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「何がどうなっているんだ……?」

 バーナード様が呆然とつぶやきます。


「動いたり喋ったりしないでくださいと、お願いしたでしょう?」

 私はバーナード様に流し目をくれ、小さく肩をすくめました。


「あ……」

 バーナード様がさっと青ざめます。そう、彼は首元に短剣を突きつけられたままなのです。


 私のためなら汚れ仕事も辞さないテッドから恐ろしく濃い殺気が漏れ出し、バーナード様は完全に震えあがっています。

 私は小馬鹿にしたような笑みを浮かべました。

 

「無様だこと。テッド、バーナード様を解放して差し上げて」

「はい」


 テッドがナイフをしまいます。 

 バーナード様は糸が切れた人形のように、床に座り込みました。

 彼は喘ぐように深呼吸して、震える手で顔を覆います。そして指の隙間からアーティを見ました。


「わけが……わからない。その立ち姿も、さっきの話し方も……まるで……まるでイブリンの複製じゃないか」

「ええ。これならばミルバーン公爵家の養女として恥ずかしくないでしょう?」


 私はにっこり微笑みました。


「アーティが、ミルバーン家の養女……?」


 そうつぶやいたバーナード様は、一拍置いて「ははっ」と小さな笑い声を漏らします。


「はははっ! わかったぞ、二人して私をからかっているんだなっ!? 平民が一足飛びに公爵令嬢になっただなんて、荒唐無稽すぎるぞ!」


 大口を開けて、肩を揺らして笑うバーナード様を、私は絶対零度の眼差しで見下ろします。

 アーティも私と同じように、冷たい目でバーナード様を見ています。彼女の場合は、生気がないといったほうが正しいかもしれませんが。

 まるで合わせ鏡のような私たちを見て、バーナード様の笑い声がだんだん小さく、かぼそくなっていきます。


「は、はは、は……。まさか、本当に……?」

 バーナード様は再び手で顔を覆いました。


「いや、そんな馬鹿な……でも、あの喋り方、あの振る舞いは、確かに一流の淑女……」

 バーナード様は指の隙間から、今度は私を見ました。


「エリス、例の物を」

 私が言うと、衝立の向こうからエリスが現れます。私は彼女から革製のバインダーを受け取りました。


「詳細はこちらに記してありますわ」

 私はバインダーを、まるで犬にでもくれてやるようにバーナード様の前に投げました。


「なっ!」

 バーナード様の顔が、屈辱に赤く染まります。しかし彼が抗議の声を上げるよりも早く、テッドが動きました。

 今度は目の前にナイフを突きつけられ、バーナード様は「ひっ!」と声を上げます。彼は後ろに手をついて、怯える小動物のように後ずさりしました。


 エリスが前に進み出て、バインダーをつま先で蹴ります。

「早くお読みくださいな」


 エリスは恨みを込めた目でバーナード様を睨みつけます。

 己の目の前に滑ってきたバインダーを、バーナード様が震える手で持ち上げ、開きました。

 バインダーに挟んだ紙には、この三か月のことが詳細かつ簡潔に記されています。


 まず、アーティに愛人教育ではなく、貴族の養女となるに足る教育を施したこと。

「厳選抜粋した淑女教育? イブリンが生きた手本となって? 三か月で習得したというのか? 馬鹿な……アーティの頭の中は空っぽに近かったはずだ……」

 『耳で覚える勉強法』と『視覚に訴える授業』のことは伏せてあります。これは私だけの手札、誰かに真似をされては困りますからね。


 次に記されているのは、養父となって下った方々のお名前。

「ウォーレン男爵、ブレント子爵……ジェンセン伯爵まで……。まさか、あのハービソン侯爵が……?」


 半信半疑という風だったバーナード様の顔が、次に記された費用の一覧を読むうちに汗まみれになりました。

 ・義父の皆様への謝礼金

 これは莫大な金額になります。なにしろ男爵家から侯爵家まで四つの家に謝礼が必要でしたしね。もちろん、我がミルバーン家も謝礼を頂きました。

 ・アーティの生活費

 ・教材や体験学習にかかった費用

 ・衣装代、宝石代

 これらは目玉が飛び出るような金額です。

 ・取り巻きの令嬢たちや親戚筋の青年らへの礼金

 ・先生方、総侍女長シェンダら侍女への特別給与

 それらに加えて

 ・アーティの嫁入り道具代

 ・私の嫁入り道具代の補填

 ・ミルバーン公爵家がアーティに持たせる持参金の補填


 持参金は貴族社会のマナーですから、我が家は養女であるアーティにかなりの財産を分与しなければなりません。その補填として、テイラー公爵領地の一部を譲渡していただくことになりました。

 八大公爵家の中でも、ミルバーン公爵家とテイラー公爵家はどちらも一・二を争う権勢を誇る家柄。しかし三か月という短期間で、テイラー公爵家の財力は大幅に弱くなったと言っていいでしょう。


「平民を養女にするために、これほどの大金を出すなんて……うちの両親が納得するわけが……」

 バーナード様が呆然とつぶやきます。


「あら、テイラー公爵様は快く出してくださいましたわ。生まれてくる孫に贈る愛情たっぷりのプレゼントです。それに、バーナード様とアーティが家を盛り立てていくことを期待していらっしゃるようですね。財産の目減りは一時的なもの、回復はそう難しくないだろうと」


 バーナード様が私を睨みつけます。抜け出してその辺を彷徨っていた魂が戻ってきたかのように、瞳に怒りの炎が燃えています。


「ば、馬糞係だったアーティに、たった三か月でありとあらゆる知識を詰め込んだんなんて、嘘っぱちに決まっているっ! どう考えても不可能だっ!!」

 テッドが突きつけるナイフの恐怖も忘れて、バーナード様が叫びました。


「アーティを各家の養女にするために、お前が裏で手を回して、ここに書いてある以上の金を積んだんだろう? 平民の娘をうわべだけ金ピカにして、あらかじめ決まった台詞だけ練習させて、私の両親を騙したんだ! 私への腹いせのためにっ!!」

 バーナード様は唾を飛ばしてまくしたてます。

「平民を養女に迎えて、笑い者になるのはミルバーン家の方なんだぞ。イブリン、お前だって義妹に婚約者を取られたなどという醜聞にまみれることになる! たかが結婚前に平民を孕ませた程度のことで──」


「たかがなどと言って貰っては困るんだよ、バーナード」


 バーナード様が声のした方向に顔を向けます。

 続き部屋の扉から、フレデリック様が颯爽と入ってきました。


 私とアーティは、同時に膝を折ってお辞儀をしました。同じ姿勢、同じ角度、同じ表情。まさしく生き写しです。


 エリスや取り巻きの令嬢たちもお辞儀をし、テッドがナイフを収めて頭を下げます。

 バーナード様はぎょっとしたように目を剥いています。

 そんな彼の前まで、フレデリック様は悠然と歩を進めました。


「あ……あ……」

 バーナード様が無様に口をパクパクさせています。フレデリック様の怒りのオーラを目にして、完全に委縮しているようです。


「お前はテイラー公爵家の嫡男だ。八大公爵家は王家の手足、貴族にとっては手本となるべき存在。貴族の未亡人ならいざ知らず、十七歳の無垢な平民の娘を孕ませるなど紳士の風上にも置けない。おまけに、それを正妻が容認したらどうなる? お前同様頭の足りない貴族の若者が、同じことをしでかすに決まっているだろうが」


 フレデリック様が低く厳かな声で言いました。

 彼はこの三か月で十センチ近く身長が伸び、少年らしい体型が青年のそれに変わっています。甘さが消えて締まった顔立ちは誇り高く、次期国王としていずれ頭に戴くことになる王冠の幻が見えるようです。


「お前が弄んだアーティは王都の民だ。王都は王家の縄張り。国王である父上は激怒しているよ。もちろん私もだが」


 フレデリック様の体からは、怒りのオーラが火花のように飛び散っています。


「それに、貴族が無垢な乙女を弄べば、平民どもに反乱のきっかけを与えかねない。ごく限られた人間による支配を続けるために、平民には程よく無知なままでいてもらわねばならないというのに」

「う……あ……」


「王族も貴族も、ひと握りの特権階級だ。贅沢な暮らしを享受している。だからこそ、果たすべき特別な義務がある。それは先人たちから受け継がれた誇りと責任、名誉や栄光を汚さないということだ」

「わ、私は別に……テイラー公爵家の名に泥を塗ってはいません。結婚前の女遊びは、王侯貴族の間では少しも珍しいことじゃない」


 バーナード様が勇気を振り絞るように反論しました。

 フレデリック様の紫色の瞳から、氷柱のように冷たく鋭い視線が放たれます。


「確かに、多くの紳士には愛人がいる。だがそれは貴族の未亡人か高級娼婦だ。ごく普通の平民の娘を食い物にするのは恥ずべき行いだ。お前のような輩と同類に見られるのは我慢がならない」

「で、でも……誘惑をしてきたのはアーティの方で……」


 バーナード様がしどろもどろの言い訳をします。

 フレデリック様は汚らわしいものを見るように眉をひそめました。


「お前が落馬した際に首の骨を折らなかったのが、残念でならない」

「……そん、な……」


 言外に「死んだ方がよかった」と言われて、バーナード様は明らかに動揺しています。


「そう怯えるな、殺しはしない。だがお前が死ぬまで、一挙手一投足を見張るのが私の仕事だ」


 フレデリック様がきっぱりと言いました。



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