introduction 09 Digitial Surrender - 降る世界と委ねる者たち /18
※この作品はフィクションです。実在の団体・組織・企業・人物とは関係ありません。
仮想世界が「現実」となった時代――
企業が支配する電脳世界「インター・ヴァーチュア」。
自由を求める者たち、デジタル生命体(DQL)、そしてコード・フレームワークを駆る戦士たちの戦いが始まる。
ケイト・マーガレット・マレーはあくびを噛み殺しながら、HODOの5層にある港湾部をジクサーに向かって歩いていた。
あたりはすっかり明るく、グレート・フラットの白い蛍光灯のような朝日が目に刺さるようだ。
こめかみがズキズキとする。
「まあ、いつものことだけどさぁー」
仮想現実でも飲み過ぎれば二日酔いだ。
調子に乗って、粗悪なレ・ザミューズ・グールのコピーデータを2本空けていた。
データの質で悪酔いの質も変わるのかは知らないが、飲み口が良いのでガブ飲みでやってしまった。
どうせ現実じゃないなら、気持ちイイことだけ感じられて、ツライのは反映されなきゃいいのに律儀にシミュレーションされ、ご経験と相成るのがこの世界だ。
おかげで、二度寝の寝坊でギリギリの出勤になっている。
こんなことなら、最初に起きた時に一旦、ログアウトするんだったと後悔した。
だが、このレベルの二日酔いだと現実に戻った瞬間に床に吐瀉物をぶちまけるハメになるだろう。
極端な肉体反応のままログアウトすると、仮想に現実が引っ張られるのだ。
だから基本は解消させてからログアウトする。
とはいえ、ゲーゲーとやったあと、床を掃除して、シャワーでも浴びて落ち着いてからログインすれば状態リセットはされる―― 手っ取り早い解決法だ。
でも、それは苦しいし、まぎれもなく不愉快だ。
二日酔いですら、それなのだ―― だから強制排出はおっかない。
仮想空間での生命停止―― 当然、解消などできず強制的に現実に切り離される。
深酒ですら、涙と涎を垂れ流して苦しむのに、死ぬなんて経験をして現実に戻されたどんな引っ張られ方をするのか――。
そんな本能的とも呼べる忌諱感を、ケイトは毎度、気持ちイイことをした後に思い出すのだ。
とりあえず、ジクサーについたら滝沢先生のところに顔を出して治してもらう。
それが一番手堅い……。
ちょっとした小言を食らってから、バイタルをいじって調整してもらうか、生理食塩水のデータを入れてもらうか、最悪、フォンさんに鍼うたれるかだ。
どっちにしろ現実の床を汚さずに、それなりに手早く回復できる――。
もう少しの辛抱だ、ジクサーが見えてきた。
どうやら遅刻も免れたらしい。
いつもの舷門を潜ると、見慣れた光景が飛び込んできた。
ライムグリーンの瞳をしたムクれたプラチナブロンドと、こっ恥ずかしいほど気まずい顔した童貞丸出し君が向き合っていた。
「プッ……」
思わず吹き出してしまった。
近くにはママ・アジエにライノもいる。
いつも通りの保護者ご同伴の図となれば失笑せずにはいられない。
「イイねぇ、青春だねぇ…… ほんとにこのマンネリ、飽きないよねぇ」
言葉とはうらはらに、気分が悪いのも手伝って、ケイトはとりわけいつもより醒めた目でそれを見つめていた。
流石に一年もこの調子を見せ続けられてたケイトには、もはや飽きを通りこして、何やら腹が立ってくるのだ。
ライノのように見守ってやる時期はとっくに過ぎて、「さっさとヤっちまえ」というのが正直なところだ。
この光景も最初は笑えたものだが……。
そういえば、一年前、直ったγの前でのあの出来事でケイトはチセのことをそれなりに気に入って贋作ちゃんではなく、名前で呼ぶようになったのだと思い出した。
それまではやけに明るいライムグリーンの瞳も作り物のようで気持ち悪く感じていた。
無表情で、まるで安い受付のAIのような人形に思えたのだが、そんな娘が一瞬で血が通ったように思えた―― そんな出来事だ。
【Flashback】
うち、ケイト・マーガレット・マレーのモットーは最適なコスパ、タイパ、ウェルパだ。
痛いのも、痒いのも、ツライのもお断り。
嫌なことは最低限で、楽しいことだしていたい。
二週間前にライノと悠と、リーダーに捕まった時には生きた心地がしなかった。
本当に巻き込まれたにもほどがある。
だから悠がリーダーに絡まれたので、これ幸いと一抜けして、近場の宅配のバイトに勤しむことにした。
ライノはリアカー引いて長距離輸送。
悠はよくわからんけど、何やらリーダーに無茶振りされているらしい。
うちは、ちゃっちゃっとノルマ配って、労働したら家でシャワーの一つも浴びたいしー。
それに悠のγがどうにかならないと、次の本業もなさそうだし。
だからうちは、自分のやり方に従って程よく楽しくやっている。
今日もうちはさっさと、ホークでHODO周辺の宅配を済ませてジクサーへの帰還コースに乗っている。
あとはほとんどオートで飛んでくれる。
うちは生あくびをしながらハンドルに手を添えているだけだ。
さて、もう一度、言っておく。
最適なコスパ、タイパ、ウェルパが、うち―― ケイト・マーガレット・マレーのモットーだ。
痛いのも、痒いのも、ツライのもお断り、嫌なことなどはゼーったいにやらない。
……はずだった。
でも柳橋亮平―― リーダーに関しては別になってしまった。
あの目だけは、無理だ。
ホント、うちは、どこで間違ったのだろうか――。
思えばアルマナックとの最初の出会いは、リーダーに頭をすごい力で鷲掴みにされたことだ。
あれは断じて勧誘などではない…… 間違いなく脅迫だった。
リーダーだけは本当に勘弁してほしい―― なんで、あんな理不尽の塊と関わってしまったんだろう……。
世の中ヒラヒラして、楽しく生きてきたのうちの心の奥底に、あの頭が砕かれんばかりの痛みと共にその理不尽が刻みつけられてしまった。
トラウマというやつだろうか?
おかげでうちはリーダーにだけは逆らえない―― 心の底から怖いのだ。
組めと言われれば、組むし――。
言うなと言われれば、黙っているし――。
行ってこいと言われれば、行かなければならない。
うちのプライドやモットーなどそこには介在しないし、意味もない。
あの恐怖の前にはそんなものは無意味だからだ。
でも、アルマナックという集団は悪くない。
リーダーが無茶苦茶するのも四六時中ってわけじゃないし、そのことを差し引いても、アルマナックはかなり居心地がいい……。
普段はテキトーに働いて、テキトーに稼げる。
暇な時はメンバーにたかって遊べるし。
不定期にやってる、いわゆる本業と呼ばれるリーダーの道楽はかなりやばいがあれはあれで、なんというかだ――。
うちは、痛いのも、痒いのも、ツライのも嫌だけど……そう、時々、エキサイティングで楽しくて、クセになる。
それに、別に黙って抜けたところで、誰も咎めはしないだろう。
リーダーだって、ある日、うちがぷっつりと姿を消したところで気にも止めないはずだ。
その癖、ある日、ひょっこり帰ってきても、たぶんいつもと同じ通りに、まったく変わらず接してくれそう――。
うちは、そんなところが好きなのだ。
ところがだ、ここ最近、その場所になぜか異物が増えた。
異物その一、九能悠。
こいつが混じったのが一年前だ。
ある日突然に、リーダーがおかしなご執心をしだした。
ダッサイ飛び方の、ダッサイCFのよくわからないヤツだ。
あの時はライノがリーダーにウザ絡みされたおかげでうちはバックれたのだが、気づいたらこいつと一緒に飛ぶハメになった。
まったく勘弁してほしい――。
スーパーマン飛びってだけでも恥ずかしいっていうのに……。
しつこいかもしれないが、うちが大事にしているのは最適なコスパ、タイパ、ウェルパだ。
なのにこいつはそんなうちのささやかな平穏とは真逆なことをする。
乗ってるCFは無駄だらけ――。
要領の悪さは生物としてヤバイレベル――。
極め付けは天性のドM野郎ときたもんだ――。
ツッコミの一つも入れてやりたいのに、リーダーに黙ってろと口止めされてしまってそれっきりだ。
さらに腹が立つのは、多分、うちは悠に勝てる気がしないからだ。
やつが、あの山に弾をぶちこんで、ぶっ壊した時から、ずっとそんな気がしている。
どう考えても、初心者丸出しの乗り方をする悠相手に、なぜか、うちは勝てるイメージが沸かないのだ。
なんとなくだけど、うちの勘はよく当たるんだわ。
それに、リーダーはどうして、悠をああも特別に扱うのだろう?
仕方ないので、イジってうさを晴らしているというのがホントのところだ。
そんでもって異物その二、贋作ちゃんだ。
こっちのほうはさらに意味不明だ。
テキヤの女将さんの依頼で、ブラックマーケットの鄭のおっちゃんのところから救出したと思ったらなぜかアルマナックに入るって流れになっていた。
悠のγが救出の途中でブロックを爆発させたのだが、リーダーがこの贋作ちゃんに修理させると言い出したのだ。
それ絶対にいらないし。
だってあの機体自体が足枷そのものみたいなもんなのに……。
それにこの子は、映像で見ていた時にもなんとなく気にはなっていたのだが、実際に見たらそれは確信に変わった。
表情はそれなりに人っぽく見えるが、あの緑色の瞳はぼんやりと光ってるように見えるし、髪の毛はへんに透明というか、ガラスっぽいというか――。
うちには、まるで、子供の時に持ってた人形と同じような作り物くささを感じた。
より強くそれを感じたのは、悠とライノと三人揃って、リーダーに絡まれた日、面倒を押し付けられたママ・アジエが贋作ちゃんをジクサーに連れてきたのを見かけた時だ。
助けられた時の泣きっ面はどこに行ったのやら、なんともツンケンしたというか自信たっぷりというか、そんな顔であの大穴の空いたγを見上げていたのだ。
まったく、うちのギルドはどうしたというんだろう?
修理するより買い替えた方が早いのだ―― ポンコツにかけるコストに何の意味がある?
リーダーが悠を殴って乗り換えろと言えば解決なのに、時間をかけることになんの意味がある?
それを得体の知れない、偽物みたいな女に修理をやらせるとか気持ち悪いにもほどがある。
「まっ、本業と違ってむしろ宅配の方が安定収入だしね。 うちは別にこれでもいいし」
アルマナックを作ったのはリーダーとママ・アジエだ。
この二人が決めたことにうちが口を挟んでも仕方ないし。
どっちにしろ、ケリがつくまではしばらくこのままなのだろう。
そんなことを考えているうちにHODO正面の港湾ゲートのちょっとした順番待ちの後、うちとホークは、ジクサーへと帰還した。
ホークは特徴的な『BABOO!』という並列2気筒のコア・ヘッドの駆動音を響かせ、左舷側のスライドハッチからハンガーへと着艦した。
機体を定位置に置きコア・ユニットを停止させると、自動的にスライドハッチは閉じていく。
ホークの駆動音が消え、ハンガーが静まり返るのを感じて、うちは顔にかかった髪の毛を払うと、コア・ユニットから外へと出た。
タラップへと足を進めたその瞬間だ――。
CFハンガーに不意打ちのように鳴り響いた爆音に、うちの体が思わずビクッと反応した。
「――ちょ、ちょっと…… まじか?」
蜂の羽音のような甲高い駆動音。
バリリン、バリリンという2工程型型特有の起動音が規則的に続く。
何がこの音を出してるかなんて見ないでもわかる、γだ。
しかも、明らかに音に張りがある。
うぐぐぐぐ……見たくない、ホントに見たくない。
でもだ――。
うちは、ホークの左越しに、覗きこんだ。
あー、これは。
どうやらうちの緩い毎日は終わりのようだ。
青と白の見慣れたカラーリングの機体に火が入り、力強く鼓動していた。
フェイスカウルの下のアイボールカメラに生気すら感じる。
そのγの首元に、あの贋作ちゃんが腰をかけていた。
あのガラス管のような長い髪を結いあげ、作業用のレザーのオーバーオールを着た贋作ちゃんは、あの明るい緑色の瞳を閉じて、そっと手をγのフェイスカウルの頬に当てていた。
うちはその姿に、イラッとした。
あれは知ってる。
音を聞いているんだ。
アジエが仕上げの様子を確認しているのにそっくりだ。
かといって、二週間ちょっとの間でアジエが手ほどきしたとも考えずらい。
しかもアジエですら嫌がるγの火が入っている。
どうやらうちは、この偽物みたいな女に、悠に通じる何かを感じてイラッとしたらしい。
最後まで読んでいただきありがとうございます!
この物語は、仮想世界の秩序と、
人間とデータの境界を巡る戦いを描いていきます。
最後まで読んでいただきありがとうございます!




