臼と杵
「何か良いことあったの?」
麻奈ちゃんが微笑しながら私に声を掛けてる。
「母さんの友達が明日孫連れて遊びに来るから、今日はその準備で早めに帰るから月曜日にまたね!」
「私、指定休日」
「それじゃあ、火曜日ねーっ!」
口を衝いて出る――。焦って、危うく今から待ち受ける出来事を喋りそうになってしまう。咄嗟に思い付いたのは、母を口実にすることだった。
母の友達に孫のように可愛がってるチワワ――。付け加えるべきだったのかと、後悔してしまった。
「ぷふっ!」
岡村さんは、お冷やを口につけるなり、吹き出し笑いをする。
「あ」と、私はか細く悲鳴をあげると、テーブルに散布される飛沫をお手拭きと共に手を伸ばしていく。
「いや、失礼。キミでもそんな嘘が言えると、感心してしまったものだから」
「誉めることでしょうか?」
私は岡村さんと目を合わせないようにして言う。
「お待たせしました」
私達のテーブルに店員さんが注文した品を運びにやって来た。
箸ケースから二膳取り出して、そのひとつを岡村さんに渡していく。
「いただきます」と、箸をぱきりと割ると麺の一本を挟んで口へと啜っていった。
「此処のうどんはだしが効いてて旨いから、俺はよく食べてるのだ」
レンゲで汁をすくう手を止め、岡村さんの顔を見つめてしまう。
「どうした?」
と、岡村さんが首を傾げる。
「いえ、業務中と違うお顔をされてるものですから」
少しだけ本音を喋ってしまった。
「《仕事》は終わってるのだ。飯の時まで持ち込む必要はないっ!」
岡村さんは私が言った事など気に止める様子なく、やんちゃ盛りの男の子の仕草で丼を空にした。
「いいよ、俺のおごり!」
鞄から財布を取り出す私の手を止める岡村さんは、会計を済ませる。
店を出ると空に淡く街明かりが照らされるほど、暗くなっていた。
「自宅は遠いのだろう? 送ってやるぞ」
「大丈夫です。バスはまだ今の時間走ってますから」
私は首を横に振って岡村さんの申し出を断った。
「そっか……」
と、岡村さんは落胆したように言う。
「でも、ご飯に誘って頂けて嬉しかったです。ありがとうございます」
「礼を言われる程のことはしてないよ。むしろ、こっちが恐縮だよ」
岡村さんからそんな言葉が出るとは思いもしなかった。
「花嫁修行中なんだろ?」
「どういう事ですか?」
「麻奈が言ってた。資金を貯めるため、今の会社で働いているとな」
「それ、全くもって《デマ》です 」
岡村さんが呆気になって私を見る――。通りすがる車のライトで照されて、浮かんでいた。
「あいつめ」
と、岡村さんは唇を噛みしめ、夜空を仰いでいく。
「ありがちな出鱈目なんて気にしてません」
「人がよすぎるのも程ほどにしとくのだ」
声色が少し、恐かった。
「すまない、折角腹が満たされたのに台無しにしたような言い方をしてしまった。やっぱり―――」
「いえ! ほんっとぉお――にっ、ご心配要りませんから」
私は、必死で岡村さんを断り続ける。
「ま、いいか。今度また飯に付き合って貰えるか?」
「はい」
「サンキュッ」
「ごちそうさまでした」
と、私は一礼して店の近くのバス停に歩き始めていった。
乗車するバスの中で揺られて満腹感も重なり眠気が襲ってしまった。降りそびれた事に気付き、其れから三つ先の停留所のベンチに腰掛けて、うどんの味と岡村さんとの会話を思い出しながら夜風を全身に受け止めた。




