭兵だ。
兵士達の手が回らない仕事を受ける傭兵集団の多くは、給与の安定を求めて商人達と用心棒等の契約を交わしている。今酒場にいる三十人も、その一つだ。
「これ以上ほおっておけば、犠牲者が増えるかもしれないんだぞ? どうなんだ?」
傭兵集団の長は、目を閉じて腕組みをするマムに、詰め寄っていく。聖都内にある傭兵団の中でも、屈指の強者揃いだと自分達を評価する彼は、目に迷いがない。
「マム! 頼む! 行かせてくれ!」
事件前から予約されていた仕事を中断する許可さえでれば、自分達が解決を出来るとその男性は考えているのだろう。マムも彼等の力は信頼しているようだが、事件の危険性が計算できない為に、即決が出来ないでいる。
「少しお黙り……」
酒焼けした低い声で男性を黙らせたマムは、目を開いて天井に向けた。マムに逆らえない傭兵達は、黙って彼女を見つめる。他の者達も同様で、広い酒場のホールには彼女の指輪同士がぶつかる音だけが響く。
「ふん……。ブロウの爺さんさえきちんと調整してくれれば、手間が少なくて済んだんだがねぇ」
貴族の娘でありながら、家との縁を切って商人と結婚したマムは、ブロウ卿とも顔見知りだ。
「ふぅぅぅ……。よし! 行こうじゃないか! あたしも出るよ! いいね! さあ、すぐにでも出発だ! お前達は、仕事の調整を……」
大きく息を吐いた後に立ち上がったマムは、テーブルを強く叩き、集まった者達へ指示を出し始めた。厳しいながらも、商人達を我が子のようにかわいがる彼女は、自らが傭兵を引き連れて事件解決に乗り出そうと考えたらしい。
ハルベリア内で、下手な貴族よりも発言力のある彼女が動き出した事で、瞬く間に出発の準備が整う。それを見て、行方不明者の親族、友人達は安堵した。彼等は、遊牧民達が帰ってきた平原に、何が待っているかを知らない。
馬車に乗ったマムが聖都を出て数時間後、長老宅で眠るハルの目蓋が動く。眠りが浅くなり、眼球運動が始まったからだ。その彼は、幼い頃の夢を見ていた。
薄暗い室内から、破裂音が聞こえる。それは、ハルが鞭で背中を叩かれている為だ。鞭を振るっているのは女性だが、その時の彼は特殊な性癖を満たす為に、叩かれていた訳ではない。
女性職員の腕に噛みついた為、ハルはその職員から罰を受けているのだ。
(痛い! 痛い! 痛い! 痛い! 痛い! もう嫌だ! なんで……こんな……)
狂ったように鞭を振るう女性に、容赦はない。鉄の柱に抱き着くような格好で縛り付けられたハルは、気を失いそうな苦痛のせいで脂汗をかいて顔を歪めている。
(もう……嫌だ……。謝ろう……。もう……)
苦痛に負けそうになったハルは、強く瞑っていた目蓋を開いた。その視界に、両腕を押さえられた少女が映る。彼女こそ、ハルにとって最も大事な女性だ。そして、ハルがその拷問を受けた原因を作った人物でもある。
ハルは彼女と、魔法の研究をしている施設に移されてから出会った。それも運命だったのかもしれない。
愛どころか優しささえも与えられず育ったその頃のハルは、心と呼べる物を持っていない少年だった。それに対して、その彼女は普通の子供らしい感情を持ち合わせていた。何故なら、育てられた施設が違ったからだ。施設が違えば、実験内容も違っていた為だろう。
頭脳が驚くほど明晰な代わりに、自閉症気味といえるほど引っ込み思案だった彼女は、いきなり違う施設に移され、一人で何も出来なくなってしまう。その彼女を職員達からの命令で世話したのが、ハルだ。
彼女は、無表情ながらも懸命に自分の世話をするハルに心を開き、常に後をついて回るほどになった。変わったのは彼女だけではない。彼女の存在は、ハルの内面に作用した。
命令として少女の世話をしていただけのはずだったハル。彼を変えたのは、彼女が同じ人間としてハルを扱ったからだろう。喋る事、笑顔を向ける事、怒る事、泣く事、その全てが、ハルを実験動物から人間へと戻していった。
ハルが利益の為と言いながらも皆を助けてしまうのは、その経験が大きく作用しているのだろう。彼は、人として扱ってもらえる事の意味を、十分すぎるほど理解している。
(ああ、そうだ……。そうだった……)
苦しむハルを見て、少女は泣き叫んで暴れた。それでも、大人達三人に押さえられており、ハルに近寄る事すら出来ない。彼女には、自分のせいでハルが責められている事が、分かっていたようだ。
ハルに心を開きはしたが、元の優秀な思考が回復できなかった少女に、研究者達は刺激を与えようと考えた。彼等が考えたのは、陰湿で達の悪い刺激だ。
ある日、十歳未満の子供達に菓子が支給される。十歳を超えたハルは無理だが、まだ九歳の少女も受け取れるはずだった。
だが、少女には菓子が支給されない。職員達は、菓子が欲しいなら能力を発揮しろと、泣いている少女に強い言葉をぶつける。これがどれほど彼女の心に傷をつけてしまうか、出世の欲に囚われた研究員達は考えなかったようだ。少女は泣きながらテストを受けたが、結果など残せるはずがない。結局、少女に菓子は与えられなかった。
ただ、その実験はそこで終わらない。そこで終わっていれば、今のハルはいなかっただろう。仕事でストレスを溜めていた女性職員の思いつきで、少女は更に傷付くことになった。ハルがトイレに行った隙に、その職員は少女の前に菓子を置き、忘れたふりをして退室する。どうしても我慢が出来なかった少女は、その菓子を口に運んでしまった。当然ながら、彼女が食べるであろう事は女性職員の想定内だ。
トイレから戻ったハルが見たのは、胸元を掴まれて平手打ちされる少女の姿だ。食べた物を元に戻せないならば、能力を発揮しろと女性職員は体罰を与える。勿論それは、ただの建前だ。少女への暴行で、その女性はストレスを発散していたのだ。手加減など一切していない。
女性職員の悪魔としか思えない笑みを見て、ハルは走り出す。職員が少女を本気で殺すつもりなのだと、彼には分かったのだろう。気が付くと、悲鳴を上げる女性職員の腕に、ハルは思いきり噛みついていた。腕から血が流れ出るほど強くだ。
それから二時間後、ハルは地下にある暗い部屋で縛られ、少女はその拷問風景を見なければいけなくなった。
(泣くな……。泣くなよ。俺は、大丈夫だから。な? 笑ってくれよ)
泣き叫ぶ少女を見て、ハルは信じられない選択をする。へし折れそうだった心の大事な部分を立て直すのではなく捨て去り、笑顔を作ったのだ。それだけでなく、縛られている右手の指も少女から見えるように立てる。
(心配するな。俺は……大丈夫だ!)
気が狂うほどの苦痛に耐える為、ハルは自ら常人が進まない方向へと、心のかじを取った。悲しい選択だが、その時の彼にはそれしかなかったのだろう。狂った鼠の誕生だ。数時間もの間、その時のハルは笑い続けた。頭の線を切った彼だからこそ、それが可能だったのだろう。
「びぇっくしょいぃ!」
夢の中で解放された所で、ハルは自分のくしゃみによって目を覚ます。風邪はひかなかったようだが、体はかなり冷えているらしく、震えながら体を横たえて布団をかぶる。
(寝覚め……最悪。なんか……最近よく昔の事が出てくるな……。まぁ……どうでもいいか)
まだ日の出前だった為、ハルはもう一度目を閉じた。そして、数秒後にはもう一度眠りに落ちる。今度の眠りは深く、夢を見てはいないようだ。
いつもの時間に起きたハルは、孫娘の変化にも気付かず朝食を済ませ、山を下りた。
「うおっ! なんだあれ……。すげぇ、きもい……」
湖の集落ルーベに向かって走るハルが顔をしかめたのは、妖魔が姿を見せたからだ。雨季の間に出来たらしい小川の中から、その妖魔は飛び出してきた。
その妖魔は、顔が目だけで出来ている足の生えた魚だ。ハルは高速で走るその妖魔を恐れてはいないようだが、生理的に気持ち悪くは感じている。
(通常強化よりは、速いのか……。うわ……いっぱい飛び出してきた。仕方ないか……)
立ち止まったハルは、群を成して自分に襲い掛かってくる敵に、右掌を向ける。
「あんまり見てたくないから……。悪いな」
右手のグローブから出した五センチほどの魔方陣は、真っ赤に光る球に変わり、妖魔へと飛んでいく。赤い玉には誘導の術も組み込まれており、敵に正確に着弾し、爆裂する。
(こいつらに、感情はないのか? あれ? 虫とかの類なのか?)
仲間の半分が爆散しても怯まない敵に、仕方なくハルはもう二発赤い玉をぶつけた。魔法科学の理論を取り入れているその術は、かなり厄介なはずの妖魔を容易く消し飛ばす。
「そこそこ使えるけど……。やっぱり、こっちは精の消費が激しいなぁ……。いや、何回も普通の術使うよりは、ましか……」
一撃必殺ともいえる術を、ハルは化け物との戦いで開発している。
しかし、その術は精の消費が激し過ぎる上に、威力が高すぎる為、別の術を組み上げた。それが、今使った術だ。膨らもうとする性質に変えられた精の力は、高圧縮をかけている膜が裂ける事で爆発する。その爆風の威力や熱量は、通常の術の比ではない。地下で暴発した精に吹き飛ばされた経験を元に、ハルはそれを開発したらしい。
(まだまだ改良の余地はあるが、あの術よりは使いやすいし……。まあ、いっか! それより、早く仕入れて次の集落だ!)
しばらくグローブを見つめていたハルだが、にやりと笑うと、再び走り出す。大事な女性のいる世界に戻りたい彼は、利益を追い求める。
ルーベの中へ入ったハルは、見覚えのある女性の背中に気が付き、近づいていく。その恰幅がいい女性は、マムだ。商人として認めてもらう為にマムの店で登録をしたハルは、彼女をよく知っている。
「あれ? 元締め? え? どうしたんですか? 町を出るなんて珍しい」
ハルがルーベでマム達に出会ったのは、偶然だ。問題の地区に向かっていたマム達は、馬が予想よりも疲弊した為、仕方なくルーベで休息を取っている。本来、二人はそこで出会わなかったはずだ。
「ハル坊? あんたも、こっちに来てたんだねぇ」
(相変わらず……。おっさんみたいな声だな)
ハルに声をかけられたマムは、眉間からしわをなくす。彼女は、ハルの事をよく思っており、その出会いを素直に喜んでいた。
マムがハルにいい印象を持っているのは、孫娘の時と逆だったせいだろう。商人の元締めをしているマムは、各人からの報告を元に税金を集めて国に納めている。登録時に納税の率を下げられないかといったハルを、マムは当初よく思っていなかった。
だが、今は特別目をかけている一人として、優遇している。毎回かなりの額をきちんと納税し、真面目に働くハルを、マムは気に入ってしまったからだ。良くも悪くも、人の印象が逆転する切っ掛けなど、小さな事なのだろう。
「あ、ちょっと知ってたら教えとくれ」
マムは笑顔を消して、ハルに事件の事について何か知らないかと問いかける。聖都にさえ居なかったハルは、初耳だと素直に返答した。
「そうかい……。まあ、いいさ」
「あ、何か聞いたら、知らせますよ」
(でも、手は出さない。だって、危険な臭いはしても、利益の臭いがしないもの)
再び顔を緩めたマムは、首を左右に振る。
「いいよ。今日で、解決するからね」
マムが指さした先には、食事をとって英気を養っている傭兵達がおり、ハルにも相手が何を言いたいかが理解できた。
「あの子達の強さは、あんたも知ってるだろ? 正規兵を呼ぶより、安心できるってもんさ」
「おお。あの人達が出ていくんですか。なら、解決ですねぇ」
心のこもっていない返事をしたハルは、邪魔をしてはいけないと言って、自分の商売に戻る。事件については、本当に興味がないらしい。ハルの力を知らないマムも、引き留めようとはしなかった。
(ぐへへへへ……。これだけの干物が売れれば……。帰って絹を換金するのが待ち遠しい……え? あぁ? ババァ? なんで?)
マム達と別れて一時間後、ハルは再び山の中へ入ろうと平原を走っていた。その彼が足を止めたのは、山からリンカの里の長老達が出てきたからだ。
「はぁ! はぁ! はぁぁぁ!」
鹿に似た動物に跨った長老は、同じ動物に乗った若い男性達を引き連れて、平原を走り抜けていく。かなり急いでいるらしく、鞭を振るう長老はハルに視線を送ったが立ち止まらなかった。
「なんだ? あれ? あんな必死で……早死にするぞ?」
長老達の背中を見つめて、ハルは立ち尽くしている。ただ事ではないだろうとは、長老達の切羽詰まった顔を見てハルにも分かっている。だからと言って、訳も分からない状態では動き出せない。
「何かあった……んだろうなぁ……」
自分の第六感が騒ぎ始めた事を感じながら、ハルは顔をしかめた。追いかけたいと思い始めたようだが、悪い事が待っているとも感じたからだ。
「いい方の勘は当たらないけど……。悪い方って、よく当たるんだよねぇ……。はぁぁぁぁぁ……」
しばらく悩み、大きく息を吐いた後に、グローブから魔方陣を出したハルは、平原を今までとは逆方向に走り出す。
ハルは、頭のネジが飛んでいる。それでも、世話になった者を平気で見捨てられるほどは、人間を止めていないのだろう。
平地の走行に慣れていない鹿に似た動物達よりも速く、一人の男性が平原を疾走する。




