打てば響く
外はうっすらと暗く、私はぱかぱかと瞬く外灯を道標にしてバス停へと向かって行くと既にバスを待つ人達が列を成していた。
びっしりとしたスーツ姿の男の人、教科書をぺらりとめくる女学生、おめかしばっちりのお婆ちゃん。
「おはようございます」
私は、帽子を被って更に眼鏡をかけるお爺ちゃんに挨拶をする。
「おはよう!」と、お爺ちゃんの顔から笑みが溢れていくのが道路の向こう側にあるコンビニエンススアから照らされる灯りで表れていった。
お爺ちゃんの名前は知らないけれど、毎朝の挨拶とほんの少しの会話が日課になっていた。
正直に言えば、最初は声もかけるようなことはなかった。いつもむっつりとして、自分より先にバスに乗車しようとする学生に「順番も守れない癖に、勉強が、出来るような顔をするな!」と、叱りつけるほどの怖いお爺ちゃんだと、印象付けていた。
きっかけは、お爺ちゃんに挨拶をする品がいいおばちゃんだった。自ずと、私も声を掛けると優しいお顔が素敵だと気付いた。
「お嬢さんは、旦那さんも仕事をしてるのだよね?」
私は、とっさに首を横に振った。
「いえ、一応独身です」
思いがけない質問に嬉しさと複雑さを覚えながら言う。
「おや、それは申し訳ない。えらく落ち着いていて、お子さんもいるかとてっきり思っていた」
お爺ちゃんは苦笑いをしながら、こめかみを指先でかりこりと引っ掻いてそう言った。
路線バスが停車する。私は、脚を少し止めてお爺ちゃんが乗車するのを待ってステップを踏みしめる。
乗り継ぎする為のバスターミナルに到着するとバスを待つ時間に余裕があった。食べそびれた朝御飯も兼ねて、近くのファストフードの店に寄り道をした。
いつものように会社に着き、慌ただしく日常をこなしていく。
休憩のベルが鳴ると同時に、私の横をおいおいと、泣き崩れながら走り去っていく……《一応女の人》がいた。
「私に向けて製品を投げ付けたから叱ったんだ」
麻奈ちゃんは休憩する食堂で、ふて腐れた顔をさせてみんなの前で言う。
「でも、あんたにあれこれと物を振る舞ってるのは既に有名だよ?」
玲衣さんはニヤリと、笑みを麻奈ちゃんに剥ける。
「私、あれのせいで彼氏と喧嘩になったのよ!」
「電話だ、家に来るわで迷惑だと、はっきり言えばいいだけじゃないの」と玲衣さんは言う。
「言えるわけないよ、だって……」
麻奈ちゃんは唇を尖らせてうつむく。
――〈餌付けされている〉みんなは一斉にそのような顔を含ませて、麻奈ちゃんを見つめる。
《一応女の人》は間違えなく、麻奈ちゃんに好意を寄せている。人を好きになるに理屈はいらない。でも、このような場合果たして――。
――浅田!
その声にはっと、なり振り向く。
「お、おつかれさまです!」
緊張感が瞬時に迸り、声まで震えてしまった。
「毎日、あいつらの世話も大変だろう?」
とっさにぽん、と思い描いたのは麻奈ちゃんと、つん、とした班長の女の子だった。
「あの子達が先輩ですから。それに、色々と励みになることが多いです」
私は、ちょっとはにかみながら岡村さんの目を見た。
――今すぐにでも飛び付きたい……。
そんな、思考が膨らんでしまった。
「時間が取れたらゆっくり話してみたいと思っているけど、どうかな?」
ふわりと、私の中に風が吹き込む錯覚がする。
「そのようなことをおっしゃってくれて光栄です」
その言葉と同時に、岡村さんは吹き出した。
「面白いこと言うね?でも、僕は気持ち的には変わらないよ!」
どくどくと、鼓動が高鳴るのがどうしても止まらなかった。
「是非、お願いします」
声を振り絞って、私はそう伝える。
「明日は出勤だったよね? 夕飯付き合ってね」
「はい」
ひとつ返事の私に、岡村さんが笑みを溢していくのがはっきりと見えた。
「おっと……。何だ、またあいつか。呼び止めてすまなかったな」
岡村さんは、腰に着ける携帯のホルダーから、すっくりと携帯電話を取りだして手を振りながら靴を鳴らして行った。
――みんなに混じって岡村さんを見る。
ぷちぷちと、泡が弾け飛ぶような感覚。
ふかふかと、綿を踏みしめるような足元の揺れ。
――止まらなかった。
〈岡村さんが、好き〉という思考がどんどんと、溢れてどうすることも出来ないと気づいてしまった―――。




