1.推測が立たぬ者達
蝙蝠達が洞穴から餌を求めて飛び立ち、鳥達が森の巣に帰り着く。
それと同じ頃、電力による恩恵を受けていない聖都の住民達も、徐々に各々の仕事を切り上げ始めた。魔法の力があると言っても、明かりはろうそく等の火が主である為、日が沈めば活動を止めるのは当然だ。町に幾つか点在する歓楽街や、一日中室内にこもって研究をしている術者といった例外もあるが、大よその者は床に入る準備を進めている。その日のイヴは、例外の一人になろうとしていた。
現在はビルと呼ばれる外観となった城の近くには、貴族達の邸宅が並んでいる。前王の右腕だった騎士を祖父に持つイヴの家は、城から一番近くにあった。その木造二階建ての広く豪華な屋敷は、城に負けないほど頑強な壁で守られている。ゼノビア建国時、近隣に貴族の邸宅を密集させたせいで庭は広くないが、庶民が威圧感を覚えるには十分だ。
「もう、お下げしてよろしいですか? お嬢様」
頭の半分が白髪になっている使用人の女性は、イヴを見つめて問いかける。彼女の目からは、深い慈しみの感情が読み取れた。
その独身である女性はミラーズ家の使用人であると同時に、母親を早くに亡くしたイヴの育ての親なのだ。娘のようなイヴを、主従関係以上に想ってしまって当たり前だろう。
「うん。ありがとう。やはり、うちのコックの腕は一流だな」
使用人であるその女性の気持ちが分かっているイヴは、笑顔で礼を言うだけでなく、自分から雑談の切っ掛けを作る。ただ、その微笑ましい光景は、あまり長く続けられなかった。
イヴは王族から直々の要請を受けており、日中の仕事は終えているが、今から城へ仕事として出向かなければいけないのだ。
「おっと、もうそろそろ出なければいけないな」
食器の片づけを後輩の使用人に任せた女性は、イヴを玄関まで見送りに出る。
「本当にお一人で大丈夫でしょうか? 雨はやみましたが、まだぬかるみも……」
「ははっ。何時まで経っても、私は子供扱いだな。鎧はつけていないが、剣もこれもつけている。心配ない」
術式の仕込まれた小手を、不安そうな顔の女性に見せたイヴは、ランタンを別の使用人から受け取った。そして、整列した使用人一同から見送られながら家を出る。
頭を下げたままの若い男性使用人の一人が、鼻孔を広げていた。それは、遅くなるだろうからと入浴を済ませたイヴの髪から、いい匂いが流れてきたからだ。男勝りだが美しい容姿を持つ彼女の隠れファンは、兵士達以外にもいるらしい。
城の三階にあるシャロン専用の部屋には、大量の本が資料室から運び込まれていた。その本は、異邦人達について書かれている。
机に向かってその本と資料を見比べながら、シャロンが難しい顔をしているのは、異邦人の情報を整理するのが彼女の仕事だからだ。本の中には、シャロン本人が纏めた物も混ざっている。
シャロンは少々やり過ぎだが、異邦人の情報を重視するゼノビアでは、貴族や王族がそれに関わる仕事に就くのは珍しくない。
「どうぞ。入って」
ノックの音を聞いたシャロンは、椅子を引いて背後にある扉へ体を向け、笑顔を作った。彼女には、誰が来たかが分かっている。何故なら、イヴを呼び出した張本人だからだ。
「失礼します。遅くなり申し訳ありません」
「いいの、いいの。さあ、入って。あ、ごめんね。無理言って」
扉を開けるなり、イヴは深く頭を下げた。軽い口調のシャロンは、彼女を室内へと招き入れる。
「失礼します。で、姫様。今日は、どういったご用でしょうか?」
「イヴ? 今は二人だけだし、今日は長くなるんだから……」
硬い口調のイヴに、シャロンは不満そうな顔を見せる。年が同じである二人は、幼馴染で親友だ。公の場では仕方ないとしても、二人だけの時は素で喋りたいとシャロンは顔で表現している。
「ははっ。まあ、あれだよ。慣れる為だ。そう怒らないでくれ」
「相変わらずねぇ。まあ、いいわ。今日は異邦人の事で煮詰まってて、意見が欲しかったのよ。付き合ってちょうだいね」
何故シャロンが兵士であるイヴに意見を求めるかといえば、異邦人について詳しいからだ。兵士になる前のイヴは、親友であるシャロンの仕事を手伝っており、その時に異邦人の知識を身に付けている。
「はい。ここに座って。あ、その前にちょっと休憩。飲み物でも……」
机の上に置かれた鈴で使用人を呼んだシャロンは、二人の好物である果物の果汁を絞っていれた牛乳を持ってくるようにと依頼した。
「そうか。痛ましい事件だったな。真犯人……か、どうかは分からないが、あの仮面の変態も逃がしてしまったし……」
飲み物を待つ間、二人は本題ではなく、数日前の事件について語らう。密造酒組織の男達は投獄され、罪状を決めている最中だが、もっとも重い刑を受ける事になるらしい。そして、親を亡くした子供達はすでに、シャロンが手配して施設へと生活の場を移されている。
「ええ。あんなひどい事をして逃げるなんて、許せない。あの変態。あ、それから……失明した方は、やっぱり療養所に入ってもらったわ。その子供達も、許可をもらって他の子達同様に、施設に入ってもらったの」
「それしか出来ないからな。仕方ないさ。問題は、子供達の心のケアだな」
悲しそうに眉を歪めたシャロンは、頷いて遠い目で天井を見つめる。彼女も母親を幼い頃になくしており、子供達の気持ちは全てとは言わないが分かるのだろう。
「あ、来た来た。じゃ……なくて、来ましたね。どうぞ。入って下さい」
使用人がドアをノックした音を聞き、シャロンは意識して口調を戻した。その彼女を、イヴは含みのある笑みで見つめる。城の使用人達一同は、シャロンの事を昔から知っているのだから、そこまで気にしなくてもいいだろうにとイヴは考えたのだ。
「失礼します。お待たせいたしました」
しばらくの談笑後、シャロンに差し出された二枚の資料を見て、イヴは目を細めていた。
「こっちの女性は、言葉がまだうまく通じないの。どうも、元の世界で医師だったみたいで、持っている情報や知識は国の為になるはず。で、こっちは……」
イヴが目を細めたのは、資料に書かれている人物の一人をよく知っているからだ。
「貴方との関係も聞いたから、相談に乗って欲しくてねぇ。ハルさんの事……私も悪い方だとは思ってないわ。でも、おかしいと思った事ない?」
資料を机の上に置いたイヴは、腕を組んで目を閉じる。イヴはそれまでハルの事をおかしいと思った事はない。
だが、シャロンの勘が鋭い事を知っており、自分は何かを見落としていないかと、記憶を手繰っているのだ。
「そうだな……。私が気になるのは、そこそこの使い手らしい事と……。あ、そういえば、自分の事を聞かれるとはぐらかすな」
「そうっ! でしょ? 私の時もそうなのよ。のらりくらりと、突飛な事はよくするし、馬鹿だし、いい加減だし……」
シャロンの言葉に思い当たる事しかないイヴは、大きく首を縦に振る。
「見込みもあるし、いい奴なんだがなぁ……。もう少し空気を読むというか、相手の事を考えられればいいんだがなぁ」
「そうそう。それに……ああ、じゃなくてね。あの方の世界は、二十歳が成人らしいの。それで、あの方は今、十八になったぐらいらしいわ。言いたい事分かる?」
異邦人について詳しいイヴは、目つきを鋭くした。シャロンが何を問題にしているかが、分かったからだ。
イヴ達の世界では成人の年齢が明確ではなく、仕事が一人前にこなせれば大人として扱われる。その十代でも社会に出る世界では、知識がハルの居た世界より得られない代わりに、精神の成熟が否応なく早くなってしまう。
「確か……あいつが来たのは、十七歳。アルバートさんが、知識もかなりあると言っていた。なら、普通は学生のはずだな。学生であの雰囲気か……」
「ええ。そう雰囲気。確証はないの。貧しく厳しい環境で育っただけの可能性はあるけど、何か引っかかるのよねぇ。だから、何度か聞いたんだけど……」
ハルのへらへらした顔を思い出し、シャロンのこめかみに青筋が浮かび、カップを握った手に力が入る。
「あ、ああ。気持ちは分かる。私の時も、奇行に走られて聞けなくなった。ただ、まあ、言ってる事は矛盾していないからなぁ」
特殊な施設で育てられたハルが、諜報員としての教育は受けている為、二人は切っ掛けを掴みきれていない。諜報活動をする為には、一般人に紛れこむ必要があり、知識がないと話にならないのだ。ハルは、同年代の者が知っているであろう事を全て叩き込まれた上で、魔法等の特殊な知識も持たされている。
「はぁぁ。いい加減な所さえ目を瞑れば、いい人。でもねぇ。色々新しい商売を始めて儲けてるみたいなのよ。私達に有益な情報を、自分の利益の為に黙ってる可能性があるわ。なんとか、それを聞き出したいのよ。そうすれば、もう少し……」
深呼吸で気持ちを落ち着けたシャロンは、本音を喋り出す。それだけ、イヴに心を許しているのだろう。
「ああ、そうだな。それは、私も感じていた。あの底が知れない目は……。あ、いや、雰囲気は……」
彼女達は、ハルが何故外部取り込み式の術を開示しないかを、理解できないだろう。ハルは自分の使う外部取り込み式の術が、世に出回るとどれほど危険かを知っている。危険な思想を持つ者が手にすれば、妖魔よりもよほど恐ろしい敵が誕生してしまう。
「うぅぅん。いっそ、城の牢に閉じ込めて尋問でもしてみるか?」
「えぇぇ……。流石にそこまでは……。その……嫌われたい……その、訳じゃないし……」
「そうだな。それは同意だ。すまない。だが……逆に機嫌を取るにしてもなぁ。つかみどころがないしなぁ……あの馬鹿」
それからハルについての推測をぶつけ合った二人だが、答えなど出ない。曲がりなりにも諜報員だったハルの誤魔化しは、それなりのレベルにあるからだ。シャロンが特別鋭い感性を持ってさえいなければ、二人はその事を全く考えようともしなかっただろう。
シャロンとイヴの悩みの種は、町の繁華街で路上の机に席を取り、薄ら笑いを浮かべていた。
(ひへへへ……。燃え尽きろ)
彼がろうそくの火で燃やしているのは、異邦人の知識で最近発行され始めた、まだ一枚物の新聞だ。それをハルが何故燃やしているかといえば、トップニュースが変態についてだからだ。
(こんなもん、この世から消えちまえ……。ちくしょう! 結構な額の賞金までかけやがって! 馬鹿か、お前等!)
新聞には、町中に妖魔が出た、川の増水で水門が故障中といった他の情報も書かれているが、ハルの犯行についての記事が一番大きい。
(紙面半分以上ってなんだよ! 馬鹿か! 馬鹿なのか! ちくしょう!)
燃えていく新聞を地面に投げ捨てたハルは、露店が用意した路上の机に突っ伏す。そして、精神力が少しだけ回復してから、目の前にあるスパゲティの出来損ないのような麺を食べていく。
(まっずいな、これ。やっぱ、人が多少は並んでいる所にしないと駄目だな。露店は、当たり外れが激し過ぎる)
自分の金で買った食事をどうしても残せないハルは、味合わずに麺を飲み込み、木の皿を店に返して早々に立ち去って行く。
(これはもう……気分を晴らすしかない! 俺の中にいる悪魔と悪魔が、そう言っている!)
ハルが術の開発もせずに出歩いているのは、成人男性向けの店へ向かおうとしているからだ。その日も十分な利益を得た彼は、なんとか勇気を振り絞ろうとしていた。
そんな彼は、怪しい看板の並ぶ通りの手前で、するりと路地裏に逃げ込む。
(な……なんでだよ! ちくしょう! やっぱり、悪魔だけの言葉に従ったのが、気に入らなかったのかよ! 神様こんちくしょう!)
路地裏にハルが身を隠したのは、知人がいたからだ。ハルと同時期にこの世界へ来た学生の一人である女性が、店の前に立って客引きをしている。
(うそぉぉぉぉん! よりにもよって、エロそうなおっさんから聞いた、俺の目をつけていた店じゃんか! なんでだよ!)
ハルは知らないが、マハを見捨てて逃げた学生達三人の転落は、尋常ではなく早かった。逃げ出したせいで正規兵への資格は剥奪され、非常勤兵へ登録する事しか許されなくなったのだ。
非常勤兵は定期的な訓練に呼ばれるが、実際の出撃がない限り給金は貰えない。更にいえば、兵達の信頼を失っている三人は、呼び出し順位が最低にまでなっている。ただでさえ呼び出しの少ない非常勤兵だけで、その三人が食べていけるはずもない。
そのような状況では、他の職を探すしかないのだが、アルバートの講義をほとんど聞いていなかった事が三人に重くのしかかる。知識もなく、楽で給与のいい仕事など見つけられるはずもない。苦しみながら支給金だけで食いつないだ三人は、傭兵という職の情報に辿り着きはした。
だが、その世界で正規軍に属さない傭兵は、腕に覚えのある信頼された者だけしかなれない。傭兵達の間にも、兵士達から三人のうわさが流れてしまっており、門前払いされてしまったのだ。
結果、内向的だった長髪の男性は心を病んでしまい、その恋人だった女性は、今の職に就く以外になかったらしい。
「あっ! いらっしゃぁぁぁいっ! 今日も来てくれたんだぁ! うれしい」
もう学生ではない女性が、常連らしき男性に猫なで声で甘えながら、店内へと消えていった。
それを、ハルは渋い顔で見つめる。彼の中では、今ならば彼女に気付かれず、入店出来るかもという考えがよぎったらしい。
(う……うぅぅ……うわあああぁぁぁぁぁぁん! じぎじょおおおおぉぉぉ!)
類まれなヘタレである彼が、何食わぬ顔で入店できるはずもない。もしかすると、アニーまでその女性と同じ事をしており、他の店へ行って会うかも知れないと考えてしまったのだ。
涙目になっているハルは、繁華街から全力で離脱する。強化の術は使っていないのだが、逃げ足の優れている彼は、短い時間で宿舎に帰り着く。そして、どろどろの感情をぶつけるかのように、術の研究に没頭した。
翌朝、いつもの時間に起きだしたハルは、日課となっている筋トレを済ませ、外出の準備をする。
(うん。そうだな。新しい術も出来たし、頭を切り替えよう。この町の繁華街は危ない。とても危ない。地下探索を切り上げて、他の繁華街的な所に行こう。うん! これしかない!)
背嚢に念の為の傘を結びつけたハルは、中身をチェックした後、それを背負って商店街へと向かう。空の天気と一緒で、一晩寝たハルの顔はどこか晴れやかだ。
商店街に到着したハルは、迷わず目的に店へと向かい、店先を掃除していた店主へ明るく声をかける。
「おはようございます! 今日はいい天気ですねぇ!」
「おう! 今日も早いなぁ。ちょっと待ってろ」
ハルの薬を売っている雑貨店の店長は、箒と塵取りを壁に立てかけ、店の入り口の鍵を開く。
「ほれ、入ってくれ」
店主の手招きを見た営業モードのハルは、準備中の店へ入店し、素晴らしいといえる作り笑顔ではきはきと喋る。
「失礼しまぁぁす。取り敢えず、全種類持ってきましたが、どれが売れてますか?」
「そうだなぁ。やっぱり、一番は傷薬だなぁ。あ、後、お前の説明札を出してから、高血圧? だったか? の薬も出始めたぞ。さて……」
カウンターの奥から、薬用の木箱を出した店主は、薬瓶を数えながらどれぐらい仕入れようかと眉間に皺を作った。
「そうですかぁ。あ、化膿止めも結構出てますねぇ。この化膿止めは、日持ちしますし少し多めでもいいかもしれないですねぇ。あ……後、熱さましですが……」
営業トークで仕入れを抑えさせないようにしたハルは、料金を受け取った後も、店主と世間話をする。顧客とのコミュニケーションが大事だと、ハルは感覚で理解しているようだ。
「え?」
(ちょ……もう、勘弁してください。マジで)
作り笑顔は崩れなかったがハルの目から、光が消える。
「あの噂の変態だよ。直接見たんだって。この通りの前を、全力で走って行きやがってなぁ。ありゃ、相当な変態だぞ」
(誰が相当な変態だ! この野郎!)
「あははははぁ……。そうですかぁ……。私も見たかったなぁ……」
愛想笑いを返したハルだが、その雑貨店を出るまで目は死んだままだった。
(もう……人前で仮面の着脱は出来ないな。はぁぁぁぁ……)
店を出てとぼとぼと歩いていたハルだが、どうしようもないと気を取り直して、次の取引先へと向かう。
雑貨店に続いて、ハルが向かったのは貴族の邸宅だ。思いついてすぐに行動を始めるハルは、貴族達の家へ飛び込み営業を行い、置き薬の依頼を数件取り付けているのだ。
「あら、いらっしゃい」
邸宅の裏口に回ったハルは、朝食の準備をしていた使用人の若い女性に頭を下げ、状況となくなった薬はないかを確認する。
「あ、そういえば、あの脈が早い人に効く薬。旦那様から買っておくようにと言われていました」
「ああ、ありがとうございます。あれは、毎食後ですから減りますよねぇ」
(くくくっ。いい感じだぁ。今日は出だしから好調だ! まあ、変態の話はあれだけど……)
裏口の前で背嚢を下したハルは、薬と引き換えで銀の硬貨を受け取る。そして、満面の笑みを維持したまま頭を下げる。
「毎度どうもぉ。では、また三日後に来ますねぇ。あ、急に入用でしたら、薬箱に書いてある異邦人宿舎の部屋に、メモでも残してください。すぐ来ますから」
茶色い髪を頭の後ろで纏めている、頬にそばかすが目立つ使用人の女性は、コミカルにも思えるあくせくとしたハルの動きに頬を緩めた。
「ふふっ。はい。ご苦労様」
(おお、この人……目が細いけど、笑うとかわいい……。こういう癒し系の年上女性もいいなぁ……。おっと……のんびりしてられん)
裏門を出る前にもう一度頭を下げ、ハルは次の邸宅へと向かって走り出す。地下探索の時間を確保する為、ハルは独楽鼠のように動き続ける。
「ありがとうございましたぁ」
(たく……よぉ。マジで勘弁しろよ。くそ。ああ……あいつ……むかつくわぁ……)
三件目の貴族宅を出た所で、ハルが一度足を止めた。その家の使用人は話好きで、再び変態の話題に付き合わされたからだ。
「あっ! お前……」
(え? うそぉぉぉ……)
仕事が終了した後、夜遅くまで昔の事をシャロンと語り合ったイヴは、城に泊まった。その為、本来会わないはずのハルと遭遇したのだ。
「な……なんだ? その顔は?」
泣きっ面に蜂状態のハルは、なんとか愛想笑いをしようとしたが、上手く笑えていない。そのハルを見つめていたイヴは、前夜の事を思い出している。
「あ……ああ、なんだ。お前も、頑張っているな。こんな朝早くから。うん。感心だぞ」
(はい? なんだ? 初めての時みたいに優しい? これは……)
驚いた顔になったハルに、イヴは自分なりの優しい言葉をかける。どうやら、彼女はどうにかハルと距離を縮めようとしているらしい。
「あ、聞いたぞ。姫様の仕事も手伝っているそうだな。まあ、なんだ。あれはなかなか大変な仕事だ。見直したぞ」
(これは! 嘘だ! こいつが優しいなんてある訳ない! ちぃ! 騙されん! 騙されんよぉ!)
ハルの第六感が警告ランプを点滅させ、ヘタレの魂が逃げろと叫ぶ。彼は馬鹿の成分を多く含んでおり、イヴが仕事を除いても自分と距離を縮めたいと考えている事を、感じ取れない。
「いやぁぁぁ……ありがとうございます。今日はいい天気ですねぇ……。では、次も急がないといけないのでぇ! 失礼しまっす!」
「あっ! おい! ちょっと……」
相手の視線を自分の視線で空へと誘導したハルは、脱兎のごとく逃げていく。逃げる事に関して躊躇がない彼は、寝起きのイヴが反応できない速度で姿を消した。
(逃げるんだ! 女怖い! 女怖い! 女怖い! 女怖い! つか、ゴリラ怖い!)
「はぁ……はぁ……はぁ……」
城門前にある広場まで逃げたハルは、呼吸を整えようと立ち止まる。
「ふぅぅ……っと……」
彼が立ち止った目の前には、三メートルほどの女性の石像があった。それは、ハルベリア国が出来る前からそこにあった、過去の遺産らしい。
「町を妖魔から守った賢人ねぇ……」
石造に手を置いたハルは、訝しげに女性の顔を見上げた。
(これ……。地上部分は精がほとんど流れてないが……。なんか仕掛けがありそうだよなぁ。目立ちたくないし、夜にでも調べに来るか?)
その石像は、ハルが地下で見つけたオベリスク似の柱に支えられており、手を触れなければ分からないほどだが、微弱な精が流れている。
(そうだよなぁ。宝じゃなくても、新しい術の参考にはなるかも知れん。うん。無駄だったとしても、調べとくに越した事はないよな)
かなり表面が風化している石で作られたその女性は、大昔から変わらず、両手を胸の前で組み、天へと祈りをささげ続けていた。彼女が何を願っているかを、ハルは推測する事も出来ていない。




