第151.5話 ヴィルヘルミナの独白 その拾肆
「こりゃ! 何をしておるか!?」
早朝の庭先に少女の声が響いた。
シャルロッテ殿下だ。
頬を膨らませ、目は吊り上がっている。
理由はわからないけれど、えらくお怒りらしい。
シンクローが今までに見たこともないほど嫌そうな顔をした。
「殿下と何かあったのか?」
「忘れたい……」
眉間にしわを寄せるシンクロー。
「昨日の試合の後、どことなく打ち解けた感じがしたんだが……。その後にケンカでもしたのか?」
「忘れたいと申したであろうが……」
シンクローの顔がより一層歪む。
何があったのかは知らないが、こんな煮え切らない態度は見たことがない。
ところが一方、殿下はそんなシンクローの様子などお構いなしに、肩を怒らせてこちらへ歩み寄って来られる。
そんな殿下のお召し物は、いつもの華やかなドレスではなかった。
どう見ても、騎士や兵士の稽古着としか言えない飾り気のないお姿で、左腰には短剣を佩いている。
要は、今の私と同じような格好をしておられるのだ。
もしかして、殿下も朝稽古に参加なさるおつもりなのか?
「どうして妾に声を掛けん!? 勝手に朝稽古などひどいのじゃ!」
私の予想は当たったらしい。
シンクローが即座に反論した。
「勝手も何も、そなたは今まで朝稽古になぞ来なかったではないか。騎士娘共はいつものように顔を出していたが――」
「―――あっ! 姫様です! やっぱりおられましたよ! こっちです!」
「お一人でお部屋を抜け出されては困ります!」
「朝っぱらから騒がせないで下さいよ!」
ヘスラッハ卿、ロール卿、フルプ卿の三人が、大慌てでこちらへ駆けて来た。
ロール卿とフルプ卿は騎士服だが、ヘスラッハ卿は稽古着を着ている。
シンクローに負けてからというもの、彼女らは手空きの時間を利用して、交代で朝稽古に参加するようになっていた。
いや、あれは稽古なんてものじゃない。
毎朝にようにシンクローに再戦を挑んでいるんだ。
残念ながら一勝も出来てはいないが、負けても負けても諦めずに立ち向かう姿には感心させられる。
シンクローはと言うと、何だかんだと言いつつも彼女たちの挑戦に付き合っていた。
案外楽しんでいるのかもしれないが、私としては少し面白くない。
シンクローと手合わせ出来る時間が大きく減ってしまったのだからな。
これまでは存分に手合わせしてもらえたと言うのに……。
心中で密かに溜息をついていると、ヘスラッハ卿たちの後方から、ミュンスター女官長が疲れた足取りでこちらへと向かってくる姿が見えた。
こめかみに手を添えて、顔付きも優れない。
体調が悪い……のだろうか?
いや、それよりも、何かに思い悩んでいるのか?
うん、そういった方が正しいかもしれない――――。
「――さあ姫様! お部屋に戻ってください!」
ヘスラッハ卿がシャルロッテ殿下に促すと、
「嫌じゃ! 妾もシンクローと朝稽古するんじゃ!」
顔を「プイっ」と背け、その場から頑として――――ん?
「え?」
「おや?」
「今なんて?」
引っ掛かったのは私だけではなかったらしい。
ヘスラッハ卿たちと顔を見合わせる。
「えっと……。ヴィルヘルミナ様も、今の聞きました?」
「え、ええ……。聞き間違いかと思いましたが……」
「あの……姫様?」
「何じゃ? 妾は部屋に戻らんぞ? シンクローと朝稽古するんじゃからな!」
「それですっ!」
「ん? 何じゃ?」
「どうしてサイトー卿を御名前でお呼びしてるんですか!?」
ヘスラッハ卿が悲鳴のような声を上げた。
当然の反応だ。
貴族の女性が家族以外の男性を呼ぶときは、家名に敬称を付けて呼ぶのが作法。
例えば、ヘスラッハ卿がそう言ったように「サイトー卿」などとな。
シャルロッテ殿下のように帝室の一員であれば、主君と臣下の関係だから、家名の呼び捨ても許される。
呼び捨てが許されはするが、あくまで家名の呼び捨てだ。
今のように個人の名を口にするなど作法の逸脱。
それも甚だしい逸脱と言える。
ただならぬ関係を疑われるような話なのだ。
ヘスラッハ卿たちが色めき立つのも当然だ。
私は私で、あまりの事態に言葉が出てこない。
こんなときこそミュンスター女官長の出番――――。
そう思ったのは私だけではないらしい。
ヘスラッハ卿たちもミュンスター女官長に視線を向ける。
「…………はあ」
当の女官長は力なく溜息をつくのみだった。
「ちょっと女官長!」
「聞いてたでしょ!? 今の発言!」
「ガツンと言ってやってください! ガツンって!」
「ふふん! ヘレンも分かっておるようじゃ! 妾が何も悪いことはしとらんと!」
「はあ!? 何を仰せになってるんです!?」
「仰せも何もないのじゃ! 我が婚約者を如何に呼ぼうと誰にも文句を言われる筋合いはない!」
「「「「………………………は?」」」」
私たちは目が点になった。
そして、意識は異界の彼方に飛ばされてしまった。
「ヘレンにも言うたがのう、シンクローほど出来た男もそうそうおらん! 故に皇女たる妾の婿に相応しい! じゃからこの妾から求婚した! 以上! 説明終わり!」
得意気に胸を反らせる殿下に対し、シンクローとミュンスター女官長は頭を抱えていた。
衝撃からどうにか立ち直ったヘスラッハ卿が言葉を絞り出す。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ!」
「待たん!」
「待って下さいって! サイトー卿の顔を見てくださいよ! どう考えたって姫様のわがままに振り回されて困り果ててるって顔じゃないですか!?」
「馬鹿な! この妾の求婚じゃぞ!? 妾の婿になれるんじゃぞ!? この上なき名誉! この上なき幸運であろうが!」
「あれがそんな顔に見えますか!? それにほら! ヘレンさんの顔も見てください! 姫様が特大のやらかしをしちゃったどうしようって顔ですよ!」
「我が一世一代の決意を込めた求婚をやらかしじゃと!? こりゃドロテア! そこになおれ! 折檻してくれる!」
「あ、いや、ちょっと待ってください! 姫様に本気で来られたら……」
「よう考えてみい! 妾の他にもシンクローを名で呼ぶ者がおるではないか! ほれそこに!」
皇女殿下は「びしっ!」と音でも鳴りそうな勢いで指差した。
私を……この私を!
「妾はきちんと求婚したからこそ、それに相応しい呼び方をしているだけなのじゃ! ならヴィルヘルミナはどうなのじゃ!? シンクローと婚約したと言う話は聞いておらんぞ!?」
殿下が私に詰め寄った。
その動きはあまりにも素早く、逃げようにも逃げられない!
「おおん? どうなんじゃヴィルヘルミナよ? 主はしきりに『シンクロー、シンクロー』と呼んでおるな? 婚約してはおらず、まして結婚して夫婦でもなかろうが?」
「い、いや、それは……。お母様――いえ、我が母がそう呼ぶようにと――」
突然矛先が向き、しどろもどろになってしまう。
事態は一転し、殿下に代わって私が追い詰められる羽目に――――。
「え? 何かおかしいですか? それ」
ヘスラッハ卿が不思議そうに首を傾げた。
ロール卿とフルプ卿も同じく不思議そうな顔だ。
思わぬところから救いの手が伸びた。
殿下は「な、何を言うとるんじゃ!?」と慌てておられる。
追及の手が緩んだ。
理由は分らないが、助かった……のだろうか?
ほっと安心する私だったが、それは間違いだった。
私を助けてくれたはずの三人の手によって、再び断崖の際に追い詰められることになるのだから――。
「私、おかしな事を言いました? ハイディさんとイルメラさんもそう思いますよね?」
「ドロテアの言うとおりね。サイトー卿とヴィルヘルミナ様は問題ないんじゃないですか?」
「だよね? だって――」
三人の声が重なった。
「「「恋人でしょ?」」」
「…………………………は?」
オサンカタハ、ナニヲオッシャッテイルノデショウカ?
「な、何じゃと!? 馬鹿な! そんなはずはない!」
「ええ? 姫様お気付きじゃなかったんですか?」
「別にベタベタ、イチャイチャしてる訳じゃないですけど」
「ごくごく自然なんですもの。お二人の雰囲気が」
「ですよね? 普通に仲良さそうだし、それがデフォルトって感じだし。それに、サイトー卿って何かにつけてヴィルヘルミナ様にかまっていますし」
「分かる。完全に特別扱いの女の子、だもんね。稽古の時に見てたら分かるわ。『あっ、これって誰かが入り込む余地はないな』って」
「それなのにヴィルヘルミナ様の反応が初々しいの何のって。サイトー卿が何か言うたび、いちいち頬を赤らめたり、嬉しそうにしたり……」
「これって何て言うんでしょうね? 『睾丸破壊者』と呼ばれた女傑が見せた乙女の顔……」
「萌える、じゃない?」
「いやいや! ここは尊い、でしょ!?」
私はもう、シンクローの顔をなど見ることが出来なかった。
勝手に結論を出し、うんうんと頷き合った三人は、シャルロッテ殿下に向き直った。
「姫様もご存じでしょ? 忠義と恋愛こそが騎士の本分って言うじゃないですか。公私共に賞賛を受けてこそ騎士だって」
「そうそう。ヴィルヘルミナ様は騎士の本分に忠実なだけですよ」
「しかも愛する男性が、互いに切磋琢磨し、肩を並べて戦う男性……。いいなぁ! 羨ましい!」
「と、言う訳ですから姫様、ここは諦めるが吉、ですよ? それでも無理に婚約するって仰せになるなら……」
「それって横恋慕って言いません? しかも明らかに権力が上の皇女殿下が横恋慕ですよ?」
「うわぁ、完全な悪役じゃないですか!」
「よ、横恋慕……、悪役……、わらわら妾が横恋慕……」
ガクリと膝を突かれる殿下。
「ヴィルヘルミナ様、すみませんでした。うちの姫様が……」
「恋敵は私達で処分しておきますんからね」
「安心して――って、どうしました? お顔が……耳まで真っ赤で――――」
そこから先は、あまりよく覚えていない。
頭に血が上り、なんだかふらふらした。
それだけしか覚えていない。
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