オリヴィアの言い訳 2
魔神が目覚めている。
ニックは衝撃的な言葉に呆気に取られていたが、オリヴィアの方はやれやれと肩をすくめた。
「いや、おい、そんなブッ飛んだ話をしておいて、なんだその呆れた目は」
「いやいや、ニックさんこそ一体何と戦ったと思ってるんですか。白仮面は魔神崇拝者の手先ですよ。魔神が完全にどうにかなってたらあんなのが大っぴらに活動してるわけないじゃないですか」
「知らねえよそんな事情は!」
「うーん……雑誌でたまに書いてるのですが、あんまり周知されてないんですよねぇ。魔神復活説」
オリヴィアが鼻と鼻の下でペンを挟みながらぶーたれる。
「うむうむ、世の大衆は真実から目を背けるものじゃからのう」
「さっすが、姉さんは話がわかりますねぇ」
「ふふん」
「ふふんじゃなくてだな……」
ニックが頭を抱えるが、落ち着かせるようにオリヴィアがぽんぽんと肩を叩いた。
「ま、安心してください。今すぐどうにかなるということはないでしょう。魔王級の魔物が生まれたり、迷宮が暴走して魔物が爆発的に生まれたりという非常事態には発展していません。単独行動するエージェントを動かしているということは、魔神は半分ほどまどろみの中にいるのでしょう」
「それでも相当マズいことだろう……国とか神殿とか、知ってるのかそれは」
「上の方は恐らく知りつつ伏せているでしょう。というより、ちょっと目覚めたりする程度ならさほど珍しくないし二度寝もよくします。五十年とか百年とかの単位で見ればけっこうフツーに起きてる事態です。それをいちいち喧伝してたら景気も冷え込むし、かえって魔神対策には逆効果だしで、伏せるべきと判断していると思われます」
「色々考えてはいるんだな……」
「もっとも、政変によって魔神対策のノウハウが消えたり、今まで対策できてたからということで完全に甘く見てたりするケースもままありますが」
「ダメじゃねえか」
「そういうときのために私やキズナさん、そしてあなたたちがいるんですよ。ちゃんと倒したでしょう?」
「いや魔神退治のために冒険者やってるわけじゃねえしな」
「え?」
マジで言ってんですか? とオリヴィアの表情は語っていた。
「いや、魔神退治と言われても話がデカすぎてピンと来ねえよ」
「何言ってるんですか! 魔神退治はもう冒険者の夢ですよ!? 貴族に取り立てられるとか勲章もらうとか飛び越えて、土地をかっぱらって国を作っても許されるくらいの栄誉ですよ!」
「お前いきなり話が生臭くなったな」
「ええー、興味ないんですかぁー? やりましょうよぉ!」
「知らん知らん。まあやれたらやるよ」
ニックが面倒くさそうに溜め息をついた。
「それ絶対やらないフラグじゃないですかぁ!」
「だいたい白仮面は魔神の手先で幹部ですらないんだろ? あれを倒すのさえ命がけだったんだから無茶だろ。オリヴィアだって満身創痍だったじゃねえか」
「いっ、いやいや! 本気出してませんし!」
「そこは出せよ! お前怒るぞ!」
「ちっ、違います! 脅威度によってどこまで力を出して良いとか、人間が戦ってる場合は全能力を解放せずに人間を助ける方向で行動すべきとか、細かい規定があるんですぅ!」
「そうなのか?」
ニックがキズナをちらりと見ると、キズナは小さく頷いた。
「他の聖剣よりも人間と関わらざるをえない以上、倫理機能は強めに設定されておるじゃろな」
「さっすが姉さん、理解が早い。粗品を進呈しましょう」
「わーい!」
素直に喜ぶキズナをニックは無言ででこぴんする。
「何するのじゃ!」
「いや、脱線するなって」
「ともかくそこは本当のことじゃろう、我が保証する。白仮面も確かに強かったが、聖剣所有者が魔神の眷属と戦っているとあれば、その人間をサポートする方向にならざるをえんじゃろう。他の聖剣であっても似たような強制力は起きるはずじゃ」
「面倒くせえんだな……そういや聞きたいことがまだあったのを思い出した。あいつ、なんかへんな名前を名乗ってなかったか?」
「カタオカ・ソウエモン」
オリヴィアの言葉にニックが頷く。
「そう、それだ」
「名前の語感からすると既に滅んだ国の名ですね……古代文明時代に存在していた、南方のノゾミ国あたりでしょうか。あ、そういえばS級冒険者のフィフスくんも南方の国の末裔だとか」
「つまりそれ以上のことはわからないと」
「流石に全部はわかりませんよ。それに他にも幾つか意味深なことを言ってましたね……自分が白仮面の番は終わりだとか。襲名制なのか、何か怪しげな魔導具を使ってるのか……ま、ちょっと調べてみますよ。こういうのも仕事ですからね」
さあて忙しくなるなぁとオリヴィアは腕や肘を回して柔軟体操の真似事をする。それを見たニックが、ぽつりと呟いた。
「……なあ、一つ聞いて良いか?」
「なんでしょう?」
「もしかしてこの雑誌のノリで、魔神が復活してるとかいうやべー話を書いてるんじゃないだろうな?」
ニックの引き気味の顔を見てオリヴィアは華やぐように微笑んだ。
「さあて、ご想像にお任せします」
◆
話も終わり、ニックが出版社『ミステリアス・テラネ』を出たあたりで再びオリヴィアから声を掛けられた。
「ニックさん!」
窓からオリヴィアが身を乗り出してこちらを見ている。
「なんだー?」
「ちょっと、最後に言い忘れたことがありました」
すると突然オリヴィアはひょいと窓から身を乗り出し……というよりも、そのまま身を投げ出した。
「お、おい!」
オリヴィアの体が落ちるかと思いきや、驚くべきことが起きた。そのまま建物の壁に、垂直に立っている。
「……気持ち悪っ」
「なんですかその言い方!」
「そんなヤモリか何かじゃあるまいし……どういうからくりだ?」
「大したからくりじゃありませんよ。今のあなたでもやろうと思えばやれることです」
そう言いながらオリヴィアはそのまま壁に垂直に立って歩いてくる。
そして、ニックと同じ目線のところに辿り着いた。
「《軽身》……じゃないよな」
《軽身》とは自分の体重を変化させる魔術だ。どんなに身軽な動きができるとしても、ここまでバランスが狂った状態で静止することなどできない。ましてや壁をこんな風に歩くなど不可能だ。ニックはそう考えを巡らせながらオリヴィアを見つめた。
「そこは宿題としておきましょうか」
そしてオリヴィアはゆらりと手を伸ばして、ニックの胸元に手を当てた。
その瞬間に激しい衝撃がニックの体を貫き、ニックは後方へと弾き飛ばされる。
「がっ……!?」
「私が白仮面を倒した技を弱めたものです。これができれば、あなたもいずれ単独で白仮面と戦えるくらいにはなるでしょう。それと格闘の鍛錬も怠らないように。武芸百般の基礎にして基本ですからね」
「な、なに……?」
「さーて、目立つ前に行きましょうか。それでは私は長期出張に行って参ります!」
オリヴィアはそう告げて、壁をたったったっと駆け上がっていく。
速度はぐんぐんと上がり、すぐにニックの目からは見えなくなっていった。
◆
「まったく、人を振り回すだけ振り回しおって! なんなんじゃあやつは!」
「とか言いながら雑誌は買うんだな」
「あやつの作りだした物とあやつは別じゃからの」
「現金で羨ましいぜ」
ニックとキズナは出版社からの帰り道、書店に立ち寄っていた。ニックはアイドル関係の専門雑誌を買い、キズナはオカルト雑誌を買った。このまま宿に戻ってだらだらと本を読みながら時間を潰すという休みの日らしい怠惰をむさぼるつもりだった。
「しっかし、魔神ねえ……ピンと来ねえや」
「それはそうじゃろうな。定命の存在にはあまり馴染みはないじゃろう」
「お前にとってはどんな存在なんだ?」
そう言われてキズナは顎に手を当てて考え込んだ。
「一言で言うのは難しいの……。忌むべき敵であり恐ろしい存在じゃ。うらみつらみを超えて天災のような畏怖さえ感じる」
「そんなにか……? 白仮面の奴はもうちょっと俗っぽい感じがしたが」
「では逆に聞くが、神の僕たる神官は清廉潔白か?」
「んなわけねえだろ。……しかしそういう風に例えるってことは、白仮面みたいな連中にとっての神が、魔神ってことか?」
キズナは、然りと頷いた。
「ま、崇拝されている四柱よりはもう少し身近な存在じゃが、似たようなものであることには変わりない。そういう存在と戦うというのは生半可なことではないぞ。オリヴィアの奴の言い方はちょっと軽すぎじゃ、音楽性があやつとは合わぬ」
まったく、と言わんばかりにキズナは肩をすくめる。
それをニックは面白そうに眺めていた。
「なんだよ。世界を救う勇者になれ、みたいなこと言わないのか?」
「希望としてはそうなってくれるとありがたいしそういう風に誘導するつもりじゃ」
「おい」
「じゃがそれは、自然に発現した感情の吐露であるべきじゃ。言われてやるとか、流されてやるとか、金や生活のためにやるとか……魔神と戦うというのはそういうことではない。通常では成し遂げられぬことを成し遂げるためには、それ相応の意志が必要じゃ。そうでなければやがては心も体もいつかは折れる」
「命令されたり誰かに頼まれたりするのはダメなのか?」
「それは我の求める勇者ではないのう。進化の剣あたりならばそれでも良いかもしれぬが」
キズナが半笑いで肩をすくめる。
「守りたいものがあるという動機があればこその勇者じゃ。何も守りたくない者や守るものがない者に勇者であることを強いるのは、それは拷問と変わらぬ」
「拷問か」
「そもそも我は武器であり剣じゃ。使い手を救う力であって、力が使い手を支配するのはあべこべじゃよ」
「お前、文句けっこう言うじゃねえか」
「要求はするし誘導はするぞ。くっくっく、せいぜい騙されないことじゃな」
そのわざとらしい口調に、ニックは不思議に思った。
「お前、やけに饒舌だな」
「む……そうか?」
「心配するな」
ニックはそう言って、キズナの頭をぽんと撫でた。
「レオンみたいにどっか間違っちまった奴もいるし、ナルガーヴァみたいに後戻りできなかった奴も、確かにいる」
「あいつらはどっちも、止めてくれる奴がいなかった。レオンたちは、なんつーか、居心地が良かったんだろうな。正直あいつの気持ちはわかるよ。ナルガーヴァの気持ちは、流石に独身のオレが想像するには厳しいけど、もう突っ走るしかねえって状況はなんとなく想像できる」
「うむ」
「けどオレたちはそこには行ってねえ。何もかも切り捨てて暴走するには、色々と欲しいものもやりたいものも多い。ああ、そうだ。来月の夏眠期にはオールスターライブがあるんだよ。チケット前売り券は抽選になるから列に並ぶの手伝ってくれ」
「そっちか……」
「大事だろ、趣味は」
「そうじゃが……なんか釈然としないのう」
「他の連中もお前も同じだ。楽しいことをやれよ。もっと行きたい場所があるとか、もっと食べたいものがあるとか、好きな女とか男がいるとか、そういうので良いんじゃねえか?」
「欲望まみれじゃ、まったく……じゃが欲望まみれの方がそなたららしい」
キズナはそう言いながら、未会計の娯楽本を持って楽しそうに書店員の方へと向かった。




