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「私は側妃を娶るつもりはないけどね」


 十八歳になったフレデリック様が颯爽と入ってきます。四年前の結婚式の日のように。

 彼の乱入を止められなかったエリスが、後ろから申し訳なさそうに顔を出しました。


 フレデリック様は私より頭ひとつ背が高くなり、並外れて男らしく、雄々しい青年に成長しました。いまや彼は、世界中の淑女が最も嫁ぎたいと望む男性です。

 この日のために誂えられた豪奢な衣装はぴったりと体に合い、広い肩と厚い胸板を強調しています。腰にきらめくサーベルも、宝石をあしらった冠も、儀式用のマントも壮麗で男らしく、類まれな美貌を引き立てています。


 私は椅子に座ったまま、夫となる人の顔を見上げました。


「何しろ四歳も年上の、前代未聞の年増王太子妃ですもの。反対派を黙らせるためにも若い側妃を娶るべきかと」

「イブリンならねじ伏せられるよ」


 フレデリック様がにっこり笑います。かつては天使のようだった顔が、今は恐ろしい悪魔に見えます。

 フレデリック様が椅子の横でひざまずき、私の顔をじっと見つめてきます。


「私はイブリンに自分のすべてを捧げる。君も私にすべてを差し出してほしい。凍り付いた心ごと」

「…………」

「イブリンが愛を信じられないのは知っている。それでも私は君を愛し続けるよ。いつか君が、私を愛してくれることを心から願い、祈りながら生きていく」

「…………」

「私は君と同じく頑固で、自分の信念を曲げないタイプだからね。誰であれ、私の心を翻させることはできない。愛しているよ、イブリン」


 フレデリック様は私の左手を両手で包み、自分の胸の前で握りました。

 この四年間、フレデリック様は毎日のように私に愛を囁いてくれました。けれど私はそれを信じられません。私の心は永遠に凍ったまま。


 五歳で婚約し、十八歳になるまでよそ見もせず育った私は、恋をしたことがありません。バーナード様と結婚すれば愛を育めるのではないかと期待しておりましたが、結局、愛だけに頼るなんて愚かだということを知りました。


『あなたは最初の時点から愛されていなかったの』


 四年前にアーティの耳元で囁いたあの言葉は、己に向けて発した言葉でもあったのです。


「……報告書を読んでしまわないと」


 私ははぐらかすように言い、腿の上に置いたままの報告書に目を落としました。

 フレデリック様を愛せるようになるかはわからない。多分一生愛せない──そんな言葉を口に出すわけにはいきません。

 フレデリック様が「ああ」と私の左手を離します。彼が立ち上がる気配を感じながら、私はバーナード様廃嫡について書かれた報告書を頭から読み直しました。

 そこに並んでいるのは美しい文字です。初めて見るはずなのに、どこか懐かしい。


「これは……」


 報告書の末尾、私の右手でずっと隠れていた部分に『アーティ・テイラー』とサインが入っています。

 私の手元を覗き込んだレイクンが「へえ」と感嘆の声を上げました。


「これって、アーティの字だったのか。随分と上達したね」

「ええ……」

 綴じられた紙は、まだ何枚か残っています。私は急いでページをめくりました。



 《親愛なるイブリン様へ》

 

 突然このような手紙を差し上げることをお許しください。


 四年前の私は、稀に見る身の程知らずでした。

 無謀で無分別で貪欲な娘でした。

 自分だけの空想の世界にひたって、玉の輿を夢見てはうっとりしている愚か者でした。

 あまりに幼くて未熟だった己を思い出すと、恥ずかしいやら申し訳ないやら……。


 貴族の常識どころか、一般常識からもこれ以上ないほどかけ離れている私を教育しなければならなかった、イブリン様のご苦労はいかばかりだったかと思い至らされます。

 愚直にも愛があればすべて乗り越えられると思っていた私は、四年前の結婚式の日に絶望のどん底へ突き落とされました。

 その瞬間に思い知ったのです。私とバーナード様が、どれほどイブリン様を傷つけ、誇りを踏みにじってしまったのか。いかに屈辱的な扱いをしたのか。

 私は何と浅はかで不誠実で、身勝手な人間だったのでしょう。数々の罪をどれだけ悔やんでも、もはや時を戻すことはできません。


 謝罪しても到底謝罪しきれない罪だとわかっています。こうして手紙を書いていても途方に暮れるばかり、うなだれるばかりです。

 許してほしいなどとは決して言いません。けれど謝らせてください。

 イブリン様、ごめんなさい。本当に申し訳ありませんでした。心からお詫び申し上げます。


 婚約者を誘惑した平民のためにイブリン様がどんなに力を尽くしてくれたか、いまの私は知っています。

 すべてが取り返しのつかないところまで来ていて、命が風前の灯火だったのに、欠片も気づかなかった私は本当に馬鹿でした。

 でもイブリン様だけが、私と娘を救うためにあれこれ考えてくださった。

 バーナード様以外の人間にとって最善の解決策を講じて、三か月でやり遂げたのがどれほど凄いことか、考えるだけで体が震えます。


 バーナード様はこの四年、その地位に伴う責任すら果たしませんでした。

 何であれ悪いのは私だと非難されながら、夫婦として向き合ってきましたが、ついに更生させることが叶わなかったのです。不甲斐なく思います。

 けれど彼の悪行で傷つく被害者を増やすことだけは防げました。

 イブリン様はよくやったと褒めてくださるでしょうか。そうであればどんなに嬉しいことでしょう。


 結婚で幸せを得ることはできませんでしたが、私はイブリン様から教わったことを思い出し、領地の人々を幸せにするために生きてきました。

 私が意見を言うと、領地の人々は必ず耳を傾けてくれます。誰ひとりとして私をあざ笑ったり、馬鹿にしたりする人はいません。

 私が生まれ変わることができたのは、イブリン様が知識という何物にも代えがたい財産と、一歩ずつ前に進む強さを与えてくださったからです。


 イブリン様、本当にありがとうございます。

 私は娘のシェイラを立派に育て、テイラー公爵家を継ぐエドモンド様と婚約者様を支え、領地の人々と一緒に笑い、泣き、喜びを分け合いながら日々を生きていきます。


 最後にイブリン様、ご結婚おめでとうございます。世界で一番幸せな女性になってください。

 私が願わなくても、きっとなれるに違いありませんね。だって、イブリン様に勝てる女性なんてどこにもいませんもの。

  

 ずっとずっと、あなたを尊敬しています。

 アーティ




 手紙を読み終えた私は、数十秒の間呆然としてしまいました。

 末尾のサインを見れば、アーティが『アーティ・テイラー』ではなくただの『アーティ』として書いた手紙であることがわかります。


「あの子ったら……」


 ようやく口を開きましたが、続く言葉は喉に詰まって出てきません。


(私たちは確かに固い絆で結ばれていた。友情に近いものが……あった)


 どん底へ突き落とし、落とし返した、私とアーティのような関係性の女二人の心が繋がるというのも、奇妙な話ではありますが。


(私は人を愛することに向いていないんじゃない。怖かっただけ。自信がなかっただけ。覚悟ができていなかっただけ──まさか、アーティに気づかされるなんて)


 私はふふっと微笑みました。

 男性を愛するという、私の心の中で最も凍てついてしまった部分が、少しずつ解けていくのを感じます。


「フレデリック様、前言撤回してもよろしいですか」

「え?」


「若い側妃を娶るべきだと申し上げたことです」

「ええ?」


「私はどんなことであれ最大限の努力を払う人間のはずなのに、フレデリック様にはまだ全力でぶつかっていませんでした。アーティを教育したのと同じくらいの情熱をもって、あなた様に向き合ってもよろしいですか?」

「も、もちろんだよ!」


 フレデリック様がぱあっと顔を輝かせます。


「私が結婚したいのはイブリンだけだ。君じゃなきゃ駄目なんだ。なんたって初恋の人だよ、君なしでは生きていけない、一生大切にする、愛してもらえるよう頑張るからっ!!」


 フレデリック様が中腰になって私の肩を掴みます。


「そう長い間お待たせしなくて済むと思います。今はまだ心が凍っていますが……不思議とそう思えるんです」


 私は腿の上の手紙に視線を落とし、またフレデリック様を見上げました。

 レイクンが微笑を浮かべ、肩をすくめます。


「まあ、この四年でイブリンが非友好的な貴族グループを潰しちゃったし。側妃になろうっていう勇気ある娘なんか、いるわけないよ」


 確かにレイクンの言う通りです。

 この四年間、私も無為に過ごしていたわけではありません。前代未聞の年増婚約者として王太子妃教育を受けつつ、不利な状況と戦っていたのです。

 娘を王太子妃にしたがっていた貴族たちからは恨まれましたが、前例を打ち破る人間は強くあらねばなりませんし、これまで味わった苦しみに比べれば何でもありませんでした。


「あの、そろそろお時間です」

 時計を確認したエリスが、申し訳なさそうに声をかけてきます。


「さあイブリン、今から結婚式だ!」


 フレデリック様が私をエスコートして立たせます。

 私はアーティからの手紙をウエディングドレスのポケットにしまいました。


「早く行こう、一分一秒でも早く夫婦になりたい!」

「急いでも開始時間は変わりませんわ」


 私は苦笑しました。

 フレデリック様に右手を引かれて廊下を歩きながら、私は左手を胸に当てました。


(そうねアーティ、私は世の淑女のお手本。夫を愛することも、ちゃんとしたお手本を見せなければね)


 次の瞬間──耳元でアーティの声が聞こえた気がしました。


(そうです、イブリン様は私の理想像なんですから!)


 私たちが再び会える日は、過ちも苦しみも憎しみも悲しみも、全てが遠い過去のことになった後のことでしょう。

 歴代最高の王太子妃、並ぶ者なき王妃は、中途半端な気持ちではなれません。センチメンタルに浸っている場合ではないのです。


「誓いを立てたら、君は私の妻イブリン・カークレイだ。とてもいい響きだな」

「私の夫フレデリック・カークレイ様。まだまだ先は長いけれど、よろしくお願いします」


 私はこれから自分らしく生きていくでしょう。

 人生が続く限り、アーティに対して恥ずかしい生き方はしないでしょう。

 未来に何が待ち受けているかはわかりませんが、あの三か月を乗り越えた私なら、どんなことにも勇気をもって立ち向かえるはずです。

 私はアーティを忘れない。アーティは私を忘れない。

 お互いにあの日々を忘れない。いつまでも。

 あの試練を乗り越えたからこそ今があるのだから。


「二人はいつまでも幸せに暮らしましたというおとぎ話を、現実にしようじゃないか」

「私の負けん気に火が付きますね。私はもう、不可能だと諦めたりはしません。人生のすべてをかけて、明るい未来を切り開いて見せますわ」


 フレデリック様が愛情にあふれた目で私を見ます。

 私もフレデリック様を見て微笑みました。


 私は最後にもう一度、心の中でアーティに呼びかけました。


(アーティ。私は過去に汚されることのない私らしい人生を歩いて、心を輝きで満たすわ。そしてミルバーン公爵家の娘として、どこまでも誇り高く生きていく)

(はい、イブリン様!)


 心に、頭に、魂に聞こえたアーティの声に背中を押され──私は新しい人生へと続く道を、フレデリック様と共に軽快に歩き始めました。



これにて完結です。

読了の証に評価いただけると心から嬉しく、励みになります。


同名の中編のテーマは『復讐』でしたが、『復讐を超えた救済』をテーマに新たに書き直したものが本作です。

またマンガBang、コミックシーモア様(先行)、各電子書籍サイト様にてコミカライズ配信中で、それぞれ楽しんでいただけたら嬉しいです。

最後までお読みいただき、本当に本当にありがとうございました!



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― 新着の感想 ―
まさか長編が出るとは!! 中編が大好きで時間を空けて何度か読み返していたら長編が出ていてたまげました。 中編時の時より深掘りされた地獄の3ヶ月の下りも非常に面白く、時々出てくる王太子がクセになる感じ…
すごい、すごいです。 イブリンとアーティ。2人のドラマがすごい。 結婚式3ヶ月前のイブリンをどん底に突き落としたアーティが、結果的にイブリンの幸せを後押ししているのが、最後の最後に泣かせてくれるんです…
素晴らしいです。イブリンとアーティ。交わることのなかったはずの2人の運命が不思議な形を取りながら、最後は暖かく魂が繋がったような。「復讐を超えた救済」素晴らしいテーマを読ませていただきました。ありがと…
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