綺羅、星の如く
いつも笑顔を絶さず、場を和ませる。それが〈あの人〉の美点だった。一方で厳しい一面も見せていた。
今の俺があるのは〈その人〉のおかげ。駆け出しの頃の俺を、しこたま叱ってくれた。
ーー人に動いて貰いたいなら、自分が動くのよ。
と、言うのが口癖だった。
紹介するのを忘れていた。
富山和恵さん。45歳で去って行ってしまった。
彼女との思い出を今から俺が語る事にする。
「岡村さん、班長を降ろして下さい」
突然の富山さんの申し出に俺は驚愕する。
「お待ち下さい。あなたは今の部署でかなり経験と実績を積まれた。特に児嶋由香に手厚い指導をされた。此れからもお任せしたいのです」
「児嶋さんを育てるのは会社です。況してや正社員となれば、そう、実感してますが?」
富山さんはきつい形相を俺に剥けて言う。
「ご事情を訊きたい!」
「いずれ、皆さんもお気づきになることです」
「何を誤魔化されているのですか?」
富山さんは溜息をしてうつむく。そして漸く、固く閉じていた口を開き始める。
俺はその時の衝撃を今でも思い出す。
胸の奥で否定をしたかった。
あまりにも、残酷過ぎる。
富山さんの当時の言葉は、こうだった。
ーーリンパ腺に腫瘍が見つかったのです。生存率は、2年。治療は、通院になります。主治医の先生も仰っていましたが、ある程度腫瘍を小さくしないと手術も出来ないとのことでした。
「……。児嶋に、あなたの業務の引き継ぎをさせて頂きます」
富山さんから受け取った封書の中には診断書が入っていた。読む度に手は震えて、必死で溢れそうな涙を抑えた。
「岡村さんは立派に現場に立たれてる。だから、あなたの役目も何かは判りますよね?」
「皆に動揺を与えるな。僕も辛いですよ」
「普通に振る舞っていればいいだけよ!」
富山さんは笑っていた。
彼女が会議室から去って俺は暫くその場にいた。
事実を伏せて児嶋に伝える言葉を模索する。
俺もすっかり会社の組織に染まっていた。歯痒いがそれしかなかった。
案の定、児嶋は俺に喰って掛かってきた。
ーー富山さんをそんな風に見ていたなんて!
ーー会社の方針だ。彼女はそれに着いていけなくなった!
ーーもう、いいですっ!
ーー待つのだ! 児嶋、どっちにしろおまえは彼女の後釜として、育成すると決められていたのだ!
取りつく島もない。
仕事は出来るだろうが、感情を剥き出しにするのが児嶋の欠点だ。
同期の竹岡麻奈もどちらかといえば会社的には与えらた業務をこなすで十分。若いが取り柄だ。
人事課に富山さんの事を報告して即、手続きを始める。
児嶋は正式に部署の班長の辞令を送って、富山さんが治療に専念できるように求人募集を掛ける。
それからまもなくだった。
志帆、おまえが今の配置に適している人員として、俺は採用をした。
最初は渋渋としていた児嶋も志帆の仕事ぶりに関心を示しだす。俺も現場に交じってその様子を見守っていた。あの、児嶋によく着いていっていた。部署内でも志帆の評判は上昇していたが、麻奈は良くは思っていなく、彼女についてあることないことを俺にまでベラベラと喋っていた。
富山さんに麻奈を正社員に昇格させる事を含めて伝える。
「竹岡さんも自分なりに精一杯仕事をしてるつもりでしょうけど、あの配置での範囲内。私も一緒に業務をしているけど、あれ以上は伸びることはないでしょう」
俺も正直に言えば迷いがあった。ベテランから見た麻奈。意見的には俺と一致していた。
「岡村さん、それでも竹岡さんを正社員に登用をとなれば、其なりの覚悟は必要ですよ?」
「責任は僕にあると、遠回しに仰ってる」
「其処までは言ってないわ。ひと言アドバイスをするけど、先ずは部署の皆さんに公表する。そして、児嶋さんの指導であの配置の大変さを彼女に学ばせてみましょう」
はっと、思い浮かべたのは志帆の事だった。
文句一つ無しで現場で一番難しい配置と言われる業務を、あいつは児嶋と同レベルまでに達していた。麻奈を入れるとなるとーー。
「育成を目的にと、すればいいでしょう? 嘘も方便。児嶋さんも人を育てるという実績になるわ」
「その間浅田はどうするのですか!」
咄嗟に感情が剥き出してしまった。これでは俺が志帆に情が移っていると公にしたようなものだった。
富山さんは口元を掌で押さえて笑みを湛えていた。
「やはり、本音は隠すことは出来ませんね? 浅田さんも確か、正社員を目指しているのでしょう。他部署の作業も経験させて何処でも出来るというのが条件として、あなたが背中を押してあげて下さい」
「浅田を部署異動させるなんて、考えはありません!」
「落ち着いて、岡村さん。応援だったらその必要はないでしょう?」
富山さんから差し出されるペットボトルの中身を一気に空にさせて、俺は苦笑いをする。
「さて、三人娘の扱い方は、これでおしまい! 岡村さん、今日は私もお伝えしたい事があるの」
富山さんから笑顔が消える。
ーー治療を続けていたけど、残念ながら病に負けてしまった。今後は緩和治療に切り替わると、告げられてしまったわ。ただ、じっとその時を迎えるのは嫌だから、其まで皆と一緒に過ごしたいのでお願いします。
腫瘍の痛みを和らげるのみ。末期の癌で進行が止める事が出来なくなり、患者の負担を軽減させる事。富山さんは、そんな身体になってもなお、会社を選んでくれた。
涙声でなおかつ、深々と頭を下げられる。
俺は間を置いて、富山さんに言葉を選びながら言う。
ーー僕もあなたに育てられたご恩は絶対に忘れません。あなたの思うがまま、最後まで此処で過ごされて下さい。
富山さんに笑顔が戻る。
夜空に瞬く星のように瞳をきらりとさせて、俺を真っ直ぐと見つめてくれた。
志帆と児嶋に声を掛ける姿を、場内を見回る最中に見たのが最期とは思いもしなかった。
梅雨が来て、会社に連絡が入る。
富山さんの身体は既に限界だった。其を圧して出勤していたと、御主人は言う。俺も包み隠さず彼女の勤務状況を告げた。電話の受話器越しから鼻を啜る音がハッキリと聞こえていた。
ーー〈お礼の言葉〉に付け加えて欲しい。彼女達は星の煌めきを持っている。見送ってくれる方にも伝えたいーー
何もかも自分で送られる為の準備をしていた。
富山さんは混沌する意識の中で、あいつらを呼んでいたそうだ。
その時の顔を俺は想像した。
灯が消える瞬間、周囲を照らして………旅だった。
時は流れる。
季節は夏になる。
志帆を隣に、今日は業務終了後に星空が綺麗な場所へとアクセルを踏んで辿り着く。
「天の川と蛍が一緒に見れるなんて初めてです」
歓喜してる志帆の顔を蛍の光が淡く照らしていた。
笑顔があの人に似ている。
富山さん、あなたの輝きは志帆に託されている。
「岡村さん、人前では……」
「気付きはしない」
志帆を手繰り寄せ、唇を重ねる。
「強引過ぎます」
志帆は俺の腕を解き、一歩後退りしていく。
「富山さんは、今頃何処にいるのでしょうね?」
「あの笑顔と同じく、夜空で瞬いているさ」
志帆から俺の腕に手の温もりが伝わる。
ぎゅっと、掴み離さない手を俺は握り締める。
ーーあれが富山さんですよ!
ーー違う、あっちがそうだ!
満天の星。すっと、一つの星が地上へと落ちるように流れていった。




