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マリカだったらよかったの?  作者: 橘 珠水
第1部 マリカだったらよかったの?
14/135

14.こんな人だったっけ?

 部屋に戻る途中、混乱する頭の片隅に、このまま戻ったらハンナさんに心配をかけてしまうだろうな、という思いがよぎった。

 剣の稽古が早めに終わったから、部屋に戻る予定の時間にはまだ余裕がある。どこかに隠れて、せめて涙が止まって目の充血が治まるまで待った方がいい。

 そう思って周囲を見回すと、部屋へと続く廊下の途中に下り階段がある。その近くの窓から見てみると、その階段を降った先にちょっとした庭らしき場所があった。上から覗いてみた限り、そこには人の姿はない。

 城内は迷路のように入り組んでいるので、知っている道順から外れるのはよくないことは分かっていた。実際、以前に迷子になってしまったこともある。けれど、今すぐ自分の部屋に直行する気分にはならなかった。何となく、ハンナさんに根掘り葉掘り言いたくないことまで聞きだされる自分の姿が想像できたから。

 思い切ってその階段を降り、降り切ったところにあるドアを開けて外に出る。

 そこは中庭というよりは、裏庭と言った方がいいかも知れない。城の中というにはあまりに何もなく、少なくとも高貴な人達が散策を楽しむような場所じゃないことはすぐに分かる。他にも城内に続くドアが見えるから、きっと使用人用の休憩スペースなんだろう。お昼に近い今頃の時間帯は皆忙しいのか、人影は皆無だった。

 ドアの近くに風雨に晒されたベンチが置かれていたので、そこへ腰掛けて空を見上げる。澄んだ青空には白い雲が流れていて、見つめていると意識せず長い溜息が漏れた。

 ……何で、こんなに何もかもうまくいかないんだろう。

 マリカのように器用ではないから、という言葉では庇いきれないくらいの自分の不運さと不器用さに、情けなさを通り越して何だか笑えてくる。

 きっと、トライネル様に変な子だって思われただろうなぁ。せっかく心配して声を掛けたのに失礼な奴だって、怒ってなければいいけど。もしそんなことになるんなら、いっそのこと私のことなんか全く気にしてくれていなければいいのに。……ああ、でもそれはそれで寂しいし。

 ダメダメ。ほら、また涙が出てきそうになっちゃった。これじゃあ、いつまで経っても部屋に戻れないじゃない。馬鹿だなぁ……。

 それから、訓練着の袖で滲み出て来る涙を何回吹いただろう。両方の袖口がぐっしょり重く濡れ、身体も気持ちもぐったり重くなった頃だった。

 突然、少し離れたところにある、私が出てきたのとは違うドアが開いた。

「……お、もしかして、リナか?」

 その声に、驚いてベンチから立ち上がる。

「お前、何でこんなところに」

 その台詞、そっくりそのままお返ししたい。

 ドアを開けた格好のまま、こちらを見て驚いたように目を瞬かせているのは、旅のメンバーで唯一の平民出身者、戦士のアデルハイトさんだった。


「こんなところで、何やってんだ」

 不思議そうな顔をしつつ、大きな手がこっちへ来いと手招きする。

 念のために目元を拭い、鼻を啜りあげてから近づくと、どこからか、むぅんと油や香辛料の匂いが漂ってくる。

「アデルハイトさんこそ。いつから城にいるんですか?」

 アデルハイトさんは平民で、戦士としてギルドに登録し、魔物退治や用心棒などいろいろな依頼を受けて各地を渡り歩くという生活をしているらしい。確か、王女救出後も、約束の報酬を貰って私より先にさっさと城を出ていたはずだった。

「今朝だ。南部の港街にいたんだが、ギルドを通じて登城命令が届いてな。せっかくいい報酬の依頼だったのになぁ、畜生……」

 悔しげに呟いたアデルハイトさんは、ふとこちらを見下ろして微笑む。

「元気だったか?」

 私の顔を見て、泣いていたことぐらい分かっているはずなのに、アデルハイトさんはそれに気付かない振りをする。

 旅の間もそうだった。旅の疲れに加えて、剣や魔法などの修行。心も身体も疲れ果てて、泣いてしまうことも多かった。そんな時、リザヴェント様は理路整然と正論で叱り、ファリス様は感情的に怒鳴りながら稽古続行、エドワルド様は……勉強だったから居眠りしちゃって、起きてからグチグチ小言を言われた。でもアデルハイドさんは、私が泣いても見て見ない振りをした。少し休憩するかと時間を置いて、落ち着くのを見計らってまた再開する。魔物の特性とか戦い方とか、強い魔物からの逃げ方とか、為になることもたくさん教えてくれた人だ。


「そう言えば、お前、今までどこにいたんだ?」

 アデルハイトさんについて行った結果、何故か古びて油で少しべとつく小さな木製テーブルを挟んで向かい合って座っていた。

 テーブルには鶏肉のハーブ揚げとジャガイモのクリーム煮がそれぞれ盛られた皿と、取り皿が一枚ずつ。それに加えて、アデルハイトさんは昼間だというのに、すでにお酒を飲んでいた。勿論、私のグラスには水が入っている。

 あの裏庭は、厨房や洗濯場等、城の下働きをしている人達用の通路兼休憩スペースだったらしい。アデルハイドさんが出てきたのは、厨房の裏口だった。そして、今私達がいるのは、厨房の一角にあるテーブルだった。本来なら、料理長がちょっとした事務仕事をするためのスペースらしいのに、何でアデルハイドさんはこんなところで寛いでいるんだろう。

「どこって、城に戻る前ですか?」

 今までいた田舎の地名を告げると、アデルハイトさんは飲んでいた酒を噴きそうになった。

「それはまた、結構な田舎だな。それで、新たな神託が下るまで、誰も連れ戻しに来なかったのか」

「はい」

 何やってんだよ、とアデルハイトさんは床に向かって吐き捨てる。

「すまねぇな。お前がそんなところにいると知ってりゃ、依頼の合間に訪ねていったんだが」

「依頼って、ギルドのですか?」

「ああ」

「でも、王女様を助けて、褒美はたっぷり頂いたんじゃないんですか?」

 確か、強者として巷で有名な戦士であるアデルハイトさんが王女救出の旅に加わることにしたのは、高額な成功報酬を提示されたからだと聞いていた。その報酬を手に入れたというのに、まだ稼ぎたいんだろうか。

「あのな、リナ。大人には、子供には分からない事情があるのさ」

 そう言って、アデルハイトさんは長い手を伸ばしてグリグリと頭を撫でてくる。酒臭い息がかかって、うっ、と反射的に息を止めた。せっかくの男前なのに、三十歳手前ですでにおっさんと化しているのが嘆かわしい。

 旅の仲間でも最年長だったアデルハイトさんは、一貫して私を子ども扱いしていた。それもどちらかと言うと、『女の子』じゃなくて『近所のガキ』だ。

 アデルハイトさんは、筋骨逞しい、アメフト選手のような体つきをしている。なのに、顔は細面で引き締まり、長めの黒い前髪から覗く鋭い空色の目は、普段見る分にはとても綺麗だ。でも、戦闘中や、怒らせて睨まれた時なんかは、背筋が凍り付きそうになるほど恐い目つきになる。

「知ってますよ、アデルハイトさんがお金を稼ぎたい理由」

 いつもなら黙っているんだけど、さっきまで落ち込んでいた反動で、ついそう反抗してしまう。

 お前が何を知ってるっていうんだ? と言いたげなアデルハイドさんに言い放つ。

「身請けしたい人がいるんでしょ?」

 確か、旅の途中、野宿することになり、もう寝ていると思ったのか、横になっている私の近くて男四人が女の子に聞かせるには刺激の強い内容の話をしていたことがあった。正直、何を言っているのかよく分からないことの方が多かったけど、アデルハイドさんが花街の常連であるらしいことは分かった。この旅のメンバーに加わるに当たり、多額の報酬を要求したのは女の為か、とファリス様に訊かれて、まあそんなものだ、とアデルハイドさんが答えていたのは今でもはっきりと覚えていた。

 目を丸くしたアデルハイトさんは、顔をくしゃっと緩ませると、喉を鳴らして笑った。

「ふうん、そうか。なら、そういうことにしておこうか」

 えっ、違うの? と驚いて目を瞬かせていると、不意に恰幅のいい調理服姿のおじさんが、テーブルの上に美味しそうな彩りのサラダが盛られた皿を置いた。

「お嬢ちゃん、この人の言うことをいちいち真に受けちゃいけないよ」

「え?」

「言われなくても分かってるもんな、リナは」

 そう言って、アデルハイトさんはヘラッと笑う。その顔だけを見れば、確かに二枚目半キャラだ。でも、前の旅では彼がこんな緩んだ表情を浮かべているところを見た記憶がない。それだけ、ずっと厳しい状況が続いていたってことなんだろう。

「ああ、紹介する。この人はこの城の料理長をしているバルトさんだ」

 何と、このおじさんは料理長だったのか。慌てて立ち上がって自己紹介すると、バルトさんは厳つい顔に迫力のある笑みを浮かべながら挨拶をしてくれた。

「本当に困ったもんだよ、この人は。ちゃんと立派な部屋も用意されてるっていうのに、戻ってきたら早速わしのお気に入りスペースを占領しちまうんだから」

 嘆息する調理長を見上げながらグラスを傾けるアデルハイドさんは、まるでいたずらっ子のような笑みを浮かべている。

「ここが一番落ち着くんだよ」

 すぐ傍にある厨房では、多くの調理人さん達が昼食の調理に追われ、食器や調理器具の鳴る音や怒号さえ飛び交っているというのに。きっと、アデルハイドさんが普段身を置いている場所が、ここの雰囲気と近いんだろうな。城下街には行ったことがないけれど、もし次の旅が終わって戻ってきたら、一度城下街に遊びに行きたいなぁ。

 料理長が言うには、アデルハイトさんは前回の旅に出発する前に料理長と知り合ってから、城にいる間はほとんどここに入り浸っていたという。

「港町の依頼って、どんなのだったんですか?」

 料理長が厨房に戻って行った後で何となくそう訊くと、お酒が入っているのもあるのか、アデルハイドさんは笑い話も交えながら、こっちの世界各地でのいろんな冒険話をしてくれた。

 こんなに喋る人だったんだ、と驚きつつ、そのお話はとっても楽しくて、さっきまでの嫌な感情も少しずつ紛れていった。

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