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「私とて、八大公爵家の嫡男が『続けざまに平民の娘に手を出すような愚か者』だとは思いたくはなかった。だからこの三か月、テストをするつもりでお前を監視していた。まったく気が付かなかっただろう? 監視役にはその道のプロを選んだからな」
「まさか……王家の諜報機関……?」
「お前が弄んだ娘たちは、すべて保護した。王都の民を殺されるわけにはいかないのでね。お前もテイラー公爵も、都合が悪くなれば即『始末する』と言うからな。娘たちを慰めるための金は、もちろんテイラー公爵家に出してもらう」
「…………」
バーナード様の顔に朱が差し、汗のしずくが額に浮かびます。
私の脳裏に、テイラー公爵夫妻に条件を突きつけた日のことが思い浮かびました。
『アーティという娘はすぐに始末しよう。平民ならば何の支障もありはしない!』
翌日、アーティが我が家にやってきた日のことも。
『お前の首がまだ繋がっているのは、ここにいるイブリン嬢の恩情だということをゆめゆめ忘れるでないぞ、娘』
そしてバーナード様のさっきの言葉。
『生かしておくと火種になるからね。アーティも腹の子も、速やかに始末する』
やはり似たもの親子ですわね。テイラー公爵の行動や思考から、バーナード様もそう言うのではないかと思ってはおりました。
「いくら八大公爵家とはいえ、王都の民に手出しをすることは許されない。生殺与奪の権利は最初からお前のものではないのだ。増長しすぎたな、バーナード」
「……うぅ……」
フレデリック様の言葉に、バーナード様が顔を赤らめます。
「お前には『平民の娘に手を出すならば、ここまでする覚悟を持て』という生きた手本になって貰う。アーティの玉の輿は伝説となり、平民たちの間に溜まった不満のいいガス抜きになるだろう。到底真似できないシンデレラストーリーの片割れ、真実の愛を貫くヒーローというのが、お前の最後の役目だ」
「さ、最後の役目……」
「テイラー公爵夫妻はまだ、長男であるお前に期待しているようだが。私は次男のエドモンドを側近にして鍛えるつもりだ。これがどういう意味か、わかるな?」
「……私を廃嫡させる気で……」
「そうだ。だが平民たちが熱狂している間は、お前を利用させてもらう。最後の役目に忠実である限り、首の皮一枚繋がる余地がある。せいぜい頑張ることだ」
「…………」
バーナード様は両手を床につき、うなだれてしまいました。
フレデリック様が私を見てうなずきます。言わなくてはいけないことは全部言ったという合図です。
私はすっと前に進み出て、フレデリック様の横に並びました。そしてバーナード様を見下ろします。
「次男のエドモンド様が成人するまで四年もあります。挽回することは難しいでしょうが、アーティと手を取り合って努力なさればよろしいかと。この私が三か月仕込んで、淑女の端くれにはなりましたわ。嘘っぱちかどうかは、これからゆっくりご自分の目で確かめてください」
私はにっこり微笑みました。きっと、これまでで一番美しい笑みになっていることでしょう。
「なぜ、私がここまでやったかわかりますか?」
「…………」
バーナード様は無言のまま、小さく首を横に振ります。
「あなたは私が『淑女に尊敬されている』とおっしゃいましたわね? その通り、私は若い淑女の手本です。その私が『平民の愛人』を許したとなれば、他の令嬢も許さざるを得ない──正直申しまして、まっぴらごめんですわ」
ふふ、と声を出して笑いながら、私は言葉を続けました。
「バーナード様、あなたはもう浮気はできません。五人の義父が後見しているアーティと離婚することもできません。犬小屋の前に鎖でつながれた犬も同然なんですよ」
「それが君の……復讐なのか……?」
バーナード様は食いしばった歯の隙間から声を漏らしました。
「それも目的のひとつであることは、火を見るよりも明らかですね。だって私は、あなたから酷い扱いを受けましたから」
私は身を屈めて、バーナード様の顔を覗き込みます。
「あなたはこの私を、女としての価値はないとみなし、お飾りの妻にして知識や才能だけを利用しようとした。十三年も婚約していたんですよ? あなたをすごくすごくすごくすごく憎むのは当然でしょう?」
バーナード様は気圧されたように首をすくめます。
「浮気をされた女は、婚約者より浮気相手を憎むものじゃないのか……?」
バーナード様の言葉に、私は目をすがめました。
「もちろん、アーティに対する怒りも募っていましたわ。でも、諸悪の根源はあなたです」
私はきっぱり言いました。
「アーティに誘惑された瞬間、あなたはこう言うべきだった。『君と私とでは住む世界が違う』と。上に立つ者には下の者を諭す義務があります。私は自分の婚約者の愚かさに、とことんうんざりしました」
「…………」
「王家の信用と権威を守ることも、八大公爵家の義務。浮気が発覚したのは結婚式の三か月前で、あなたは私に選択の余地がないと踏んだ。世界中から賓客が集まる結婚式を取りやめにしたら、面目を失うのは私たちだけではなく王家もですからね」
私はバーナード様をしっかりと見つめました。
「あなたはずっと『イブリンより自分の方が上だ』と己に言い聞かせていらした。だから見過ごしてしまったんです。私が安易な道を決して選ばない女であることをね」
「不可能を現実にして……アーティを自らの身を守る盾にしたのか……?」
「ええ。いっぱしの淑女にするために、どんなに苦労したことか。でも自由になるために、必死に頑張りました。あなたのようなクズ中のクズの妻になるのは拷問にも等しいですから」
私は笑顔でそう言って、姿勢を元に戻しました。
小馬鹿にされたバーナード様の頬に血が上ります。
「偉そうに言ったところで、お前も無傷ではいられないんだぞ! 私の妻の座をアーティに譲ったところで、女は一度ケチがつくと取り返しがつかない。それでなくともお前には、私以外に年齢と身分が釣り合う相手がいなかった。傷物でもいいと言ってくれる格下の男がいたとして、それはお前のプライドが許さないだろう!」
バーナード様はあざけるように口元を歪めました。
「お前は残りの人生を、ひとり寂しく過ごすしかない!」
バーナード様がにやりと笑います。
私はにこりと微笑みを返しました。
「ご心配なく。私は王太子妃になりますから」
「は?」
バーナード様がぽかんと口を開けます。数拍置いて、彼は肩を揺らして笑い始めました。
「何を言い出すのかと思ったら、王太子妃とは!」
すっかり開き直ったのか、バーナード様は「あっはっは」とことさら愉快そうに笑っています。
「王太子様がお前を気に入っていることは、私も感じ取っていた。だがそれは弟が姉を慕うようなもの。お前が自分から王太子妃の座を望むのはお門違いも甚だしい。四歳も年上の年増女なんだぞ? 妄言もここに極まれりだ!」
私の『妄言』はよほど甘美な味がするらしく、バーナード様は生気を取り戻したようです。
「頭がどうにかなったようだな、イブリン。これが復讐に取りつかれた女の末路か。王太子様も、さぞかし戸惑われたことでしょう」
くっくっと笑いながら、バーナード様はフレデリック様へと向けました。これを機に名誉を挽回したいとでも思ったのかもしれません。
「……王太子様?」
バーナード様が首をかしげます。
私はフレデリック様の、すっかり位置が高くなった顔を見上げました。頬が桃色に染まり、目も潤んでいます。
「プロポーズの言葉、まだ言っていないけれど……本当に、私と結婚してくれるのか……?」
「はい。私がこうあるべきだと考えている為政者像と、フレデリック様のそれが同じであることがわかりましたから」
私は「それに」と言葉を続けます。
「この男に、勝ち組になったところを見せつけてやりたくなりました」
私は再びバーナード様を見下ろしました。
「お生憎様ですけれど、前代未聞の年増王太子妃誕生の根回しは済んでおりますの。あなたは残りの人生を、私の格下として過ごすしかない」
私はあざけるような笑みを浮かべて見せました。
「せいぜい、逆境から自力で這い出せるよう努力なさってください。懲りずに不幸をまき散らすなら、何度でも思い知らせてやりましょう」
私は身をかがめて、バーナード様の顔を覗き込みます。
「あなたの生殺与奪の権は、私の手の中にある。王家には八大公爵家を処分する権利がありますからね」
「……う……あぁ……」
「まずは結婚式をつつがなく終わらせてください。賓客の前で醜態を晒したら、挽回のチャンスが潰えますよ?」
「……あぁ……」
それは返事だったのか、絶望のうめきだったのか、バーナード様はがっくりと肩を落とします。
「もうひとつ願いが叶ったわ。この男を完膚なきまでに叩き潰すというね」
私は姿勢を正し、体ごとアーティに向き直りました。
「これからはアーティ、あなたがこの男の手綱を握りなさい」
「はい、お義姉様」
「この男が何をわめこうとも、つまらない雑音として聞き流しなさい」
「はい、お義姉様」
「この男がよからぬことを企てたら、どんなことをしてでも止めなさい」
「はい、お義姉様。心血を捧げていく所存でございます」
「き、気持ち悪い……っ! やめてくれ、アーティ! 私の知っている無邪気で可愛い君に戻ってくれっ!!」
バーナード様が必死の面持ちで叫びます。『自分にはもうアーティしかいない』ということを痛感したのでしょう。
「お言葉ですがバーナード様、今の私はミルバーン公爵家の養女でございます」
アーティの声も表情も、凪いだ水面のように静かです。異様なほど冷静で、まったく感情に動かされていません。
かつての私のように──アーティとバーナード様の逢引きを目撃した日の私のように──意志の力で感情を抑え込んでいるのでしょう。心の穴に蓋をして、その上にいくつもの重石を積み重ねて。
「もう、何も知らなかった頃には戻れません」
アーティは全く感情のこもらない声で言いました。
かつては個人的感情、好悪などを一切隠さなかったアーティ。天真爛漫だった平民の娘は、もうどこにもいない。
バーナード様の顔が、恐怖と絶望に歪みます。
「アーティ、もうバーナード様の愛を信じてはいないわね?」
「はい、お義姉様」
「けれどあなたとバーナード様は、どうあっても離れられない」
「はい、お義姉様」
「これはあなたに対する究極の復讐よ。そして復讐を超えた救済でもある。あなたとお腹の赤ちゃんの命を救ったのは、この私なのだから」
「はい、お義姉様」
「二人でいつまでも『幸せに』暮らし『おとぎ話』の体現者になりなさい。貴族と平民の架け橋として」
「はい、お義姉様。バーナード様と永遠に寄り添って生きることを誓います」
「うわああああああああ!!」
バーナード様が頭を抱えて絶叫します。まさに醜悪の極みです。
アーティの片方の目から、一筋の涙が頬に伝わり落ちました。
私はゆっくり微笑みます。出来の悪い弟子を見るように。
真珠のような涙の粒が床に落ちた次の瞬間、アーティはもうあるべき姿に戻っていました。一切の感情を表に出さない、淑女の中の淑女に。
「さあ、そろそろ花婿と花嫁を二人きりにしてあげましょう。積もる話もあるでしょうし」
私はフレデリック様に向かって言いました。
「もういいの? 話し忘れたことは無い?」
「そうですわね、それでは最後に……」
フレデリック様の言葉に、私はアーティとバーナード様の方に視線を戻しました。
「テイラー公爵家嫡男バーナード様、ミルバーン公爵家養女にして私の義妹アーティ。この度はご結婚、まことにおめでとうございます」
私は堂々たる淑女の礼をしました。そしてフレデリック様に肩を抱かれ、花嫁の控室を後にしました。




