introduction 09 Digitial Surrender - 降る世界と委ねる者たち /15
※この作品はフィクションです。実在の団体・組織・企業・人物とは関係ありません。
仮想世界が「現実」となった時代――
企業が支配する電脳世界「インター・ヴァーチュア」。
自由を求める者たち、デジタル生命体(DQL)、そしてコード・フレームワークを駆る戦士たちの戦いが始まる。
この物語は、仮想世界の秩序を巡る戦争と、
人間とデジタル生命体の共存の可能性を描いたSF作品です。
適宜更新予定。
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【Present Day】
アジエに引き上げられて少しつんのめりながらチセは立ち上がった。
ヨロつきながら立ち上がり見上げると、ジロリとアジエが見下ろしていた。
切れ長の眼が放つ圧にチセはたじろいだ。
「おりゃ!」
突然、アジエは掛け声と共にチセの両頬を右手でガシっと、鷲掴みにしたのだった。
「いにゃい! いにゃい!」
グイグイとアスリート並の握力でアジエの手が頬にめり込み、口がとんがって変な声が出た。
ふりほどこうと、アジエの腕を掴むがビクともしない。
「こんなところで不貞腐れやがって! このぉ、バカチンがぁ!」
「うにゃにゃにゃぁ! ごっ……ごめんなしゃい……」
「ふんっ……!」
変な鳴き声を上げるチセが謝ると、アジエはようやく豪快に掴んでいた手を離した。
「まったく! いつも、ずべこべずべこべと……」
アジエは仁王立ちだ。
「なんで、素直にごめんなさいって言えねぇかなぁ――」
「うぐぅ……」
真っ赤になった両の頬をさすりながらチセは恨みがましい目を向けた。
普段から口も悪いし、言葉も汚いがアジエは礼儀に関してはうるさい。
とは言っても、なんでもかんでもうるさく言ってくるわけでもない。
アルマナックに入って最初のころは、人間そのものを警戒していたこともあり、挨拶を無視したりとつっけんどんな態度をとりがちだった。
あの頃は、まともに意思疎通ができたのはアジエと、そもそも人間ではないスミーぐらいだった。
――例外としては柳橋だが、こっちは意思疎通というよりは拒否権のない一方通行の要求と、恐怖による返事という構図だ……。
γの修理を終わらせ、正式にアルマナックのCF担当メカニックになった頃からだろうか―― 滝沢先生とフォンさんの挨拶を無視したチセはさっきと同じように頬を鷲掴みにされたのだった。
そのあともチセが仲間内からの挨拶や、親切に礼を返さないとアジエは容赦なく同様の折檻を加えた。
痛みに不満顔はしても、アジエはこうやって人間の集団の中で最低限やっていけるだけの礼儀というやつを教えてくれたという実感はある。
相変わらず、チセは愛想も無いく、男にはちょっとした嫌悪感と恐怖は残っているが……。
でも、おかげでようやく女のメンバーや滝沢先生のような目上の存在とは打ち解けられるようなっていた。
「こんなところじゃないもん―― ここ好きなんだもん――」
経緯があってもこの折檻が実際に痛いことに変わりない。
チセはささやかな抵抗と反抗を試みた。
瞬間、再びアジエはジロリと睨むが、ヒッ!とすくんだチセを見て大きくため息をついた。
「わかった、わかった。 さっきも言ったけど、そのうちなんで気に入ったか聞かせてよ」
そう言って、くるり踵を返した。
「ほら、ちゃんと扉閉めろよ。 行くぞ!」
そう言ってアジエはいつもの背中姿を見せた。
チセは壁のハッチを閉じながら、なんとなく心に蓋をしている気分になった。
アジエはここが気にったかを聞かせろという。
話してみてもいいかなとも思うが、なんか気恥ずかしくなる。
打ち明けるのは、やはり難しい。
男は苦手だし、相変わらず怖い――。
でも、あれ以来なぜか、そいつだけは何か気になるようになった。
いや…… むしろイラつくようになった。
そんなきっかけが詰まっているから、なんとなく足が向く。
そんな話をアジエにしてもいいものかと迷いが走る。
閉まるハッチのバタンッと言う音に我に帰り、チセは心の中で呟いた。
(無理―― アジエには、やっぱり言えないし……)
少し顔が熱くなるのを感じながら、いまだに整理できない気持ちはなんなのだろうかと考えていた。
【Flashback】
繰り返し、繰り返し、延々と同じことをやっている。
わたしはそれを、瞬きもせずに見ていた。
なんだろう、長いような、短いような―― 時間の感覚が掴めない。
時の長さなんて変わるわけないのに……。
目を離せないし、一定のリズムで同期していたはずのサイクルの感覚が掴めない。
わたしに障害が起きているの?
わからない、わからないけど――。
――
イグニッションの音と、そのあと放った蹴りのような動作に驚いたが、すぐにわたしはそれの行動を軽蔑の目で見ていた。
あの、悠という名前のγのライダーはエイプを使って、並べたパイロンのコースを使ってトレーニングを始めたが、それは誰がどう見てもバカバカしいものだったのだ。
「ぷっ……」
最初のトライでせっかく並べたパイロンを派手に吹き飛ばした瞬間は思わず吹いてしまった。
だって、呆れて笑うしかない。
ちょっとした介入ができるからといって、CFだって重力に、斥力に、抵抗に、慣性のルール―― そんなこの世界を縛るルールから逃れられるわけがないのだ。
この数週間、γという機体の修理を通してわたしはコード・フレームワークという仕組みをじっくりと知ることができた。
この身体拡張プログラムはインター・ヴァーチュアという世界の処理法則やルールに介入することができる。
コード・ベースなる動力源兼処理中枢になる部分がその秘密なのだが、いくら目を凝らしてデータを覗いても、そこだけは表面すら解析不可能だった。
複雑や密度といった、いまままで目に触れたデータ性とはまったく違った。
まるでキラキラと光る波の塊にしか見えなかった。
幾重にも折り重なり、畳まれるようで、奥行きを持ち、細かい粒子が常に形を変えている……。
ただ、その奇妙な感覚を与えるユニットがわたしが生まれたこの世界の処理に干渉、もしくは割り込みのようなことを実現しているということは理解できた。
乗り手が感じて、見ることに反応しての干渉を通して、コントロールを実現している。
(あー、だから身体拡張プログラムなんだ)
そう妙に納得してしまった。
空間の座標に割り込んで空を飛び、力場や反作用点を作り人間の身体では到達不可能な場所へと行くことが可能になる――。
おそらくそういう思想の元に作られている。
ただそんな干渉はささやか抵抗といったところだ。
外部環境から与えられる物理法則にどうしたって引っ張られる。
空を飛ぶだけの出力を持つ、大型のCFだって免れない。
高くジャンプすることがせいぜいで、地面を移動することが前提の小型CFなら尚更だ。
スピードを出しすぎれば曲がれない。
あの悠という男はそんなこともわからないらしい。
(あー。 なるほどねぇ、そりゃ派手に壊しまくるわよね)
わたしはセコセコとパイロンを並べ直す姿を見ながら嘲るような視線を向けていた。
――
出だしはそんな醒めた感じで見ていた。
違和感を覚えたのはそれから間も無くだった思う。
(無駄だなぁ。 飽きもせずよくやるわ)
最初にパイロンを吹き飛ばしてからも、特に条件を変えるわけでもなく明らかに失敗するだろうスピードでパイロンの中に突っ込み続けていた。
滑るように地面を滑走し、減速しきれない―― というより減速すらしてないようだった。
何度かの同じ行動のあと、また几帳面にパイロンを並びなおし終えた時だった。
またすぐに突っ込んでいくのかと思ったら、間をとったのだ。
まただ―― まるで何かズンッとその場の空気の重さが変わったような―― エイプにの空気が吸い寄せられてるような――。
思わずパイロットシートに座る九能悠の顔に目を向けた。
なぜか胸の奥にキュッと締め付けるような感覚が湧き上がった。
じっと前を見るその顔の表情は、とても静かに見えた。
でも穏やかなのかというと違っていた。
近づけは切り裂かれそうな、そんな眼つき。
あの柳橋の凶暴そのものとは違う。
柳橋のは怖いだけ、でもこれはなんだろう飲まれそうなそんな感じだった。
ドンッとエイプのアイドリングの音が大きくなったような――。
まただ、耳に届いた音の周波数と感じる力強さが…… 感じる密度が違う。
わたしは視点を変えた。
人と同じ視角のイメージ情報ではなく、データとして世界の見え方に切り替えた。
(……何よ……アレ?)
エイプから? というより、胸に乗り込むパイロットを包むようにコード・ベースの干渉波がまっすぐ空中と地面を貫くようにまっすぐゆらゆらと揺らいで見える。
人間の視角情報には反映されないぐらいの微弱なものだが、動く前からこんな干渉が発生するものなのだろうか?
ドルルルッっとエイプ中から駆動音が鳴った。
アクセルを開けて吹かすのに同期するように機体を貫く干渉光が太くなっていくようだった。
データのまま見るのが少し怖くなって、わたしは人間の視角へと戻した。
数回の空吹かしの後、一際大きく鳴った瞬間、まるで大地をミートするようにエイプが前へと飛ぶように前進した。
明らかにさっきよりも強烈なスピードだ。
あんな速度、パイロンどころか下手すればどこかに突っ込む――。
ブレーキをかける気配は、なかった。
悲鳴が漏れそうになり、思わず両手で口を覆ってしまった。
エイプは、速度ごと吹き飛ぶように見えた。
次の瞬間――四肢が路面を蹴り上げた。
水たまりを蹴り飛ばしたような、眩しいぐらいの霓虹の干渉光の飛沫が上がる。
まるでスローモーションのようにエイプの足が空中へと回転していく。
地面と並行になった肩から、その身が捻りこむようしなっていく。
腕が地面を突き、軸がねじれて弾む。
パイロンのギリギリ手前でそれは行われ、エイプは再び霓虹の光を撒き散らしながら着地した。
「……曲がったんじゃない」
思わず両手覆った口から言葉が漏れた。
「――捻った?」
――
そこからずっと、悠というコード・ライダーの駆る、エイプを見ていた。
悠はパイロンをいくつかのセクションに分けて配置していた。
最初のパイロンの直角コーナーなど序の口だった。
グルリと円を描くように並べられた箇所、十時方向に等間隔に置かれた箇所、徐々に感覚が狭くなるよう並べられた箇所――
一つをクリアすると次へと、失敗したら最初から…… 延々と繰り返し続けていた。
しかも、どれもこれもが、わたしの演算の範疇外だった。
わたしが知った限りのCFの扱い方であれば、どれも激突を回避するのは不可能な速度と、角度であり、当たり前のように成功しないという結果しか演算できないのに……。
そのはずなのに、この悠という男は破綻した挑戦を繰り返し続け、そして達成していった。
時に機体の背中が路面に接触するのでないかというほど、そらせたり――。
時に、拳を路面に叩きつけそこを中心にドーナッツのように機体を回転させ――。
時には肩から路面へと転げるように、そしてコマのように機体を旋回させながら、空中へと舞って見せた――。
わたしの演算では予測されない動きだった。
それがコード・ベース特有の空間演算処理への介入を利用して本来は存在しない空間に足場や抵抗、力場や摩擦のキャンセルを作っているのはわかった。
それ自体はCFの機能である。
だが、これはその一点に出力を集中しているようだった。
そんな強固な介入の上に、予想しないベクトルやトルクが出現する。
(――綺麗な螺旋――)
そう感じて、わたしはそれを発生させる人間の顔を見た。
九能悠の横顔が網膜に飛び込んできた。
瞬間! トクンと胸の中で何かが強く動いた。
心臓という臓器が反応した?
拉致された時も、不安になった時も心臓は反応したが、あれはドクンドクンと走るような感じだった―― なんだろうこれは違う気がする。
力強く、瞬間にトクンとする、高鳴るというようなイメージだろうか。
それよりももっと不思議なことが起こっていた。
その瞬間からわたしは動きではなく、悠という人間の、その顔から目が離せなくなってしまった。
虚空を睨むようなするいどい眼差しと、力強く結ばれた口元は時折、細く強く息を吐き出しているようだった。
ジクサーのハンガーで見たあの情けない顔をしていた、頭の悪そうなガキみたいヤツとはまるで違っていた。
またパイロンを跳ね飛ばし、挑戦は失敗に終わった。
膝をつくエイプの上で悠は肩で息をしている。
数秒して顔を上げると、悠は両手で自らの頬をバチンと張った。
わたしのところまではっきりと聞こえるほど強く。
手を顔からどけると、その目は鋭く光っていた。
「……が……がんばれ……」
胸の前で手を両手を組み合わせて、わたしの唇からそんな言葉が漏れた。
次の瞬間、突然端末の呼び出し音が響いた。
アジエからだ。
はわわわわっと、呼び出しの応答をしようとした。
コール音が5回鳴ったあたりで繋がった。
悠がエイプの上でキョロキョロをあたりを見回しているのが見えた。
(ふー、アブナイ、アブナイ……)
ちょっと下に置いた手のひらの上、ディスプレイの向こうにアジエが映っていた。
いつもの下着姿に、今日は赤いセルのメガネをかけてる。
メガネをしているのは初めて見たかも。
「えっと、何?」
ちょっと慌てていたせいか、ぶっきらぼうな言い方になった。
アジエの顔が不機嫌にシフトした。
「えっとじゃねーよ。 オマエ、何時だと思ってんだ。 まだジクサーなの?」
「う、うん。 そう」
端末の時計に目をやると21:30だった。
どうやらわたしはもう二時間以上、ここで悠を見ていたようだ。
風は強く頬を凪いだ。
明るい飛沫が放たれたのが見えた。
悠が次の挑戦を初めている―― 自然と目がそちらにいった。
「ちょっと、チセ。 あんた何処にいんの?」
「んっ? えっと、ジクサーだよ」
アジエに呼ばれて、目をディスプレイのアジエに戻した。
「いや、だからジクサーの何処よ? あんたそこ外でしょ?」
金属音が擦れるような音がした。
自然と視線がエイプと悠に戻る。
エイプが左右にカウンターを当てつつ、滑るように円をパスしていた。
すごい! さっきのをクリアした!
そうだ、次は最後だ――。
次第に感覚が短くなる扇上に広がる放射上の配置。
悠はまたしてもそのまま、突っ込んでいく。
グッと機体が沈みこみ低重心を効かせつつ、扇の一段目と二段目を右へ、左へとスラロームして通過する。
「あっ! おっ……」
あと三段…… もう少し!
次の瞬間に、エイプの腕が三段目のパイロンから空へと伸びる赤いレーザーライトに触れた。
「あっ…… あーっ……」
失敗だ……。
悠はエイプを停止させ天を仰いでいた。
「あんた、ほんとは何してんの?」
「えっ? あ、いや……えっと…… ちょっと、気分転換」
慌てて、視線を戻して、そう答えた。
「だからさ、何処でさ?」
「うーんと。 アタックラムの、上のとこ……」
「えぇ? あっこの見張り台? あんた、そんなとこよく見つけたね……」
アジエが驚きと呆れたの両方が混ざった顔でそう言った。
「散歩してたら見つけたんだ。 ここからの景色、結構好きなんだ」
「ふーん……」
とりあえず嘘はついてない。
いつもと同じ、全部言ってないだけだ。
「で、あんたさ、いつ帰るの?」
「あっ……。 うんと、キリのいいとこまでやりたいし、遅くなると思う」
これを見届けないときっと気になってどうしようもならなくなる。
悠はパイロンをチェックすると、またスタート地点へと戻ろうとしていた。
「オーケー。 遅くなるなら、スミーに送ってもらえよ」
「わかった……」
アジエの声は聞こえてるが、実際は反射的に答えているだけだった。
「はぁー。 あんま、遅くなんなよ。 もう切るよ」
「あー。 うん」
どうやらもういいらしい。
わたしはコールを終了した。
【Present Day】
それから間も無くのことだ、悠はパイロンコースを制覇した。
チセは結局、四時間近くも悠の挑戦を見ていたのだ。
そして、全ての挑戦を完遂しエイプから降りてきた時、それまでエイプの上でしていた、周囲のものを切り裂かんばかりの鋭い眼光は消えていた。
勝利の雄叫びをあげ無邪気にはしゃぐ悠の顔は輝かんばかりの笑顔だった。
情けない顔にイラつき、挑戦する顔に鼓動が高鳴った、そして最後にとてつもなく強く温かいエネルギーを放つような笑顔にチセは心臓の中心を撃ち抜かれたような衝撃と感覚を覚えたのだ。
(や、やっぱり言えない―― よくわからないけど、無理だ――)
ほんの少し頬が熱くなるのを感じた。
そんなチセをアジエは振り返って不思議そうな顔で見つめていた。
「ちょっと、顔赤いよ? 具合でも悪い?」
チセはその問いに頭を横にブンブンと振って答えた。
「大丈夫、なんでもない――。 いこう」
「オイオイ! なんだっ! あぶねって!」
このままではボロが出そうなのでチセは下を向きつつ、アジエの背中を両手でグイグイと押していた。
最後まで読んでいただきありがとうございます!
この物語は、仮想世界の秩序と、
人間とデータの境界を巡る戦いを描いていきます。
最後まで読んでいただきありがとうございます!




