第22節:メイア対幻鐘
森の奥へとたどり着いたメイアは、そこで木の保たれて目を閉じる呪紋士を見つけていた。
『幻鐘を相手取る時は、足元に常に気をつけて下さい。敵を見つけても焦らずに、彼の姿を探すのです』
試合開始の直前に朱翼に言われた通りに、メイアは警戒しており、だからこそ避ける事が出来た。
予選決勝と、先ほどの不意打ち。
二回目にした幻鐘出現の兆候を感じ取り、即座に左に飛んだのだ。
「何度も見られちゃ、流石に同じ手は通用しねぇか……!」
錫杖を突き上げながら現れた幻鐘に、メイアは応えなかった。
彼の実力は、赤銅がいなくとも油断は出来ない。
メイアが呪紋を練り上げるのと同時に、幻鐘は何かを落として、靴底で強く地面に踏みつけた。
「《水晶》!」
「《刃打》!」
メイアの放った多数の極小球体の水弾と、幻鐘の放つ金気の刃がぶつかり、宙で煌きながら弾ける。
幻鐘は、紋具をあらかじめ準備してあったのだろう。それを踏みつけて紋を地面に刻んだのだ。
そのまま彼が木の間に身を隠そうとするのに、メイアが特紋士の本領を発揮して次の一撃を即座に完成させていた。
「辰星木洩! 顕現!」
メイアは朱翼との手合わせを通じて、呪力を増すと同時に呪紋の練度も高めている。
自身では気付いていないが、相生紋だけでなく、相洩紋の扱いもつい三日前に比べて、桁違いに上手くなっていた。
『―――メイア。威力があるものだけが呪紋ではありません』
彼女は、朱翼の言葉を思い出す。
朱翼に出会うまでの間も彼女は呪紋士として高い領域を目指して学んでいたが、それはあくまでも軍属特紋士……戦地における集団戦術を基本とした、小隊規模でのものだった。
集団での呪紋の基礎は、役割分担である。
特にメイアは、生まれが高位の貴族である事や元より才覚に恵まれていた事から威力のある呪紋を行使する機会が多かった。
故に、本格的に個としての戦術や搦め手を学ぶ機会が少なかったのだ。
しかし、朱翼が見せた数々の動きを間近で、貪欲に見取る事によって。
メイアは、その戦術を幾つか学び取っていた。
「《草絡》!」
メイアの呪力を受けて急成長した下生えが、幻鐘の足に絡みつく。
「ぬっ!?」
動きを止められ、幻鐘が声を上げた。
メイアは、さらに連続して別の呪紋を編み上げる。
「《水鞭》!」
放たれた水鞭が、上体を捻ったが避けきれなかった幻鐘の体を掠める。
「ッ、《奇門・土》!」
服を裂かれながらも、幻鐘は遁行して拘束から抜け出した。
しかし彼は、そのまま隠れている訳にはいかない。
メイアの目の前には、彼が庇うべき相手が、目を閉じた無防備な姿を晒しているのだ。
彼女は、亥凍の呪紋士に向けて駆ける。
「もし、私がゲンショウなら……」
相方をやられる直前に、相手の背後を取る。
呪紋を完成させ、そのまま呪紋士に呪紋を叩き込む、と見せかけて。
振り向いたメイアは、次の呪紋を背後に放った。
「《揺水》!」
しかし、そこに幻鐘は現れなかった。
「貰った!」
―――声は、上から。
メイアの死角で遁行を解いていた幻鐘は、そのまま相方が背を預ける木に、駆け上がっていたのだ。
彼女はそれを全く予測していなかったが、行使した呪紋の特性が彼女を助けた。
《揺水》は、大気中の水気を震わせる全方位型の呪紋である。
その効果は、平衡感覚を狂わせるもの。
要は、眩暈を起こす呪紋だ。
出現位置は外れたが、結果的に幻鐘に効果を及ぼす事には成功した。
そして、女を殴らないという幻鐘の信念から、彼は常に宝玉のみを狙い続けている。
呪紋によって幻鐘の手元が僅かに狂い、メイアの宝玉掠める事なく、錫杖が彼女の眼前を薙いだ。
重く空を切る音に背筋は冷えたが、メイアは目の前に現れた幻鐘の肩に掌を叩き付けた。
「水生!」
メイアの言葉と前後して、錫杖を軽く彼女の胸元に突き込もうとしていた幻鐘だが。
「ぐっ……!?」
彼は突然呻いて、錫杖を取り落とした。
それは、朱翼が赤銅を思いがけず倒した事による感覚の逆流が引き起こしたものだったが、メイアがそれを知る由もなく。
幻鐘の体の表面で、軽く水を弾けさせる呪紋が発現する。
《水破》と呼ばれる、大した衝撃を生むわけでもない呪紋だ。
呪紋覚えたての子どもが水遊びに使うようなものだが、それは立派な攻撃系統の呪紋だった。
ぱん、と軽い音を立てて掌から発生したそれは、幻鐘の体を揺るがせすらしなかったが。
彼の胸元の宝玉は、攻撃を受けた事を察してぼんやりと輝いた。
※※※
「どうやら、遅かったようですね」
朱翼がメイアの元にたどり着くと、すでに戦闘は終了していた。
メイアの前には、気絶した見慣れない呪紋士が木にもたれていて、幻鐘は座り込んだまま肩で息をしている。
「どうされました?」
朱翼が首をかしげると、幻鐘は恨みがましい目で彼女を見上げた。
「どうした、じゃねーよ。契魔をいきなり吹き飛ばされたせいで、頭がふらっふらなんだよ!」
「そうなのですか。それは失礼を」
赤銅と幻鐘が繋がっていたのは知っていたが、消滅の瞬間に結構な衝撃を受けたらしい。
「一体、何しやがった?」
「何を、と言う訳でもないのですが、あえて言うなら不可抗力です」
「はぁ!?」
「亥凍を吹き飛ばすつもりが、一緒に赤銅も消滅してしまいまして」
事実を述べただけなのに、またメイアに呆れた目を向けられてしまう。
「あなた、また普通やらないような事をしたんでしょう?」
「そんなに特別な事したつもりは……」
語尾が小さくなったのは、自分の常識に自信がなくなっているせいだ。
「木符を、そちらの気絶している方が媒介にしているように見えた亥凍のツノに、叩きつけただけです。おかげで外套がダメになってしまいました」
説明すると、メイアだけでなく幻鐘まで絶句していた。
「呪紋士の、契魔に対する存在形成に干渉したって事?」
「契魔は呪力出来てんだから、ンなやり方で支配に干渉したら暴発するに決まってんだろうが! 何考えてんだよ!」
「……今まで、そんな事は習った事がなかったので」
良い方法だと思っていた朱翼が、少ししょんぼりして肩を落とすと、メイアが頭に手を当てた。
「何でそんなに、色々な知識が偏ってるのかしら。招来呪の基礎じゃない。というか、呪紋を暴走させたらどうなるか知ってたら、そんなの考えれば分かりそうなものでしょう?」
「呪紋の暴走?」
朱翼はきょとんとして、小首をかしげた。
「何ですか? それは」
「「は?」」
「大禍……の事ではないですよね?」
あれはある意味呪紋の暴走だと言えるが、様々な条件が重ならないと起こらないはずだ。
「ある意味、似たようなものだけど。ちょっと待って、貴女もしかして今まで一度も呪紋を暴走させた事がないの!?」
「……多分」
幻鐘がメイアを見上げて、疑わしげに問いかけた。
「ありえるのか? そんな事が」
「……朱翼の場合、あり得ないと言い切れないところが問題なのよね」
と、メイアが朱翼に説明してくれる。
「良い? 呪紋は呪と紋、双方が正しく形成されなければ真威を発揮しないでしょう? その形成過程において致命的な間違いがあった場合、下手をすると呪力が暴走して呪紋士本人が吹き飛ぶ可能性すらあるのよ? そういう経験は?」
「ありますが……でも、正しく形成されていなければそもそも編む段階で分かるのでは? その段階で呪力を散じれば、暴走はしないと思うのですが」
「と、いう事らしいわよ、ゲンショウ」
「待て待て待て。言ってることが色々おかしいぞ!?」
割と悟り始めているメイアと違い、幻鐘の反応は激しかった。
「信じられない気持ちはわかるけど、朱翼はそういう子なのよね。まぁ、貴方もこの後朱翼に付き合うんでしょう? きっと色々分かってくるわ」
自分と同じような仲間が増えることが嬉しいのか、メイアは混乱する幻鐘に対して生暖かい目で言った。
こうして試紋会は、朱翼とメイアの勝利で幕を閉じた。




