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マリカだったらよかったの?  作者: 橘 珠水
第2部 マリカじゃないからこうなった
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47.逃亡のチャンス

 グランライト王国の西部に広がる樹海。その樹海を挟んで反対側はフェルゼナット国。

 つまり私は、自分からサムエル殿下の手が届きやすいところへのこのこやってきたってわけだ。ほんと、なんて馬鹿で浅はかなんだろうと自己嫌悪に陥る。

 でも、まさか普通こんなことになるとは思いも寄らないよね? 起こり得る事態を想定して回避すべきだなんて言われても、これは予測不可能でしょ、いくら何でも。

 ……と、自己弁護してみる。そんなことをしても、最悪の事態から脱することなんてできないんだけどね。

 今、私は自分が監禁されている場所がどこなのかも分からない状態だ。

 最初に目が覚めた時にいた部屋と、今いる部屋が別の場所だってことは何となく分かる。だから眠らされている間に別の場所へ移されたってことは分かるけど、すでに国境を越えているのか、それともまだグランライトのどこかの村か街なのかは分からない。目つきの悪い侍女に見張られていて、引かれたカーテンの隙間から外を見ることも許されないから。それどころか、自分がセリル村から連れ去られてからどのくらい経つのか、はっきりした時間も分からない。

 今頃、セリル村ではどんな騒ぎになっているだろう。ファリス様は、やどりぎ亭で起きた惨事にもう気付いてくれているだろうか。それとも、もう陛下の耳にまで届いているんだろうか。

 もし、お茶を飲んだ人たちが私と同じように痺れていただけで助かったとして、やっぱり犯人は私だって証言するんだろうか。

 ……そうだよね。あのアグリスっていう人の言う通り、状況からしてお茶に何か入れられたとしたら私しかいないって、誰でもそう思うよね。クラウスさんなんか、あの時点ですでに私を犯人扱いしていたし。

 茶に何を、と苦し気に呻きながらこちらを睨みつけるクラウスさんの目を思い出すと寒気がしてくる。元々、お世辞にも信頼関係があるとは言えない間柄だったけれど、いきなり犯人扱いだなんてやっぱりショック過ぎる。

 他の人達にも疑われているかも知れないけれど、せめてレイチェルさんにだけは私の無実を信じて欲しい。

 ううん、レイチェルさんだけじゃなくて、私がアグリスの言ったようなとんでもない行動を取るはずがないって思ってくれている人達はいるはずだ。その人達はきっと私がフェルゼナットに連れ去られたってことに気付いて、助けようと動いてくれているに違いない。

 けれど、もしすでにここがフェルゼナットなら、グランライトの人達が国境を越えて私を奪還するなんてことができるんだろうか。国内だけの話でも貴族が身分が血統が、ってややこしそうなのに、他国が関わるとなるともっとややこしいあれやこれやがあってなかなか動けないんじゃないだろうか。

 もし助けが来なければ、きっと私はフェルゼナットの王宮に監禁されてしまう。そして、ゆくゆくはあのサムエル殿下と結婚させられてしまうんだ。

 さっきの比じゃない寒気が襲ってきて、ブルッと身震いする。

 例え陛下が私のことを信じてくれて、フェルゼナットに聖女を返すよう抗議したとしても、あの人たちは聞く耳を持たないだろう。聖女は自分の意志でフェルゼナットに来た、グランライトになど帰りたくないと言っているとか何とか言って拒否するに決まっている。……ああ、そんな未来が目に浮かぶようだ。

 隙を見て、逃げられるようなら逃げた方がいいかも知れない。どうにかしてグランライト王国まで戻れたら、後は身分を明かして保護して貰って、事情を話せば王都まで連れて帰って貰えるだろう。

 でも、果たしてどうやって逃げたらいいものか。

 目つきの悪い女はずっと傍に張り付いていて、トイレや食事なんかで席を外す時だけアグリスと交代する。つまり、私はずっと見張られているから逃げる隙なんか無い。

 でも、閉じ込められている部屋が変わっているってことは、場所を移動しているってことだ。これからも、フェルゼナットの王宮へ向けて移動は続くだろう。部屋を出て、馬車なり馬なりに乗せられるとして、その間に隙を見て逃げることはできないだろうか。

 そんなことを考えながら、本日三度目の食事である堅いパンと辛いスープを口に運ぶ。セリル村のものよりもスープはもっと香辛料が効いていて、弱った心に更にダメージを与えてくる。いつだったか、大陸を西へ行けば行くほど料理が辛くなるって聞いたことがあったけれど、やっぱりここはもうフェルゼナットなのかな。

 食事が終わってしばらくすると、目つきの悪い女が手に布を持って近づいてくるのが視界の端に見えた。

 ……やばい。また眠らされる!

 鼻と口を布で塞がれた瞬間、咄嗟に甘い臭いを嗅がないように息を止め、目を閉じて床に崩れ落ちて眠ってしまった振りをした。意識がない振りをして、この人達が油断している隙を見て逃げようという魂胆だ。

 でも、目つきの悪い女はいつまで経っても布を押し当ててくる手を離してくれない。

 ……もう、限界。

 逃げる為だと息を止めたままでいて、窒息死してしまっては元も子もない。限界に達して息を吸い込むと、その瞬間に目の前が真っ白になって意識が遠ざかっていった。

 


 目が覚めると、また違う部屋にいた。やっぱり私を眠らせて、その隙に移動するを繰り返している、で間違いない。

 今回の部屋は、これまでと違って壁も床も古びていて、ベッドも固くシーツの手触りも悪い。カーテンも薄過ぎて、外の明かりが透けて見える。

 ……田舎の村の小さな宿屋か、それともどこかの民家の一室を使っているのかな。

 大人しく従っている振りをしながら、逃げるチャンスはないかとアンテナを張り巡らせる。眠った振りをして移動時に隙を見て逃げる作戦は残念ながら失敗に終わってしまったけれど、まだ他にチャンスはあるはずだ。

 ここがもうフェルゼナットなら、この二人から逃げおおせたところで誰かに助けを求める事なんてできない。下手をしたら捕まって、無駄死にするだけだ。正直、それだけは避けたい。

 でも、このままグランライトを裏切ったって思われたままなのは絶対に嫌だ。フェルゼナットの王宮へ連れて行かれてしまったら、きっと誤解を解く機会なんて与えて貰えないだろう。

 グッと手を握り締めた時、不意に目つきの悪い女が口を開いた。

「逃げようなんて考えない方が身のためよ」

 動揺なんかしちゃいけないのに、肩が震えてしまった。もしかして、前回眠らされる時に息を止めて抵抗しようとしたこと、バレバレだったのかな?

 恐る恐る視線を上げると、女の目つきがますます鋭くなった。

「我が国の為になるのなら、あなたに不利益はない。でも、もし大人しく従わないなら容赦はしない」

 それだ。何故、フェルゼナットはそんなに私を必要としているんだろう。どうしても手に入れたいだけの美貌や特殊な力があるならともかく、私にはフェルゼナットの為になることなんて何一つできないのに。

「……何故、ですか? 私なんて、聖女って言っても何の力もないんですよ。フェルゼナットの為になんて、何もできることはないんです」

「そんなことは分かっている」

 ……え?

 あっさりと肯定された驚きに目を見開いた私を、女は顔色一つ変えることなく蔑むように見下ろしている。

「我々には、ただ『グランライトを救った聖女』がかの国を見限って我が国を選んだという事実が必要なだけだ」

「は……?」

「それは即ち、我が国がグランライトより優れているという証明になる」

 何を言っているんだ、この人は……!

 というか、これまで私が言葉を交わしたフェルゼナット人は三人しかいないけれど、三人とも言っていることがおかしい。理解できない。事実って、それって私を拉致して脅して無理矢理従わせた上で後付けするデタラメじゃない。それが証明になるって……どんな思考回路をしているんだろう、この人達は。

 呆れ過ぎて何も言えない私に、目つきの悪い女は優越感に浸ったような表情で語る。

「聖女に見限られたグランライトは、屈辱に塗れて惨めな思いをするだろう。そして、やはりグランライトは我が国より劣った国であったと思い知ることだろう」

 ……そう言えば、サムエル殿下と初めて会った後、いろんな人からフェルゼナットは面倒くさい国だと聞かされたなぁ。それは、地理的な問題とか外交問題だけじゃなくて、こういう訳の分からない主義主張にも原因があったんだ。

 思わず頭を抱える私の肩に、女がポンと手を置いた。

「大丈夫。例え異世界人だとしても、我々は寛容だ。あなたが我がフェルゼナットこそ聖女の加護を受けるに相応しい国だと宣言しさえすれば、我々もあなたを聖女として扱おう」

 何だよ、この『寛容に扱ってやる』感は。

 この人が私を完全に見下しているのは、表情や口調で丸分かりだ。フェルゼナットの王宮に行ったら自分がどんな風に扱われるか、行く前から分かったような気がする。

 この人は本当に、私に特別な力は無いって分かっている。ただの異世界から来た非力な女だって分かっているから、こんな風に私の事を蔑むような態度を取っているんだろう。

 ただ、実際に私に会った事のない人達なら、『聖女』という言葉に騙される。だから私を王宮の奥に閉じ込めて、名前だけ利用しようとしているんだ。

 ……陛下に与えて貰った『聖女』という地位が、こんな風に悪用されるなんて。

 多分、陛下は新たな爵位の名称が思いつかなくて、神託によって異世界から召還されたからそれ風なのを選んだんだと思う。私も、『聖女』だなんてと気後れしながらも、その特別な感じのする地位に浸っていた部分もあるし、これまで助けられてきたこともある。でも、まさかこんな風に利用しようとされるなんて思ってもみなかった。

 クラウディオ陛下だって、私をそんな特別な存在に仕立て上げて、ご自分の治世を固める為に利用することだってできたはずだ。でも、陛下はそんなことはしなかった。私がやりたいことをさせてくれて、決して権力の為に利用しようとしなかった。無理矢理側室にでもして王城の中に閉じ込めておくことだってできたはずなのに。

 目頭が熱くなってくる。これまで思い通りにいかないこともあって不満を抱えていたけれど、自分がいかに守られていたのかってことを思い知らされた。

 ……帰りたい。

 陛下から預かった左胸のブローチをぎゅっと握り締める。すると、まるで何か大きな力に包まれているような温もりを感じて、ささくれ立った心が癒されていくような気がした。



 この建物は壁が薄いのか、外の音が微かに聞こえてくる。怒鳴り立てる男の人の声、甲高い女の人の声、子供の声、荷車を引くような音、馬の嘶く声。これまで見てきた、グランライトの村や街とは雰囲気が違っているような気がする。

 やっぱり、もうフェルゼナットなんだ。

 もし逃げ出せたとしても、逃げ切れる自信なんてない。このまま大人しく従って、いつかグランライトに帰れる機会を待った方がいいのかも知れない。でも、そんな機会が来なかったら? フェルゼナットに従うことで、本当に裏切り者認定されて、グランライトに帰ることもできなくなってしまったら?

 逃げられたら逃げる、から、絶対に逃げる、へと決意が固まっていく。

 でも、どうやって逃げ出す?

 最悪、魔法を使うしかないか。炎の魔法で建物に火をつけ、混乱に乗じて逃げる。……でもなあ、火事を起こして無関係な人まで巻き込んじゃうのもなぁ。この建物が燃えちゃうことで持ち主は困るだろうし、犠牲者なんて出したくない。

 あ、まだほとんど成功したことないけど、水の魔法っていう手段もあるじゃない。水圧であの二人を吹っ飛ばして、その隙に逃げる。……吹っ飛ぶくらいの水圧のある魔法が放てなかったら、逆に私の命運はそこで尽きるけど。

 どうする? それでいく? それとも他の手段を考える?

 悩みに悩んで頭が痛くなった頃、目つきの悪い女が私の傍を離れてドアの方へ歩き出した。

 ……あ、トイレタイムか。

 トイレや食事の間、彼女はドアの外側にいるアグリスと見張りを交代する。

 この隙に窓から逃げられたらいいのになぁ。

 ここが一階か二階か、それよりもっと高い階層なのかも分からない状態でそんな危険な駆けをして、大人しく従う意志なしと看做されて殺されたら元も子もない。

 女の背中を睨みつけながら大きく溜息を吐いた時だった。

 意味不明な叫び声が窓の外で上がった。誰かを大声で呼んでいるのかと思われたその声は、狂ったように何度も何度も繰り返されている。その声に呼応するように、悲鳴や子供らしき泣き声が混じって騒がしくなった。

 訝し気に眉を顰めながら振り返った女の目が、これ以上はないくらいに見開かれる。

 その瞬間、轟音と共に窓ガラスが砕け散った。

 幸い、窓は私が腰掛けているベッドの足元方向の少し離れた場所にあったため、割れたガラスの雨に襲われることはなかった。

 けれど、安心したのも束の間、窓を突き破って侵入し、部屋の壁にぶつかってのたうち回っている生き物を見て身を竦める。

「……魔物!?」

 小型犬ほどの大きさの鼠のような身体に、その何倍もの長さのある蝙蝠のような翼をもつ、真っ黒な生物。この世界で魔蝙蝠と呼ばれるその生き物は、一度力尽きたようにべっちゃりと床に臥す。そしてグワッと持ち上げた頭部に二つ輝いているその目は赤く爛々と光り、威嚇するように大きく開かれた口には鋭い牙が覗いている。

 あ、こいつ、やばいやつだ。

 その時、目つきの悪い女が取った行動に、私は驚きのあまり絶句した。

「魔物! アグリス! 魔物!」

 狂ったような悲鳴をあげながら、女はドアを開けて走り出て行く。

 ……ええー、一人だけとんずら?

 見た目も雰囲気も強そうだったのに意外……、と呆気に取られていると、女の悲鳴に驚いたように再び翼をばたつかせて飛び立った魔蝙蝠がこちらに向かって飛んでくる。

「ひえっ!」

 慌てて頭を伏せた私の頭上ギリギリを飛行した魔蝙蝠は、ドン!と音を立てて壁にぶつかっては落ち、また飛び立って天井付近を周回しては壁にぶつかり、を繰り返している。

「魔物だと!?」

 突然、女が走り去ったドアが開いて、アグリスが飛び込んできた。その瞬間、タイミングよくその顔面に飛んできた魔蝙蝠が直撃した。

 ガターン……。

 勢いで後ろに倒れ込み、閉じたドアを背に崩れ落ちたアグリスの顔面に張り付いたまま、翼をばたつかせている魔蝙蝠の羽音だけが部屋に響く。頭を打ったからか、それとも魔蝙蝠の直撃がショッキング過ぎたのか、気を失っているらしいアグリスはピクリとも動かない。

 もしかして、これは脱走の大チャンス……?

 そのまま、魔蝙蝠を刺激しないようその場から離れ、なるべくガラスを踏まないように割れた窓へ近づく。

 揺れるカーテンの隙間から外を見れば、ラッキーなことにこの部屋が一階にあることが分かった。

 怪我をしないように割れたガラスの残る窓を開いて、窓枠に足を掛ける。地面に飛び降りると、そのまま脇目も振らずに全速力で近くの建物の陰まで走った。


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