第一二話「つぎはぎの英雄」その2
天空には赤い月が浮かび、それが頂点にかなり近くなっている。時刻はもう深夜であるが、正確なところは誰にも判らない。第六ベースキャンプに籠城する六〇人の冒険者は、いつ終わるとも知れない戦いを続けていた。
円形のベースキャンプは周囲を完全にゴブリンの群れに包囲されている。まるでゴブリンの海に浮かぶ船のようで、いつ転覆するかも判らない。大規模な白兵戦があったのは最初だけで、それ以降ゴブリンの群れは距離を置いて火矢・毒矢・投石などで攻撃を続けていた。
木製の柵に火矢が刺さり、冒険者の一人がそれに水をかけて消火しようとする。そこに毒矢が雨のように降り注ぎ、その一本が冒険者に命中した。負傷した冒険者は仲間に引きずられて後退し、メイジの治療を受けるのだ。メイジはゆかりの他にもう一人いるだけで、今一番忙しい思いをしているのはゆかりかもしれなかった。
「葛野さん、毒消しのポーションがもう心許ないんだけど……このままのペースじゃ朝まで持たないわよ」
「判っている」
葛野は険しい顔で腕組みをする。葛野に懸念を伝えたところで問題が解決するわけではないことはゆかりだって百も承知だが、ゆかりの立場上言わないわけにもいかなかった。砦の一番奥には負傷した、あるいは毒を受けた冒険者が地面に寝転がって一時の休息を貪っている。その数はもう一〇人以上になり、増えることはあっても減ることはないだろう。
葛野は自分の下にしのぶ、美咲、熊野を集めた。切り札扱いの三人はできるだけ矢面に立たないようにして体力の温存に努めているが、それでも崩れそうな場所に救援に走ったりしていて、全く戦わないわけにはいかないでいる。熊野はまだ余裕があるがしのぶと美咲は大分疲労の色が濃くなっていた。
「君の固有スキルはモンスターから身を隠すものだったな。あの群れに潜入して群れのリーダーを殺すことはできないか?」
葛野の依頼に美咲と熊野は険しい目をする。しのぶは表面上は平静のままで、ただ残念そうに首を横に振った。
「難しくはないと思います。ただ、どれが群れのリーダーなのかが判れば、の話ですけど」
葛野は言い負かされたように言葉に詰まっている。葛野はベースキャンプの中央に立っている大きな木に素早く登り、群れの様子を見渡した――暗闇の中で蠢く何千というゴブリンの群れ。どこが本陣なのか、どこが指揮所なのか判りやすく表示しているわけもない。おまけに今は夜なのだ。
失望だけを抱えて葛野は地面に戻ってくる。その間にも熊野達は議論を進めていた。
「これだけ知恵の回るゴブリンなのですから、わたし達のことを警戒して安全な場所に隠れていても不思議はありませんね」
「一兵卒の振りをしていても俺は驚かんぞ――だが、奴はいずれ必ず俺達の前に出てくる。狙うとしたらそのときしかない」
そうなんですか?としのぶが首を傾げ、葛野が無言のままそれに同調。熊野は三人に対して静かに述べた。
「奴の狙いは俺達のカルマだ。それを得ようと思ったら前に出てきて自分の手で俺達を殺すしかない」
あ、と美咲が目と口を開く。葛野としのぶも理解の様子を示した。
「そうか……敵の攻撃がいまいち手緩い、とは思っていたが」
「部下にカルマを与えるよりも自分がそれを得たいと思っているんですね」
「ああ。完全に独占するのは無理でもできるだけ一人で得たいと思っているはずだ。だから攻撃を手加減していて、それが付け入る隙になる」
熊野はそう言って拳を握り締めた。そこに葛野が「だが」と問う。
「逆に言えば少しくらいは部下がカルマを得ることになっても仕方ない、と」
「手加減のしすぎで負けたりしたら本末転倒ですもんね」
熊野は「要するに油断大敵ってこったな」と当たり前のことを言って笑う。美咲も、
「もちろんです。『生命を大事に!』」
としのぶと笑い合った。葛野はちょっと毒気を抜かれたような顔をしている。
「……正直言ってこのままじゃ俺達はじり貧だが、敵にはそれは判らないだろうな」
熊野が真顔となってそう言い、美咲やしのぶも表情を引き締めた。
「冒険者共は頑強に抵抗していて、一晩でも二晩でも戦える――敵からはそう見えているかもしれん」
「さすがに疲労も溜まっているだろう、夜が明ければ救援も来るだろう――いくつかの条件を考え合わせれば、俺が敵ならそろそろ……」
そのときを狙っていたかのように響き渡る、ゴブリンの雄叫び。さらに冒険者の一人が飛び込んでくる。
「葛野さん、敵の突撃です!」
「判った、すぐ行く」
葛野がベースキャンプの正面側へと走っていく。小康状態だった第二ラウンドは終わり、第三ラウンドが始まろうとしていた。
百匹ほどのゴブリンが一丸となって砦に向かって突撃。冒険者の二人ほどが砦の外に出、剣を振るってそれを迎え撃っていた。ひよっこの中でも高順位で戦闘力のある彼等は景気良くゴブリンを屠っていき、周囲はゴブリンの死骸で足の踏み場もないくらいだ。
「おかわりが来たぜ!」
「ああ、いくらでも来いや!」
彼等は大口を叩いて自らを鼓舞した。そこにゴブリンの第二陣が突撃してくる。が、第二陣は冒険者から十数メートルのところで足を止め、投石を始めた。
「くそっ、小賢しい……!」
二人は腕を上げて頭を庇い、あるいは剣を振り回して石を打ち返している。攻撃を続けるゴブリンの投石部隊の後ろに、弓を手にしたゴブリンが十数匹。それ等は一斉に矢を弓に番えた。
「毒矢だ! 避けろ!」
砦の上から仲間が警告するが、前に出ている二人は動けない。投石の雨を縫うように放たれた十数本の矢は空気を切り裂き、そのうちの一本が冒険者の一人、その腕に命中した。
「くそっ!」
その冒険者は矢を引き抜こうとし……そのまま崩れ落ちる。そのまま身動き一つしなくなる。
「何してるんだよ! てめえ!」
もう一人が負傷した仲間を担いで撤退しようとするが、そこに毒矢攻撃の第二射が襲いかかる。運悪くその一本が足に刺さり――彼はそのまま倒れ、二度と動かなかった。
「……何だ? どうしたんだ?」
「何が起こっている?」
異様な状況に砦の内側がざわめいている。葛野は一同の動揺を鎮める必要に迫られた。
「俺が助けてくる。メイジを呼んできてくれ」
そう言って葛野が砦を飛び出していく。葛野は素早く倒れた二人の下に駆け寄り、二人を担ぎ上げた。そこに接近するゴブリンの弓兵部隊。葛野は忌々しさに舌打ちするが、この状況では反撃もままならない。葛野にできるのは一秒でも早く砦の中に逃げ込むことだけだ。
逃げる葛野をゴブリンが追う。砦から三、四メートルのところでゴブリンは葛野を包囲した。一〇メートルにも満たない距離で一〇匹以上のゴブリンが弓に矢を番えている。
「くそっ!」
砦の内側では冒険者達が切歯扼腕していた。ゴブリンを追い払いたくても遠距離攻撃の手段が彼等にはない。投石をするのがせいぜいで、それでは一匹二匹の邪魔をできても一斉攻撃を止めることは叶わず――一〇本の矢が一斉に放たれた。幸いどれも命中することなく、一本が葛野の頬をかすめたくらいだ。頬が切れて血が流れたが葛野はそれを手で拭い……
「葛野さん?」
葛野はその場で力尽きたように跪く。そしてもう動かなかった。動揺が、得体の知れない恐怖が砦の中に満ちつつある。熊野は舌打ちをし、上着を脱ぎ捨てて砦の外へと飛び出した。
「見よ! 我が筋肉は鋼鉄の城壁!」
上半身裸の熊野の筋肉が眩しい輝きを放っている。両腕をくの字にして手を腰に当てる、ラットスプレッドのポーズを取る熊野。それに対してゴブリンが矢の一斉攻撃を放ってくるが、熊野は笑顔でその全てをはね返した。
「そら! 早く受け取れ!」
熊野が葛野他二人の身体を両手で高く持ち上げ、砦の上では何人かが身を乗り出してそれを受け取る。倒れた三人を何とか回収した熊野は自らも素早く砦の中へと逃げ込んだ。
「ゆかりさん、葛野さんは?」
熊野は服を着ながらゆかりの下に駆け寄った。ゆかりが地面に膝を突いていて、その膝元には葛野と二人のひよっこが並んで横たえられている。三人の検分を終えたゆかりは、熊野の問いに無言のまま首を横に振るだけだった。熊野は絶句し、立ち尽くす。
「そんな馬鹿な……葛野さんは頬をかすっただけじゃないか」
「それで即死するなんて、ギガントタランチュラの毒を受けたとしか……それを毒矢の毒として利用しているのでしょうか」
美咲の推理を熊野は「馬鹿な」と吐き捨てるように否定した。
「そんなものをゴブリンごときに扱えるはずが」
「……いえ、それが正解みたいです」
しのぶはそう言ってゴブリンの群れを指差した。その先には無数のゴブリンがいて、こちらへと接近している。そして、歩兵を従える戦車のように、ゴブリンを従える何かが――
「ぎ、ギガントタランチュラ……」
一〇匹のギガントタランチュラが砦に向かって接近している。さらにその奥には一〇匹以上のオークの姿もあった。
「何でだよ!! 何でなんだよ! 何でゴブリンとギガントタランチュラが一緒に……!」
「何でこんなところにオークが」
ぎりぎりで保たれていた均衡が一気に崩れたかのようだった。ひよっこ達は全員パニックに陥っている。
「もうダメだ! 逃げよう!」
「逃げるったって、どこに……」
「ちくしょう、ゴブリン相手に無双して金とスコアを稼ぐだけだったのに……」
「どうしてこんなことに……こんなところで死ぬのかよ」
彼等は全員諦めるか、自棄になっている。それも無理はないだろうな、と熊野は暗澹たる思いを抱いていた。どれだけ無理をしようと彼等ひよっこが狩れるモンスターは一桁が限界。それに対してオークやギガントタランチュラはレベル二〇から三〇、場合はよって四〇近くになるのだ。ひよっこ共が死ぬ気で剣を振るおうと蟷螂の斧でしかなく、虫けらのように潰されて終わりである。
「それにしても……一体どういうことでしょう。何故オークやギガントタランチュラがゴブリンと一緒に」
「まるでゴブリンの指揮に従っているみたいですね」
美咲やしのぶは、さすがに青い顔をしているがまだ冷静だった。ゆかりもまた冷徹に事態の把握に努めている。
「しのぶちゃんが正解なのかもしれないわね」
「どういう意味だ?」
「モンスターテイム、って固有スキルがあるらしいじゃない」
熊野は短くない時間唖然としていた。
「いや、でもあれは……確か全世界でもドイツだかフランスだかの白銀に一人いるだけだって」
「こちら側の、しかもモンスターだったらその素養の持ち主がもうちょっと多くても不思議はないんじゃない? それにしたってあり得ないほどの確率だろうけど」
「たまたまその素養の持ち主のゴブリンがたまたま冒険者殺しに成功してたまたま固有スキルに目覚めて?」
揶揄するように熊野が言い、ゆかりは肩をすくめた。
「たまたまわたし達に緊急討伐のお鉢が回ってきて、たまたま殺されそうになっているわけよね」
「そしてたまたま防衛に成功するわけですね」
美咲がそう言って笑い、軽く剣を振った。
「粘っていれば救援が来るかもしれません。まだ諦めなくていいと思います」
としのぶ。熊野は「こんなところに救援が」と言いかけ、首を振った。
「何、あと五、六時間粘ればいいだけだ。オークやギガントタランチュラさえ始末できればそれも難しい話じゃない」
熊野はそう言って砦の外へと飛び出していく。美咲としのぶがその後へと続いた。三人はとりあえず砦に取り付いていた何十というゴブリンを十数秒で全て片付ける。そして次にギガントタランチュラの部隊へと突貫した。
「さあ、みんな! ぼさっとしない!」
ゆかりは明るい声を出し、周囲のひよっこ冒険者達に呼びかけた。生気を失った何十対という目を向けられ、ゆかりは彼等に頼もしげな笑みを示した。
「オークとギガントタランチュラはわたし達のパーティが相手をする。あなた達は自分達の仕事をしなさい」
ゆかりにそう言われてもすぐに動ける者は一人もいなかった。ゆかりは暖かくも厳しい言葉を重ねる。
「もう心が折れたのなら……見ているだけでいい。応援しているだけでいい。あの子達の戦いを見守っていて。美咲ちゃんやしのぶちゃんはあなた達よりほんの一年先輩なだけ。一年後に『自分達もああなるんだ』と思える人だけが剣を取ってゴブリンと戦いなさい。そう思えないなら――向こうに戻ったなら、廃業届を出すといいわ」
言いたいことを全て言ったゆかりは砦の木柵まで来て三人の戦いぶりを見届けている。一人、また一人とひよっこ達がやってきて、ゆかりの横に並んだ。
「美咲さん!」
「行きます! 『月読の太刀』!」
しのぶが固有スキル「隠形」を使ってオークの目を潰し、美咲が固有スキル「月読の太刀」を使ってオークを屠る。一方熊野は固有スキル「筋城鉄壁」を使ってギガントタランチュラの猛毒から身を守り、ハルバードで敵を潰していた。さらにはゆかりが後先考えずに支援魔法を行使し、その上「わたしの今の苦しみを貴様等も味わうがいいわっ」的な固有魔法でモンスターの動きを鈍らせる。幸いオークやギガントタランチュラにはそれほどレベルの高い個体はおらず、その数は順調に減っていった。
だが、美咲やしのぶに余裕があったわけでは決してなかった。可能な限り体力を温存していたとは言え、日中はずっと移動続きで、日が暮れてからも既に何時間も戦った後なのだ。彼女達の限界はもう間もなくであり……
「きゃぁっ?!」
「しのぶ先輩!」
オークとギガントタランチュラの半数を倒した頃、ついにそれがやってきた。疲労で棒立ちとなったしのぶがギガントタランチュラの節足で殴られ、地面に倒れ伏す。さらにギガントタランチュラがしのぶを踏み潰さんと突進。美咲はしのぶを庇うようにその前に立ち塞がった。美咲が半身になって剣を構え、
「くっ、しまった!」
ギガントタランチュラが吐き出した糸を両手に受けてしまう。これでは「月読の太刀」を使うことも不可能だ。ギガントタランチュラはもう目の前まで迫っていて、しのぶは未だ動けず、美咲は逃げることも思いつかない。
「た、巽先輩……!」
「巽さん……」
彼女達にできるのは目を瞑り身を固くすることだけで、もろちんギガントタランチュラにはそんなものは通用しない。ギガントタランチュラが大きく口を開け、その強力な前顎が彼女達を――
「呼んだか?」
異様な金属音と共に聞こえる愛しい人の声。しのぶが顔を上げると、見慣れた、頼もしい背中がそこにそびえ立っている。彼女達は己が目を疑った。
「た、巽先輩……?」
「おう、巽先輩だぞ。後輩」
巽はそう言って笑っている。巽はギガントタランチュラの口内に突っ込んでいる金属のガントレットを思い切り捻った。口の中を切り裂かれてギガントタランチュラが悲鳴を上げる。巽はさらに長剣をその中に突っ込み、力任せに内臓をえぐった。内側から身体を切り裂かれてギガントタランチュラは絶命、吐き出した魔核は巽の長剣へと回収された。
「来てくれたんですね、巽さん」
「遅くなって済まなかったな」
このベースキャンプの近くにエラソナのアジトがあったことにはしのぶももう気が付いていた。だから救援が来るなら巽だとしのぶは信じていたのである。
「格好良いよ、巽君。まるでヒーローみたい」
砦の上ではゆかりが笑っている。熊野もまた、
「美味しいところを持っていきやがって」
と笑っていた。
「二人は一息入れてくれ。俺がここを支える」
巽がそう言い、美咲としのぶは全幅の信頼を寄せてそれに従った。
「それじゃ少しだけ」
「お言葉に甘えます」
そう言って二人は砦の近くまで後退した。
「おーい、巽。俺も疲れているんだがな」
「もうちょっと頑張ってください」
「お前態度が違いすぎないか?」
そんな軽口を叩いている間にもオークとギガントタランチュラが接近している。二人は剣とハルバードを構え直した。
「ま、もう一踏ん張りしようかね」
確かにもう疲労困憊で、一メートルだって歩きたくなく、指一本動かしたくない。だが負ける気は欠片もしなかった。笑みと共に、身体の奥底から力が、気力が湧き上がるかのようだ。
「でえぃぃ!」
熊野がハルバードを一旋し、ギガントタランチュラを一撃で屠る。その威力に熊野自身が瞠目していた。一方の巽も、二匹のオークとまとめて斬り結んでいる。棍棒を振り下ろすオークの脇をすり抜け、剣を斬り上げてその腕を斬り落とす。腕を落とされたオークは汚い悲鳴を上げた。巽の素早い動きにオークは全く付いていけず、仲間同士で無様に衝突したりしている。
「もらうぞ、お前のカルマを!」
巽は力任せに二匹のオークの胴体をまとめて両断。オークは四個の肉塊となって果てた。
「ここで見ているだけなんて……わたしも行きます!」
「行ってきます!」
もう体力はほとんどゼロのはずなのに、美咲としのぶが砦から離れて飛び出していく。巽と並んで戦い、残った力の全てを燃やし尽くさんとする。ゆかりは優しい笑みでそれを見送った。
巽が、美咲が、しのぶが、熊野が、大地を駆け、縦横に剣を振るい、次々とモンスターを倒していく。先ほどまでの苦戦が嘘のように、オークとギガントタランチュラは急速にその数を減らしていた。
「たった一人増えただけなのに、動きが全然違う」
「うん。技の威力も」
見物しているひよっこ達は驚いているが、一番驚いているのは戦っている四人だった。先ほどまでは同等だったはずのモンスターは今やただの格下だ。その動きは遅く、その力は大したものではなく、安全に狩れる獲物でしかない。
「でもどうして」
「どうしてこんな急に……」
いや、モンスターが弱くなったわけではない。自分達が急激に強くなったのだ。まるでファンファーレが連続で鳴り、何段階も突然レベルアップしたみたいに。巽達はその理由が判らず、戦いながらも首を傾げている。
「やっぱり、巽君が鍵だったってことね」
その理由の見当が付いていたのはゆかりだけである。ゆかりの念頭にあるのは室町千夜子との会話だった。
「巽君がいなくなって、わたし達のパーティは歯車が一つ外れたみたいにカルマの配分が上手くいかなくなった。でも巽君が戻ってきて、歯車が元の位置に戻ってカルマを上手く配分できるようになって……」
では、これまでの三ヶ月間四人で狩り続けたモンスターのカルマはどうなったのだろうか? 普通に考えれば配分されることのないカルマは消えてしまうものなのだろうが……もしかしたら、それはどこかの宙に浮いていたのではないだろうか? そしてそれが今このとき、まとめて配分されているとするなら――
「千夜子が聞いたら『そんな馬鹿な』って笑うかもしれないけど、でもそうとでも考えないと説明が付かないわよね」
急激なレベルアップを実感しているのはゆかりも同じだった。これまでまともに使うことができなかった固有魔法も今なら十全に使えるだろう。ゆかりは目を瞑り、祈るように指を組んで――
(美咲ちゃん、しのぶちゃんがちょっと苦戦してる!)
(判りました!)
(クマやん、弓を持ったゴブリンが集まってる!)
(判った!)
ゆかりの声が突然耳元で聞こえてきても彼等はほとんど戸惑わなかった。ゆかりの指示に従い、彼等はモンスターに立ち向かっている。
(しのぶちゃんはそのまま、美咲ちゃんと二人でオークを)
(判りました)
これこそがゆかりの固有魔法の本当の力。パーティメンバーの心を一つにつなげ、パーティが一体となって戦うための魔法。ゆかりがいる限り彼等はただの五人ではなく、ただの石ころではなかった。五つの力は一つとなって、乗算され、相乗されていく。
(巽君はギガントタランチュラを何とか抑えて……)
(いや、俺とクマさんの配置を入れ替えてくれませんか?)
(そう? でも敵の毒矢には気を付けて。あれはギガントタランチュラの毒だから)
会話にすれば一〇秒かかるやりとりもゆかりの固有魔法を介すれば一秒だってかからない。巽と熊野は素早く配置を入れ替える。すれ違いざま、二人は手を挙げてタッチをした。
「さあ、来い!」
熊野が何匹かのギガントタランチュラと対峙する一方、巽はゴブリンの弓兵部隊の前へと無造作に進み出た。弓に矢を番えるゴブリンの前で、巽は深呼吸を一つし……
「え?」
ゆかりは目を瞬かせた。ゴブリンの弓兵は突然巽を見失ったらしく、弓を構えたまま右往左往。だがゆかりの目には巽の姿は見えたままだ。ゴブリンの正面に飛び込んだ巽が剣を振るい、ゴブリンをまとめて殺戮した。
「……今、あの人消えなかったか?」
「ああ、消えたと言うか、見えなくなった」
ゆかりの横でひよっこがそんな話をしている。それを耳にしたゆかりはこぼれそうなほどに目を見開いた。
ゴブリンの群れに飛び込んだ巽が狂戦士のようにでたらめに剣を振り回す。ゴブリンには巽が見えておらず、見えない敵に一方的に虐殺されている。ゴブリンはパニックに陥っていた。
驚愕に見舞われているのはしのぶも同じだった。戦いを忘れて巽に見入るしのぶ、そこに迫るオークの影。
「しのぶ!」
数十メートルの距離を一瞬で駆け抜けた巽が、
「月読の太刀!」
横薙ぎに剣を振るってオークの胴体を両断する。その姿にしのぶだけでなく美咲もまた呆然としていた。
「わ、わたしの『月読の太刀』を……」
「それだけじゃありません。わたしの『隠形』も使っていましたし、あの移動の速さは『疾風迅雷』
を使ったとしか……」
(それが巽君の固有スキルなの?)
ゆかりの問いに、巽はオークの胴体に風穴を開けながら答える。
「どうもそうみたいですね。何か使えるような気がしたから使ってみました」
最後のオークを始末した巽は熊野の下へと支援に向かった。熊野は複数のギガントタランチュラを相手にちょっとばかり苦戦中だ。巽はそのうちの一匹の背に飛び乗り、力任せに剣を突き刺し、魔核を回収した。
「クマさん!」
「おうよ!」
巽が熊野に駆け寄り、背中合わせとなる。それを三匹のギガントタランチュラが包囲した。ギガントタランチュラはその最強の毒を前面に押し出し――
「「見よ! 我が筋肉は鋼鉄の城塞!」」
巽と熊野が声を重ね、ポーズは違うが気持ち悪い笑顔も揃え、「筋城鉄壁」でギガントタランチュラの猛毒をはね返す。毒を無効にされたギガントタランチュラは怯んでいるかのようだったが、巽達に容赦する理由もない。ギガントタランチュラが三匹まとめて屠られ、全滅したのは間もなくのことだった。
「お、終わった……」
「これで一安心……」
力尽きた美咲としのぶがその場にへたり込んでいる。だが安心するのはまだ早かった。
「Kikikikiki!」
金属的な雄叫びを上げ、ゴブリンの一団が突撃してくる。何十匹ものその一団を、巽は剣の一閃で蹴散らした。
「三人とも砦に戻ってくれ、ゴブリンだけなら俺一人で充分だ」
「済まん、しばらく頼むぞ」
熊野が美咲としのぶを、有無を言わさず担ぎ上げて大急ぎで砦へと撤退する。その場には巽一人が残され……それを何百というゴブリンが包囲した。殺意と憎悪に爛々と光る何百対という眼が巽の身体を射貫いている。
だが巽には恐怖も不安も、一片もない。剣を構えた巽が全方位を睥睨し、それに圧されたようにゴブリンが突撃を躊躇っている。
「Gigigigigigi……!」
――群れを統率する杖のゴブリンは憤っていた。怒り狂っていた。頭は良くてもただの、貧弱なゴブリンだった彼がここまで来るのは並大抵の苦労ではなかったのだ。たまたま冒険者殺しに成功して高い知能に目覚め、群れを率いてひよっこ冒険者に狙いを付けてカルマを奪おうとし……逆襲にあって群れを全滅させられ、命からがら逃げ出したことも一度や二度ではない。仲間の屍体に埋もれて死んだふりをしたこともあったし、草むらに隠れてガタガタと震えて夜を待ち侘びたこともあった。
それでも何人かの冒険者の殺害に成功し、固有スキルに覚醒し……自分よりずっと強力なモンスターを従えることだって決して容易なことではなかったのだ。それを、長い長い時間をかけて、年単位の時間を費やし、血のにじむような努力を経てようやく実現し、このモンスター軍団を築き上げて。
ゴブリンの群れを餌にすればひよっこの集団を集めることができるだろう。中には手強い冒険者も混じっているが、それにはオークやギガントタランチュラを当てればいい。それに切り札の特製毒矢も用意している。そうして何十人という冒険者をまとめて殺し、そのカルマを独り占めできれば、自分はもっと強力になれる――ゴブリンなどというちっぽけで貧相な枠を飛び越え、いずれはヴァンパイアを超えるくらいの、最強のモンスターに……!
彼の作戦は九割方成功していたのだ。ゴブリンの群れは半分以上失ったが、こんなのはいくらでも補充ができる消耗品だ。あと少しで冒険者の心を折り、全員殺せるようになっていたのに……それをたった一人の援軍に覆されてしまった。
「Gigigigigi……!」
杖のゴブリンは憤っていた。怒り狂っていた。彼の数年間の艱難辛苦をたった一人で水泡に帰そうとしている、一人の冒険者に対して。彼は血管が切れそうなほどに血の充満した頭脳で考える――いや、まだだ。あいつさえ始末すればいい、それで戦況は元に戻せる。あいつが冒険者共の希望となっている、心の支えとなっている。あいつさえ始末すれば……!
「Gigigigigi!」
杖のゴブリンは残った全てのゴブリンに対して命令を下した――たった一人の冒険者を千のゴブリンで殺せと。偵察用の吸血コウモリまで動員した、なりふり構わぬ総力戦である。そしてその判断も間違いとは言い切れなかった。美咲やしのぶ、熊野は疲労が激しく、休息が必要だった。巽は怒濤のように押し寄せる千のゴブリンをたった一人で押し止めなければならなかったのだ。
「Kikikiki!」
明確な殺意を啼き声に込め、ゴブリンが突っ込んでくる。巽が剣を振るう度に数匹のゴブリンがまとめて血を撒き散らして死骸となった。しのぶの「隠形」を使ってゴブリンから身を隠し、美咲の「月読の太刀」を使ってゴブリンをまとめてなぎ払う。
「ん? もしかして……」
巽はある思いつきを得、それをすぐに実行に移した。巽が「隠形」を行使して姿を消し、ゴブリンは敵を見失って右往左往している。その直後、何十というゴブリンの群れの中心で爆発が起きてゴブリンがまとめて吹き飛んだ。
「あ、あれはもしかして」
砦の上で巽の戦いを見守っている美咲が唖然とし、しのぶもまた呆然としているようだった。
「……はい、『隠形』を使ったまま『月読の太刀』を使っています」
「他人の固有スキルを単に真似するだけじゃなく、同時に使うこともできるのか?」
熊野が愕然としているが、驚くのはまだ早いようだった。一旦ゴブリンの軍団から離れた巽はオークが使っていた武器、剣を五本ほど回収する。巽はそれらの剣を抱えたまま再びゴブリン軍団へと突撃した。巽とゴブリンとの距離が二〇メートルを切り、一〇メートルを切り、数メートルとなり、巽は持っている剣を全て宙に放り投げた。それらの剣はすぐに地面に……
「――え? なんで?」
剣が浮いたままでいる。合わせて六本の剣が巽の目の高さで浮いている。走っていく巽と一緒に移動している。
「行くぞ!」
六本の剣が縦横に振るわれ、ゴブリンを虫けらのように殺しまくった。巽は剣に手を触れていない。まるで見えない手で操られているかのように、剣が勝手に動いている。巽の敵を倒している。
「あれも誰かの固有スキルなんですか?」
「多分……でも誰のなんでしょう」
しのぶ達が知らないのも無理はない。それは九ヶ月前、一度だけ巽と臨時パーティを組んだ相手の固有スキルなのだから――「百手の巨人」。一乗寺姉妹の一人・ひかりを喪ったあの狩りは巽の冒険者人生の中で最悪の経験であり、忘れようと思っても忘れられるものではない。あの狩りの全てが巽の脳裏に刻み込まれており、それは一乗寺はじめの固有スキルについても変わりはない。ひよっこの彼女は巨大なメイスを一つ動かせるだけだったが、もし廃業せずに経験を積んでいけばきっと複数の武器を自在に操れるようになっていただろう……今の巽のように。
巽が身体を回転させると六本の剣もまた同時に旋回し、竜巻のようにゴブリンを屠っていく。さらに、
「月読の太刀――六連!」
六本の剣で同時に「月読の太刀」を行使。何十というゴブリンが同時に即死し、巽の周囲で血飛沫が六枚の花弁のように花開いた。
「む……むちゃくちゃです、あんなの!」
羨望、怒り、嫉妬、義憤……様々な感情が混濁した思いが美咲の口から噴き出した。
「わたしがようやく会得した、我が流派の奥義を、わたしの固有スキルをあんな風に……! あの人は他の人の固有スキルを見ただけで使えると言うんですか?! 他人の固有スキルを重ねて、改良して……それじゃ、それじゃわたしは」
美咲は顔を俯かせた。握り締めた拳が小さく震えている。しのぶは気遣わしげに美咲の横顔を見つめるが何も言うことができない。その彼女に熊野が告げた。
「いや、美咲ちゃん。あいつがやってるのは下手な物真似だよ。あんな風に重ねて使って威力が落ちないわけがない。相手がゴブリンだから無双できているが、レベル二桁のモンスターにはもう通用しないんじゃないか?」
美咲が目を見開き、顔を上げる。ゆかりが美咲へと笑いかけた。
「今のところは、ね。巽君の順位が上がればもっと高レベルのモンスターもあれで倒せるようになるだろうけど、でもその頃には美咲ちゃんはレベル三桁のモンスターをあれで狩っているんじゃない?」
美咲は安堵だけではない、複雑な表情となっている。自分でも感情の整理が追いついていないようだった。
「巽先輩のあの固有スキルは、他人の固有スキルを模倣するもの……」
「ただし完全に再現できるわけじゃない。威力や効果は何ランクも落ちるだろうし、重ねて使えばなおさらだ」
熊野やゆかりはそのように推測する。そしてそれは正解だった。巽自身が嫌と言うほど理解している、これが下手な物真似でしかないことを。
「そうか、これが俺の固有スキルか」
巽の口に笑みが浮かんでいる――その半分くらいは自嘲だった。子供の頃にTVや動画で見た、黄金クラスや白銀クラスの冒険者。彼等のように輝かしい、自分だけの固有スキルを――ずっとそう願っていたのに、「自分だけ」のそれはついに得られなかった。
「TVの中の彼等のように」
「動画の中の誰かのように」
一〇年もの歳月を費やしてきたのはそれだった。誰かの真似をすることに一〇年をかけ、それは冒険者となっても何も変わらなかった。固有スキルが「人生の軌跡」「魂の形」だというのなら、まさしくこれほど巽に相応しい固有スキルはありはしない。
誰かの模倣をする固有スキル――それすらも決して唯一無二ではなく、どこかで見たような代物、誰かが使っていたような必殺技でしかない。巽の全てはどこかで見たような部品の寄せ集めであり、それを無理矢理つなぎ合わせた、不格好なつぎはぎ細工だった。
「ああ、そうだ。これが俺の固有スキルだ。俺は所詮この程度でしかない」
巽の口に笑みが浮かんでいる――その七割くらいは開き直りだった。美咲やしのぶのような、本当の、自分だけの「固有スキル」を持っている人間には巽は決して勝てないだろう。彼女達はいずれ青銅に上がっていき、その上にすらたどり着けるかもしれない。一方巽は、この固有スキルをもってしても青銅に上がれるかどうかは判らなかった。むしろ巽の限界が明確となった……その可能性もあるのだ。
「それがどうした! 俺は俺だ! 美咲やしのぶのようにはなれない、俺は俺としてやっていくしかないんだ!」
巽は決して一流にはなれないだろう。黄金クラスなど痴人の妄想で、白銀クラスだって夢のまた夢。青銅にすら手が届くかどうか判らない。だが、
「たとえ一生二流のままでも……二流の中の超一流になればいい! このスキルを極めて、二流を極めて、そしていつかは――」
どこかで見た、誰かのように――
「フンッ!」
巽の剣がモンスターを真っ二つとした。ゴブリンの集団が怯えたように巽を遠巻きとする。が、そのとき巽の身体が揺らぎ、膝が崩れた。
「く……さすがに疲れたな」
巽の固有スキルは効果に比して消耗も大きい。疲労が身体にのしかかり、巽は膝を突いて剣で身体を支えている。その姿を好機と見たのか、ゴブリンが牙を剥いて襲いかかり――
「てえぃっ!」
剣が一閃し、ゴブリンの身体が両断される。顔を上げる巽の前に立っていたのは……名も知らない冒険者だ。砦にいたひよっこの中の一人である。
「俺だって! 俺だって……!」
そう叫びながら、そのひよっこはでたらめに剣を振り回している。剣筋も何もない素人の剣だが、それでもゴブリンは次々と倒されていった。
「俺だって! いつかは……あんたみたいに!!」
そのひよっこは雄叫びを上げながら剣を振るい、何匹ものゴブリンをまとめて屠った。思いがけない言葉に巽が呆然としていると……砦から鬨の声が上がる。見ると、何十人もの冒険者が砦を飛び出していた。誰もが剣を掲げ、そのままゴブリンに突撃する。剣を縦横に振るい、ゴブリンをなぎ払っていく。彼等の目が等しく決意を物語っていた――今は無理でも、いつかは巽のような冒険者になるのだと。
「はは……ははは」
巽の口からは呆れたような笑いしか出てこなかった。
「俺みたいな物真似野郎のさらに真似をしてどうするんだよ。もっと良い手本がいくらでもあるだろうに」
その忠告はひよっこ達には届かなかっただろう。不格好なつぎはぎであろうと、彼等にとって巽は英雄なのだから。五〇人近いひよっこがこれが最後と思い定めて全力を振り絞り、千のゴブリンは急速にその数を減らしていた。既に五百を割り込み、一秒ごとにその数が減っている。もう大勢は決したと言えるだろう。ここからゴブリンの軍団が逆転を決めるとはちょっと考えられなかったが、それでも油断は禁物だ。巽は身体を休めながら注意深く群れの様子を観察した。
「ん? あれは……」
そして群れの奥が不審な動きをしていることを発見する。巽は「隠形」を使って身を隠し、密かに群れへと接近した。
「Gigigigigi……!」
――群れを統率する杖のゴブリンは憤死寸前となっていた。発狂寸前なまでに怒っていた。彼が数年という時間と膨大な血と汗と涙を費やし、ようやく築き上げたモンスター軍団。それがたった一人の冒険者のせいで炎天下の氷のように溶け去ってしまったのだ。しかも彼は引き際を見誤り、無為に損害を重ね、今こうしてわずかな手勢だけで逃げ出す羽目となっている。
「Gigigigigi……!」
何百というゴブリンに足止めを命じているが、それほどの時間は稼げないだろう。その間にできるだけ遠くに逃げて、遠くへ遠くへ逃げて、冒険者のいない場所でまた一からやり直して……
そのとき、彼等の前に人影が立ちはだかった。親衛隊のゴブリンが咄嗟に剣や棍棒を掲げて立ち向かおうとするが、戦いにも何にもならなかった。一〇を数える間もなく、十数匹の親衛隊が全滅する。雲の切れ間から月明かりが差し込み、それが照らし出したのはモンスターにとっての死神の姿だった。全身をゴブリンの返り血で赤く染め、手に血の滴る剣を提げた一人の冒険者――勝利を目前にしたところに救援に現れ、彼の計画を一人で台無しにした、その張本人だ。
「もらうぞ、お前のカルマを」
静かに告げる巽の言葉を杖のゴブリンは理解し――激怒が、憤怒が、彼の視界を赤くした。
(逆だ!! 貴様のカルマを私に捧げるのだ!!)
逆上したような金切り声を上げ、杖のゴブリンが突進。巽はわずかな戸惑いを覚えつつも剣を力任せに横殴りに振り、そのゴブリンの胴体を両断する。彼の有する、レベル数十の魔核は巽の剣へと回収され……この夜の死闘は終わりを告げた。
野球のバッターのスイングにも似た、その無骨な剣閃は誰の真似でもない、巽にとってのオリジナルだった。
マジックゲート社ヴェルゲラン支部に「緊急討伐完了」の連絡が入ったのは夜明け前のことだった。夜が明けてからマジックゲート社の手配したメイジがエラソナのアジトへとやってきて、そこに仮設の中継ポイントを設置。それによって巽達のパーティ、及び緊急討伐に参加した冒険者がヴェルゲランへと戻ってきたのは、昼過ぎのことである。
ゴブリンの緊急討伐でベテランを含む三人もの死者を出したことは痛恨事ではあるが……よくあると言えばよくある話だった。群れを統率するゴブリンがモンスターテイムの固有スキルを持っていたことも話題になったが、既に死んだゴブリンの話である。一部の専門家を除いては速やかに記憶の片隅に追いやられ、数日もしないうちに話題になることもなくなった……つまりは、世はなべてこともなし。巽達の死闘も冒険者にとっては日常の一ページ――金のため、上に行くために毎週毎週身体を張り、生命を懸けるのが冒険者なのだから。
緊急討伐から一週間と少し後の火曜日。巽、しのぶ、美咲、ゆかり、そして熊野の五人がメルクリア大陸のヴェルゲランへとやってきていた。
「ようやく五人揃って狩りに行けますね」
「長かったですけど、ようやく日常が戻ってくるんですね」
美咲が浮き立つように言い、しのぶが感慨深げに呟いている。
「また物騒な日常だけどね」
とゆかりは笑っていて、
「ま、それが冒険者ってもんだからな」
と熊野は肩をすくめた。
そして巽は黙っている。感動と、感慨と、歓喜と、安堵……渦を巻く様々な思いを無理に抑え、無表情を装っている。そうでなければ涙がこぼれるかもしれなかったから。
「さあ、行こうか」
巽の号令にしのぶが「はい」と、美咲も「はい」と、ゆかりは「ええ」と、熊野が「おうよ」とそれぞれ応え、五人が歩いていく。彼等が向かう先は第二二五開拓地、狙う獲物はレベル五〇のミュルメコレオンなどだった。
日本には現在、一万二千人の冒険者がいる。
冒険者は青銅・白銀・黄金の三クラスにランク分けされている。青銅クラスは一一〇〇人程度、白銀クラスは一〇〇人程度。黄金クラスは日本には四人、全世界で一二人しか存在していない。
三クラスに入る冒険者は全体の一割。残りの九割はランク外の、「石ころ」と呼ばれる冒険者だ。冒険者歴〇ヶ月と一〇日、国内順位一万一〇四四位――花園巽は有象無象の中から一歩だけ前へと抜け出た、石ころ冒険者である。




