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扉が開き、付き添い役のトーラ夫人を従えたアーティが現れます。レッスン室が緊張感あふれる空間に変化していたせいか、彼女は圧倒されたような顔で立ち止まりました。
「イブリン様……」
「私のことは『王妃陛下』とお呼びなさい」
睨みつけるのではなく、たしなめる気持ちを瞳に込めて、私はアーティを見ました。それはまるで氷のような、冷ややかな顔つきに見えたことでしょう。
私との間に壁を感じたのか、アーティが突き放されたような顔になります。そして彼女は無様によろめきました。
「気を付けたまえ。これが本番ならば、お前のみならず義父全員が罰を受けることになるだろう」
フレデリック様が厳しい声で言います。
「たくさんの人の顔に泥を塗ることになるわ。義父になってくださった皆様とその奥様。私の両親。テイラー公爵夫妻」
義理とはいえ、こんなにたくさんの親を持つ娘はそうそういないはずです。
「謁見式では失敗は許されない。最初からやり直しなさい」
「も、申し訳ございません」
私の言葉にアーティが頭を下げ、扉の向こうに消えます。
「アーティ・ハービソン侯爵令嬢、入室を許可する!」
ハンソン博士が再び声を張ります。
ドアが開き、アーティが現れ──今度の彼女は、精一杯うまくやるように努めました。
彼女が赤い絨毯の上をしずしずと歩く姿を、革製のボードを持ったトーラ夫人とハンソン博士が採点しています。
玉座の前まで進み出たアーティは膝を折って、深々とお辞儀をしました。スカートを持ち上げる手が震えています。これも減点されますね。
「面を上げよ。発言を許す」
威風堂々としたフレデリック様の声を聞いて、アーティは顔を上げました。頬がひきつってしまっています。
玉座の横で観察しているハンソン博士がため息をつき、ペンを走らせます。
「ハービソン侯爵の義娘アーティでございます。国王陛下並びに王妃陛下に謁見が叶い、光栄に存じます」
すがるような目を向けてくるアーティを、私は無表情な顔で見返しました。
(不足していた準備は……私との立場の違いを思い出させること)
約三か月間、私たちは多くの時間を共に過ごしました。
この謁見練習は、そんな時間がもうすぐ終わることを知らせる前触れ。
もうすぐ別れの時が来ることを、アーティに自覚させなければなりません。
「よく来た。そなたに会うのを心待ちにしていた」
国王役のフレデリック様が言い、さらに言葉を続けます。
「イブリン・ミルバーン公爵令嬢の挑戦は、今考えても無謀であった。しかし、彼女は成し遂げた。そなたとバーナードの醜聞は、一歩間違えれば王国全体を揺るがすところだったのだ。イブリン・ミルバーンは安易な道を選ばず、我が国の利益を第一に考え、王家と八大公爵家の信用と権威を守った。そんな彼女に免じて、そなたがミルバーン公爵家の養女になることを認めよう」
「慈悲深いお言葉、誠にありがとうございます」
アーティが深々と頭を下げます。
顔を上げたアーティを、私はひたと見つめました。そして、かつて新居の侍女頭を震え上がらせた低く抑えた声で言います。
「『アーティ・ミルバーン公爵令嬢』。あなたは平民から公爵令嬢への階段を登り、八大公爵家に嫁ぐ。一生涯、五つの実家の誇りを持たなくてはなりません。それにはよほどの覚悟が必要です」
私の言葉を聞く間、アーティは息もしていないようにじっとしていました。
「ここから先はあなた自身が、自分一人で決断を下さなくてはなりませんよ。そして、その決断の責任を背負わなければならないのです」
アーティの目が小さく見開かれます。
どうやら、これが別れの最初の一歩であることに気づいたようです。
「厳しい教育を耐え抜いたあなたなら、きっと乗り越えられるはずです。精進なさい」
「王妃陛下のお言葉、ありがたく胸に刻みます。そしてイブリン・ミルバーン公爵令嬢から受けた恩に深く感謝し、これからも精進してまいります」
アーティは右足の膝を深く沈めて、優雅にひざまずきました。その最敬礼は完璧なもので、人々は深く心を打たれたようです。
よくできました、と私は心の中でつぶやきました。
アーティの口調にも物腰にも、明らかに私の影響がありました。
私はアーティが必要とするものを、ひとつ残らず与えた。
アーティはすべて受け取った。
(アーティを導く期間が……終わった)
フレデリック様が「下がってよい」と言いました。これにて謁見は終了です。
アーティが後ずさりします。君主に背中を見せてはならないからです。彼女は最後までマナーを守って退出しました。
「素晴らしかった!」
ハービソン侯爵が拍手をしながら、勢いよく立ち上がります。
「最初はひやひやしたがな」
テイラー公爵がハンカチで額の汗を拭いました。
「イブリン嬢の全身から発せられるオーラは凄まじかったですなあ」
「フレデリック様も、まさに王者の佇まい」
「お二人共、上に立つ者としての天性の素質がおありになる」
義父の皆様が賞賛の言葉を口にします。
「我らも安心して、しきたりに挑む『保証人』になれるというもの」
ハービソン侯爵の言葉に、私は小さく目を見開きました。
「フレデリック様。これは私を王太子妃にする計画の一環だったのですね」
フレデリック様は「バレたか」と肩をすくめました。
「いや、アーティの義父がテイラー公爵まで含めて五人だから、ちょうどいいと思ってさ。彼らはイブリンに心酔しているから、ついでに利用させてもらおうと」
さすがは王太子、優れた策略家です。
王太子妃になるには、国内外の貴族から五名の『保証人』が必要となります。保証人はその令嬢の能力を、王家に対して保証しなければなりません。責任重大な役目です。
「両親の説得なんて、たいしたことではなかったよ。イブリンほど素晴らしい女性はいないって知っているから」
フレデリック様は「それに」と言葉を続けます。
「実は彼らも、后に年齢制限を設けるべきではないと思っていたそうだよ。選択肢を狭めない方がいいとね。私同様、王家に君を取り込みたいのさ」
「まあ。国王様と王妃様に望まれるなんて、とても感動的なことですね」
私はまったく感情のこもらない声で答えました。
確かに義父の皆様なら、しきたりに逆らってでも私が王太子妃に相応しいと保証してくださるでしょう。王妃のマントとティアラをつけた今の私の姿を見ればなおさら。それが証拠に、ひそひそと話す声が聞こえてきます。
「フレデリック様のお気持ちは明らか。他の女性では決して満たされますまい」
「イブリンほど肝の据わった女性なら、立派な太子妃になられることだろう」
「年齢差など何のその、ぴったりの組み合わせだ」
「あのお二人に任せておけば、我が国はよりよい場所になるでしょうね」
「私は喜んで保証人の書類に署名しますよ」
そんな声に背を向けて、私はフレデリック様を見据えました。
「プロポーズは、アーティとバーナード様の結婚式の日にお願いします。それまでは誰の影響も受けたくないのです。私はその日に──自分の将来を自分の手で選び取ります」
「わかっている。君が王太子妃になりたくなるような、合理的なプロポーズをするよ」
そして三日後の謁見式、アーティは上手くやりました。最初から最後まで完璧でした。
ミルバーン公爵家の義娘アーティの誕生です。あとは結婚式を待つばかり。
「……お、お義姉様……」
初めてお義姉様と呼ばれました。アーティは正式に私の義妹になったのですから、何らおかしいことではありません。
しかし私は彼女とほとんど触れ合わず、結婚式の最終確認に尽力しました。
そしてあっという間に結婚式の日の朝──。
ぱっちりと目を覚ました私はベッドから抜け出し、自らの手でカーテンを開けました。空には雲ひとつなく、素晴らしい天気になりそうです。
「今日、アーティはバーナード様の妻になる」
私は小さくつぶやきました。
あとは運命の手にゆだねるだけ。結末は誰にもわかりません。




