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石ころ冒険者  作者: 亜蒼行
一年目
11/52

第八話「血は水よりも濃し」




「てええいっ!」


 巽は日本刀を振るって黒いモンスターと戦っていた。それはコウモリの翼・羊の角・猛禽類のくちばしを有するキメラ系モンスターで、名はジャージー・デビル。そのレベルは、強い個体では二〇に達すると言う。

 巽の刺突をジャージー・デビルは飛んで避けようとする。だが、遅い。日本刀の刃はジャージー・デビルの右翼羽膜を突き破った。ジャージー・デビルは甲高い、不快な悲鳴を上げてそれでも飛ぼうとする。


「しのぶ!」


 巽の呼びかけに応じたしのぶが突撃する。しのぶは「隠形」の固有スキルを使ったまま疾走し、巽の身体を踏み台にして高くジャンプ。忍者刀で空中のモンスターの左翼羽膜を斬り裂いた。ジャージー・デビルは悲鳴を上げながら墜落する。


「もらうぞ! お前のカルマを!」


 巽が日本刀を横殴りに一旋し、ジャージー・デビルの首を刎ね飛ばした。黒いモンスターの首は何メートルも飛んで地面を転がる。首の断面から血を噴き出し、ジャージー・デビルの身体がゆっくりと倒れていく。その遺骸が吐き出した光の球――魔核は無事に巽の日本刀へと回収されていった。


「格好良いよー、二人とも」


 ゆかりが笑顔で二人の下へとやってくる。それに美咲が続いたが、


「見事な連携ですね」


 そう言いながらも巽に対抗意識をバリバリに燃やしているのが丸わかりだった。


「でもなかなか上手くいかないな」


 と巽は日本刀を正眼に構える。小学生の頃に多少かじっていただけあって構えるだけならそれなりに様になっていた。


「そう簡単に真似されてはたまりません」


 と美咲は笑う。今日の巽は美咲の動きを参考にしているらしいのだが、美咲の目から見れば下手な物真似にしか見えなかった。戦っているうちに型を無視した我流となり、結局そちらの方が動きがいいのである。


(稀に、驚くほどに流麗な剣閃を見せることもありますが……もう半年以上生命を懸けて剣を振るっているのですからそのくらいは上達するのでしょう)


 巽に対するその評価は美咲の内心に留まったままだった。


「さて、次は美咲としのぶが前衛か」


「巽先輩よりも大物を狩りたいですね」


 美咲の言葉にしのぶは苦笑気味の笑顔で「そうですね」と頷く。美咲としのぶの二人が前を歩き、その後に巽とゆかりが続いた。

 彼等のパーティの基本は巽と美咲が前衛、しのぶがゆかりの直衛で、ゆかりが支援となっている。だがこの配置ばかりではしのぶの戦う機会が少なくなり、やがては実力の差が大きく開いてしまうだろう。巽達は配置をローテーションにして戦う機会を均等になるようにし、パーティ全体の戦闘力底上げを図っていた。


「見つけました、タッツェルヴルムです!」


「行きます!」


 しのぶがモンスターを発見し、美咲が先行する。それを巽とゆかりが追った。

 一〇月に入り、巽達が四人パーティとして行動するようになって間もなく一月。巽達は順調に討伐実績を重ねていき、順位と実力を向上させていった。











「おつかれさまです、巽さん」


「おつかれさまです、巽先輩」


「おう、おつかれ。二人とも」


 ときはその週の週末、時刻は夕方。場所は駅前のスーパーマーケット。アルバイトを終えた巽はそこでしのぶと美咲の二人と合流した。


「仕事の方はどうだ?」


「なかなか慣れないですね。まだ簡単な仕事しかしていないんですが」


 最近はしのぶと美咲も空き時間でアルバイトをするようになっている。勤め先は国道沿いのファミリーレストランだ。


「筋トレという意味では巽先輩のバイト先の方が冒険者向きでしょうけど、あそこは精神修養にもってこいです」


 何かを悟ったように美咲はそう言う。そのファミリーレストランは制服が可愛らしいことが売りの一つであり、さらに非常に可愛い二人がその制服で接客をしていると色々とおかしな客が寄ってくることが多いという話だった。


「今ならゆかりさんの行動の全てを許せそうな気がします」


「帰ったときに酔っぱらって寝ていたら?」


「とりあえず蹴飛ばします」


 なおゆかりは特にアルバイトもせず、家事を分担することもなく、酒と共にひたすら惰眠を貪っている。それでも憎めないのがゆかりのキャラクターだったが、許容範囲をオーバーすることも少なくないのだった。

 三人は駅前のスーパーマーケットで買い物をする。仲良く値切り品の賞味期限を見定めている様はまるで新婚夫婦のようだった。ただ、新婚家庭だとするなら妻二人なのが説明が付かず、周囲の客がたまに奇異の目を向けてくることもある。が、巽や美咲は他人の視線に無頓着な方だし、比較的敏感なしのぶがそれで自重するかと言えばそれもあり得ない話だった。

 四人分の食料を買い込み、巽達は帰路に就く。道路を歩き、坂道を登ること約二〇分。巽達は住宅街の外れに建っている我が家へと戻ってきた。正確には巽の家はそこではないのだが、アパートの自室に戻るのは実質的に風呂に入るときと寝るときだけである。美咲やしのぶ、ゆかりのシェアハウスは巽にとっても我が家に等しかった。


「た、ただいま……」


「ただいま戻りました」


「お邪魔します」


 三人が玄関で声をかけ、奥から「おかえりー」とゆかりの声が返ってくる。見慣れない女物の靴があることにしのぶと美咲が首を傾げている間に巽はスニーカーを脱いで家の中へと上がり、買い物した食材を台所へと運んだ。


「てまきーずーしーなーら」


 と適当な歌を歌いながら、巽は食材を冷蔵庫に片付けていく。また今日の夕飯に使う食材を取り出して調理の用意をし、ようやく巽は居間の方へと目を向けた。


「ゆかりさん、今日は手巻き寿司をやろうと……」


 巽はそこで絶句する。ゆかりの前に、卓袱台を挟んで思いがけない人物が正座していたからだ。居間のもう一方の入口ではしのぶと美咲が困ったような様子で立ったままでいる。

 非常に小柄な、まるで小学生のような体格の女性である。おそらくは特注と見られるスーツをきっちり着込み、細い眼鏡を掛けている。服装だけならバリバリのキャリアウーマンといった風情だが、体格が体格なので小学生がコスプレをしているようにしか見えなかった。


「お邪魔しています」


 とその女性が頭を下げ、美咲としのぶも挨拶をした。だが巽は棒立ちのままだ。


「どうしてここに……母さん」


 しのぶと美咲は揃って「お母さん?!」と驚きの声を上げた。それに応えてその女性が自己紹介をする。


「はい、わたしはそこの巽の母――花園宮乃と申します」


 ……それから小一時間ほどが過ぎ、五人は卓袱台を囲んでいた。卓袱台の上には酢飯やら錦糸卵やら刺身やら、手巻き寿司の材料が置いてある。


「んー、おいしいー! 酒が進むわー」


「ゆかりさん、ネタばかり食べないでください」


「酢飯が余ったらおにぎりにして、後で俺が食うから」


 夕食はいつものように和やかに進んでいた。例によってゆかりが手酌で酒を呑み、美咲に注意されている。ただ、いつもとは違って巽は居心地が悪そうだったが。


「あの、お義母様かあさまはどうしてこの家に?」


 しのぶの物言いに何故か引っかかりを覚えつつも、宮乃が説明する。


「昼過ぎにこちらに到着し、この子のアパートの前でしばらく待っていたのですが帰ってこなくて……そうしたら近所の方が教えてくれたのです。巽はこの家に入り浸っていて、帰ってくるのは夜寝るときだけだと」


 マジかよ、という呟きが巽の口から突いて出た。同じアパートの住民とは引越のときに挨拶に行ったがそれだけで、近所付き合いと呼べるものは一切していない。隣の住人の名前も職業も巽はろくに知らないのに、その一方で巽の動向が見ず知らずの彼等に把握されていたのだ。


「恐るべし、ご近所さん」


 と巽はおののき、美咲は座りの悪そうな顔をした。


「……その人達は巽先輩とわたし達のことをどう見ているのでしょう」


「ん? 本命がしのぶちゃんで対抗馬が美咲ちゃん。大穴がゆかりちゃんだって」


 愉しげに説明するゆかりに対し、巽が「それは一体……?」と問う。


「もちろん、『どの子が巽君の彼女になるか』杯だけど?」


 当たり前に説明するゆかりに対し、巽は頭を抱え、しのぶは恥ずかしそうにしながらも満更ではなさそうだ。そして美咲は、こっそりハリセンを用意していた。


「……随分詳しいようですね」


「そりゃー当然、胴元やってるのわたしだもん」


 美咲が渾身の突っ込みを入れ、ゆかりが頭を抱えて痛がっている。だがゆかりに同情する者は一人もいなかった。


「……それで、こちらに伺ったところちょうど在宅していた紫野さんに招待されまして、色々とお話を聞かせていただいていたところです」


 直近四五〇字ほどの脱線をなかったことにし、宮乃は経緯をそう説明した。


「それで結局、何しにここへ?」


 と首をひねる巽に対し、


「あなたがお盆も帰ってこなかったからでしょう!」


 と宮乃が吠える。巽は気まずそうな顔をした。


「帰ったところでまた喧嘩になるだけだし、帰省するにも金がかかるし、今は討伐実績を稼いで順位を上げる方が優先だし」


 と巽が言い訳するが、美咲やしのぶの賛同はあまり得られないようだった。


「順位を上げるって言って、今何位なの?」


「い、一万〇七九一位……」


 非常に言いにくそうにしながらも巽は正直に答える。宮乃は深々とため息をついた。


「半年も経っているのにまだそんな順位なの? その調子じゃ青銅になれるのに一体何年かかるのかしらね」


「ぱ、パーティを組むようになってから討伐実績は順調に増えてますし、順位も上がり方が段々早くなっていますし」


 しのぶが内助の功とばかりに巽を支援、巽はしのぶの思惑を理解しないまま純粋に感謝した。


「才能のある人はほんの二、三年で青銅になれるのでしょう? あなたはどうなんでしょうね」


「確かに俺には才能なんかねーよ」


 巽は開き直って胸を張った。


「でも辞めるつもりも諦めるつもりもない。俺はこのまま冒険者を続けていく」


「……それで一〇年後にどうするの?」


 宮乃が深い悲哀を、暗澹たる思いをにじませて巽に問う。


「一〇年間、モンスターと戦うって言って現実から目を背けて、順位を上げることに血眼になって、社会人として何も積み重ねず、何も身につけず、一〇年後にただのフリーターとして社会に放り出されるのよ? あなたはそれが判っているの?」


 巽は何も言えない。何も答えられない。ただ深い絶望と、それ以上に深い諦念を抱いて立ち尽くしたようになっている。巽が、しのぶや美咲やゆかりが生命を懸けて戦っていて――泥にまみれ、血と汗を流し、ときに絶望し、膝を屈しても、それでも立ち上がり、一歩一歩、少しずつ前へと進んでいて――巽達の日々の、文字通り血のにじむ努力も、悔し涙も、同じく泣けるほどの喜びも、その全てを宮乃は「無意味」と、「無価値」と断じたのだ。

 巽は拳を握り締めるが、深呼吸を何度もして心を静めようとした。


「仕方がない、部外者に判るはずがない。外部に公開されるのは青銅以上の情報だけなんだから」


 マジックゲート社がマスコミや一般に公開するのは青銅以上の冒険者に関する情報だけだ。青銅以上にはプロスポーツ選手のように一般のファンが付くようになる。ただ、青銅の動向を追いかけるのは一部のコアなファンだけで、マスコミや一般ファンの目が向けられるのは白銀になってからである。石ころの中には自分のブログ等で情報を発信している者もいるが、そんなものをチェックしているのは知り合いか同業者か、一部のディープなマニアだけだった。


「俺だってそうだったんだから。冒険者になる前は石ころなんてただの有象無象だって、そんなところで足踏みしている奴等なんか素人と変わらない、って思っていたんだから」


 「黄金のアルジュナ」と狩りをしたこともある高辻鉄郎、ヴァンパイアを一蹴した諏訪開人――石ころの中にどれだけの天才が、化け物が溢れているのか、部外者に判るはずもない。


「いえ……それでも、あなたが生きているならそれでもいい」


 宮乃は首を振りながらため息をつく。


「生きているなら、その歳からでもいくらでもやり直せる。でも、死んでしまったらやり直しも何もないでしょう? 一〇年間、死なずに冒険者を続けられる保証がどこにあるの? 仮に死ななくても、障害が残ることだって……」


 宮乃が哀しみを湛えた瞳をまっすぐに巽に向ける。巽はそれから逃せるように顔を背けた。

 宮乃が回り込んで巽の顔をのぞき込もうとし、巽がそれから逃げていく。その攻防が少しの間続き、業を煮やした宮乃が力尽くで巽の顔を自分の方へと向かせた。


「人と話をするときはちゃんと相手の目を見なさいって言っているでしょう?!」


「判った! 判ったから離せ!」


 宮乃から多少なりとも距離を置き、巽は少し冷静になれたようだった。


「とにかく……俺は冒険者を辞めるつもりは微塵もない。確かにずっと石ころのままかもしれないし、危険な商売だし、あるいは死ぬかもしれない。でもここで辞めたら絶対に一生後悔する」


「それで死んだらどうするのよ!」


「多分その瞬間はそれこそ死ぬほど後悔するんだろうけどな」


 と巽は肩をすくめた。


「でもそれは冒険者を続けたことをじゃない。上手く立ち回れなかったことをだ。……うちのパーティは『安全第一』『生命を大事に』がモットーなんだ。死なないように上手くやるよ」


「誰だってそう言うのよ!」


 宮乃が我知らずのうちに立ち上がる。対抗して巽も立ち上がった。

「誰だって死ぬつもりなんかないに決まっているでしょう! それでも死ぬときは死ぬのよ! どうしてそれが判らないのよ!」


「ここで母さんの言うことに従って冒険者を辞めて、それでどうして俺は『自分の人生を生きている』って言えるんだよ! 俺の人生は俺のもんなんだよ!」


「誰もそんなものを求めていないわよ! ただわたしは『死なない仕事をして』って言っているだけなのに、それがそんなにおかしいことなの?!」


「誰も心配してくれなんて言ってねーよ!」


「この……!」


 激高した宮乃が巽に殴りかかり……でも、巽の身体は鋼のような筋肉の塊だ。宮乃が全力で巽を殴ろうと殴った方の手が痛いだけで、客観的にその様子は子供・・に対して駄々をこねているようにしか見えなかった。


「このこのこの! 図体ばかりでかくなって生意気な!」


 宮乃が両腕をぶんぶん振り回すが巽は宮乃の頭を片手で押さえて距離を取っていて、宮乃の拳は空を切るばかりだった。巽は頭痛を堪えるように顔を覆い、ゆかり達はその親子喧嘩に困り顔である。


「まーまーおかあさん、落ち着いて」


 年長者の義務としてゆかりが間に割って入り、しのぶと美咲もそれを手伝い、とりあえず母親の子供に対する一方的な暴力はそれで収まった。宮乃は肩で息をしている。


「ええっと、確かこれよね」


 宮乃は卓袱台の上に置いてあったコップを手に取り、一気にそれを飲み干す。「あ」とゆかりが止める間もなく。


「……きゅー」


 変な悲鳴を上げて宮乃がぶっ倒れた。


「母さん?」


「お義母様?」


「おばさま?」


 と巽達が宮乃の下に集まり、ゆかりは気まずげに説明した。


「あー……間違えてわたしの泡盛一気飲みしちゃったみたい」


 なんだ、と巽が気の抜けた顔をする。


「とりあえず奥の部屋で寝かせておくか」


 巽は宮乃の身体を軽々と抱え、奥の部屋へと運んでいった。

 ……それから一時間ほど後。


「ここは……」


 宮乃は畳の上で目を覚ました。頭痛のする頭で何とか状況を把握しようとし、推測も交えて「どうやら間違えてお酒を一気飲みしたらしい」と結論した。スーツを脱がせておいてくれたのは女性陣の誰かなのだろう。

 スーツを着込んだ宮乃は台所と思しき方向へと移動する。襖を開けるとそこは居間で、卓袱台の上はきれいに片付けられていた。一升瓶を抱えたゆかりが畳に寝転がっていびきをかいている。もう一枚襖の向こうが台所だったはず、と宮乃が移動し――人の気配を感じ、宮乃の足が止まった。


「……今日は悪かったな。みっともないもの見せて」


「いえ、そんな……」


 襖の向こうから声が聞こえる。一人は巽で、もう一人は「本命」のしのぶという少女だろう。宮乃はそこで聞き耳を立てた。


「でも、あれだけ反対されていてどうやって冒険者に? 未成年の冒険者登録は親の同意書が必要ですよね」


「ああ。離婚した父親がいて、そっちの方にお願いした。長いこと音信不通で養育費も全然払っていなかったらしいんだけど、何とか探し出してな」


 しのぶが「あー、それは……」と困ったような、納得したような声を出す。


「お義母様、激怒したでしょうね」


「うん。それで売り言葉に買い言葉で、親子の縁を切る形になったんだけど……」


 巽はため息をつく。少しの間、沈黙が続いた。


「……いくら切ろうと思っても簡単には切れません。親子の縁というか、因縁は」


「そう言えばしのぶの家も母親だけって言っていたよな」


「はい。わたしの父はあるお役所に勤めていたんですけどそこで巨額の横領事件を起こして逮捕されて……父の名前を検索すればそのときの記事が読めると思います。当時散々報道されましたから」


 巽が息を呑むがしのぶは構わず、独り言のように続けた。


「冒険者になったのも、普通に就職するのは無理だと思ったから……ちょっと調べればわたしの父が何をしたかはすぐに判ることですから」


「今、親御さんは?」


「判決が出て、刑務所に入って、もう何年も前に出所しているはずです」


「会ってないのか?」


 その問いにしのぶが「はい」と頷く。


「お母さんはもしかしたら会っているかもしれませんけど。それに、会ったところで何を話せばいいのか……」


「その、恨み辛みを言うなりぶん殴るなりすれば」


「もう過ぎたことですから」


 そうか、と巽が応える。今度の沈黙は非常に長かった。


「わたし……みんなには、巽さんには言わなきゃって思っていて、でも……」


「無理に言う必要はねーよ。親が極悪人だろうと聖人だろうと、しのぶには何の関係もないんだから」


 でも、と巽が続ける。


「教えてくれてありがとうな」


 巽が飛びきりの笑顔で笑いかけているのが目に見えるようだ。しのぶが感極まって泣きそうになりながら「はい……」と頷いている。

 また沈黙が続いた。しのぶは巽の次の行動を全身で待ち侘びているのだろうが、巽の方はその一歩踏み出せないでいるらしい。


「そ――それじゃ今日はこれで。また明日」


「はい、また明日」


 巽が逃げるように去っていき、しのぶは残念そうにそれを見送る。そして宮乃は襖のこちら側で歯軋りしていた。


「何をしているあの子は、情けない……」


「本当に巽君はへたれよねー」


 いきなりゆかりが宮乃に抱きついてきて、宮乃は声にならない悲鳴を上げた。


「む、紫野さん?」


「しのぶちゃんがあーんな露骨に好き好きアピールしてるのに、巽君てば逃げ回ってばっかなんだから」


 ぷんぷん、と口に出してゆかりは怒った様子を示している。宮乃は戸惑いながらもゆかりに問うた。


「それは何か、理由が?」


「うーん、やっぱりパーティメンバーとの恋愛は面倒なことが多くてねー。色恋沙汰が原因で崩壊したパーティってのも数知れずなのよ。今はせっかくいい調子なんだから、自分が原因でそれを崩したくない、って思ってるんじゃないのかな」


 特に巽は、研修が終わってからずっとソロでいてなかなか順位が上がらなかったためパーティを崩壊させることを怖れているのだろうと思われたが、ゆかりはそこまでは説明しなかった。


「それじゃ、もう一人の美咲さんという子は?」


「仲は良いよ? でも男の子同士の友情、って感じ。美咲ちゃんの方はそーゆー感情が未発達なところがあるからねー」


「あの子は不器用で人付き合いが苦手で、特に女の子の気持ちなんか全く判らないだろうから、ここで良縁を結べるならそれに越したことはないんだけど……」


 と悩む宮乃に対し、ゆかりは心底愉しそうににやにやするだけだ。そこに突然、襖が開けられる。顔を上げる二人の前には、静かな笑みを湛えたしのぶの姿が――


「ん?」


 アパートに向かう途中の巽はゆかりの悲鳴を聞いたように思ったが、「気のせいだな」とそれを時間の果てへと流してしまっていた。











 翌日は月曜日で、巽達にとっては休養日だ。ただ、休養日とは言っても(普段の誰かさんのように)アルバイトもせず家事もせずただ家でだらだらとし、酒を飲んで寝て過ごしているわけではない。巽達は少し遅い時間に家を出てJR線に乗り、大阪へと向かっていた。行き先はマジックゲート社大阪支部だ。


「……それで、マジックゲート社に行ってどうするの」


向こう側メルクリアに行ってポーションとかの消耗品を買うんだよ。明日は狩りに行くんだから」


 その四人に宮乃が同行している。少しずらしたと言ってもラッシュアワーに近い時間帯であり、電車の中は大混雑だ。宮乃は人混みに潰されそうになっているが、巽がさりげなくそれを庇っていた。

 JR大阪駅に到着し、一五分ほど歩いて巽達はマジックゲート社大阪支部へとやってくる。


「戻ってくるのは夕方になるから」


 巽がそう言い残して自動改札みたいなゲートの向こう側へと消えていく。宮乃は涙を堪えるようにしてそれを見送った。

 巽の姿が見えなくなり、


「よし」


 宮乃は決然と顔を上げた。宮乃が猛然と突進し――大阪支部の受付へと突撃した。


「冒険者を辞めさせるにはどうすればいいのでしょう」


 唐突な問い合わせに受付嬢が「はい?」と首をひねっている。宮乃は深呼吸をし、順を追って説明した。


「未成年の息子がこちらで冒険者として登録されています。それを抹消したいと思っていますので、然るべき部署に案内してもらえませんでしょうか」


「息子さん……ですか?」


 受付嬢はその点に戸惑っているようだが、宮乃が頷くとどこかに電話をする。そして、


「そちらでお待ちいただけますでしょうか」


 とロビーのソファを指し示した。……待つこと約五分、宮乃の前に一人の中年男が姿を現す。背は高からず低からず、限りなく薄くなった髪をバーコードにしている、黒縁の眼鏡をかけた、しょぼくれた中年男である。ただ、髪が薄いから一見高年齢に思えるだけで、よくよく見れば実際には宮乃とさほど変わらない年代のように思われた。


「お待たせいたしました。どうぞこちらへ」


 とその男の先導に付いていく。男は宮乃を連れて移動し……建物の外へと出た。


「あの、どちらへ」


 と宮乃が問い、男は「すぐそこです」とだけ言う。男がやってきたのは大阪支部ビル前の公園みたいな広場の一角、自販機コーナーだ。男はそこで缶コーヒーを買っていた。


「何かお飲みになりますか?」


「いえ、結構です」


 男はベンチに腰掛けて缶コーヒーを飲んでいる。宮乃はその前に屹立し、腰に手を当てて男をにらみつけた。


「こんなところで、どういうつもりですか? あなたは本当にマジックゲート社の職員なんですか?」


「ええ、私は間違いなくマジックゲート社の所属です。ただ、部署は違いますが」


「部署?」


「はい。花園さんのように、自分の家族の冒険者登録を抹消させようとする方は定期的にやってくるそうです。その場合は法務部が対応するんですが……その前にちょっと、花園さんとプライベートな話をできればと思いまして」


 宮乃は「見ず知らずの方とそのような話をするつもりはありません」と男から背を向けた。宮乃はポケットに忍ばせた防犯ブザーにこっそりと手を伸ばしている。中年男は困ったような、中途半端な笑みを浮かべるだけである。


「済みません、申し遅れまして。……私は深草しのぶの父親です」


 宮乃が身体ごとその男に向き直った。


「深草さん?」


「その、深草は離婚した妻の名字でして。私は東山という者です」


 東山という名字と、公務員の横領事件。その二つが宮乃の中で結びついた。


「外務省の、あの横領事件……」


 思わず漏れ出た宮乃の呟きに東山氏は頭をかいてみせる。


「いや、ご存じでしたか。お恥ずかしい」


「いえ、あの、あれは組織ぐるみの犯行で、一番下っ端だけが責任の全てを押し付けられて、スケープゴートとして逮捕されたと週刊誌で……」


 宮乃は何とかフォローを試みて傷口に塩を塗り込むようなことを口走っていた。

 ……それから少し後。宮乃は東山氏の横に並んでベンチに座っている。大きな樹木の葉が青々と茂り、秋の日差しが木漏れ日となっていた。


「ご存じでしたら話は早いですが」


 東山氏は空になったコーヒー缶を弄びながら、独り言のように言う。


「あの事件については何も言い訳することも、組織への繰り言もありません。私は自分の所属する組織がそういうところだと百も承知だったのですから。実刑を受けて何年間かを刑務所で送ることになったのも給料分のうちと納得しています。……ただ、娘には辛い思いをさせてしまいました」


「やはり、事件のことを周囲に知られて?」


 その確認に東山氏が「ええ」と頷く。


「妻は離婚後に実家のある宮津に引っ越していったのですが、あの子の父親が何をしたかはどこからともなく漏れ出たようです。小中高とずっと、いじめられるか無視されるかのいずれかだったようで、友達も一人もいなかったらしく……」


 東山氏は深々とため息をついた。


「おそらくあの子は『路傍の石のように、誰にも姿を認識されないようになりたい』と思い続け、心から願っていたのでしょう。認識さえされないのならいじめられることもないし、一人でいることもごく自然ですから」


 そうして手にしたのがあの固有スキル「隠形」――そのように推測されるが、そこまでは宮乃に説明しなかった。


「出所後……まあ経緯は省きますが私はマジックゲート社に拾われまして。それなりに余裕のある生活をできるようになりました。妻や娘に対して何とか埋め合わせをしたいと思ったのですが、妻からは拒絶されまして」


 そうなんですか、と宮乃が相槌を打つ。


「はい。『ここ何年かの自分の苦労を金で埋め合わせるのは別にいい。でも、あの子の不幸な子供時代を一体いくらの金で償うつもりなのか』――あの子に申し訳ないから自分だけ金を受け取って楽をすることはできないと」


 東山氏の掌の中でスチール缶が握り潰された。


「償いや埋め合わせと言っても、私にできるのは結局金を出すことだけ。それすらも拒絶されて……私はあの子を不幸にしただけで、何もできないでいる」


「ですが、今のしのぶさんは決して不幸ではありません」


 宮乃の言葉に東山氏は「ええ、そうですね」と頷いた。


「あの子が自分の手で掴み取った、信頼できる仲間、友人――生死を共にして戦う、パーティメンバー。これまであの子がどれだけ渇望しても決して得られなかったものが、今あの子の手の中にある」


「わたしの息子も含めて……ということですか」


 宮乃はようやく東山氏の思惑を理解した。宮乃が苦々しげに東山氏をにらみつけるが、彼は涼しい顔をしたままだ。


「花園巽――正直に言って、彼はあのパーティの中では一番才能がないでしょう。他の三人が青銅までたどり着くのはそれほど難しくないでしょうが、彼が青銅になれるかどうかは私には何とも」


「それなら、巽に冒険者を辞めさせても何も問題はないのですね?」

「いえ、とんでもない」


 東山氏は驚いたように首を横に振った。


「あのパーティの軸になっているのは彼です。彼がいなければパーティは空中分解しかねません。彼と同じ場所にいられなくなればあの子も悲しむでしょう」


「それならしのぶさんだって冒険者を辞めればいいじゃないですか」


 宮乃は指を組み、顔を俯かせ、まるで祈るように言う。


「ファミレスの店員でも、町工場の工員でも別に構わないじゃないですか。生きて……生きてさえいてくれるのなら。何を好きこのんであんな危険な仕事を……」


「確かにそうです」


 東山氏はため息と共にそう答えた。


「冒険者なんて他にできることのない、ただの物好きだけがやっていればいい――私もそう思います。子供が将来なりたい職業の一位が冒険者で、黄金クラスや白銀クラスが子供の憧れの的となる……この現状はどうかと思う」


「ええ、まさしく。わたしの教え子にもそんな子が大勢います」


 なお、宮乃の職業は小学校の教員である。


「息子さんは早くから冒険者を志願していたのですか?」


 その問いに宮乃が忌々しげに頷く。


「わたしがどれだけ反対しようとあの子は絶対に自分の意志を曲げず、小学中学と一体どれだけ喧嘩したことか……高校生になってからは『冒険者になる』とは言わなくなって安心していたのですが、あの子は勝手に大阪まで受験しに行って、離婚した父親に名前を借りて冒険者になって、アルバイトで貯めたお金を使って一人暮らしを始めて……」


 宮乃が歯軋りをするが、東山氏は楽しげに笑うだけだ。


「なかなか頼もしい息子さんですな。今時そんな子は滅多にいませんよ」


「他人事だと思って!」


 と宮乃が噛みつき、東山氏は「これは失礼」と一応謝った。


「私は男の目線だからそう感じるのかもしれませんが……あるいは花園さんが反対しすぎたのも良くなかったのではないでしょうか?」


「どういう意味ですか」


「『ロミオとジュリエット効果』をご存じではないですか? 恋の障害が大きいほど恋愛感情が燃え上がるという……それと同じことが起きたのではないでしょうか」


 東山氏の言うことは理屈としては理解できる。だが、感情として納得できるかどうかは別問題だった。


「子供は反抗期を経て一人前となります。親から独立して自分の人生を歩もうとするのは正常な発達過程で、それを止めることはできません。多分、巽君にとって『冒険者になる』という選択は自分の意志で決めた自分の未来であり、花園さんの猛反対がそれを補強する結果となってしまった。親の反対で違う道を歩めばそれは自分の人生ではなくなってしまう――そうであるが故に絶対に曲げることはできなかったのでしょう」


「わたしが間違っていたと?」


 頬を膨らませる宮乃に対し、東山氏は優しく諭すように言う。


「子供に死んでほしくない――その思いが間違っているはずがありません。ただ、それがどんな正論であろうと子供の意志を踏みにじることもまた正しくないのではないでしょうか?」


「あなたは娘さんに、しのぶさんに死んでほしくないとは思わないのですか? 冒険者を辞めてほしいとは」


 その問いに東山氏は静かに首を横に振った。


「あの子には冒険者以外の道がなかった。道を閉ざした私に何を言う資格があるでしょう。私にできるのは遠くから見守り、どうか無事にと祈ることくらいです」


「それと、気付かれないよう小細工を弄して密かにサポートすることくらい、ですか? 今こうしているように」


 宮乃の詰問に東山氏は微笑みを返すだけである。


「子供はいつの間にか成長しているものです。花園さんも、巽君を見守ってやってはもらえませんか。彼が選んだ自分の道を歩いていくのを」


 宮乃はそれに答えない。俯き、唇を噛み締めている。東山氏はベンチの背もたれに背中を預け、空を振り仰いだ。

 秋の爽やかな陽気を堪能するように、二人は長い時間そこに座り、そうやって過ごしていた。

 ……巽達四人がメルクリアから戻ってきたのは夕方より少し前の時間帯である。大阪支部前の広場で宮乃が彼等を出迎えた。


「ようやく戻ってきたわね」


「誰も待ってろなんて言ってないだろ」


 憎まれ口を叩く巽を、ゆかりが借り物のハリセンで殴っている。巽は痛そうな顔をした。


「冒険者を辞めるつもりはないわけね」


「当たり前だ」


 宮乃と巽が対峙する。しばしの間、二人が視線で鍔迫り合いをし……先に譲ったのは宮乃だった。


「はあーーーーーっ」


 宮乃は小さな身体がなくなるのではないかと思うほどの深い深いため息をつき……しのぶと美咲とゆかりに対し、深々と頭を下げた。頭が膝に付きそうなほどに。その場に土下座するのではないかと思うほどに。


「どうか皆さん――この馬鹿息子をよろしくお願いします。どうか、どうか死なせないように……」


「馬鹿、やめろ」


 と巽は慌てる一方、三人は暖かく微笑んだ。


「た、巽さんは生命に換えても私が守ります」


 としのぶ。


「『生命を大事に』――まず最初に巽先輩がわたしに教えてくれたことです。それを違えるつもりは一切ありません」


 と美咲。


「頼りないと思うかもしれませんが、わたし達に任せてください。わたし達は誰一人欠けることなく青銅まで至ってみせます」


 とゆかり。彼女達はそれぞれのやり方で宮乃と約束を交わしていた。宮乃もそれで少しは安心したようで、


「――それと、誰か巽のお嫁さんになってくれたら言うことはないんだけど。あと早めに孫の顔を見せてくれれば」


 その要求にしのぶは赤面し、ゆかりは「まーかせて!」と豊かな胸を張り、美咲はゆかりをハリセンで殴っている。巽は頭痛を堪えつつも、宮乃の身体を小脇に抱いた。そしてそのまま運んでいく。


「サンダーバードで帰るんだろ? ほら、行くぞ」


「こら! 離しなさい! 下ろしなさい!」


 宮乃は暴れるが巽は構わず進んでいく。その数歩後ろをしのぶ達三人が続いていた。











 宮乃はその日のうちに大阪発の特急・サンダーバードにより石川県へと帰っていった。その翌日の火曜日、巽達四人はいつものようにモンスターを狩るためにメルクリアへと赴いている。

 その一方、


「高辻さん」


「あれ、はっちゃん。今日は何か事件があったっけ」


 マジックゲート社大阪支部の、スタッフスペース。その廊下で、東山氏は高辻鉄郎を見かけて話しかけていた。


「いえ、今日もいつもの方で……」


「そう、ちょっと間が空いていたもんな。それじゃ、向こう側に行ったらあいつ等見つけて話しかけるわー」


 よろしくお願いします、と東山氏は高辻と別れる。そして東山氏は大阪支部の中の、最重要区画へと入っていった。

 それからしばらく後、メルクリア大陸。マジックゲート社ヴェルゲラン支部の建物の前で、高辻は巽達と立ち話をしている。


「巽ちゃーん、最近調子いいみたいじゃなーい」


「ええ、おかげさまで。高辻さんがみんなを紹介してくれたから」


「それじゃー感謝を形にするために……」


「今夜はみんなで飲みに行こう!」


 ゆかりが威勢良く提案して美咲にハリセンで殴られているが、それもいつもの通りだった。


「今日はどの辺に行くつもりなんだ?」


「第二一二開拓地でペルーダを狙おうかと」


「そうか、あれの毒針攻撃には気を付けろよ」


 ありがとうございます、と挨拶をし、巽達が去っていく。高辻は手を振ってそれを見送った。


(――協力、感謝する)


 突然耳元で発せられる、誰かの声。高辻は即座に足を止めて全身で気配を探るが、何も感じることができない。おそらく「彼」は既に立ち去ったのだろうが、仮に今「彼」が目の前にいてもそれを知ることは絶対に不可能だった。

 「彼」の気配を掴むことを諦めた高辻が全身から力を抜き、ため息と共に感嘆を吐き出す。


「『隠形絶影』……相変わらずの切れ味だねぇ」


 中継地点をいくつか挟み、やってきた第二一二開拓地。巽やしのぶ、美咲やゆかりは森の中を進んでいる。そして何者かがそれを追っているが、巽達がそれを知る由もなかった。

 巽達に背後から接近するモンスターの影。それは雄牛の角を持った巨大な蛭、ウイーウィルメクだ。レベル五〇を超えるモンスターが地に伏し、音もなく這い寄っているが巽達はそれに全く気付いていない。ウイーウィルメクはあるいはほくそ笑んだのかもしれないが――突然ウイーウィルメクの身体が二つに裂けた。何故、誰に、どうやって殺されたのか全く理解できないまま、そのモンスターは魔核を回収される。


「?」


「どうした? しのぶ」


「いえ……モンスターの気配を感じたような」


 しばらく首をひねっていたしのぶだがやがて「気のせいみたいです」と結論づけた。彼等は行進を再開し、その背後を見えない誰かが追跡を続けている。











 東山迅八ひがしやま・じんぱち――人呼んでシャドウ・マスター。

 外務省の元職員である彼は、全世界に一二人、日本に四人しかいない黄金クラス――その中の一人であり、大阪支部に所属する冒険者だった。その彼の生き甲斐、ライフワークが「娘を密かに見守ること」だという事実を知るのは、ほんの一握りの人間だけである。




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[一言] 難儀な親子、達。
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