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破顔の術式  作者: 慎之介
一章:変態犯罪者、聖都に誕生
11/29

10.瞳に光を灯す者

 聖都の最端にある地区は、他所の排水が最終的に流れ着いてしまう為、すえた臭いが漂っている。街並みというよりも瓦礫という言葉が似合いそうな、古いその地区にある建物に趣は感じられない。そこは奴隷にされた人々を、ぎりぎり生かす為だけに作った場所なのだから、経年劣化すればそうなってしまうのは当然だ。

 道沿いにすし詰め状態で建てられている各家は狭く、設備が全くない。日干し煉瓦で作られた窓さえないその四角い家々は、家畜小屋のような物だったのだろう。作り自体がいい加減で、道や階段と同じで崩れたまま放置されている所も多い。

(床はただの固めた土……。風呂どころか、台所すらないな)

「ゼノビアになってから、補強をしたりはしているのですが、この数はなかなか……」

 空き家らしき一軒を覗き込んだハルに、アルバートが色々と説明をしている。

 少し前からそこまで必要なのかと聞きたくなるほど、アルバートはハルに解説をしていた。それは、ハルが講義の教え子であるという理由だけではない。ハルのように建設的で活発に動ける異邦人なら、その地区に何かをしてくれるかもしれないと、期待をしているのだ。

(不衛生だな。伝染病でもはやれば、一発アウトってところか)

 アルバートの思惑をなんとなく分かっているハルは、トレジャーハントから町の改善へと思考を移していた。

(でもなぁ……。ここの住民は金払えねぇよなぁ。国の金も配給できついっつってるし……。ボランティアなんてまっぴらだし……)

 金儲けにはよく回転するハルの頭だが、今は動きがかなり鈍い。無償という言葉に、拒絶反応を示しているのだろう。


(ここまでおんぼろだと、いっそこの地区自体全部ぶっ壊して立て直した方が……。駄目だな。それこそ、配給できなくなるほど金がいる)

「ふぅ……。うん? うお!」

 溜息をついたハルは、背後から何かを引き摺るような音を聞いて振り返った。そして、顔を強張らせる。

 汚れた貧相な身なりの者達が、それぞれの家からふらふらと這い出してきていた。彼等は、複数の荷車が奏でる車輪の音を聞き取り、配給を受けようとハル達の後について来ていたのだ。

(ゾ……ゾンビ映画みてぇだな。ショッピングモールにでも逃げ込めばいいのか?)

 シャロン達の最後尾にいるハルは、頭でそんな事はないと分かっていながらも、襲いかかられないかと後ろを定期的に見ながら進んでいく。彼のその臆病さも、人間が生き残る為には必要な物なのかもしれない。

「これが……悲しい事ですが、ここの現実です。あまりいい言葉ではありませんが、ここを地獄と表現する人もいますが……。間違いではないのでしょう」

(地獄……ねぇ)

 俯いて心底悲しそうに呟いたアルバートと、全く違う事をハルは考えている。

「せめて設備や見た目だけでも……。急ぎたいんですがねぇ」

(見た目だけ取り繕ってどうするんだよ。たとえ小奇麗でも……自由のないきつい場所はあるんだがなぁ)

 鼻から息を吐いたハルが思い出しているのは、夢にまで出てきた幼い頃の日々だ。あの世ではないこの世の地獄も、色々な形があるのだろう。



 シャロン達一行は、大通りを抜けて開けた場所に出た所で動きを慌ただしくする。目的の配給をする広場に到着したのだ。その広場はかつて奴隷市場だった悲しい所だが、今は人々の笑顔で溢れていた。

「じゃあ、ハルさんは私の補助をお願いします」

 すでに広場には、大勢の配給を待つ人々が詰めかけており、それを見たシャロン達は大慌てで準備を進める。のんびりと歩いていたアルバートも、広場へ出た瞬間に走り出す。

「ああ、はい。分かりました」

(嫌だけどねぇ)

 荷車から木製の折り畳み机やテントを下した兵士達は、慣れた手つきで配給用簡易設備を組み立てる。シャロン達女性陣も、調理機材と既に一次加工を済ませている食料を下して、準備を進めた。

「おい。お前。こっち……え? お前……一人で組み立てたのか?」

 テントを一つ組み上げ終えた三人の兵士が、ハルに声を掛けようとして目を見開く。

(お前ら、遅過ぎんだよ。樹海や山で訓練させられまくった人間舐めんなよ)

 自分の作業をしつつ、テントの組み方を横目で見ていたハルは、三人と同じ時間でテントを二つ組み上げ終えていた。彼は特出した能力を持っていないが、器用貧乏と揶揄されるほど全てをこなす力を持っている。

「あら……もう、済みましたか。では、パレンバーグ夫人。お願いしますね」

「はい。貴方達。ついてきなさい」

 調理以外の準備が済んだ事を確認したシャロンは、早過ぎる事に首を傾げながらも次の指示を出す。指示を受けた貴族らしい中年女性が、荷物の少なくなった荷車を兵士に引かせて移動を開始した。

「よいしょっと。あっちは、なんです? 付添いの兵士少ないですが……。あれでいいんですか?」

「ああ。あれは、家から動けない病気の人や、仕事で来られない人の家へ配給品を直接配りに行くんですよ。あっちは、兵士が少なくても……大丈夫なんです」

 広場の井戸から汲んできた水を、寸胴鍋に移し替えていたハルに、アルバートが裏の事情を説明する。

 配給品や食料を持っているのだから、襲われるのではとハルは考えた。それが普通だろう。

 だが、住民達はそれをしない。盗むにしても、強い兵士達からではなく配られた後の弱い者からと考えるのだ。何よりも、直接襲って配給を停止されればと恐れるだけの頭はあるらしい。

 また、配給をもらえない法を犯す者達も、住民達から配給品を奪うか安く買いつけて利益にすればいいと考えて、手を出してこない。

(ああ、裏の金貸しがこの地区にいるのは、この配給品を狙ってか。なるほど。うん? また割り込みで喧嘩か……。馬鹿かお前ら)

「じゃあ……。私は、料理得意じゃないんで、あっちの整理に行きますね」

 ハルが列の中で喧嘩する者達を指さし、アルバートは状況を理解してうなずく。やる気が出ないハルではあるが、料金をもらっているせいかさぼろうとはしない。

 その兵士達よりもよく動くハルを、シャロンはちらちらと見ている。少しだけ微笑んだ彼女は、ハルを見直して少ししたたかな思惑を巡らせていた。次回からの配給も、理由をつけて手伝わせようと考えているようだ。

「はいはい。後から来た貴方は、後ろに大人しく行って下さいねぇ。じゃないと……食事の量減らすぞ、ごら」

 笑顔を維持したまま、眼光を強めて声を低くしたハルは、杖を振り回して暴れていた老人を無理矢理黙らせる。その地区の者達には、無理に内面を隠さなくてもいいとハルは考えているようだ。

「ね? はいはい。少し待ってくれれば、みんな幸せですってぇ」

 ハルの発する得体のしれない圧力に負けた老人は、ぶつぶつと文句を言いながらも指示に従う。

「ふぅ……。腹が減ると気が立つのかねぇ。めんどくせぇ。おっ? へぇ…………なるほどねぇ」

 シャロン達の調理が終わり、配給が始まる。周囲の騒がしさでそれに気が付いたハルは、動きを止めて顔を向けた。

 忙しなく働くシャロンを、ハルは視線だけで追いかける。そのハルが抱いたのは、好意ではあるが恋愛的なそれとは違う。

「大丈夫ですか? はい。段差ですよ。気を付けて」

 白内障による全盲ではないかと思われる杖を突いた老女の体を、シャロンは支えて誘導していた。風呂へろくに入らないその地区の住民を、侍女や兵士達は直接触ろうとしていない。

 しかし、シャロンはそれを気にしていないようだ。次々と弱い者へ手を差し伸べる。それが見せかけのパフォーマンスではないと、ハルにも感じ取れたらしい。

(侍女は嫌々ってところか。偽善と善を横に並べると、ここまではっきり分かるんだな)

「あの……姫様……」

 額の汗を手の甲で拭ったシャロンに、数人の手を後ろに隠した子供達が駆け寄る。その子供達の頬は、少し朱に染まっていた。

「貴方達は並ばないのですか? どうしたのかしら?」

「いつも! ありがとうございます!」

 子供達が後ろに隠していたのは、路上に生えていたらしい草の花だ。周囲の者をどきりとさせる笑顔になったシャロンは花を受け取り、慈しむ様に子供達一人一人の頭を撫でていく。

「ありがとう」

「えへへぇ」

 脂ぎって埃塗れの小さな頭を、シャロンは汚いなどと思っていないのかもしれない。

(ふぅぅぅん……王女がそこまでやるかねぇ。兵士達が心酔するはずだ)

 ゼノビアの住民達が自ら納税し、罪をあまり犯さない理由を少しだけ理解したハルは、口角を上げた。



「あづぅあああああああぁぁぁぁ!」

 穏やかな空気と食事のいい香りが漂う広場に、大きな男性の叫び声が轟く。広場の端に座り込んで食事をとっていた住民達は、テントのある方向へと目を向けた。

(いたたたたたたたたたっ!)

 寸胴鍋に入っていた熱湯をかぶってしまい、急いで服を脱ぎ捨てているのは、勿論ついていないハルだ。

 妖魔のせいで片足をなくした男性が、テント前で走っていた子供とぶつかってしまい、二人ともが転倒してしまう。そして、机にぶつかった子供に、追加の食事を作る為に水を沸騰させていた寸胴鍋が落下してきたのだ。

 ほぼ反射的にヘッドダイビングをして子供を突き飛ばしたハルは、今苦痛に顔を歪めている。

(せなっ! 背中! ちょっ! 洒落にならん!)

「ハルさん! これ!」

(わっしょいっ!)

 アルバートの差し出した桶を受け取ったハルは、迷わず中の水を背中にかけて呼吸を落ち着けた。

「はぁはぁ……。死ぬかと思ったぁ。あれ? デジャブ? 同じ事をさっきも言った気がする。おっと……」

 上半身裸でびしょ濡れのハルは、立ち上がって自分の突き飛ばした子供の前にしゃがむ。その突き飛ばされて土埃に塗れた子供は、怯えたように震えながら目に涙を溜めていた。余りの出来事に、泣く事さえ出来ないのだろう。

(こん! くそがきゃあ!)

「え? なっ! 貴方っ!」

 ハルはその子供の頭を、適度な強さで平手打ちした。それに反応した子供は、泣き始める。シャロンはそれを見て、怒りを顔に出した。

「危ないから走るなって、さっきも言っただろうが。次はもっと強く叩くからな? いいな?」

「う……ひっく……ん……うぅぅ……ごべんだざい」

 子供を立たせて汚れを軽くはらったハルは、広場の方を指さす。

「行ってよし」

 泣きながらも笑顔を見せた子供は、もう一度謝罪の言葉を口にしてから歩き出した。その一部始終を見ていたシャロンが、呆然としている。

「ちゃんと叱るのも、大人の役目です。どうですか? ハルさんは? 私が目を付けた理由、分かって頂けましたか?」

 片足の男性を助け起こし終え、シャロンの隣に移動したアルバートは、にやにやと笑いながら問いかける。

「あ、それから……。最近町に出回り始めた、あの凄い薬ですが……。背嚢を背負った若い異邦人の男性が、売り歩いてるそうですよ。あれで助かった人も増えてますよね」

 軽く唇をかみ、眉間に皺を作ったシャロンは、ハルへと歩み寄っていく。

(ったく。今日は最高の日なんだか、最低の日なんだか……。うひゃん!)

 火傷をして敏感になっていた背中に、我慢できないほどのむず痒さを感じたハルは、立ち上がろうとした。

 だが、肩を押さえられており、崩れるように臀部を地面へつけてしまう。

「じっとしていなさい! 今……今、治してあげますから……」

 肩を押さえていたのは、シャロンだ。彼女は石の砕けたままになっている指輪を交換し、細胞を活性化させる暖かな光を手から放つ。

(声ぐらいかけろよ! ビビった! 今度は尾てい骨が、痛いじゃねぇかっ! って言ったらまた兵士が槍向けてくるんだろうなぁ)

 息を吐き出して大人しく治療を受けるハルは、シャロンが頬を染めている事に気が付かない。

 シャロンは、格子状に刻まれたハルの背中にある傷跡を見て、つい指を這わせてしまったのだ。その事を、少し恥ずかしいと感じたらしいシャロンは、無言で治療を続けた。

 ハルの背中にある古傷は、皮膚どころか肉にまで深く刻まれたせいで、いまだに体温が上がると浮き出してくる。その傷を十歳のハルに負わせたのは、研究施設の職員だ。

 研究施設にいた当時のハルは、ある少女を庇って職員の腕に噛みついた。彼がそこまで明確に敵意を剥き出すのを初めて見た職員達は、他の子供に伝染してはいけないと事態を重くとらえる。そして、徹底的な教育という名の拷問を選択したのだ。

「この傷……深くて……古い」

 とても小さな声で、シャロンは呟いている。治療の術を行使し続けながら、彼女はハルの古傷に幾度か触れていた。

「はい? 何か言いました?」

「なんでもありません。もう少し大人しくしていなさい。いいですね」

 シャロンが真っ黒なハルの過去を知るのは、もう少し後の話だ。

 しかし、今の彼女でもハルの背中の傷や行動から、何かは感じ取れたらしい。

「もういいですよ。立ちなさい」

(ええ? それさえも、命令? もうやだ。この姫さん)

「はぁ。どうもありがとうございました」

 立ち上がったハルは、頭を下げた。そして、念の為シャロンの胸部を、脳内のフィルムにもう一枚だけ焼き付ける。シャロンの胸ばかりを見るハルが、相手の朱に染まった頬に気が付けば、展開は変わったはずだ。

 だが、そうならないのが運命で、ハルという人物の人生そのものなのだろう。



 配給を全て済ませ、テント等の片づけが終了すると、ハルはシャロン達に頭を下げた。勿論、雇ってくれたお礼などではなく、別れの礼儀として頭を下げただけだ。

「では、私はこれで失礼します。次の仕事もありますから」

「あ! 待ちなさい! 三日後の同じ時間に、ここで同じ事をします。ですから……」

 自分を呼び止めたシャロンの声で、ハルの作り笑顔が崩れる。死にかけた上に合わない仕事をさせられて、疲弊しているせいだろう。

(来いってか? 嫌だよ! 時給的には悪くないけど、これ、俺に合わないもん!)

「あ……。あの……気が向いてで構いません。ですから……三日ごとにやっていますから」

 ハルのあからさまな不満の表情で、声を尻すぼみにしたシャロンは、働きに感謝すると最後に吐き出して顔をそむけた。

(そんなに嫌々なら、誘うなよな。おっと、それよりお宝だ! この嫌な気分を良くするには、お宝しかない!)

「あ、まあ。考えておきます。では」

 目線を送ったアルバートが頷いたのを見て、ハルはその場から早足で消えていく。彼が向かった先は、地下へと続く穴の一つだ。

(待ってろよぉぉ! お宝ちゃん! この俺が迎えに行ってやるからなっ!)

 空中に出現させた魔方陣からランタンを取り出したハルは、欲に塗れたとても濁ったいい笑顔を浮かべて突き進む。



 ランタンの取っ手を口にくわえ、壁につけたノートに図を書いていたハルだが、手が止まる。

(空気の流れはある。ガスは溜まってないが……ちとやばいな)

 地下道を歩いていたハルが気にしているのは、溜まった汚水やヘドロなどではない。天井や壁を支えている柱や梁が、木製だという事だ。長い年月で折れている箇所や、腐って柱の跡だけしか残っていない所もある。

(地面を操る術はあるけど、生き埋めにされたらどうしようもなくなるな。それに、この臭いは正直気分が悪くなってきた)

 ハルが地下へ侵入してすでに数時間が経過しており、外の空には星が瞬いていた。宝に早く辿り着きたいと考えるハルだが、体力的な限界もあり地上へ向けて一時撤退を始める。

(うん? しまった。見落としてた)

 帰り道で見つけた石作りの壁や床を、立ち止まったハルはランタンの光で照らして確認していく。

(やっぱりそうだ。今日入れたのは多分、ハルベリア国時代の作りがいい加減な所だけだ。古い時代の地下道は、ほとんど封鎖されているっぽいな)

 その場所は崩れそうにないと考えたハルは、座り込むと魔方陣からハルベリアの見取り図をだし、自分の作った地下の図と照らし合わせる。

(ここは駄目だな。上に大きな建物があるはずだ。下手に崩せば俺が死ぬ。出来れば、危険の少ない……道か広場の下あたりを崩したいな)

 宝物を探そうとしているハルの脳は、昼間と違ってよく働いており、顔も凛々しくなっていた。

「やっぱ駄目だ。フル装備で来ないと、どうにもならん。てか……くせぇ。本格的に気分が悪くなってきた」

 出口へ向かうハルの足は、疲れから重くなっていたが、徐々に動きが早くなっていく。

(そうだったああぁぁ! 忘れてた! 今日もいっぱい金稼げたんだ! 夜の……夜のパラダイスに!)

 鼻息を荒くして目を充血させたハルは、気が付くと走り出していた。彼の背中を押すのは、欲という名の黒い力だ。彼はその力が、他の者より強い可能性がある。

(あの! 柔らかい幸せを、もう一度! 出来れば、追加料金で、それより上も! みな……みなぎってきたああああぁぁぁ!)

 苔むしたかびだらけの地下道に、軽やかで力強い足音が響く。


 出入りを見られたくないハルは、注意深く音で外の確認をしてから、地上へと抜け出した。そして、自分の服についた臭いを嗅ぐ。

(やべぇ! これ、やべぇ! あの……やべぇ! まだ公衆浴場も閉店していないだろうし、行くべきだな。こりゃ)

 その空間に存在しながら、別の次元に本体がある多重次元グローブは、不変で臭いもついてないとハルは口角を上げた。

(なんだ? 何かいる?)

 そこでまた、ハルの直感が何かの信号を掴む。頭を掻き毟ったハルは、歓楽街へ向かいたい気持ちを抑えて、路地裏へと歩を進める。


「お……月様……。綺麗でしょ? これ……メルの……宝……物……」

 路地裏の一角に月光が差し込む場所があり、そこにぼろ布のような服を着た少女が、寝転がっていた。そのメルという名の少女は、精結晶を月の光にかざして、弱弱しく笑っている。

 昼間の配給にもきていたその少女は、もう一週間以上も食事をとっていない。彼女がそこまで弱っているのは、理不尽な力が原因だ。

 配給の日用品と食料を持って帰路についていた彼女は、自分より二回り以上も体が大きな少年達に襲われたのだ。それが日常の一部であるその地区で、少女を助けようとする物好きはいなかった。

 暗くなってから目を覚ました今の彼女には、もう動くだけの体力も気力もない。ポケットに入れていた宝物である精を眺め、自分の最後を待つ事しか出来ないようだ。

「あ……い……や……。だ……め……それ……メルの……」

 大きな影に月を隠され、宝物である精結晶まで取られたメルは、力なく訴えかける。

 だが、辛い現実をすでに知っている彼女は、それでは何も変わらないと知っているようだ。自分より強い者が目の前にしゃがんだ時点で、希望の光は瞳から消えている。

「おお。純度高いねぇ。いいもん持ってんじゃん」

 ほぼ悪党しか吐かないであろう台詞を、笑いながら瀕死の少女に向けたのはハルだ。魔方陣から竹筒を出したハルは、少女の口に水を灌ぐ。

(この手があった! くへへっへへっへ! これで、ここでも商売できんじゃん!)

「おい、くそガキ。これ売ってくれよ。食料でも金でも、欲しい物言えよ」

 まさに渡りに船といった申し出を聞いた少女だが、まだ瞳に光が戻っていない。彼女は、どうせ期待だけさせて、また突き落とされるだけだと考えていたようだ。

「ご……飯……食べ……たい……」

 全てを諦めながらも、もしも願うならと呟いた少女は、ハルという人間を知る事になる。

「ほれ、取り敢えず手付けだ。よく噛めよ」

 竹筒内の水に砂糖を溶かし込んだハルは、少女の口へ少しずつ流し込む。それが終わると、自分の緊急用にと持ち歩いていたパンを、水でふやかせてから少女の口に小さくちぎって押し込んでいった。

 ハルにとって商売とは、利益さえ上がれば顧客は誰でもいいらしい。自分で手を動かし始めた少女の前に追加の食料を出し、強い術に変換できるであろう精を嬉しそうに眺める。

(そうだよ。俺は、これを買えば利益になるじゃん! ここの奴らに集めさせれば、最終的に勝者は俺じゃんか! 損して得取れって事だ! げへへ)

「あり……がとう。あ……」

 笑おうとしていたメルの顔が、ハルの催促するような手で悲しそうに歪む。彼女は、金銭を要求されると思ったのだろう。

「他にも持ってるなら出せよ。精結晶。俺なら、多分全部買えるぞ。宝より、命が大事だろ? ま、売りたい分だけでいいがな」

 全てを諦めていたはずの少女だが、瞳に光を戻していく。それを邪悪な笑顔のハルが見つめる。

「あ、その前に……これは初回サービスってやつだ」

 少女の深い切り傷がある腕を掴んだハルは、水で傷口を洗い流し、口の中に錠剤を投げ込んだ。

(取り敢えずの化膿止めっと。てか、アルコール欲しいな。そこらの酒は、アルコールが薄すぎてあんまり消毒に使えないし……。自分で蒸溜するか? いや、自信ないしなぁ)

「んぐっ……。お兄ちゃん? なんで、そんなにメルに優しくしてくれるの?」

「優しかない、ただの商売だ。さあ、商談といこうか、くそガキ」

 尚も怪しく笑うハルは、両手を胸の前でぱんっと鳴らして少女に精を出すように催促する。


 どうしても女性より利益を優先してしまうハルは、新たな商売の糸口を見つけ、真っ黒い何かを煮えたぎらせた。今の目をぎらつかせる彼を見て、善人か悪人かとアンケートを取れば、ほぼ後者に票が入るだろう。

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