第二十一話 二人で朝食を
「シャスター様、そろそろ起床のお時間ですよ」
翌朝、シャスターは自分の名を呼ぶ声で目が覚めた。
が、目を開いても目の前が真っ暗で、しかも顔全体に大きな柔らかい物が覆い被さっている。
「!!」
一瞬で状況を理解したシャスターは、慌てて起き上がった。
目の前には先ほどまで自分の胸をシャスターの顔に埋めさせていたフローレが微笑んでいる。
「おはようございます。シャスター様」
「な、な、何をしていたの!?」
「あら、シャスター様は大きな胸がお好きとのことでしたので……嫌でしたか?」
悪戯っぽい表情で笑っているフローレに対し、シャスターはため息をついた。
「いや、あれはフローレを助ける理由で言っただけで、別に大きな胸が好きなわけじゃ……」
「お嫌いですか?」
「いや、嫌いとか好きとかじゃ……」
「シャスター様が大きな胸が好きで良かった!」
完全にフローレのペースで話を進められてしまったシャスターは諦めた表情でベッドから起き上がった。
(昨日の朝は殺人騒ぎで、今朝はこれか)
これからも毎朝こんなことが始まるかと思うと頭が痛くなるが、自分で決めたことだ。仕方がない。
「応接室に朝食の準備は出来ています」
確信犯がすました表情で頭を下げる。
「分かった。シャワーを浴びてから食べるよ」
「お身体を洗うのをお手伝いしましょうか?」
「……いや、いい」
フローレを寝室から強制的に追い出し、寝室に併設されているシャワー室に入る。
「やはり、あの女を殺しましょうか?」
シャワー室の外から星華の声が聞こえる。
「いや、昨夜も言ったけど、その必要はない。星華、むやみに殺すとか言っちゃ駄目だよ」
シャスターがたしなめる。
星華としては、シャスターの邪魔になるもの、まとわりつくものは排除の対象だ。しかも色仕掛けの女など、目障りな存在以外何者でもない。
しかし、シャスターの命令は絶対だ。
「……了解しました」
星華は渋々ではあるが了解した。
しかし、星華の声が納得していないことは分かっていた。
星華は非常に優秀な忍者だ。攻守ともに超一流であり、シャスターを四六時中守ることを誇りに思っている。だからと言うべきか、シャスターに害なす可能性があるものは全て排除しようとする。
それは正しいことなのではあるが……しかし、星華にはもっと人間味を持ってもらいたいとも思っていた。
優秀な忍者に人間味とは相反しているのかもしれないが。
「俺もだけど、星華にもこの旅で色々と成長して欲しいな」
「ご期待に添えるように頑張ります」
生真面目な星華の声にシャスターは笑った。
「頑張る必要はないよ。ただ、そうだな……これから星華が色々なことを吸収して、視野を広げてくれたら嬉しいな」
シャスターは熱い飛沫を浴びながら上を見上げた。
「俺たちの旅はまだまだ長いのだから」
シャワーを浴び平服に着替えたシャスターが応接室に入る。騎士団長になってこの応接室が朝食場所になっていた。
いつも通りテーブルに朝食が並べられているが、昨日までとは違って料理が質素になり、量も少なくなっていた。それに、三人いた給仕のメイドもいない。
「今日からは私が給仕させていただきます」
三人もの大袈裟な給仕は必要ないと思い、フローレが自分だけで給仕することを決めたのだ。
しかも、朝から食べ切れないほどのボリュームだった朝食の中身と量を選別し、胃にもたれない健康的な朝食に変えた。
目の前の料理は、数種類のパンとコーンスープ、葉野菜のサラダ、ハムとジャガイモを混ぜた焼き卵、それに蜂蜜をかけたヨーグルトにミルクだった。
「うん、美味しい!」
シャスターはコーンスープを一口飲んだだけで、この料理の美味しさを実感した。
「それは良かったです! 頑張って作ったかいがありました」
「えっ、フローレが朝食作ったの?」
朝食を作ったのは騎士団の料理人だ。しかし、フローレも朝早く起きて朝食作りを手伝ったのだ。
当然、料理人たちは騎士団長にいつも通りのボリュームのある食べ切れない朝食を用意しようとしたが、フローレが反対してこの品目にしたのだ。そして、嫌がる料理人たちに目もくれず料理作りを手伝ったのだった。
「よく料理人たちがそんな勝手なことを許したね」
シャスターの疑問はもっともだったが、シャスターは一つの事実を忘れていた。
それは、フローレ自身の存在だ。
功績の大きいシャスターに対し、領主デニムが下賜したのがフローレなのだ。
大勢いる侍女の中からシャスターに選ばれたのがフローレなのだ。
そんなフローレに異議を唱えることが出来る者など、騎士団にはいない。
「それをフローレがみんなに話したの?」
「いえ、私はそんな図々しいことはしません」
ただ、昨夜フローレが騎士団長室に来た時、警備している四人の騎士たちに騎士団長室に入れてもらうためにそのことを話しただけだった。
「あとは騎士たちが勝手に広めてくれるわけか」
騎士たちの話は、一夜にして騎士団中に広まったのだ。
昨夜の行動からも分かっていたが、改めて頭の回転が速い優秀な侍女だと思った。
「そうだ、せっかくだから、フローレも一緒に食べようよ」
「でも、シャスター様の給仕をしなくては……」
フローレは一緒に食べるなどあつかましいと思ったが、結局シャスターの誘いを断ることが出来ずに席に着いた。
「ひとりで食べるより一緒に食べる方が美味しいし、俺に気に入られている女性なら一緒に食べる方が普通だと思うよ」
「ありがとうございます!」
フローレは嬉しかった。
領主の侍女といっても、毎日豪華な料理を食べられるわけではない。普段は質素なものしか食べさせてもらえていなかったし、それが当たり前だった。
しかし、シャスターは一緒に食べたいと言ってくれたのだ。美味しい料理をシャスターとともに食べられることがフローレには嬉しかった。
ただ、もちろん自分が食べている間も給仕はしっかりと行う。
「このハムとジャガイモを混ぜた卵焼きは私の村の郷土料理です」
フローレが皿から切り取ってくれた卵焼きをシャスターは一口頬張ったが、あまりにも美味しくてすぐに皿は空になった。
「美味しい! フローレは料理上手だね」
「この程度の料理なら、村や町の娘なら誰でも作れますわ」
料理でこんなにも褒められるなんて、フローレとしては嬉しいより気恥ずかしさの方が大きい。
「でも、ガサツそうなカリンがこんな料理を作れるとは思えないけどな」
「カリン!?」
シャスターの小さく呟いた独り言ごとだったが、フローレには聞こえたらしい。
「あ、いや、ここに来る前に知り合った町長の孫娘で……」
「もしかして、フェルドの町のカリンちゃんですか!?」
フローレは驚きの表情を浮かべる。
「カリンを知っているの?」
「はい。私はフェルドのとなり村出身です。フェルドの町長と村長だった私の父は交流があったので、カリンちゃんとは小さい頃からよく一緒に遊んでいました。私がここに来る少し後に、教会にお勤めに出ることを聞いていたのですが」
一人っ子のフローレにとってカリンが妹のようで可愛かったようだ。
フローレが領主の元に連れて行かれる時もカリンは大泣きをして悲しんでくれたのだ。
「領主の侍女は里帰りも手紙のやり取りさえも出来ないのです。だから、カリンちゃんの近況も分からなかったのですが、そうですか……もうフェルドに戻って来ているのですね」
フローレは遠い目をして微笑んだ。懐かしい時を思い出しているのだろう。
「シャスター様とカリンちゃんがお知り合いだとはビックリしました」
「ここに来る前にフェルドの町で少しだけ世話になったからね」
「そうでしたか。当時カリンちゃんは活発で可愛い女の子でした。あれからニ年も経っていますから、素敵な女性になっているのでしょうね」
フローレがどんな想像をしているのか分からないが、人それぞれ主観は違うからシャスターとしては何とも言えない。
「はっ! まさかフェルドでシャスター様はカリンちゃんと恋仲に!? だから私を抱けないのでしょうか?」
「そんなことは絶対にない!」
フローレの妄想にシャスターは断固として首を横に振った。
「もちろん、シャスター様のように素敵な方ならば、恋人の一人や二人いても当然です。私は全然気にしませんわ」
シャスターの否定を無視してフローレは勝手にひとりで話を進めていた。
「それにしても、いきなり騎士団長様になられるなんて、シャスター様ってよほど凄いお方なのでしょうね」
フローレはシャスターが騎士団長になった経緯を知らない。
それは当然であって、知っているのは一部の騎士団員と傭兵隊のエルマとギダ、あとは領主と一緒に鏡を見ていた高級文官たちぐらいだ。
彼らはフェルドのあまりにも酷い惨状について、誰も他の者には話そうとしなかった。箝口令をしているわけではないのだが、おかげでシャスターの非道が全く広まっていなかったのだ。
ただ唯一、フローレの耳にも伝わっていたのは、シャスターがかなりの剣の達人であることだった。
シャスターはきっと以前から領主様のお気に入りの知り合いであり、剣の腕を見込まれて領主様に呼ばれて騎士団長になったのだろうと、フローレは思っていた。
だから、シャスターが旅人だったことを聞いてフローレはとても驚いた。
「俺は数日前にレーシング王国に来たばかりだし、その時に偶然知り合ったのがフェルドのカリンだった。だから領主様とは全く面識はないよ」
それならばなぜ? と思ったフローレだったが、シャスターは経緯を話すことに躊躇していた。
まさかカリンとフローレが姉妹のような関係だとは思ってもいなかったからだ。
ただでさえ、エルマやマルバスなどフェルドの件を知っている者からは非難されている。これでフローレに話をしたらどうなることだろう。
「でも、まぁいいか」
頭を軽く掻きながら困った表情をしたシャスターだったが、覚悟を決めるとフローレにこれまでの経緯を詳細に話し始めた。
全て聴き終えた後、フローレの表情は氷のように冷たく固く蒼ざめていた。
「まさか、フェルドの町が……カリンちゃんが……」
先程までカリンの近況を知って喜んでいたのに、一転して深い悲しみに沈んでいる。
「大丈夫?」
その状況を作った張本人が心配そうに見つめる。
そこで普通なら怒声や罵声を浴びせるのだが、フローレは違った。
「お話をしてくれてありがとうございます」
泣きたいのを我慢して気丈に振る舞っているのが痛いほどよく分かる。
「俺のことを責めないの?」
傭兵隊長のエルマには何度も責められたし、同じ騎士団のマルバスでさえ悪魔呼ばわりされたほどの行為だ。他の者たちだって、シャスターのことを非道だと思っている。
唯一喜んでいるのは領主デニムぐらいだ。
だからこそ、フローレに責められるのは当然だと思った。自分の妹同様に可愛がっていたカリンを殺されたのだ。
しかし、フローレはそんなことはしなかった。悲しい表情でシャスターを見つめているだけだ。
そして、突然立ち上がるとシャスターを思いっきり抱きしめた。
「かわいそうな、シャスター様。一番苦しんでいるのはシャスター様自身なのに、それを誰も分かってくれないのですね」
「……」
「私には分かります。まだ短い付き合いですけど、シャスター様のことが分かります。シャスター様が自分の功績だけのためにそんなことをする人でないことは。きっと何かやむを得ない大きなご事情があったのでしょうね。だからこそ、一番苦しんでいるのはシャスター様ですよね」
フローレの涙がシャスターの頬を伝わる。
カリンが死んだことを聞いた時は気丈にも泣かなかったのに、シャスターが苦しんでいると思った途端自然と涙が溢れてきたのだ。
しばらく抱きしめられてまま呆然としていたシャスターだったが、ゆっくりとフローレを離すと困惑した表情で見つめた。
「あの……その、困ったな」
責められることを覚悟していたのに、まさか自分が哀れられるとは思ってもいなかったからだ。
「うーん、どうしようか」
目の前で泣いているフローレにどう接していいのか分からない。言葉巧みに女性の心を掴めるようならば、こんな時に上手い台詞の一つ二つ話せるのだろうが、残念ながらシャスターはそんなタイプではない。女性の扱いに慣れていない少年はただ困惑するだけだ。
「こうなっては、もう仕方がない」
覚悟を決めたシャスターは遠くへ目を向けた。
「星華、出てきて構わないよ」
「……はい」
突然、フローレの目の前に人影が現れた。
「きゃ!」
泣いていたフローレだったが、いきなり人影が現れて涙が止まるほどに驚く。そして、その影が黒づくしの美しい女性だと分かりさらに驚く。
「彼女の名は星華。俺を守ってくれている忍者だよ」
「星華と申します」
「わ、私はフローレです。初めまして」
フローレはびっくりしたままだが、自己紹介されたので慌てて自分も自己紹介をした。
「星華はフローレのこと、どう思う?」
慌てふためいている本人を目の前にしてシャスターは尋ねる。
「シャスター様のために涙を流しました。心のお優しい方だと思います。そして、今までの言動から信頼できる方だと」
星華の考えもここにきて変わってきた。
フローレのことを最初はシャスターに取り入る図々しい女性と思っていたのだが、人の感情を察することができる、そして何より本気でシャスターを心配してくれている女性だと分かったのだ。
「うん、それじゃ、フローレに本当のことを話してもいいよね」
「シャスター様のお考えのままに」
二人の会話が一体何を話しているのか全く分からないフローレは落ち着かない表情で二人を見つめている。そんなフローレの視線とシャスターの視線が合わさった。
「フローレ、これから言うことを驚かないで聞いてね」
「……はい」
フローレはゴクリと息を飲む。一体何を宣告されるのだろう。泣いているどころではないと理解し、涙をハンカチで拭き取る。
「見苦しいところをお見せしました。もう大丈夫です」
涙を拭き取ったフローレは今までの悲しんでいた時とは全く違っていた。その表情からは全てを受け入れる覚悟が現れている。
そんなフローレを見ながらシャスターは微笑んで口を開いた。
「カリンは生きているよ。フェルドの人々も全員無事だ」




