95 V-ぞんびんぐ・らう゛ぁーず
「う゛ぁー」
「う゛ぁぁ」
屍人の婦婦が並んで道を行く。
時折漏れる濁った呻き声の内、半分はロールプレイ、もう半分は声なき吐息を自動的に濁音へと変換するゾンビの仕様によるもので、どちらにせよ二人の上機嫌っぷりをこの上なく表していた。
ノーラ、エイトと同じく、身に付けている装備類はいつもと変わらぬものであるはずなのに、どこかその白地が薄汚れ、銀の軽鎧も朽ちかけているように見えるのは、あるいはそのゾンビへの成りきりっぷりが故だろうか。
逆に、表情筋の働きなどはいつもより乏しいものの、それでもなお土気色の顔は一目見て分かるほどに綻んでおり、それこそその身体は、いつもと同じようにぴったりとくっ付き合っていた。
色褪せた金髪をぎこちなく揺らすミツがあれこれと街並みを指差せば、くすんだ銀髪のハナが追従するようにして、そちらへと顔を向ける。
今この場において、全ての主導権は完全にミツが握っており、彼女に噛まれ眷属となったハナがその一挙手一投足に従ってしまうのも、当然のことであった。
一部のモンスターに見られる上位個体と派生個体の主従関係は、此度の強制仮装でそれに扮したプレイヤー間においても有効となる。
無論、モンスター間でのそれと違い、ある程度の誘導性はあれど絶対的な強制力はなく、プレイヤーであれば親個体の命令に背くことなど造作もないはずなのだが……
「ハーちゃん、こっちこっち」
「う゛ぁー」
今のハナにとって、自身の感染源たるミツの言葉に従うことは、何にも勝る幸福だと言えた。
個性的な飾りつけの建物を見かけては駆け寄っていくミツ。
そんな彼女に身も心も引っ張られるようにして、ハナは陶酔の呻き声を上げる。
最愛の人に、自身という存在の全てを支配されている感覚。彼女の身振りに、言葉一つに、自分の魂までもが誘われていくような。
そもそも言ってしまえば、今のゾンビな自分は、ミツによって生み出されたようなものなのだ。
偉大なる創造主。親愛なる感染源。
そんな彼女が、腐り落ちるほどに熟し切った愛情を乗せてこちらに命じてくるのだから、生えてきたばかりの尻尾が勝手に動いてしまうのなんて、最早隠しようがないじゃないか。
髪色と同色の、けれども生前よりも随分とごわついたハナの尻尾が、左側に立つミツの背後へと迫る。
半ば無意識のうちに、けれども腐敗した頭のどこかで熱望しながら、ハナはその尻尾をミツの腰にするりと絡ませた。
「ぁ……」
ミツの右手と絡む左手に代わって、その身体を抱き寄せるような動き。
しゅるしゅると微かな音を立てながら巻き付いてくる長い尾に、ミツはすぐさま妖しげな笑みを浮かべる。
「もぉ、ハーちゃんったら……」
咎めるような言葉尻に、加虐心を覗かせる声音。
耳元で呟かれた甘い言葉に、ハナの心がぞくぞくと震える。
「ごめん……でも、だって……」
謝罪の言葉すらも、蕩け落ちて形にならない。
けれどもそんな、屍人というにも溶解しきったハナの脳髄を、まるで啜るようにして、ミツは小さく言葉を吹き込む。
「だって、なぁに?後ろから、不意打ちみたいに尻尾擦り付けてきて、どうしたいの?」
常よりも掠れたその囁き声はまるで、活動を停止したハナの皮膚細胞一つ一つに沁み込んでいき、絆し、意のままに操ろうとするかのようで。ミツの匙加減一つで全身が容易く泡立たせられる、絶対的な被支配感。
「だって、ミツと……ミツぅ……」
だというのに結局言葉は出てこずに、ハナはミツの肩に頭を擦りつけた。
だってそれが、ハナのしたかったことだから。
もっともっと、際限なくミツにくっ付いて、擦り付けて、甘えて。
「ん~っ、ハーちゃんは甘えん坊さんだねぇ」
ゾンビ化してもなお残る、甘えたな銀色猫の本能が、ボスたるミツの言葉によって呼び起こされる。
猫だから。ゾンビだから。
そんな免罪符が自制心を噛み殺し、ハナは本能の求むるままに動く存在へとなり下がる。
けれどもそれが心地良い。ご主人様が、それを許してくれるのだから。
「よぉしよし、こしょこしょこしょ~」
ミツは上機嫌に、擦り寄ってくる屍猫のあごの下を右手でくすぐった。
指先が軽く触れる程度のソフトタッチ。それは、小さく口に出す擬音と相まって、ハナの心をさらに蕩かせるのには十分な威力を誇っていた。
「にゃぁぁ……」
ついに、にゃーにゃー鳴き出すハナ。
当然ながら、恥じらいなど自制心と共に、とうの昔に死んでいる。
生を捨て人を捨て、死した愛玩動物と化した彼女の挙動全ては、ただ主人への愛情を示すためだけのもの。
尾の先を脇腹にぐりぐりと押し付け、三角の耳はぴくぴくと揺れる。
物欲しげなハナの様子に、左手で尻尾を握りながら、あごに当てていた右手を耳の方へと宛がうミツ。
心地良さげに目を細めながらも、なおも求めるようにして喉を鳴らす子猫ちゃんの様子に、手が三つあったらいいのになぁなどと一瞬本気で考えて、
(――あ、噛み付けばいいのかぁ)
遅ればせながら、ゾンビの本領を思い出す。
「がぶっ」
「にゃぁぁぁぁっ……!」
右手を再び喉元へ、代わりに耳は食んで愛でる。
嬌声めいた鳴き声を上げるハナの様子から、その選択が間違いではなかったことを察し、満足げに笑みを深めるミツであった。
とまあ、かくの如く街中であることなど完全に忘却し――いや、元よりそんなことを気にする二人ではないのだが――乳繰り合う二人の姿が、その後ろを歩くエイトとノーラ、すれ違うプレイヤーたち、更には少し前から密かに彼女たちを付け回していたヘファの心を掴んで離さないことなど、最早言わずとも知れた事実。
エイトは、かくも人世離れした光景にほとんど解脱しかけており。
ノーラもまた、尊みのオーバードーズにより大ダメージを受けていたのだが……彼女の場合はそれに加えて、かくも扇情的(信者基準で)な光景を憎からず想っているフレアと共に間近で眺めるという、さながら気になるあの子と一緒にアダルティなコンテンツを視聴する的な背徳感までをも感じてしまっており。
「――ぁ、もう無理ですこれ」
「え、ちょ、ノーラ!?」
高負荷による強制ログアウトが発動し、彼女の身体は光と消えた。
「アタシも落ちそう(ま、そうなるわよね)」
「誰!?」
友人が突然消え、さらにはいつの間にやら隣に浮かんでいたローブ――半透明な霊魂と化したヘファ――から聞こえてくる聞き知らぬ声に、フレアの脳みそもまた、一瞬でパンクする。
「マジ無理(こんなもの目の前で見せられるこっちの身にもなって欲しいわ)」
「何この人!?」
実は初対面であったヘファの言動はまさに意味不明と言うほかなく、周囲のプレイヤーたちもまた次々に行動不能になっていく最中に表れた、宙に浮かぶ謎のローブなど、今のフレアには死神めいた不気味な存在にしか見えなかった。
「しぬ(これは流石に警告食らいそうよね)」
「怖いぃ!!」
なお、ヘファが霊体となっているのは仮装によるものであり、ゾンビ婦妻のイチャつくさまを見て魂が抜けただとか、そういうわけではないのであしからず。
〈警告:第三者の面前における過度な口唇接触が確認されました。速やかにアクションを中断、或いは第三者の介入が不可能な閉鎖空間へと移動して下さい〉
――と、ヘファの予想通り、過剰接触を検知したシステムから、ハナとミツに対して第一段階の警告がアナウンスされた。
「……あ、警告食らっちゃった」
「ほんとだぁ。ごめんね、そういうわけだからわたしたち、プライベートルームに帰るねー」
自重するといった発想など微塵も浮かんでこない二人は、警告に従い他者の目の届かない愛の巣へと速やかに去っていき。
「……」
「……」
あとに残るは死屍累々の異形の者共と、消えてなくなった友人の残滓。
「……何だよこれぇ!!」
学園都市の道端で、独り残されたフレアの叫びだけが響き渡る。
仮想のセカイで始まった祭りごとの第一夜は、仮装に端を発した狂騒と共に更けていった。
次回更新は9月9日(水)18時を予定しています。
よろしければ是非また読みに来てください。
あと、感想、ブクマ、評価、誤字脱字報告などなど頂けるととても嬉しいです。




