第二六話「紅い魔剣」
決戦に向けての伏線が足りなかったので色々改訂しています。
場所はメルクリア大陸ヴェルゲラン、時は四月の上旬。
「うーん、うーん、うーん……」
とあるメルクリアン商人の店で、巽は何本かの剣を握り締めてうんうんと唸り続けているところだった。そこは主に剣を扱っている武器店で、巽は魔法剣を買い求めに来たのである。
「こっちは魔法付与の効果が高いけど華奢な刀身で折れやすそうだし、こっちは安くて扱いやすいけど効果がいまいちだし、こっちは頑丈そうだけど重くて扱いにくいし……」
商人に希望を伝えて何本かの剣を薦めてもらうが一長一短であり、他の候補も探してもらって検分するが結局最初の候補以上のものはなく、でもどれもこれという決め手がなく。
「済みません、他の店も見てみます」
巽はその店を出、次の店へと移動した。これまで何軒かの武器店を見て回って同じことを何度もくり返しており、ヴェルゲランを一周して全部の武器店を制覇するような勢いだった。
「これで何軒目だったっけ」
「もう数えられないくらいですね」
「でも家を買えるくらいのお金を遣って生命を預ける剣を買うんですから、これくらい悩むのは当然だと思います」
巽の少し後ろを付き添いのゆかりと美咲としのぶが並んでいる。前を歩く巽は思い詰めたような様子で、彼女達の会話も耳に入っていないようだった。
「ええっと、次は……ここは最初に入った店か」
と巽はその店を素通りしようとする。だが、
「ああ、お客さん。ちょうど良かったです」
その店からメルクリアン商人が顔を出す。声をかけられた巽は「はい?」とふり返った。
「お客さんの要望に合いそうな剣を知り合いから取り寄せたんです。見ていきませんか?」
巽達は誘われるままにその店へと入っていき、その剣を見せてもらうことになった。商人はビロードの包み布からその剣を取り出し、鞘に入ったその剣を恭しく巽へと手渡す。巽は鞘から剣を抜き、息を呑んだ。
「これは……アダマントか」
「ええ、総アダマント製の剣です」
アダマントは地球には存在しない金属であり、極めて硬いことを特長とする。
「アダマントはその硬さのために加工が難しく、魔法付与もほとんどできないと聞きます」
「ええ、その通りですがアダマントの剣に魔法付与なんて必要ありませんよ?」
巽は店の裏でその剣を一通り振り回した。今までの剣より多少重いが問題になるほどではない。試し斬りもしてみたが、大きな岩がまるで発泡スチロールのような手応えであっさりと真っ二つとなった。重さ・切れ味・頑丈さ、何一つ申し分はない。
「これ、いくらですか」
意気込んだ巽の問いにその商人は光り輝くような営業スマイルで、
「私どもも精一杯勉強させていただき――お値段なんと! 四九九七メルク!」
「よ、よんせんきゅうひゃくきゅうじゅうなな……!!」
動揺が巽の身体をふらつかせた。何とか踏みとどまった巽は高速で指をくり返し折って暗算をする。
「今のレートで五五〇〇万円! 工場の時給が一〇二七円だから五万三五〇〇時間、一ヶ月一六〇時間働くとして約三三四ヶ月、年にすると二八年近く!!」
「何で随分前に辞めたアルバイトで買う計算をしているんですか」
美咲のもっともな突っ込みに巽は冷静さを取り戻し、
「……確かにそうだ。技術向上研修の受講料が四メルク。一回五人参加で週二回、月八回開催するとして、月に一六〇メルク。四九九七を割って三一ヶ月、年にするとたったの二年半で……!」
いや、まだ平静とは言えないようだった。
「そもそも巽君、借金しなくても買えるだけの蓄えがあるわけでしょう?」
ゆかりの指摘に巽は大きく深呼吸し――歯を食いしばった。
「ゆかりさんの言う通りだ。それに本気で青銅を目指すなら相応の装備を手に入れないと……!」
それを買います――その一言を発するには千尋の谷にダイビングするかのような覚悟が必要だった。巽は汗をしぼり、拳を強く握り締め、しのぶは、
「巽さん……!」
と手に汗を握ってその勇姿を見守っている。一方の美咲とゆかりは生温かい目であり、メルクリアン商人もまた「早くしてくれませんかねぇ」と言わんばかりだった。
……口座振替その他の手続きを経て、巽はアダマントの剣を手にその店を後にする。五千メルクの剣を手にした巽はどこか哀愁を漂わせていた。
「これで貯金はゼロか……」
乾いた笑いを漏らす巽に対し、
「またすぐに稼げますよ」
「装備の更新は上を目指すためには必要なことです」
「またギガントアントの巣を見つけて潰せばいいじゃない!」
しのぶ達三人がそれぞれの物言いで巽を励ます。巽も「そうだな」と気を取り直した。
「明日から頑張って稼がないと」
「でもソロの上に固有スキルまで封印しているんですから無理したら駄目ですよ」
「ああ、それはもちろん」
しのぶ達に言われるまでもなく、巽は頑張りはしても無理をするつもりはなかった。翌日、巽は慣らし運転のために普段よりも一、二ランク下の狩り場で狩りをする。後日、その結果をゆかり達へと報告した。
「固有スキルを使わなくても攻撃力は遜色がなかった。むしろ上がったかもしれない」
「なるほど。それじゃ問題は?」
「防御や回避や敵を追うとき……要するに攻撃以外全部。自分の力不足を心底痛感した」
巽の嘆息にゆかりは判ったような判らないような顔をし、美咲としのぶが横から解説する。
「巽先輩の固有スキルは何でもできて便利すぎですから。防御は『筋城鉄壁』、回避は『蜉蝣』、敵を追うときは『疾風迅雷』や『空中疾走』。それが全部使えなければ不便で仕方ないと思います」
「わたし達の固有スキルは攻撃や回避しかできず防御や移動は自力かマジックアイテム頼りですが、巽先輩はそうではないんです」
なるほど、とゆかりが得心した顔となった。
「それで、固有スキルの封印はこれからも続けるつもり?」
巽は「ええ」と強く頷く。
「適正レベルが少なくとも一〇は下がっていますからこれを前と同じにする――とりあえずはそれが目標です」
「なるほど、それなら固有スキルを解放したときには適正レベルが一〇上がっているわけですね」
「でも無理はしないでくださいね」
としのぶがくり返し、巽もまた「もちろん」と笑って答えた。
ときは四月中旬のある土曜日。巽は例によって技術向上研修を開催し、第二二二開拓地へとやってきたところだった。そして夕方となり、その帰り。巽達がベースキャンプへと戻ってくると、
「お、おい。あんた!」
傷だらけで血まみれの盗賊が一人、倒れている。巽達は慌ててその男を抱き起こした。
「大丈夫か? すぐにヴェルゲランに」
「ま……待ってくれ……救援を……仲間がまだ」
その盗賊が息も絶え絶えになりながら懇願する。受講生は戸惑いを見せるが巽の決断は早かった。
「どこだ? 第七ベースキャンプか?」
「……最後の、第八ベースキャンプ……西の道……」
男はそれだけを言い残し、気絶する。巽は手早く受講生に指示を飛ばした。
「君と君は俺と一緒に救援に向かう。一人はこの人をヴェルゲランへ、残りはこの場で待機」
巽は実力上位の二人を同行者に選び、その二人にも異存はなかった。三人は転移の魔法陣へと踏み込み、救援へと急いだ。
「西の道って……こっちか」
第八ベースキャンプへとやってきた巽達は日没に向かって真っ直ぐに伸びている道を走り出す。さほど走らないうちに彼等はモンスターを発見した。
「ぎ、ギガントアント……!」
受講生の二人は思わず足を止めてしまう。それは彼等の順位ではまだ危険なモンスターであり、さらに何匹もの群れだったからだ。だが巽にとってはただの雑魚でしかない。
「一応もらうぞ、カルマを!」
群れの中に飛び込んだ巽はアダマントの剣を縦横に振るい、ギガントアントを斬殺する。四匹いたギガントアントは瞬く間に全滅、受講生の二人がおそるおそる接近した。巽は狩人の鋭い目で周囲を観察している。
「見つけた、あそこだ」
走り出す巽の後を受講生の二人が続く。数十メートルほど走り、三人はその場所へと到着した。
「……これは」
そこに広がる光景に受講生の二人は言葉もない。バケツでぶちまけたように大量の血が飛び散り、その中で横たわる何人もの冒険者。一人一人を検分したが、残念ながら息のある者はいなかった。
「……ど、どうするんですか」
「とりあえず……ベースキャンプまで連れて帰ろう。そこから先は周りの人に手伝ってもらって、何とかヴェルゲランまで」
巽は受講生の一人に残った受講生を呼んでくるように依頼、彼がベースキャンプへと走り出した。
「遺品も回収しておくべきですよね」
「そうだな」
もう一人の受講生と巽が遺品を拾い集めようとし……すぐに終わった。
「……何もない?」
「武器を持っていない? どういうことだ?」
斃れた冒険者は全部で四人、戦士が三人に侍が一人でメイジはいない。少なくとも四つの武器がこの場に残っているはずだが、それが見あたらない。
「まさか、モンスターが回収したのか?」
巽が首をひねっているうちに何人かの受講生が到着。巽達は四体の遺体を伴ってヴェルゲランへと帰還した。
そしてこの件はすぐにマジックゲート社へと報告される。
「ギガントアントを狩ったんだって? まだ生き残りがいたのか」
報告を聞いた高辻が舌打ちし、巽が「はい」と頷く。
「できるだけ早く緊急討伐を実施しないとね。巽ちゃんにも要請が行くと思うけど」
「ちょうどいいです。貯金ゼロで手頃な狩り場で金を稼ぎたかったから」
「この間みたいなおいしい話はないと思うけどねー」
と高辻は冗談を言って笑う。巽もまた「堅実に行きます」と笑って答えた。
そして翌週の月曜日、マジックゲート社は第二二二開拓地での緊急討伐を実施。石ころの中でも比較的高順位のパーティが何十組も動員され、第二二二開拓地へと送り込まれる。そのうち第八ベースキャンプにやってきた十数組のパーティが自分の担当範囲に向かって移動を開始するが、その中には巽の姿もあった。巽は他のパーティから離れ、森の中へと一人歩き出した。
……時刻は昼を過ぎてしばらく。
「くそ、ギガントアントも他のモンスターも見つからない」
これまで発見したのは狩る手間の方が惜しいくらいのごくごく低レベルモンスターだけだ。収穫がないまま歩き続け、もうすぐ担当範囲を一周する。このままだと予定よりかなり早くベースキャンプに到着してしまいそうだった。
「このままじゃ帰れないぞ。何かないのか、何か……」
鵜の目鷹の目で周囲を見回す巽、その視界の端に何かが引っかかった。巽は脊椎反射の速度で走り出し、それを追った。何かが獣道を外れた藪の中を突き進み、巽もまた藪をかき分け走り続ける。ちょっとした崖を滑り降りて降り立ったそこは、谷底と呼ぶべきか急勾配の窪地と言うべきかちょっと迷うような場所だった。
「どこだ、どこに……」
注意深く周囲を観察する巽が目を見開いた。崖の側面、倒木に埋もれるようにして洞窟があったからだ。巽がその洞窟に駆け寄って念入りに検分する。洞窟の入口の前には何本もの木が倒れており、入口を半分くらい塞いでいた。倒木には苔などが生えているが、倒木の中央部分はその苔や木の表皮が削られている。
「やっぱり何かが出入りしている」
巽は突入前に装備を確認した。これまでの巽はマジックアイテムをほとんど必要とせず、その分魔力補充のポーションを他者より多く装備していた。だが今は固有スキルを使えず、他の冒険者と同じように不足はマジックアイテムで補わなければならない。毒消しやポーション等の通常装備の他は、魔法の暗視ゴーグルに魔法の手榴弾と閃光手榴弾が各一個。もうちょっと用意しておけば良かったかと思うが、今さらの話である。
そのとき巽があることに気付いた。崖により狭くなった空にかろうじて見える一筋の煙。魔法の狼煙による信号だ。
「『ギガントアントの巣発見』……でも巣が一つとは限らないしな」
巽は「よし」と気合いを入れ、倒木を乗り越えてその洞窟へと足を踏み入れた。元々山陰で日光が差し込まない上に倒木に阻まれ、ほんの十数メートル進んだだけで洞窟の中はほぼ真っ暗闇となる。巽は魔法の暗視ゴーグルを取り出して装着した。
「何となく人工っぽいけど……」
足下の凹凸は少なく歩きやすく、天井もそれなりに高く、洞窟の断面はきれいな円に近い。天然の洞窟ではなく何者かに掘削された穴のように思えるが、どちらとも断言することはできなかった。巽は結論を急がす、とりあえず前へと進んでいく。かなり進んで未だ何も発見できていないが、巽は迷わず先へと突き進んだ。
「モンスターの巣穴としては絶好の場所だな。ギガントアントでなくても何かがいるのは間違いない」
そのとき、巽の前方に何かが立ちはだかった。巽は即座に剣を抜いてその切っ先を敵へと向ける。
「Gigigigigi……」
暗闇の中に響く、金属を擦り合わせたような不快な音。それが幾重にも連なっている。ようやく出てきたかと巽が喜び勇み――その顔が硬直した。
「な、なんだこいつ等……」
そのモンスターは、基本的にはギガントアントの姿をしていた。つまりは蟻が何百倍にも巨大化した姿だが……ただし、頭部が二つある。または、腕のような前肢が五本くらい生えている。または、足が全くなく地面を這って移動している。または、昆虫のそれではなく、人間の腕のような前肢が生えている。または、頭部全体が一つの大きな複眼によって覆われている。
その場に現れた十数匹のギガントアント、その全てが身体に何らかの異常を有する変異体だった。その異常な姿に、おぞましい光景に巽は怖気を振るっている。
「Gigigigigi!!」
ギガントアントが雄叫びを上げながら襲いかかり、巽はぎりぎりで悲鳴を飲み込んで応戦した。どの個体も通常のギガントアントより強く、レベルにすれば三〇を優に超えるだろう――つまりは問題なしということだ。アダマントの剣はギガントアントを西瓜のように打ち砕き、血と体液をぶちまけていく。十数匹のギガントアントは瞬く間に掃討された。
「ふう」
と巽は大きなため息をつく。
「それにしても、何なんだこいつ等」
巽は少し考えて頭を振った。知識も情報も不足しており、今は考えても答えは得られないだろう。情報を得るにはさらに先へと進まないと、と巽は再び歩き出した。
……その巣穴はまだ掘削が開始されて間もないのか、さほどの深さはないようである。巽は大して歩かずに一番奥へとたどり着いたようだった。
「Gigigigigi!」
巣の最奥の、天井の高い大広間のような場所。そこには女王蟻がいて、それを守る兵隊蟻が隊列を作っている。兵隊蟻の数は三〇匹弱で、そのどれもが異常な身体を持った変異体。女王蟻の姿もまたまともではなかった。見たところ体重は通常の女王蟻の一〇倍以上あるだろう。潰れた風船のような平たい身体に手足や顔が生えているような状態だ。自力で動けるのかは非常に疑わしかった。
兵隊蟻が殺意をみなぎらせて一歩前に進み出る。何匹かの兵隊蟻は剣や刀を装備していて、おそらくそれは殺した冒険者から回収したものだろう。他の兵隊は自作と見られる粗末な木製の槍を持っており、無手の兵隊はほとんどいなかった。
「もらうぞ、お前等のカルマを。……あと魔核とメルクも」
静かに宣言した巽が力強く前へと進んでいく。兵隊蟻は雄叫びを上げながら吶喊して巽を包囲、四方八方から同時に刺殺しようとする。だがアダマントの剣は何の抵抗もなく木製の槍を切り払い、藁を刈るよりも簡単に兵隊蟻をなぎ払った。怯む兵隊蟻だがそれも数瞬のことだ。再び兵隊蟻が巽を包囲し、それを巽がまとめて斬り殺す。数回それがくり返されて、兵隊蟻の数はあっと言う間に一〇匹を下回った。
「Gigigigigi……!」
残った兵隊蟻が悔しげに呻いている。それらの中には冒険者から奪った剣や刀を装備している者がおり、おそらくはこの巣の精鋭部隊なのだろう。その中でもある一匹は特に体格が良く、その身長は二メートルを優に超えた。ヘラクレスのように発達した筋肉を有し、外殻がはち切れそうになっている。その得物は四本の腕に剣と刀とメイス、それに木製の棍棒だ。
「レベル五〇……いや、六〇はいくかな。要注意だな」
その一匹が兵隊蟻に命令し、それに従って各兵隊蟻が動いて巽を包囲する。兵隊蟻の指揮官か、と巽は冷静にその様子を見つめた。
「Gigigi!」
指揮官の号令に兵隊蟻が一斉に突撃するが、巽のやることは何も変わらない。剣舞のように回転して兵隊蟻を薙ぎ、斬り、刺し、瞬く間に殺していく。それを除く兵隊蟻が残り四匹となったとき指揮官蟻が動き出した。
「Gigigigigi!」
想定を上回る速さに巽が目を見張る。指揮官蟻は四本の得物を同時に振り回して巽を斬り刻まんとした。巽は後退するがそれを兵隊蟻が妨害、巽はふり返りもせずに後ろ手でその蟻をぶった斬った。さらにもう一匹始末して巽が大きく後退し、指揮官蟻も一旦足を止める。武器を構えた両者が制止したまま対峙し、そのまましばしの時間が流れた。
「思った以上に厄介だな」
舌打ちした巽が敵戦力を上方修正し、作戦を検討した。敵は指揮官蟻に兵隊蟻が残り二匹。問題はあの四本の腕に四つの得物、あの高身長に長いリーチ。
(懐に飛び込む……最後の手段だな。あの刀剣もメイスも低順位向けの数打ち物だ。武器は圧倒的にこちらの方が有利、まずは武器破壊を狙うか)
木製の棍棒など眼中にも入れず、巽はアダマントの剣を握り締めた。
「思い知らせてやるよ、五千メルクの剣の力を!」
雄叫びを上げながら巽が指揮官蟻へと突撃、頭上高く掲げた剣を力任せに振り下ろす。指揮官蟻はメイスを水平にしてその柄で受け止めようとし、
「予想通り!」
アダマントの剣はメイスの鋼鉄の柄を両断、指揮官蟻が後退して巽はその分前に出る。指揮官蟻は左右から刀と剣で巽を串刺しにしようとし、
「狙い通り!」
巽がそれを切り払い、刀と剣は指揮官蟻の手からはじき飛ばされて宙を舞った。指揮官蟻は残った棍棒で巽を横殴りにしようとし、
「計算通り!」
巽が同じようにアダマントの剣を横に一閃させた。剣と棍棒がぶつかり合い、鈍い音を立てた――金属が砕ける音が。その欠片が地面の岩を叩く音が。
「よし、作戦通り!」
巽がガッツポーズを取る。最硬のアダマントに勝てる武器など何もない。計算通りに指揮官蟻は刀と剣を失い、そのメイスは真っ二つとなり……木製の棍棒は大きく削られただけで、巽の剣は刀身の長さが半分になっている。
「なんでやねーん!!!」
巽が魂からの突っ込みを虚空へと入れた。
「ちょっと待て、アダマントだぞ?! 四九九七メルクもしたのに、何でそれが折れるんだよ!!」
理不尽な事態に巽が絶叫するようにそれを問うが回答があるはずもなく……いや、指揮官蟻が行動でその答えを提示しようとしていた。それが木製の棍棒の中から何かを取り出す。棍棒はそれを隠すための偽装でしかなかったのだ。姿を現したのは紅い刀身を持つ一本の剣。巽は息を呑んでそれを見つめている。
まるで血を固めたような、紅い、禍々しい刀身。よくよく見ればそれは金属ではない。透明な水晶の中に鮮血が封じられているかのようで、濃密な魔力は光を放つかのようだ。どう見てもそれは妖刀・魔剣の類である。
指揮官蟻が魔剣の切っ先を巽へと向け、巽は冷や汗を流した。侍の背後では兵隊蟻が刀と剣を回収し、それを指揮官蟻へと投げ渡している。状況は振り出しに戻り……いや、武器破壊を狙われて得物を失ったのは巽の方だ。巽は忌々しさを噛み締めた。
(あの魔力の密度……あの魔剣に触れたことでギガントアントが変異体になったってことか?)
攻守交代し、指揮官蟻の怒濤のような攻撃に巽は防戦一方となった。敵の攻撃を巽は必死になって躱し続けた。先ほどまでのように攻撃を無造作に剣で払うこともできないでいる。下手をしたらただでさえ短い刀身をさらに削られてしまうからだ。
(まずい、まずい……!)
巽は追い詰められつつあった。優位だと思っていた武器は敵に圧倒され、手にしている得物はただの残骸。もう四の五の言っていられる場合ではない。
「くそっ!」
巽は封印の腕輪を引き千切ろうとし、だがその隙を見逃す敵ではなかった。指揮官蟻が突進してきて、巽は壁を蹴って慌てて逃げ出す。その行く手を二匹の兵隊蟻が阻むが巽は振り払うようにそれを斬り捨てた。
ある程度の距離を取って固有スキルの封印を解こうとしたとき、巽の視界をそれらがかすめた。一番奥にいる女王蟻、地面に転がる敵の得物、指揮官蟻の位置……
「……」
ある作戦が脳裏に閃く。その左手は腕輪から離れ、右手は折れた剣を強く握り直した。
両者が動きを止めて対峙するが、それは長い時間ではなかった。ほぼ同時に巽が、指揮官蟻が走り出す。巽と指揮官蟻が激突する寸前、巽が大きく身をかがめた。指揮官蟻は驚きに目を見張ったかもしれない。巽が拾い上げたのは兵隊蟻が使っていた木製の槍であり、巽はそれを使って棒高跳びの要領で指揮官蟻の頭上を飛び越えたからだ。巽はそのまま女王蟻へと突進し、指揮官蟻が慌ててそれを追う。
「Gigigigigi!」
巽の剣が女王蟻に届く直前、指揮官蟻の紅い魔剣もまた巽の背中に届かんとしていた。紅い魔剣を振りかざして振り下ろそうとしたそのとき、巽が半回転して正面を向く。その手にあるのは、
「Gigigigigi?!」
強烈な閃光とギガントアントの悲鳴が洞窟の中を満たした。巽が炸裂させたのは魔法の閃光手榴弾だ。殺傷力はないが目潰しとしてはこれ以上のものはない。視力を奪われたまま指揮官蟻は紅い魔剣を振り回し――その背中を何者かが押した。
「Gigigigigi――!」
断末魔の絶叫が轟いた。視界を失っていたのは刹那の間だけであり、それはすぐに回復する。指揮官蟻が目の当たりにしたのは……自分が両断した女王蟻の姿だった。その無残な光景に指揮官蟻は呆然としているかのようであり、
「これで終わりだ!!」
背後からの攻撃に何の反応もできなかった。巽は体当たりをするように折れた剣を指揮官蟻に突き刺す。心臓を破壊された指揮官蟻はやがてゆっくりと崩れ落ち、吐き出された魔核は折れたアダマントの剣へと回収された。女王蟻の魔核もまた巽の剣へと回収されている。
「……はあ」
力を使い果たした巽がその場にしゃがみ込み――いつの間にかその体勢は失意体前屈となっていた。
「よ……よんせんきゅうひゃくきゅうじゅうななめるくぅぅぅぅ……」
絶望と悔恨と後悔と虚脱と痛憤と、あらゆる負の感情が言葉にならない悲嘆となって巽の口からこぼれ落ちている。巽が再び立ち上がるまで半時間ほどの時間が必要だった。巽は深々とため息をつき、
「――帰るか」
得物も気力もへし折られ、もう狩りを続けられるような状態ではない。巽は虚ろな目のまま折れたアダマントの剣を鞘に収め……その目の端にあるものが引っかかった。血のような紅い刀身を持つ、一本の剣。巽はそれを拾い上げ、その刀身を穴が空くほどに見つめ続けた。
「アダマントの剣を折るなんて……何でできてるんだ、これ?」
多少の気力を取り戻した巽は洞窟の中を探索するが、他に何も見つけられなかった。結局この洞窟で手に入れたのは一本の剣だけで、しかも五千メルクの剣と引き替えだ。
「……もしかして、悪くない取引だったんじゃないか?」
だが巽は生気を回復させつつあった。意気揚々、とまではいかないものの、ヴェルゲランへと帰る巽の足取りは決して重いものではなかった。
「二回目の狩りでアダマントの剣をへし折った。でも正体不明の魔剣を拾った」
その夜、アダマントの剣を買う際に付き合ってくれたしのぶ達三人にこの日の狩りについて説明。
「それで、その拾った魔剣はどうしたんですか?」
「マジックゲート社に預けた。古代遺跡の発掘品かもしれないから届出と調査が必要なんだって」
三日後の木曜日の夕方。巽が調査結果を聞きにマジックゲート社ヴェルゲラン支部を訪問した際、しのぶと美咲とゆかりは半ば野次馬として付いてきた。
「それで何か判りましたか?」
「いえ、何も」
と首を振るのはエルフのメイジだ。彼はマジックゲート社の嘱託で古代遺跡の研究をしており、ヴェルゲラン周辺の遺跡調査の責任者だという。
「マジックアイテムの専門家も呼んで調べさせましたが、お手上げです」
と彼は文字通りに両手を挙げた。
「そもそもこれが何でできているのか判らない。試料を採取して調べようにも、どうやっても欠片も削れない。意地になってあらゆる手段を試しましたが、その全てが無駄になりました。この剣を傷付けることは……それこそ黄金クラスや四大魔王を連れてこないことには、どうにも」
巽達は顔を見合わせている。ギガントアントの巣で拾った剣がまさかそこまでの代物だとは想像できるはずがない。
「おそらくですが、これはドラゴン関係の秘宝ではないでしょうか。そう考えればこの非常識な非壊性質も納得できるというものです」
「ドラゴンの……」
「どうしてそんなものがギガントアントの巣に」
それは想像でしかありませんが、とそのメイジが説明する。
「何らかの理由で封じられていたこの剣を、巣穴を作っていたギガントアントが発掘・発見したのではないでしょうか。ギガントアントは剣の魔力の影響を受けて変異体となり、さらに知能を発達させた。そして創意工夫を凝らして冒険者の生命を狙い、カルマを獲得してより強い力を得ようとしていたのでしょう」
「確かに厄介な敵でした」
と巽は深々と頷く。巽は以前にも高い知能を持ったギガントアントと戦ったことがあるが、悪知恵の回り具合はそのときの敵に匹敵するものだった。そのときのギガントアントは上位者のヴァンパイアの統制から抜け出し、自分の目的のために行動するくらいに知能を発達させていたのだ。
「それじゃドラゴン関係の遺跡があの近くにあるのかしら」
「ギガントアントの巣のこともあります。調査は引き続き行われる予定です」
全てはその調査の結果待ちか、と巽は呟いた。
「それじゃこの剣の銘も何も判ってないわけですね」
美咲の質問にエルフのメイジは「ええ」と頷く。
「私達は単に『紅い魔剣』と呼んでいますが」
その呼び名に美咲は難しい顔で唸っている。
「……いまいちですね。ドラゴン関係の秘宝で、まるで血のような紅だから『竜血剣』とかどうでしょう?」
「どうでしょうと言われても」
と巽は困惑するが、ゆかりは「悪くはないんじゃない?」と言い、しのぶも反対はしていない。その結果暫定ではあるが、この魔剣の銘は「竜血剣」ということになった。
「それで、俺はこの剣を持って帰っていいんでしょうか」
「はい、遺跡の発掘品は発掘者のものです。ただこの先発掘品について調査が必要になったときには協力をお願いしますが」
それはもちろん、と巽は頷く。地球であれば発掘品は貴重な文化財であり私蔵などそう簡単に許されることではないが、ディモンやメルクリアでは学術調査についてそこまで意識が発達していなかった。冒険者が生命を懸けて手に入れたお宝を横取りするような真似はマジックゲート社にもできず、詳細なデータ取りをした上で買い取りを申し出るのがせいぜいだ。
「それで、その剣を一万メルクで買い取りさせてもらえれば」
「申し訳ないですがお断りします」
エルフのメイジの申し出を巽は即座に、断固として謝絶する。彼は「そうですよね」と肩をすくめた。
「五千メルクの剣をへし折って引き替えに手に入れた剣です。一万メルクでこれ以上の剣が手に入るとは思えません」
巽がヴェルゲラン支部の調査部門を後にしたのはそれから少し経ってのことだった。巽の腰には紅い魔剣――竜血剣が下がっている。ただし鞘も拵えもありもので間に合わせただけである。
「刀鍛冶のところでまともや鞘と拵えを用意してもらわないといけませんね」
「そうだな」
それでようやくその剣は巽の得物となる。エルフのメイジが「絶対に壊れない」と保証したドラゴンの秘宝が。
巽は腰の剣を右手に取り、じっと見つけた。その手首にはドッペル先生から贈られた腕輪が付けられている。
「固有スキルを封印する腕輪と、ドラゴンの剣……これだけあれば」
巽は竜血剣を握り締めた。この二つの秘宝が青銅へとつながる階段となるのかどうか、全てはこれからの巽次第だった。




