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朱の呪紋士  作者: メアリー=ドゥ
第一章 巣立編
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第20節:錆揮の凶行

 【鷹の衆】が各々に準備を始める中、朱翼は白抜炙の元へ向かった。


「私も共に戦います」


 しかし、白抜炙は朱翼の言葉に首を横に振る。


「何故です?」

「お前が捕らえられたら、その時点で俺達の負けだ」

「そんな下手を打つような真似はしません」

「乱戦になる。俺達にだって余裕がある訳じゃねぇ」


 そんな事は朱翼にも分かっていた。

 皆は軽く言うが、相手は大国の正規軍であり、こちらにはその半分にも満たない人数しかいないのだ。

 彼らは、朱翼と村の為に最初から勝ち目の薄い戦いに挑むのである。

 そんな中自分だけが逃げる事を、朱翼はどうしても納得出来なかった。


 逆なら良い、と朱翼は思う。

 自分だけが貧乏籤を引く事には慣れている。


「自分だけが良ければそれで良い、と、お前は以前、俺に言ったんじゃなかったか?」

「いつの話です。私にも人の心があると言ってくれたのは、白抜炙。貴方です」


 軽く笑みを浮かべる白抜炙が、敢えてそうした言い方をする事を、朱翼は知っていた。

 どれだけの時間を、共に過ごしたか。

 朱翼を人として扱ってくれる彼と、どれだけの時間を……こんなにも失いたくないと、そう思うほどに、共に過ごしたのだ。


「お前に人の心があるのなら、尚の事だ」


 言い募る朱翼を手で制し、白抜炙は真剣な目で言う。


「俺は、お前に人を殺させたくない。そして奴らの手にも渡したくはない」


 白抜炙の言葉に、びくりと錆揮が反応したが、朱翼はそれどころではなかった。


「私は、仲間のためならば手を汚す事を厭いません。それは貴方と同じ気持ちです、白抜炙」

「分かってる、これは、俺の我侭だ。それでも俺は、お前に少しでも生きてて欲しいんだよ。みすみす、危険に晒せる訳ねぇだろうが」


 白抜炙の言い草に、朱翼は腹を立てた。

 彼は、朱翼の気持ちを全く無視している。


「それでは、私の気持ちはどうなるのです」


 朱翼は自分の胸に手を当てて白抜炙を見た。


「全て同じではないですか。白抜炙を案じる私の気持ちは。今から戦地に赴く貴方が戻るのを、ただ不安に思いながら待てというのですか」


 白抜炙が朱翼の目を見て、怯んだように言葉に詰まる。

 そんな白抜炙に、朱翼に随伴する事が決まっている烏が助け船を出した。


「では、錆揮はどうするの?」


 烏は、朱翼の背後にいる錆揮に目を向けていた。

 錆揮は何かに怯えている。

 人が死ぬところを、目の前で見たのだろうか。


「あの状態では村には連れて行けない。一人で逃がすの?」

「それは……」


 逆に問い返されて、朱翼も言葉を返せなかった。

 錆揮は村で何があったのか、ほとんど反応しない。

 時折、死、殺す、そうした言葉に震えるだけだ。


 錆揮は今、腰に新しい短刀を吊っているが、それにも彼は怯えている。

 手渡したそれを受け取ることもなく凝視して動かなくなったのだ。

 それでも武器を持たせない訳にもいかず、結局朱翼が腰に吊ってあげた。


「では、烏が錆揮だけを連れて」

「貴女が行かないなら、私は残るわ。そうした方が少しでも勝てる可能性が上がる。貴女を守る役目だから、私は受けたのよ。錆揮だけなら一人で逃がしても、追ってまで殺そうとはしないでしょう」


 この状態の弟を放っておく事は出来ない。

 結局従うしかない自分に、ああ、またかと朱翼は思った。

 自分はここでも、ただ従う事しか出来ないのか。

 そんな朱翼を痛まし気に見てから、烏は朱翼の肩を叩いた。


「白抜炙達は生きて帰って来る。信じましょう」


 その言葉に、朱翼は頷くしかなかった。


※※※


 錆揮は、忙しげに準備に動く【鷹の衆】と朱翼の側を離れた。

 逃げ支度を整える為に部屋に戻ろうとする姉に、厠へ行く、となんとかそれだけを告げて別れたのだ。

 屋敷の裏手に回り、壁に背を預けて一人腰を下ろす。

 錆揮は、悪夢の回想に苛まれていた。


 皆が準備を進める喧噪が遠い。

 錆揮は、自分の膝を抱える動きで腰の短刀が鳴るのに、肩を竦める。

 今の錆揮は、短刀を見る事すら怖い。

 錆揮はもう何度目になるか分からない回想が頭を巡るのを、唇を噛んで耐えていた。


 ーーー皇国軍襲撃の時に丁度村にいた錆揮は、突然燃えた村の中を隠れて逃げ回っていた。


『何で、一体何が』


 小さく、小さく、何度も口の中で繰り返す。

 今日もいつものお遣いの筈だった。野菜を貰い、肉と符を渡す。

 現れた兵士達は、村人達と争っているようで、怒号と悲鳴が絶え間なく周囲を包んでいる。

 錆揮は声のする方に近づかない様、物陰に隠れて逃げ回り続けた。

 だが、村を出なければ見つかるのは時間の問題だろう。


 ーーー怖い、怖い。


 がくがくと体が震え、歯の根が合わずに、かちかちと音を立てる。

 その音すら誰かに聞きつけられそうに思えるほど肥大した恐怖心は、錆揮の頭を真っ白に染めていた。

 かつての記憶が蘇る。

 頬を炙る火の熱さに、錆揮は命の危機を実感して少しだけ頭が回るようになった。


『ぶ、武器。武器を』


 震える手でどうにか腰の短刀を抜いたが、手の震えで構えた刃先が揺れる。


『止まれ……止まれよ……』


 錆揮は呟くが、震えは止まらなかった。

 白抜炙達が人攫いの村を襲撃してきた時の事が、目の前の惨状に重なる。

 決定的に違うのは、今は姉がおらず、手の中には武器がある事。

 そして相手が確実に、白抜炙達のように自分を拾ってくれるような連中ではない事だ。


 何かが動く音が背後の道から迫って来るのを聞いて、錆揮は慌てて振り向いた。

 一歩一歩。相手の姿は燃える建物に隠れて見えない。


 殺されたくない。

 死にたくない。


……なら、殺すしかない。


『殺す……』


 生きる為に。

 生きたい、と強く思うと、震えがわずかに治まった。


 ーーー武器に頼りすぎるな。


 何度も言われた白抜炙の言葉が、遠く脳裏によぎる。


『無理だよ……』


 今は誰も頼れない。誰もこの場に居ない。

 手の中の小さな短刀しか、頼る相手がいない。


 ーーー冷静になれ。


 言われた通りに、冷静になったつもりで。

 だが、弱い自分を冷静に観察している余裕はない。


『殺すんだ……』


 見えない相手が、錆揮の居る曲がり角まで来た。

 自分が向こうに見つかるよりも先に、一撃で。

 恐怖心で視野狭窄に陥っている錆揮は無我夢中で踏み込み、短刀を自分の脇近くに構えて体ごと突っ込んだ。

 鍛えられた通りに体は動き、現れた人影の胸にその一撃は必殺の威力で突き込まれる。

 相手は避けもしなかった。

 体がぶつかる衝撃と、刃が肉を割り、骨を軋ませる気持ちの悪い感触を手に感じ、錆揮は反射的に目を閉じる。


『あ……』


 漏れた声音に聞き覚えがあるような気がして、無意識に閉じた目を開けた。




 そこに立っていたのはーーー刃が貫いたのは、マドカだった。




『う……』


 嘘だろ、とという呟きは声にならず、錆揮は思わず一歩後じさった。

 マドカは胸から錆揮の短刀を生やして、不思議そうに錆揮の顔を見ている。

 自分の想像とはまるで違う相手だった事に混乱し、自分のやった事に青ざめ、錯乱しかけている錆揮の顔を、マドカは真正面から見て。


『しょう……』


 彼女もおそらく、回っていない頭で、どうやら錆揮と分かって笑みを浮かべようとしたのだろう。

 その唇の形が半笑いになると同時にマドカの目が白く裏返り、人形が投げ出されるようにその場に倒れ伏した。


『う、あ……』


 うつ伏せに倒れた事で、マドカの胸を余計に深く短刀が抉ったのだろう。

信じられない量の血が彼女の体の下から溢れて、地面に広がった。


 錆揮は視界が歪み、立っていられなくなってその場に膝を付いた。

 その膝を、広がって来た暖かい血が濡らし、徐々に冷たくなって行く。


 マドカは動かない。

 もう、死んでいる。


『殺した、オレ……オレが……?』


 ーーーマドカを、殺した。


『う、ああああああああぁぁぁッ!』


 自分がやった事を認識した錆揮は、絶叫した。

 一度声を上げるともう止まらなかった。

 現れた鎧の兵士に見つかり、捕まるまでずっと、錆揮には叫び続ける事しか出来なかった。


「ーーーオレに力があれば。オレが、強ければ」


 低く、錆揮は呟いて顔を伏せる。


「オレが、殺したんだ……」


 泣くことは出来なかった。

 錆揮にそんな資格はなかった。


 もう錆揮には、短刀を握る事も、振るう事も出来ない。

 マドカの命を奪った感触が手の中に残り続けている。


「オレは卑怯だ……」


 錆揮は、話の中で、朱翼が自分の為に逃げる事を受け入れてくれて安堵した。

 マドカの命を奪っておきながら、自分の命を惜しんだ。

 一人で投げ出されなかった事を一瞬でも喜んでしまった。


 錆揮は、自分が酷く情けなかった。

マドカの最後の顔が、頭から離れない。

 俺がこんなじゃなければ、と錆揮は思う。

 もっと勇気があって、本当に頼りになるほど、強ければ。


「俺に、力があれば……」


 幾度も繰り返す呟き。

 後悔の海に沈むだけで、まるで泥沼のようなそこから抜け出せない錆揮に。


「力が欲しいか」


 不意に、誰かからの問いかけが降って来た。

 硬質で感情を感じさせない声に対して、錆揮はのろのろと顔を上げる。

 編み上げの履物を履いて、法衣のような青い衣を纏う足元が見えた。


「全てを。姉を守れる力が欲しいか」


 顔は逆光で見えなかったが、そこに居る人物を錆揮は知っている。


「欲するのならば授けよう。錆揮。力を、受け入れるか」


 錆揮の前に現れた人物は、冷徹な声でそう言った。

 今の錆揮が、何よりも欲するものを与えてくれると言う、声の主に。


 錆揮は、縋るように頷いた。

 

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