12.虹の先に希望を見た者達
丸一日降り続いた雨が弱まった所で、聖都の住民達が通りを出歩き始める。空を覆う黒い雲は尚も変わらず太陽光を遮っており、また強く降り始める可能性は高い。その為、住民達は少しでも水量が減っているうちに、外へ出る用事を済ませてしまおうと考えたのだろう。
大よその者が傘を差し、布をかぶって走る者等までいる町の通りに、周囲と違う行動をとる者がいる。そのぺたぺたとサンダルの足音を石畳に響かせるハルは、傘を持っているのに差そうとしていない。
今のハルは、多少濡れる事など気にならないのだろう。何故なら地下で泥水をかぶってしまい、すでに全身がずぶ濡れだからだ。
(くそ……。あそこが川にぶつかってるとは思わなかった。くそ。見取り図に高さがいるのを、失念してた。くそ)
不機嫌そうなハルが傘を差さない理由が、他の者にもなんとなく推測できたらしく、視線を向けはするが問いかけようとしない。彼等には、タオルや着替えを持っているハルが、どこを目指しているかも分かっているのかもしれない。
「おや? なんだ? 今日は早いなぁ。どうしたんだぁ? びちゃびちゃじゃないか」
行きつけとなった公衆浴場に到着したハルは、顧客出入口の木板を外していた店主に笑われる。
「しくじりました。でかい水たまりに……落っこちちゃいまして……。あの、もうやってますか?」
ハルが浴場へ到着したのは、住民達が本格的に仕事を始めて数時間といった時間帯であり、本来は公衆浴場が開かれていない。開店準備を進めていた店主も、まさかその時間に客が来るとは思っていなかっただろう。
「ああっと、そうだなぁ。湯船はまだだが、お前がいつも使う方は大体終わりだ。入りな」
元の世界でハルは、湯船に週一度しか浸かっていなかった。それ以外は、シャワーだけで済ませていたのだ。それは、それが普通の文化圏にいた為であり、ハル独自の奇行ではない。
「無理言ってすみません。助かります」
「まあ、お得意さんの頼みだ。気にしなさんなって」
笑顔で店主に招き入れられたハルは、番台の横を過ぎて脱衣所で服を脱ぐ。そして、その泥水で汚れた服をよく絞ってから袋に詰め、浴室に向かう。
ハルが通っているその公衆浴場は、日本のそれと似ているが、別物だ。元居た世界の中東などにある、サンマームと呼ばれる形に近い。
全体が石造りで、あかすり等を行う浴室は暖炉を使った蒸し風呂になっており、お湯は部屋の隅に幾つか設置された湯樽から桶ですくって使う。顧客からの要望で、湯船のある浴室も別に作られているが、ハルはあまり利用しない。飲料水が販売されている脱衣所は、ゆっくり休憩が出来るように作られており、住民の社交場として使われている。
石鹸で全身を洗ったハルは桶で湯をかぶり、石で出来た床の上に大の字に寝転ぶ。まだ少し冷たいようだが、湯と暖炉の熱で温められた石の温もりは、ハルの体をほぐしていく。それもまた、公衆浴場のだいご味だ。
(古い地区は、思ったよりしっかりしているから、あんまり柱を作らなくてもいいが……。上から埋め立てられまくってるせいで、進みにく過ぎる)
貸し切りである浴室には、裏庭で石炭をたいているのであろう音が多少届くだけで静かだった。その静けさの中で、ハルは次の商売を成功させる為に、現状を整理していく。
(純度の高い精結晶がかなり落ちてるから、元は取れてるが……。やっぱめぼしい物は、ハルベリアを作った奴等が持って行ってたんだろうなぁ。なんも残ってねぇ)
他の仕事の時間を制限してしまう地下探索を、ハルは何時まで続けるべきかと悩んでいた。ハルベリアの地下遺跡はかなり古く、置いてあったであろう物はほぼ原形を留めていない。
(薬は雑貨店のおっさんのおかげで、まあ、順調だ。売り歩きも、信用がもらえ始めたし……。あ、貴族共に置き薬してもらうってのは、ありかな? 作る時間も、短縮出来てきたし……)
両腕を頭上に伸ばしたハルは、その場でごろごろと転がり始める。勿論それは、彼独自の奇行だ。脱衣所を掃除していた店主が、首を左右に振っている。
(やっぱ、後一週間ってところか? 利益率のいい、各集落への行商が出来ねぇからなぁ。精を溜めたから、妖魔もあまり恐れないでいいから、そろそろそっちに行きてぇ)
柔軟運動をしていたハルは、熱で頭が鈍らないように、湯ではなく冷水を頭からかぶって再び大の字で寝転がった。
(うん。やっぱり、術の実験開発もあるし、新しい商売も考えたい。最大で、十日が限界だな。それ以上は、また暇が出来てからにしよう)
「ありがとうございました」
「お? 毎度あり。また、来てくれよ」
脱衣所での休憩を終えたハルは、まだ準備を進めている店主に料金を払って、今度は傘を差して外へ出る。そして、振り返り、公衆浴場を見つめる。何か新しい商売のヒントはないかと考えているようだ。
(いや……、ここはもう、異邦人の知恵が入ってる。付け入る隙が見当たらんな)
大きく四つに建屋が分かれているその公衆浴場は、町最端の地区に隣接しており、昔は奴隷商人が汚れた奴隷達を洗浄する為に使っていた。それを元奴隷だった現経営者の祖父達が買い取り、異邦人の知恵を借りて今の形に改装したのだ。
そのもう寿命で亡くなっている異邦人は、もしかするとハルと同じ世界から来たのかもしれない。
(男女別の浴場。おっさんら、経営者一族の家。水を石炭で焚くボイラ室。うん。それ以上何もいらないよねぇ。脱衣所にカフェを? いや、大して儲かりそうにないか)
しばらく浴場の前で腕を組んでいたハルだが、大きな欠伸を一度してから、帰路につく。門外漢な事では、ハルの頭もすぐに閃きを出せない。
ただ、そのように常に考え続けるのは、商売人にとって大事な事だろう。今のハルに商売人として足りない物を上げるなら、共同経営者を得る為の、人を信じる心だろう。いまだに自分を慕う子供達をも疑ってしまうほど、彼は臆病だ。
この日、彼は自分のその後を大きく変化させる事件に遭遇するのだが、まだ認識はできていない。
一度宿舎に帰ったハルは薬を少量だけ作り、食料や日用品と一緒に背嚢の中へつめて、再び外出する。今日は、シャロン達による配給の日なのだ。それは、ハルの秘密の店が開かれる日でもある。
(さてさて、ふっかけた値段で宝石も換金できたし。くくくっ……。今日も、儲けるぞぉぉっと。いまなら、あの馬鹿姫の嫌味も、笑って流せる)
公衆浴場でのリラックスにより、体が軽くなったハルは、意気揚々と町最端にある地区へと入って行った。
(うん? なんだ?)
その地区の入り口付近で、路地裏に隠れるようにしゃがんでいたのは、今日も鼻水を垂らした宝石の処分をハルにまかせた少女だ。何故か、片目を手で隠しているその少女は、ハルを見つけると周囲をおどおどと見回してから、駆け寄ってくる。
「おいおい。後にしろよ。秘密だろ? それとも、宝石の差分が待ちきれないか? あれなら、いい額で……」
「いだない……」
片目を押さえたままの少女が、首を左右に振った為、ハルの眉間に皺が入る。その少女は、子供達の中でも知的とは言い難いが、秘密は守ってきた。それが、今日に限って秘密の集会所以外で自分に駆け寄った理由が、宝石の差分以外にハルは思いつけないからだ。
「そえ、あげる。あちし、集めたの。いっぱい……いっぱい、だよ」
「なんだ? どうしたんだ? お前」
少女が、腰につけた布袋に手を伸ばす。それにより、ハルにも紫色に腫れあがった少女の目蓋が認識できた。
驚いて膝をついたハルに、その少女は袋から出したガラス片を含んだ精結晶を差し出して、いつものように笑う。その少女の目から、涙がこぼれたのをハルが見過ごすはずもない。
「こえ……こぇぇ」
「どうした? 状況を教えてくれ。な?」
必死に精結晶を差し出してくる少女に、ハルは訳を聞こうとしたが、顔をぐしゃぐしゃにして泣き始めた彼女の言葉が理解できない。
「いぃぃぃ……。おと……おとざん……おとざんがああぁぁ。にいぢゃん。だずげでぇ……」
ハルが理解できたのは、少女が自分に助けを求めている事だけだった。それでも、少しだけ体温を上げたハルは、鼻水が服に付着するのを気にせず少女の頭を抱えてやる。
(いけねぇなぁ。こりゃ駄目だ。こりゃ、ガキが流していいもんじゃねぇ)
自分の昔の姿ではなく、大事な女性の幼かった頃を思い出したハルの目は、鋭く変わっていく。
「お兄ちゃん! 来て……くれだああぁぁ! おにいぢゃん!」
メルを含めた他の子供達も、ハルを見つけて駆け寄ってくる。ハルを探していたらしい大勢の子供達は皆、体のどこかに怪我をしていた。
「落ち着け、ガキ共。それぞれが持っている情報を、俺によこせ。いいな?」
何故か自分に精結晶を差し出す子供達に、ハルは問いかける。そして、その地区で起こっていた事件について知った。
「私の……お父さんも……。苦しんで……動かなくなってぇ……」
発端となったのは、その地区で闇取引されていた密造酒だ。
ハルは調べられていなかったが、ゼノビアでは酒に関する法律が数年前に作られた。特定の業者や集落以外での酒類製造は、禁止されている。それも、許可がある業者でも、ある一定値以上にアルコール濃度を高めてはいけない。その法が作られたのは、異邦人の作った度数の高い酒が出回り、依存症になる者が大勢出たからだ。
ハルの居た世界のように、カフェインなどの刺激物がどこでも手に入る訳ではない世界。その世界で現実から解放された気になれる度数の高い酒は、危険なほど人を魅了してしまう。それを知った王が、開発者である異邦人を追放し、新たに法を作ったのだ。
(メタノールか? そうか。石炭があれば可能なんだ。落ち着け。情報を整理しろ)
悲劇は、依存症から抜けられず、密造酒を買っていた者達の手にした酒の中に、俗にいう工業用アルコールが混ざっていた事で引き起こされた。それは、人間にとって毒なのだ。ある一定値以上を摂取してしまうと、運が良くても失明し、最悪は命が尽きる。
(あ、そういえばメルが……。なるほど。親父さんが依存症だったのか)
メルがハルに救われた日、彼女は死にかけていた。それも、食事をとっていなかったせいでだ。そこで、ハルは三日ごとの配給がある状況で何故メルがそうなったかを、大よそ理解した。彼女の親は密造酒を買う為に、配給される食料や日用品を金に換えていたのだ。その為、親に逆らえなかったメルは、空腹の限界に達してしまった。
(ガキ共の親……ほとんどが依存症患者かよ。そういえば、この地区って特によっぱらいが多かったな。くそ、見落としてた)
その地区にいる子供は、片方だけの場合も多いが、必ず親がいる。両親をなくした子供は、施設で預かってもらえるのだから、残るのは親がいる子供だけだ。
密造酒のせいで親を亡くしたその子供達は、怒りから密造酒の組織に集団で襲い掛かった。そして、当然のごとく、返り討ちに合ってしまう。街の中を警備する兵士達のように、殺傷能力の低い術など持たない彼等から、殺されずに逃げられただけ運が良かったと言えるだろう。
(聞いた限りだと、二十人以上はいるのか。兵士をかなり掻き集めないと、どうにもならんな。町の端にある隠し倉庫か……)
兵士を呼ぼうかと考えたハルだったが、メルのある言葉で顔を歪める。他の者を逃がす為に、年長の少年と他数人が捕まってしまい、殺されてしまうとメルはハルに訴えかけたのだ。
(くそっ! 兵士達を俺が集めても……かなり時間がかかっちまう。どうする?)
「お兄ちゃん! 助けて下さい!」
泣いている子供達全員が、両手に精結晶や食料等を持ち、ハルに差し出していた。それが子供達の全財産なのだろう。精や食料の一つ一には強い想いが込められており、レートで換算できないほど重い。
ハルにそれを差し出してしまえば、ひもじい思いどころか飢え死にする子供もいるかもしれない。それでも、この世で唯一信じられる存在であるハルに、子供達は全てを託そうとしていた。
術の道具を装備しているであろう二十人と戦う事が、どれほど危険かハルも認識できていた。
しかし、子供達の真っ直ぐな涙に濡れる目を見て、頭の線を切ってしまったハルは、口角を上げていく。
「お……兄ちゃん?」
邪悪としかいえない笑みを浮かべたハルは、子供達に袋を差し出した。
「仕事の依頼だろう? なら…………依頼料をもらおうか」
「にいぢゃ……にいぢゃああぁぁん!」
ハルが口にしたのは、子供達が心底待ち望んだ言葉だ。子供達は目から流れ出す生暖かい水を何度も拭いながら、嬉々として自分の全財産を袋に入れていく。
背嚢から薬や包帯を出したハルは、メルに投げ渡した。そして、グローブをはめて魔方陣の中へその背嚢をしまう。
「こないだ教えた応急処置は覚えているな? あと、それは化膿止めだ。全員に一錠ずつ飲ませとけ」
その世界では誰も知らないが、ハルは[狂った鼠]という字名を持っている。
人権などない組織にいた平凡な能力しか持たないハルが、処分されず生き残ったのには明確な理由がある。ハルはあるレベルまで恐怖や怒りといった感情が高まると、頭の大事な線を切り、腹を据えてしまうのだ。そうなったハルは、自分より強い相手に卑怯な手段まで使って、死に物狂いで何度でも挑みかかる。そして、結果を残してきたのだ。
施設の能力が低い子供達は実験動物という意味も含めて、ラットと呼ばれる事があった。その捕食される側の凡百でしかない鼠の中で唯一、げっ歯類特有の鋭い前歯を猫の喉に突き立て続けたのが、ハルなのだ。ゆえに彼は、狂った鼠と呼ばれていた。
「この事は、秘密だからな。いいな? まあ、後は……なんだ。隠れてろ。受けた仕事は、きっちりやるのが俺の主義だ」
左腕の刻印を光らせ、ワイヤーを出したハルは建物の屋根へと跳び上がっていく。そして、魔方陣から取り出したメダルをベルトのバックルにはめ込み、仮面の刻印に指を付ける。
(言葉を……封じる!)
黒い仮面をつけて体内の精を高めたハルは、グローブから出した魔方陣を体にぶつけた。偶然ではあるが、そんな彼の頭上に雲間から光が差し込み、小さな虹を作っていく。
(さあ! 始めようじゃねぇか! くそったれ共っ!)
強化の術を発動させて、屋根伝いに驚くほどの速度で走り始めた彼を、子供達は見つめ続ける。その目には、明確な希望の光が宿っていた。
ハルが屋根伝いに走り始めた頃、広場で配給の準備を進めていたシャロンが、大きなため息をつく。それを見たアルバートは笑いながら、シャロンへと声をかける。
「今日は遅いですねぇ。ハルさん」
アルバートの言葉で、情けなく眉を下げていたシャロンは、表情に怒りを表現し始めた。
「そうです! あの方は……本当に、いいかげんです! それに……いつもへらへらと話を逸らしますし! 何を考えているかも、よく分からない!」
腕を組んで声を荒げるシャロンを恐れて侍女達が距離を取り、アルバートが困ったように笑い続ける。そのアルバートに対して、シャロンは尚も怒りの言葉をぶつける。本来ぶつけたい相手が、その場に姿を見せないからだ。
「こちらは、わざわざ安くもない費用まで準備しているというのに! 連絡もないなんて、いいかげんすぎます! こっちの都合はお構いなしですよ! それに……あ……」
つい怒りをぶつけてしまった相手が、笑顔のアルバートだと気が付いたシャロンは、赤くした顔をそむける。
「す……すみません。あの、私は……どうかしていますね。本当に申し訳ありません」
「いえいえ。お気になさらないでください」
色々な重荷を自ら背負い、努力し続けるシャロンの毒抜きになれる人物は、一人よりも二人の方がいいだろうとアルバートは考えていた。その為か、日頃は口にしないであろう言葉も、その時は吐き出す。
「ハルさんは確かにつかみどころのない人です。いまだに私も、よく分からない。ですが、悪い人じゃありません。それだけは、自信を持っています」
ばつの悪そうな顔をしたシャロンは、太陽光が差し込みながらも雨の降り続く、珍しい空へと視線を向ける。
「はぁ……。私も……まだまだです。おじい様。リリー? 今日は配給に私が向かいます。準備は出来ていますか? それから、アルバート。後は、お願いしますね」
待ち続けるのが性に合わないと思えたシャロンは、配給を自ら配ると言い始め、兵士達を連れて広場を離れていく。
「はい。では、皆さん。今日は、ハルさんがいない分大変ですが、頑張りましょう」
シャロンに変わってその場を仕切り始めたアルバートは、いつも以上の笑顔を作り、皆に指示を出しつつ自らも手を動かす。
「あら? そういえば……。今日は、子供達が少ないような……」
子供の数が異常なほど少ない事に気が付いたシャロンは、荷車の荷物を確認しながら首を傾げる。
シャロンやアルバートは何も知らない。
泣き続ける子供達は路地裏で身を寄せ合い、傷を癒そうとしている。そして、到着を待っている男性は、勝てるかどうかも分からない戦いに、口角を上げたまま一人で挑もうとしていた。その子供達を襲った理不尽な力を、消し飛ばす為に。
兵士達の目が行き届かない地区にある小高い場所に、木造の掘っ立て小屋がある。そここそが、密造酒を作っている組織の拠点だ。小屋の中には、地下へと続く階段があり、中はかなり広い。
「このっ! 出来損ないのくそ馬鹿が!」
長く黒い髪を持つ無精ひげを生やした異邦人である男性が、簀巻きにされている男性の顔を、容赦なく蹴りつける。
「いぐぅ! ずびばぜん……ずみっ! あがっ!」
蹴られ続ける腫れあがった顔の男性は、鼻血と涙を流しながら許しを請う。その男性に対して、異邦人男性だけでなく、他の者も制裁を止めようとはしない。
簀巻きにされて転がっている男性は五人。その五人は、異邦人男性が試作していたメチルアルコールを持ち出し、ジュースに混ぜて小遣い稼ぎにばらまいたのだ。当然、彼等はその許可を組織のボスからとっていない。
「たく……よぉ。おめぇは、もうちっと賢いと思ってたんだがなぁ。俺の見込み違いだったようだなぁ。もう、いらねぇ」
組織の中心人物らしきスキンヘッドの太った男性は、他への見せしめという意味でも、その男性五人を徹底的に痛めつける。道徳などどうでもいいとしか思えない彼等は、五人の命を消してしまおうと考えているようだ。
「くそっ! くそっ! くそっ! 最悪だ! やっと、軌道に乗り始めたってのに! このぼんくら共のせいで!」
頭を狂ったように掻き毟っている異邦人男性は、正気とは思えないほど失敗した者達を痛めつけている。
だが、彼が正気を失ったのは、その五人が発端ではない。彼がおかしくなったのは、苦労して作った度数の高い酒を王に禁じられ、国外追放の刑を受けてからだ。
「またっ! まただ! くそ! いつもそうだ! 誰かが俺を妬んで邪魔をしやがる! いつも! いつもだ!」
数年前、生きる糧を酒類製造と決めたその男性は、苦心の末目的の酒を完成させた。そして、それは瞬く間に売れて行き、男は大金を手にする。
それが良くなかったのだろう、酒の危険性に気付いた兵士達から注意を受けても、彼は酒の製造と販売を止めなかった。理由は簡単で、度数の高い方がよく売れたからだ。
あまりにも説得に応じなかった男性は、最終的に妖魔のいる世界で死刑と同等の刑を言い渡される。そこに目をつけたのが、太ったスキンヘッドの男性だ。暗い世界に自ら住まう者は、獲物の臭いを的確に嗅ぎ分け、心の隙間に忍び込む。
身勝手なその者達の行いは、最終的に人の命まで奪ってしまった。
「なんでだっ! このゴミが! かわいそうな俺が……なんで苦しまなきゃいけないんだ! 消えろ! 死ね!」
「手加減するな。この馬鹿共のせいで、五月蝿い兵士共が来るのも時間の問題だぁ。肩慣らしに、やっちまえ」
その地下で怯えた目をしているのは、失敗をした五人だけではない。縄で縛られている子供達も、男達五人と同じ目に合わされると震えていた。
「いやだ……いやだよぅ……うぅぅ」
親の仇をとる為に、子供達は組織の人間を襲い、返り討ちに合う。仲間を逃がす為に掴まった子供の言葉で、五人の愚行が組織にばれ、制裁が始まったのだ。
「嫌だぁ……死にたくないぃぃ……」
掴まった子供は三人。そのうち二人は小さな声で泣きながら震えているが、一人だけ今も憎しみで視線を鋭くしている男の子供がいる。年長のリーダー格だった少年だ。酒のせいで母親を失った怒りを燃やすその少年は、どんな目にあっても泣かないと決めているらしい。
だからといって、その少年が希望を持っている訳ではない。自分も助からないと、諦めている。それでも泣かないのは、彼の意地なのだろう。
「かあちゃん……くそ。あいつ等全員……掴まって、死刑になればいいんだ」
冷たくなった母を思い出して目頭が熱くなり、強く目蓋を閉じた少年は気付いていない。小屋の見張りをしていた男が、締め落とされて失禁した事を。
五人に向かって術の道具である、杖や小手を向けた男達は勘付けない。靴を脱いで足音を消した者が、地下へと侵入した事を。
「ひぃ! なんだっ! もう、兵士が来たのか?」
爆音と共に吹き飛んだ扉に目を向けて、組織の男達は顔をこわばらせた。彼等がすぐに状況を理解できなかったのは、扉のなくなった出入り口には煙幕のように水蒸気が立ち込めているからだ。
「えっ? なんだ? あいつ?」
水蒸気の中には、黒い仮面をつけた男が一人だけだった。その背後に、仲間や兵士達はいない。
状況が理解出来ずに顔を見合わせていた男達は、仮面の男性が右手のグローブから浮き上がらせた光の文字を読む。そして、相手が敵なのだと認識する。
『汚くて臭い馬鹿紳士の皆様。ちょっと私と遊びましょう。簡単なゲームです。ルールは簡単。最後に立っていた方が総取りです。馬鹿なお前等でも分かりますよね? 準備はいいですかぁ?』
男達と同様に目をしばたたかせていた少年の前で、地面を這ってきた光の文字が止まる。その瞬間、少年はあまりの嬉しさで意地を忘れ、涙をこぼしてしまう。
『隙を見て逃げろ。ただ、焦んなよ。くそガキ共』
少年には、誰が助けに来たかが分かったのだろう。
ハルが敢えて扉を派手に壊したのは、注意をそちらに向けさせ、安全に侵入する為だ。水蒸気の中に立たせているのは、完成に近付いた自分の幻影でしかない術の分身体。本体はすでに室内の隅へと移動している。
部屋の隅に置かれた木の樽の後ろで、目をぎらつかせた一匹の鼠が息をひそめた。理由は、狂ったダンスを上手く踊る為だ。




