introduction 09 Digitial Surrender - 降る世界と委ねる者たち /17
※この作品はフィクションです。実在の団体・組織・企業・人物とは関係ありません。
仮想世界が「現実」となった時代――
企業が支配する電脳世界「インター・ヴァーチュア」。
自由を求める者たち、デジタル生命体(DQL)、そしてコード・フレームワークを駆る戦士たちの戦いが始まる。
アジエがひとしきり涙を流し、落ち着くまで、俺は沈黙するしかなかった。
ダサい話だが、昔から泣いた女は苦手だ。
マジでどうしていいか、見当もつかない。
固まっちまう。
俺自身、女に興味がないわけでも、よろしくしないわけでもない。
むしろ大歓迎だ。
現実の昔、まだバイクなんて代物があって、そいつを夜な夜な乗り回していたガキの頃は、まあ―― なんだ、ゆきずりなんてのはしょっちゅうだった。
ごくたまにだが、そんなのが長続きするなんてこともある。
で、浮かれてると、事故ちまうもんだ。
あの頃にもこうやってグチャグチャになって病院の天井を眺めたっけな。
「……なんで? どうして降りれないの……?」
そうボロボロと泣きながら、長続きした相手に言われた時に、決まって俺はダンマリを決め込んでいた。
でっ、退院する頃には相手は消えている。
呆れていた奴、怒っていた奴、さらに泣いて、泣いて、泣いて―― 泣いてる声が聞こえなくなったと思ったらいなくなってた奴もいた。
はっきり言って、自覚はある―― 卑怯な男だ。
結論は出ているのに、どっちを選ぶということを口には出さず、相手が察して諦めるのを待っている―― そういうやり口だ。
|インター・ヴァーチュア《仮想現実》でコード・フレームワークに乗り換えた今でも、俺は同じことをしている。
とはいえだ、アジエ・ジンガノというこの女と俺は、別にできてるわけじゃない。
いい女だとは思うが、寝たことはない。
出会ったのは闘神が作られた時だ。
カルテックとの契約でアジエはメカニックのチーフとして招聘されてきた。
三年ぐらいの付き合いになるか。
そうだなぁ、たしかに、俺も第一印象は、「いいカラダしてんな」だった。
だが、まあ、この女はキツイことこの上無しだ。
闘神というのはそもそも掃き溜めの集団だ。
早い話、アウトローを演じるのではなくほっとけばどうせアウトローに流れつく連中を、まとめてギルドというラベルを貼って放し飼いにしたのだ。
逃げないように、最新の装備と暴れられる場所という餌を適度に与えられた、闘うことしか能のない駄犬の群れだ。
そんな俺も含めたエロい目を向ける野良犬どもを前にして、アジエ・ジンガノは一歩も引かなかった。
学者先生と侮っていたが、本当の意味でメカニックであることをこの女は俺たちに証明して見せたのだ。
能書きや、講釈などいっさい垂れず、コード・ライダーと同じ視点で話を聞き、時に激論を交わし、数値よりも、音やリズムを頼りに乗り手に合わせた最適なチューニングを叩き出した。
駄犬の集団は気付けばアジエ・ジンガノというメカニックチーフがあって初めてまとまりを見せた。
掃き溜めには変わりはなかったが、コード・フレームワークを通して、そんな厄介者たちは闘神という無敵の戦闘集団になった。
俺とアジエの関係もCFを通しての関係だ。
確かにいい感じになりそうになったこともなくはなかったが……。
んー。 まあ、なんだ―― もう一人、野郎がいて、女が一人。
そんなこんなでズルズル時間がたって、何事もなく腐れ縁ってやつだ。
人生そんなこともあるさ。
いまさら、色気もへったくれも無い。
向こうは元々はカタギのエリートで、こっちはどこまで行ってもただのチンピラだ。
そういう関係のはずなんだが――。
「ヒグッ…… グズ…… で、これから―― どうしたいのよ、あんた……」
アジエは涙で化粧も崩れて、鼻水ぐずぐずになった残念な顔でそう言った。
「どうしたいかってか?」
「そうよ…… どうせ、何言ったってあんた突っ走るだけじゃない…… だったら見ててやっから教えないさいよ……」
こいつは参った――
どうして欲しいじゃなくて、俺にどうしたいかと聞いてきた。
迂闊にも俺は、その問いかけに真剣に答えを探しはじめていた。
【Present Day】
それが柳橋にとっての事の始まりだ。
結局、そのあとアジエに返事をする前に順番が回ってきて、滝沢医師とフォンによる手荒い診察と治療を受けた。
「……普通は麻酔代わりに頸椎に針なんてブッ刺すなんてねーわな……」
そんなユニークで荒っぽいがHODOの住人に信頼されている滝沢医師の治療を自ら身をもって知った柳橋は、その後、ジクサーの船医として誘ったのだ。
そもそも地元に根付いていた滝沢医師は最初は歯牙にもかけていなかったのだが、柳橋の度を超えた異常な執着に根負けして引き受けるに至っている。
その柳橋が信頼した医師の診断はコード・ライダーとしては再起不能という結論だった。
その事実を突きつけられた時、なぜか柳橋はひどく冷静だった。
むしろ、狼狽え、動揺していたのはアジエの方だった。
記憶が収束するに従い、視界の中をうごめいていた虹色の塊は隅へと消えていた。
左脚に走っていた痺れも、視界から極彩が引くとともに消えていった。
柳橋はキャプテンシートから立ち上がると、ジャケットを手に取った。
その背中で青い光を放つ、アルマナックのエンブレムを見つめる。
闘神が消え、コード・ライダーとしては終り、そして柳橋はこのカラーから新たに始めることにしたのだ。
【Flashback】
「おまえさん、ずいぶんあっさりしとるな」
このボロい、診療所の主である滝沢という医者の言葉を背中に受け、俺はジャケットの上から腕のプロテクターのバンドを締めていた。
いつもの調子で固定の具合を確かめていたが、そういや、もう乗れないのにプロテクターもねぇわなぁと思った。
「ジタバタしたら乗れるようになるのかよ、先生よぉ?」
首を左右に振るとコキコキと骨が軋んだが痛みない。
ほんの半日ほど前までは至るところがドス黒く腫れ上がり、ありえない方向に曲っていたのが嘘のようだ。
「無理だな。 私の見立てだが、おまえさんのそれは、たとえまともに現実でリハビリしていたとしても免れんかったろうな」
「原因は?」
左脚の踵をトントンと踏んでみる。
今は足首から指まで自由に動き、しっかりと感覚もある。
「確実なことはわからん。 強制排出の影響は正直、人それぞれだ」
滝沢医師は腕を組んで続けた。
「まあ、ショック死を免れたとして、現実に影響が残るやつもいれば、おまえさんみたいに|インター・ヴァーチュア《こっち》の場合もある」
「オイオイ、テキトーじゃねーか? んじゃ二度と乗れねぇてのはなんでわかんだよ?」
「欠損が明確だからだ」
有無を言わさぬ強さで、医師はそう宣言した。
「おまえさんのこっちの身体を構成してるデータな。 目と、その足に明確な欠損がある」
「わかんねーな? 先生よぉ。 正直、あんたいい腕してるぜ。 この通り足は動くし、目も見えてんだがよ、何が欠損してるってんだ?」
「医学的な意味じゃおまえさんは五体満足だよ。 その足も骨といっしょに調整してやった。 目ん玉も視神経としては異常はない」
滝沢医師は空中で一旦手を上下に重ねて広げる仕草を二回―― 左右に二つの画像を浮かび上がらせた。
「右は人間の解剖的な透過画像だ、ほれ綺麗なもんだろ」
右の画像は、すぐに横に押し除け、左の画像を正面に移動させると、俺の目の前にスッと飛ばした。
「そっちは、おまえさんの仮想現実でのデータとしての状態をわかりやすく視覚化したもんだ」
それは様々な記号や文字が鎖のように絡みながら人の形をしていると言った代物だった。
「目の位置と、左脚な、データの密度が薄くなっとるんじゃよ」
確かにだ、顔の目のあたりの部分にまるでほつれたような箇所があり穴が空いているように見える。
左脚の部分にしても右と比べて、明らかに鎖のような羅列の感覚が広く、隙間が確認できる。
「その密度な、どんだけ治療しても元に戻らんのだ。 おそらく強制排出の時に現実に持って帰れなかったと考えるのが妥当じゃろ」
「難しくて、わかんねーよ、先生―― もっとわかりやすく言ってくれ」
俺は手で払うように、画像を医師の方に送り返した。
戻ってきた画像を滝沢医師は手で上から叩きとすようにひっぱたくと、画像はスッと消えていった。
「そうだな―― おまえさん、削れちまったんだろう」
そのセリフに思わず、「ふっ……」と笑いを漏らしてしまった。
ああ、この先生はいい医者だわ。
「ありがとよ。 なるほど、腹に落ちたわ」
「まあCFにはもう乗るな。 普通に飛ばす分にはいいが、そんな器用なことおまえさんできんだろ」
俺は首をすくめた。
「他にもトリガーはあるかもしれんぞ。 ともかく、足の麻痺と視覚異常の発作な…… 治らんよ。 せいぜい、うまく付き合っていきなさい」
「あーあ、まったく優しくねーな。 ズケズケと、ありがとさんよ」
まったくとんでもない医者だ。
だが、不思議と突きつけられた現実を受け入れている自分がいた。
がらがらと病室の扉を開いた。
「お大事に。 なんかあればまた来なさい」
滝沢医師の言葉に軽く手を挙げて、俺は診療所の外へ出ていった。
診療所の入り口では、アジエが待っていた。
しっかりと化粧を直し、キメてはいるがその顔は幾分曇って見えた。
「よぉ。 おまえ俺に、これから何したいって言ってたよな?」
まっすぐとあの際立つ眼が俺をまっすぐ見返してきた。
「ギルドを作りたいんだがよ、どうだ一緒にやるか?」
「はぁ?」
アジエは一緒、ポカンと口を開けた。
しばらくすると、急に吹き出した。
「キシシシシシッ…… いやぁ、悪い悪い。 つーかさ、ギルドとはデカく出るからさ」
「なんだよ、やりてぇこと聞いてきたのはオメェだろ?」
「バシさぁ、アンタ今、ホームレスの文無しって、自分の立場わかってる?」
うっ―― やべぇ…… 何も言い返せねぇ。
「ふーん、ギルドねぇ」
アジエは人差し指を口に当てて、少し考えるような芝居がかった仕草をして見せた。
「まあ、いいんじゃね。 付き合うよ―― ただし、言っとくけど――」
ニマリと黒猫のような女が怪しげな笑い顔をよこしてくる。
「当面、金出すのはアタシだよね? だったら、このギルドは煙草禁止な―― オーケー?」
「なっ、なんだと?」
こ、こいつ、なんて切実な条件を切り出しやがる――。
「アタシがヤニ嫌いなの知ってんだろ。 どうするー? 全額負担の条件としちゃ破格じゃね」
俺は額に手を当てて、プルプルとしながら逡巡した。
悔しいが、確かにこいつのいう通りだ。
CFに乗れなくなった今、俺はチンピラどころか、ただのホームレスだ。
「……わ、わかった…… 煙草禁止だな…… 乗った――」
俺があげた右手に、アジエは力一杯、ハイタッチをした。
【Present Day】
そして、アルマナックというギルドは始まり、今に至っている。
アジエは今も、何があったかを知らない。
柳橋は語らず、ただ都市伝説と言ってもいいCFの痕跡を追っている。
アジエはただ柳橋とアルマナックを見守っている。
おそらくその先に辿り着けば、柳橋が黙して語らない答えを知ることができると信じてるのだろう。
しかし、これが正解なのかは実のところ当の本人にとっても定かではない。
だが柳橋にとっては得体の知れない存在というものに当たりつけて追うことが唯一の手がかりなのだ。
柳橋はシートの傍らに置いた、小さな角缶の蓋を開くとそこから白い飴を取り出し口に放り込んだ。
独特の刺激を伴う味が舌の上に転がった。
さらに頬のところに転がすと、ぽっこりと形が出て歯にあたってガリガリと表面を削った。
ハッカ飴だ。
ギルドを作るとき、取引で禁煙したときに、アジエがからかい半分にネクサスリンクのキヨスクで買ってよこしたものだ。
とりわけ、うまいわけでもなく―― むしろマズい。
マズいのだが、苦味と刺激がクセになる。
おかげで今では手放せなくなっている。
鼻と、目の窪みのあたりを親指で拭った。
柳橋が考えをまとめようとするときのクセだ。
「さーて。 何が出るか―― 当たるも八卦、当たらぬも八卦ってやつだな」
柳橋は奥歯で飴をゴリッと噛み砕いた。
CFを降りた今も着続けている、プロテクター付きのジャケットに袖を通した。
同時にブリッジの窓のシェードが解かれ、入ってきた光に柳橋は目を細めた。
操舵室に収まっていたスミーが二眼の頭だけを持ち上げた。
「そろそろお時間でやす、キャプテン」
「おおーう。 スミー、それじゃ行くとするか」
機械音を響かせ、スミーが操舵席から分離し、巨体が這い出た。
立ち上がったスミーを、後に引き連れ柳橋はブリッジを後にした。
最後まで読んでいただきありがとうございます!
この物語は、仮想世界の秩序と、
人間とデータの境界を巡る戦いを描いていきます。
最後まで読んでいただきありがとうございます!




