42 V-第十二次『セカイ日時計』簒奪戦 巡る攻防
黙して佇むクロノを守るようにして立ちはだかるハン。
ケイネシスは、彼女へ向かって臆することなく挑みかかっていく。
「よいしょぉっ!」
科学者然とした装いとは裏腹に、彼女が取った戦法は徒手空拳による至近戦。そのことに少しばかり眉をひそめながらも、ハンは両手に握った武骨なコンバットナイフ状の武器で応戦する。
(第一撃、受けるか躱すか……)
接触に至るまでの一瞬、ハンは眼前に迫る右の掌にどう対処したものかと、心の内で僅かばかり逡巡した。
何せ、相手はあのケイネシス・クロクアンタ。
『セカイ日時計《CLOCK》』の開発者であるとか、『混沌の先触れ』だとか以前に、そもそも戦闘におけるスタイルがどういったものなのか、まるで情報がないのである。
それほどまでに、彼女は表舞台――ましてや戦場になど姿を現さなかったのだから、改めて、此度の簒奪戦が特別かつ異常事態であることが窺えよう。
(……結局のところ、効果の程は知っておかなければならない。であれば……)
正体不明ではあれど、緩く開かれたその手がまさかただの掌底などではあるはずがない。
そう考えるハンは、万全な状態である今この時に一撃を受け止め、その掌の内を少しでも暴くことを選択した。
「ッ」
左足を僅かばかり一歩引き、斜め下から弾き上げるようにして、小さな一息と共に左手のナイフを振り抜く。
通常であれば、生身の方が一方的に切り裂かれてしまうであろう状況。
しかしケイネシスは、挑む勢いも小さく浮かべた笑みも絶やさぬまま、構わずその掌をナイフへと押し付けた。
「――ッ!」
武骨な武器とほっそりとした五指。
触れた直後に異変を感じたのは、ハンの方であった。
(これはッ――?)
まるで、接触した掌こそが頑強な鋼であるかのように。
触れたナイフは僅かたりともその肌を傷付けることが出来ず、それどころか押しても引いてもピクリとも動かない。
単なる『鋼化』とも異なる感触、ナイフを動かすことそのものが一切不可能になってしまったという異質な事態に、ハンは瞬間的に一つのことに思い至る。
(もしや……いえ、やはりこれは――)
予想の正誤を問うている暇などない。ほとんど反射的に、自衛本能に基づく行動として、ハンはナイフから左手を離し後ろに飛び退っていた。
「ふーむ……やはり気付かれてしまうものなのかな」
顔面を鷲掴みにしようと伸ばした左の手が空を掴んだ感触に、ケイネシスは小さく首を傾げる。その右手には、握られず、されど完全に固定され張り付けられたコンバットナイフが。
「……貴女の功績を知っていれば、初撃を受けた時点で思い至ることかと」
「成程。有名過ぎるのも考え物、というやつだね」
カラン、というナイフが地に落ちた音と共に開閉される右の手は、一見何の変哲もない褐色の柔肌のように見える。
しかしてその恐ろしさの片鱗を味わったハンには、さながらそれが獲物を求める悪魔の指先のようにも思えていた。
(時間操作……実戦投入される可能性を考慮しておいて正解でしたね)
触れた瞬間の、どうあっても微動だにしないのだと悟らされる感覚、勝機と輝いたケイネシスの瞳、そして彼女のこのセカイにおける功績から、その手が時間を掌握したものであることは、最早疑いようがなかった。
いまだかつてケイネシス以外の誰一人として成し得なかった、[HELLO WORLD]における『時間』という概念への干渉。それを彼女は、手のひらサイズにまで収める事に成功していたのである。
(効果のほど、もう少し見定める必要がありますね……)
「――ハァッ!」
しかし勿論、ハンはただ一度で臆するような女ではない。
ストレージから失ったコンバットナイフを補充すると同時、彼女は空いた間合いを一瞬にして詰め、武骨な斬撃をケイネシスへと浴びせかける。
「うわ、危ないなぁっ」
慌てたように言うケイネシス、しかし言葉とは裏腹に、ハンの一撃は彼女の首筋へと触れた瞬間に、ぴたりと停止していた。
それを意に介さず、またしても右手のナイフを手放しながら逆の手を心臓へ――けれどもそれも、切っ先が触れた瞬間に不動のオブジェクトと化す。
「ちょ、うわぁ、怖ぁ!」
二本目のナイフがケイネシスの時に囚われてしまった頃には既に、ハンの右手には新たなナイフが握られており。眼球を抉り取ろうとしたその刃先が、アメジストの瞳の0センチ手前で停止してしまうことなどとうに分かり切っていたハンは、左手に持ち直した5本目のナイフで顎下から口蓋を――無論、貫くことなど出来はしなかった。
「容赦ないねぇ……ワタシ、殺されるのには慣れていなんだけど」
表情を引きつらせながら漏らすケイネシスのその言葉は、まごうことなき事実ではあったものの……一連の攻撃を全て受け止められたハンからしてみれば、自らの強さを誇示しているようにしか聞こえなかった。
「そのような能力を有しているとなれば、当然のことでしょう」
体に突き立ち、けれども一切の害をなしていない4本のナイフがぽろぽろと落ちていく様に虚しさを覚えながら、ハンはそう返す。
頸動脈、心臓、眼球、口蓋。
一通り人体の弱点を狙ってはみたものの、その全てがケイネシスの支配する『時間』によって守られていて。
(手のひらも含めて身体の大部分……少なくとも、クリティカルが狙える主要部位は全て保護されていると考えて良いでしょうね)
現実的に見積もってそう考えざるを得ない状況に、ハンも内心で苦笑いせずにはいられなかった。
(前例の無い、恐ろしい能力ではありますが……)
しかし、ハンは知っている。
このセカイに、絶対の権能など存在しないことを。
威力や慣性への干渉程度では収まらない、時間そのものの停止。
それは特異にして強力――であれば当然。
(その分、制約も大きいはず……!)
まるで先の繰り返しのように、両の手に量産品を呼び出しながら、ハンは再び眼前の白衣へと切り掛かる。
腹部、腿、二の腕、脇腹、頬、指先、鼻、鳩尾。
絶え間なく繰り出される刺突や斬撃は、不可視の概念によって須らく阻まれはするものの……しかして一方で、どこか場慣れしていないような挙動から繰り出されるケイネシスの反撃も、その悉くが躱され、或いは使い捨てのナイフによって受け止められ、一度たりともハンへのダメージには繋がらない。
他のメンバーが敵味方入り乱れ死闘を繰り広げる中、ハンとケイネシスはどちらも、インファイトの最中、未だ無傷を保っていて。けれどもどちらとも、その手を決して緩めることは無い。
ハンは考える。
勝機はある。
守るべき少女が望む結末は、決して手が届かないものでは無い。
(そも、彼女は研究者であって……生粋のゲーマーという訳ではない!)
飄々とした言動、自信に満ち溢れた立ち振る舞い、『知勇の両天秤』陣営への影響力。
そういった諸々から勘違いしてしまいがちだが、ケイネシス自身のゲーム内における戦闘力はそう高いものではないことは、ここまでの攻防で見え透いてしまっていて。
(攻防一体の時間停止……ありがちな代償といえば、SPの消費量などでしょうか……)
万能にも思える能力の弱点を類推しながらハンは、『時間の管理者』の攻略は決して不可能ではないと判断する。
「むぅ……やはりアバターを動かすというのは、どうにも難しいものだね……!」
ケイネシスの方も、自身が決して絶対の存在ではないことを認めながら、それでもなお、時間をも掌握したその手を伸ばすことを止めない。
届きさえすれば。触れさえすれば。
ほんの数秒、相手の『時間』に干渉することさえ出来れば。
戦場には不相応なこの身でも、一縷の望みを手繰り寄せることが出来るのに。
ともすれば縋るようですらある想いを不敵な笑みで覆い隠しながら。
ケイネシス・クロクアンタは、手を伸ばすことを止めない。
なぜなら、そこにいるのだから。
まるで一目惚れのように、鮮烈に脳髄に焼き付けられた少女が。
手を伸ばせば届きそうなほど近くに、佇んでいるのだから。
振りかざされた刃をせき止め。
乞い伸ばされた異能を払い落とす。
望みを果たすべく、その手は幾度となくぶつかり合う。
次回更新は3月7日(土)を予定しています。
よろしければ是非また読みに来てください。
あと、感想、ブクマ、評価、誤字脱字報告などなど頂けるととても嬉しいです。




